初級魔法学校一年生決勝戦
お腹を満たしたぼくたちが初級の会場に戻ると大歓声に迎えられた。
なぜだ?
何があったんだ?
実行委員が駆け寄ってきた。
「少し前に上級魔法学校の生徒会役員が押しかけてきてスライムを貸しだせ、と一悶着があったのです」
本当に押し掛けたのか!
「イザークが中級の会場に戻ってしまって事の顛末を一緒に聞けないのが残念ですね」
オレールは研究室に出入りするようになったのが同時期のイザークを年の違う同期のような扱いをしている。
「ああ。イザーク先輩が一枚噛んでいたんですね」
魔獣カード大会の開催にあたって上級魔法学校の実行委員の無茶ぶりをイザークがずいぶん頑張って跳ね除けてくれた、と感謝していた。
上級魔法学校の生徒会は観覧券が無いのにもかかわらず、強引に入場しようとして入り口で止められ、警備隊長に柔和な笑みで実家の格の違いを持ち出してごねても頑なに入場を断られた姿を休憩後戻ってきた観客に晒したらしい。
「それで諦めてくれたら良かったんですけれど……」
柔和な笑顔なのに高飛車な口調で辺境伯領の価値を高めてやるからスライムを貸しだせ、というようなことを言ったらしい。
「馬鹿なのか?」
オレールは遠慮なく言った。
「高額な観覧券を抽選で獲得した観客がそれを放棄して上級の会場に行くわけがないじゃないですか」
実行委員が深くため息をついて言った。
「今彼らがここに居ないということは応じる人が居たんですね」
兄貴が結論を急いだ。
「観覧券がないのに雰囲気を味わいに来た辺境伯領出身者に応じる方々が居て、押し掛けてきた上級魔法学校の生徒会の面々を引き連れて行ってくださいました」
「観覧券がない時点で身元調査が済んでいないことを意味していますから、上級の会場への入場はほぼ不可能ですよ」
警備隊長はぼくたちが予想していたことを言った。
「これも本大会に向けた危険予測の模擬実験として考えると我々にはありがたい行動です」
警備隊長はどんな事態にも前向きに考えられる有能な人物だ。
「勘違いした人たちの横入りが起こるのはあり得ることだからね」
ウィルはそう言うと、警備隊長に自分の試合が終わったけれど競技台の横に留まることをまだほとんど何もできない自分のスライムを学習させるためと理由づけして認めさせた。
オレールはぼくの助手だと言い張り、OHPの魔術具の研究を持ち出して競技台の横に控える権利を獲得した。
午後の選手入場ではみぃちゃんとキュアがエスコートして入場した。
出番が近いフエは唇が青くなっていて小さく震えていた。
キャロお嬢様は表情を変えていなかったが怒りで心拍数が少し高くなっている。
何があったのだろう?
考えられる事態としては、休憩時間に二連敗を喫した辺境伯寮生に嫌味を言われたのをキャロお嬢様が仲裁したのだろう。
二年生のキャロお嬢様の対決は辺境伯寮生同士だ。
一年生のフエと辺境伯寮生との対決が、辺境伯領民には引き分けか負け越しの天王山に見えたのだろう。
「ぶちのめしてやる気で行きなよ」
「手加減は無用だよ」
ケインと兄貴がフエを励ました。
「手加減されるなんて心外だよ。ぼくは君を尊敬している。入試はぼくだって真剣に頑張ったんだ。負けちゃったけどね。同級生として君の活躍を見てきたからこそわかる。ぼくの入学前の努力が足りなかったかったんだ。領内で一番だったからいい気になっていたけれど、王都で打ちのめされるのは当たり前の事なんだ」
性格の良い男子の代表のようなセリフを言って、辺境伯寮生は右手を差し出した。
「いい勝負をしよう。ぼくは絶対に勝つ気でやるよ。だから君も絶対に本気で向かってきてほしい」
目尻を光らせたフエが右手を差し出した。
二人が対戦前の握手を交わすと場内にアナウンスが響いた。
『午後の試合を再開します。初級魔法学校一年生の決勝戦を始めます』
二人が魔獣カードを審判員とケインのスライムに見せて試合が開始した。
試合運びは両者拮抗したいい試合だった。
観客たちは辺境伯寮生の応援が七割で残り三割が美少女のフエを好ましく思って観戦している様子だった。
午前中より辺境伯寮生の応援が増えている気がする。
なんか臭うな。
高額で観覧券の半券の取引が行われた気配がする。
辺境伯領応援団がパワーアップした中で行われる試合は、次第にフエが出すカードに野次が飛ぶようになってきた。
「土竜一匹に何ができる!」
「やっちまえー!」
