貴族街
ボリスたちの馬車より小さいサイズの馬車をうちの馬が引いていた。
老体に鞭打って頑張ったのか……。
“……ほとんど車に乗ってきたから大丈夫だよ”
そうか。それならよかった。
でも、王都の移動では引いて歩くことになるから頼んだよ。
“……任せてくれ!老いぼれだけどこの車なら俺でも大丈夫だ!”
みんなが馬車の内装に釘付けになっているうちに、リニューアルした動力と駆動の仕組みや魔法陣の改変箇所を確認した。
この馬車は我が家の自家用車で領の護りの結界に紐づいてはいなかった。
「あんな魔法陣はそう簡単に再現できないよ」
父さんがそう言ったが、ぼくも辺境伯領主の許可なくあんな魔法陣はとてもじゃないが描けない。
「最高速度の検証だなんて言ってイシマールさんと飛竜たちを呼んだのは、守りの弱さを補うためだったんだ」
「いや、使用回数に制限はあるけれど反撃できる装備はしているぞ」
父さんはそう言うと対魔獣、対盗賊と用途を分けた装備を説明してくれた。
もうこれは、動く要塞じゃないか!
「軍事転用は考えていないから、辺境伯領主様にもラインハルト様にも内緒だよ」
父さんはいたずらっ子のように笑った。
さすが母さんの伴侶だ。
うちの両親が一番空恐ろしい。
「カイル。お前がなにか時代の転機に巻き込まれているのをなんとなく感じるんだ。それが帝国の影なのか、そもそもこの王国の根底に元々巣食っていた澱のような淀みなのかまだはっきりしていない。だけど、家族を守るのは俺たちがする」
父さんと、父さんの肩に乗ったスライムが誇らしげに胸を張った。
「俺が初級魔法学校生の時代は、なんて昔話が通用しなくなる時代になったんだ」
父さんは唐突にそう言った。
「俺は確かに魔法学校時代にそこそこ優秀な成績を収めた。だけど、学生時代に上級貴族の魔力を自分は上回っているとは考えても見なかった。その思想は不敬だからってこともあるけれど、本当にそこまでの魔力はなかったんだ。今の俺には光る苔を摂取した魔力の底上げがある。だが、それにしても貴族の魔力量が少ない気がするんだ。なんだかこう、皮膚の下を百足が這うような感覚というか、なんだか気持ち悪い気配がするんだ」
その気持ち悪い気配をウィルやイザークやオレールも感じていることを父さんに伝えた。
「ラインハルト様も危惧しておられた。領主様は人間の視点を超えた思惑があるのではないかと仰っておられた」
ハルトおじさんや辺境伯領主は帝国の影響だけでなく、神々の意図を慮っているのだろうか。
帝国の世界戦略でさえもう何世代も続いている。
邪神が封じられてからもう何百年も経過して、人類は混乱から復活していなければいけないのに、重要な上位貴族の魔力量が文献にある古代人たちより少なくなっている。
「根拠のない俺のただの憶測でしかないんだ。だけど、留学中にどうしても帰らなくてはいけないと感じた焦燥感に似ているんだ」
父さんは帝国から帰国する長い旅路の途中で、ガンガイル王国に絶大な被害をもたらした魔獣暴走の噂を耳にしたそうだ。
「今となってはあれが帝国の王都弱体化への攻撃の一端だったと推測できる。ゆっくりと周辺国を弱体化させて侵略地域を拡大している……と考えてみても、帝国の魔力の低さが不気味なんだ」
ボリスの手首につけたスライムや帝国を往来する商会の報告は、帝国の貴族や土地の魔力の低さを窺わせる内容なのだ。
「ラインハルト様は世界がゆっくりと滅ぶ流れになっているいるが、ガンガイル王国の近年の祭りでその流れが変わっているのでは、とお考えだ」
「オムライスのお祭りのあとに教会の結界があっという間に完成したように、神々のお力を借りるには祭りが手っ取り早い、ということかな?」
面白いことが大好きなハルトおじさんらしい考察だ。
「そうなんだ。魔法学校の魔獣カード大会で多くの魔力が奉納されたらしい」
出場選手も広場に集まった観客も各祠に魔力奉納をしていたから、その結果は当然だ。
「一般大会の開会式に司祭が神事を行って、キュアたちの見本試合を奉納試合とすることになりそうなんだ」
はぁ!?