「徹底的に痛めつけろー!」
『観客はお静かに願います』
実況アナウンスが時折注意を入れても一時静かになるが、辺境伯寮生の技が決まると興奮の度合いが高まり再び怒号が飛び交った。
「フエー!頑張れー!動揺するなー!!」
辺境伯寮生を応援する声よりずっと大きな、よく通る男性の声援が会場内に響いた。
メイ伯母さんの旦那さんの声だ。
普段は寡黙で、ああ、うん、としか言っていない印象の旦那さんがどこからそんな大声を出せるんだ、というくらい大きな声で、フエー!と叫んでいる。
……ああ。
なんでかな、昔のことを思い出した。
山小屋事件で救助された時、初対面の小汚い子どもに『うちの子になればいい』と言ってくれた父さんの言葉を思い出した。
……フエは家族が増えたんだ。
どんな状況でも背中を押してもらえる、温かい関係をメイ伯母さんの家族と築けているんだ。
あまりの声の大きさにフエも会場内を見回し、メイ伯母さん夫婦を見つけて笑顔になった。
旦那さんが急に大声を出したせいだろうか、メイ伯母さんは片方の耳を押さえている。
「フエー!大丈夫だー!全力を出せー!!」
フエは手持ちのカードをじっと見つめて、大きく勝負に出た。
残り二枚のカードすべてを土竜のカードにしたのだ。
『おっと、何かの間違いでしょうか!?可憐な少女が出したカードは二枚とも土竜のカードです』
実況もフエの意図がわからずまともな解説になっていない。
辺境伯寮生は土竜の土壁を破壊すべく、象のカードを一枚出して、鼻放水の集中攻撃で土壁の破壊を試みた。
スクリーンに大きく映し出されるのは土竜の土壁を強力な放水で崩す圧倒的な強さの象のカードのエフェクトだ。
フエは自分が窮地に立たされているのにフフっと笑った。
その時、三枚の土竜のカードが三角に光ると魔法陣が浮かび上がった。
何これ!?
何の裏技だ!!
辺境伯寮生の全てのカードが土の中に埋まっていき、ダメージポイントが一気に増えて戦闘不能に陥った。
『しょ、勝負あり!港町出身フエ選手の勝利です!!』
何が起こったかわからない観衆は一旦静まり返ったが、すぐさま怒号が飛び交った。
辺境伯領の三連敗に応援団が怒り狂い、フエがいかさまをした!と罵る声もあった。
「黙れ!静まれ!外野がとやかく言うな!!」
ぼくは拡声魔法を使って叫んだ。
「魔獣カードは市販のもので、ルール上問題ないことは審判員が確認した!スライムは忠実にそれを再現して試合が行われた!」
じゃあなんであんなあり得ないことが起こるんだ!と応援団たちが口々に言った。
「こっ、これは、偶々発見したんです」
フエが小声で言った言葉は会場内の野次にかき消されて競技台のそばに居たぼくたちにしか聞こえなかった。
「偶々って、今偶々出来たの?」
対戦相手の辺境伯寮生も驚きで声がひっくり返った。
「いえ、練習中に偶々出来たんです」
従妹たちと決勝戦に向けて毎日魔獣カード対戦をしていた時に灰色狼のリーダーのカードを土竜のカード二枚でかなり攻撃力を弱らせることが出来たので、三枚だったらどうだろう、ともう一枚出したら隠し魔法陣が出現して対戦相手のカードを全て土の中に引きずり込んでしまったらしい。
会場内ではまだ怒号が飛び交っていたが、ぼくたちはフエの発言の“隠し魔法陣”というパワーワードに興味津々だった。
「土竜三枚で必ず出現するのかな?」
「わからないわ。私たちも土竜のカードはそんなにたくさん持っていないから検証出来なかったの」
土竜のカードは一枚あれば十分だと思って二枚目以降はたいてい売ってしまうものだ。
「ぼくのカードで試してみるかい?」
「ぼくのカードも出すよ」
ウィルと辺境伯寮生が自分たちの魔獣カードの中から土竜のカードを出した。
審判員とケインのスライムが確認してOHP用の魔獣カードに変身した。
フエの土竜のカードと合わせて五枚の組み合わせすべてを競技台の上で試していると、野次と怒号は次第に落ち着いていき、観客たちも検証の行方を見守った。
見た目は普通の土竜のカードなのに隠し魔法陣を出現させるカードが一枚存在した。
『これは新発見です!魔獣カードには裏魔法陣が存在し、何らかの条件が整うと出現するようです!』
会場内が一斉にどよめいた。
重複したカードを今まで売りに出していたが、その中に裏魔法陣を出現させるカードが存在していたかもしれないのだ。
母さんったら遊び心の仕掛けが複雑すぎるよ!