「……奉納試合って何なんだろう?」
「知らん。俺も初めて聞く」
ぼくと父さんが馬車に乗り込まず馬の側で話し込んでいたら、車内見学を終えたウィルたちが下りてきた。
「凄いですね。これは動く家ですね」
「車中泊にも対応できるけれど、風呂が無いのが残念だよ」
オレールが快適な家だ、と主張したが、父さんはまだ満足していないようだ。
「送ってあげるから、みんな乗っていて良いよ。オレールさんイザーク君ウィルのお家の順に回るよ」
豪邸の玄関を見るのも王都見物に丁度良いから、と言った。
初めて王都の街を見る三つ子たちは、市電がない、地下街がない、と王都にがっかりしていたから貴族の豪邸の外観を見るのも良い観光になるだろう。
「私は親戚の家に間借りしている身なので、私の屋敷ではありませんよ」
「それを言ったらぼくは三男で家を継ぐことはないから、うちの屋敷も将来にわたって住み続けるわけじゃないよ」
「ぼくも跡継ぎ候補なだけで確定しているわけじゃないよ」
三人がそう言ったが、みんな貴族街に住む身分なんだから平民から見たら雲の上の人たちだよ、と兄貴が言った。
「国や地方に人より少しだけ多く魔力を奉納しているだけだよ、って言えるような未来にしたいな」
イザークがボソッと言った。
馬車の内装は木目調の素朴さを活かした質素なものだったが、大人が三人ゆったり座れるベンチシートはフカフカで座り心地の良いものだった。
貴族街に入ると大きな屋敷が増えたが、建材が古く古都の雰囲気がある屋敷が多い。
過去の魔獣暴走でも屋敷の結界で貴族街は被害が少なかったことが一目でわかる。
貴族三人は自宅に鳩の魔術具を送っていたので、ぼくたちの馬車がオレールの親族の屋敷の門に着くなり門番が鉄柵を開けてくれた。
玄関には使用人たちが一列に並び、玄関正面には屋敷のご主人と思しき人物が待ち構えていた。
「これはオレールさんだけ降ろすのでは駄目そうだね」
「申し訳ありません。伯父上がここまで張り切るとは思っても見ませんでした」
オレールが頭を下げたことに母さんとお婆が恐縮した。
「俺が代表してあいさつをしてくるから、みんなは車内で待っていてくれ」
父さんが御者台から降りてオレールと一緒に屋敷の主人に挨拶をした。
三つ子たちと一緒にウィルとイザークが車窓に張り付いてその様子を見ていたが、外から中が見えないように出来ているので安心だ。
父さんが挨拶を済ませると御者台に戻ってきた。
「洗礼式前の子どもたちを車内に残しているという理由で、全員での挨拶を断ったよ。王都に滞在中に招待されたがそっちも多忙を理由に断った」
「うちも使用人が並んでいるかもしれませんが、気にしないでください。一応ぼくが家長代理です。でも、せっかくの機会だから屋敷の祠に参拝してみますか?運命の神の祠は珍しいでしょう?」
イザークの言葉にみんなの目が輝いた。
珍しい神の祠を見逃す手はない。
「ぼくも参拝しても良いかな?」
派閥として敵対しているウィルが言った。
「調査員が屋敷の中まで来るわけじゃないから良いよ。公爵には内緒にしてね。大事なご子息の魔力を拝借してしまうことになるから」
イザークは親にバレなければ良い、と軽く許してしまった。
「学校で仲良くしている様子が目に浮かぶようだわ」
「時代が変わったのね。三大公爵家のご子息たちが親友のように話しているなんて、自分の目で見ないととても信じられないわ」
母さんとお婆が、昔は貴族の生徒たちは派閥で交友関係ががちがちに固まっているのが常識だった、としみじみと言った。
「いまだにそのきらいはありますよ」
「派閥が悪いとは言い切れないけれど、知識を分断するようでは害が強すぎるよね」
祠巡りの有効性をかたくなに認めたがらない派閥が残っているんだ、とウィルが国内事情をあっさり言った。
「ラウンドール公爵家は情報収集にたけているね」
「イザークが居るからわざわざ話すんだよ。三つ子ちゃんたちやうちの妹が進学する時に魔法学校を託せる人物だからだよ」
「「「イザーク先輩!よろしくお願いします!!」」」
三つ子たちが声をそろえて頭を下げると、イザークが嬉しそうに笑って、頑張るよ!と答えた。
イザークの屋敷でも使用人たちが一列に並んで出迎えた。
馬車から先に降りたイザークが、魔法学校のお友達とその家族が祠に魔力奉納してくれるだけだから、誰が来たかは内密に、出来るだけ大げさにしないで普通に振舞ってほしい、と執事っぽい人に言っているのが聞こえた。
ぼくたちは美しい庭園を案内されて運命の神の祠に移動した。
家族と友人と豪邸の祠に参拝しに行くなんて、幼い時に領城の精霊神の祠参りしたことを思い出す。
ケインや兄貴もそのことを思い出したようで笑顔になった。
「なんだか楽しそうだね」
ウィルがどうしたんだい、と訊いてきた。
「ぼくたちが三つ子たちよりちょっと小さかった時に、領城の祠に参拝する両親の後ろでお祈りだけしたことがあったなって、思い出したんだ」
「うわぁ。さすが辺境伯領!領城の祠も公開しているんだ!」
「申請したら参拝できるけど、一般公開、というほど開かれていないよ」
父さんが訂正した。
「お城は審査が厳しいから滅多に申請は通らないですが、大きな事故から身を守れた、とか、特別に神様に感謝を伝えたい場合は審査が下りやすいのですよ」
お婆がさらに補足すると、ウィルとイザークが、小さいときにぼくたちが何かやらかしたことに気付いて笑顔になった。
「神様にお礼をしなければいけないようなことがあったんだね」
「詳しくは聞かないよ」
これ以上は口外法度だから追及されないのはありがたい。
「三つ子ちゃんたちは七大神の祠以外の祠の参拝は初めてかい?」
イザークの質問は、亜空間経由で飛竜の里の山の神の祠を参拝したことがある三つ子たちには答えにくいはずだ。
「「「不死鳥の貴公子のお誕生会が領城のお庭で開かれた時に参拝させてもらえました」」」
三つ子たちはピッタリと息を合わせて同じ返答をした。
「仲の良いお子さんを数人だけご招待したささやかなパーティーだったから、気遣いがいらない場だったんですよ」
公子の誕生会に平民の三つ子が招かれたことにウィルとイザークが驚いた顔をしたが、続けた母さんの言葉に納得したようだ。
「辺境伯寮生のまとまりが良いのは公子たちが気さくな人柄だから、ということがありますね」
キャロお嬢様は面倒見が良いので、イザークの言葉にみんな頷いた。
美しく整えられた低木に囲まれた運命の神の祠にぼくたちが順番に魔力奉納をしていると、精霊たちが低木の間からフワフワと漂ってきた。
「なんだ……これは……」
イザークと庭に控えていた使用人たちは、色とりどりに光る精霊たちに見とれた後、大慌てしたが、ぼくの家族とウィルが落ち着いているのを見て冷静さを取り戻した。
「みんなはこれを知っているんだね」
イザークの問いにぼくたちは頷いた。
「普段は見えないけれど、存在しているもの。精霊たちだよ」
おまけ祝 !200話記念第二弾!! ~緑の一族かもしれないと言われて~
自分が幸せな子どもだなんて、幸せな時には気が付かないものだ。
村に司祭がやって来て洗礼式の儀式を受ける年長者の傍らで私は三才児登録をした。
その晩は村をあげてのお祭りで洗礼式を受けた子どもたちが輪になって踊っていた。
自分も七才になったら綺麗な衣装を着てこの踊りを踊るのだと目に焼き付けていた。
これは幸せな日々ではなく当たり前の出来事だと思っていた。
来年も再来年もこうやって続いていき、やがては自分が主役になれるのだと、当然のことのように思っていた。
温暖な気候の村では年中作物が育った。
里山は年中、約束されたかのように村を支えるのに十分な恵みをもたらした。
大人たちが行商人たちと戦争がとか、徴兵がとか、供出がとか理解のできない話をしていくようになった。
父さんと母さんは、ここは南の端だから戦火に巻き込まれることは無い、と言ったが、決して余裕のある表情ではなかった。
里山の恵みが極端に少なくなったのだ。
幼い自分には何がどうなっているのかわからなかったが、父と母が仕事を求めて街に出るというので妹と村に残れと言われてけれど、ごねてついて行くことになった。
村に残った方が良い、と言われた理由は街に出てきてすぐに理解した。
父も母も働きに出てしまうので毎日私が妹の面倒を見なくてはいけなかった。
それが苦だったわけではない。
起きている時間に母に会えない妹が可哀想だと思ったのだ。
「魔法の才能があるから、学んでみないかい?」
妹をあやしながら散歩していたら。司祭服を着た男性に声をかけられた。
この街の知り合いは母の親族しかいない。
例え司祭服を着ていたとしても知らないおじさんの話を聞いてはいけない。
……私がその孤児院に行けば家族が救われる!
「そうだよ。君が我儘を言わず孤児院に行けば家族は幸せになれるんだよ」
……甘い。
空気に匂いがあるとするなら、とても甘い匂いがした。
……
私はこの家を離れて孤児院に行かなくてはいけないのだ。