『フエ選手に違反行為は確認されておりません。今後フエ選手を貶める発言をした方は当会場から退場してもらいます!』
実況アナウンスがフエを擁護した。
観客席でメイ伯母さん夫婦が力一杯拍手をすると、会場内全体に拍手が広がっていった。
「よく頑張ったよ。お嬢さん!」
フエに温かい言葉をかける人も出てきた。
ぼくは視界がぼやけて目から熱い液体がドッと溢れてきた。
歪んだ視界の中のフエもぼくと同じように目を光らせていた。
「おめでとう。フエ!」
ぼくが鼻声でそう言うとドバドバ涙を流したフエが頷いた。
美少女が鼻水を流して泣いているのを見せたくなくて、フエを引き寄せてぼくの胸で泣かせてあげた。
落ち着くようにポンポンと背中を優しく叩きながら清掃魔法で鼻水と涙を消してあげた。
“……兄さん。お熱いカップルに見えているよ”
ケインが精霊言語で忠告してくれた。
ぼくは慌ててフエに回していた手を離した。
オレールやウィルが、あらあら、といった表情をしている。
ぼくとフエは恥ずかしさのあまり赤面するのを止められなかった。
おまけ ~次期公爵候補の前進~
それからぼくは自分の仕事だけを全力で終わらせてから、カイルの研究室に入り浸るようになった。
あれだけの悪態をついたのに、その場にいた辺境伯寮生たちはぼくとカイルが友たちになったことに不快感を示すことも無く、ぼくの態度が良くなって良かった、と言ってくれた。
ぼくが不思議に思っていると、みんな幼馴染で賢くなる前に何かしら恥ずかしい過去があり、黒歴史、と呼ばれる逸話がある事を教えてくれた。
冷笑の貴公子には初日こそ警戒されたが、カイルが友人だと強調すると不承不承ながらも受け入れてくれた。
なにより、ぼくが中級魔法学校の魔獣カード倶楽部の部長になって、貴族だ平民だという垣根のない同友たちが楽しめる場を作り上げると冷笑の貴公子もぼくを認めてくれるようになった。
この部屋の居心地の良さは人を認め合う土壌があり、過ちを許し、再発防止のために誰もが協力し合うからだろう。
気が付けばよく落ちている研究員もこの部屋に出入りするようになっていた。
人に腹を立てる前にぼくにやれることがあったんだ。
気付いたぼくは生徒会役員たちを一新すべく生徒会の役員会を開いた。
「役員会なのになぜ役職についていないメンバーが居るのでしょうか?」
「いつも君たちの仕事を引き受けてくれているから、実質的に役員のようなものだし、君たちではわからない質問に答えてもらうからだよ」
仕事の出来ない役員たちには仕事の出来る補佐がつけられていた。
前任の生徒会役員は仕事の出来る貴族で占められており、仕事の出来ない彼らは生徒会室に平民を入れることに嫌悪感を示したから自分たちの仕事が積みあがっていったのだ。
頭を下げてやってもらえばいいのに、すべてをぼくに押し付けていた。
「書類の記名でさえ代筆しているものがあるじゃないか。出来ないことを人に頼むのは悪いことじゃない。けれど、責任は実際に役職についている君たちが取らなくてはいけないんだ。出来上がった書類くらいきちんと目を通して自分で記名してくれないとね」
副会長たちに自分たちが目を通さなくてはいけない書類を読み込ませている間に、今年度の予算案を話の分かる補佐たちと進めた。
サクサク仕事が進むと心労がぐっと減る。
「ああ。わからないことをわからないままにしていたら、将来の自分が困ることになるよ。この部屋ではカッコつけないで、知らないことは何でも質問したらいいよ」
自分の居場所は、自分で掃除をしなければいけない。
カイルは最重要な研究を寮の研究室で行っているようで、この研究室では帝国の競技会用の魔術具や生活魔法を活用した便利な魔術具を作っている。
カイルやケインは驚くほど努力家なのに努力している気配を微塵も出さない。
疑問に思うことを部屋に集うメンバーたちで討論し、わからないことがあれば翌日までに調べてくる。
寝る間を惜しんで勉強しているのだろう。
カイルは整理整頓もきちんとしているので、研究しかけの魔法陣の書付を放置したりしないのに机の上に数枚のメモが散乱していた。
「これは見ても良いのかい?」
「構わないよ、オレールの研究のヒントになれば良いと思って置いてあるやつだから」
カイルはオレールの飛行の魔術具に何の助言もしなかったから、手伝う気がないのかと思っていた。
「ぼくが指摘してしまうと、それが正しいとオレールは思い込んでしまうだろう?」
すでに飛行の魔術具を開発しているカイルの言葉を盲目的に信じてしまうのは当然だろう。
「ぼくだって手探りで魔法陣を開発しているんだ。もっといいものがあるはずだから、オレールにはぼくとは別の視点で研究してほしいんだ」
カイルの考え方はぼくに斬新に思えた。
知識は習って身に着けるものだと思っていた。
試行錯誤から見えてくるものも大切なんだ。
「失敗は成功の基なんだよ。失敗から学ぶことが大切なんだ」
失敗だらけの人生を送ってきた気がしていたぼくにはこの言葉は心に沁みた。
胸に込み上げてきた思いをグッと噛みしめているのを誤魔化すように机の上の魔法陣の走り書きに目を止めた。
不完全な魔法陣に猫の肉球が描かれている。
「みぃちゃんの右前足の肉球だよ。可愛いでしょう」
これは革新的な魔法陣の読み解き方だ。
この肉球にどの神の記号を組み込むかで、発動する魔法が大きく変わる。
「ああ。気が付いたんだね。正解は一つじゃないよ」
「これは、ここに当てはまる神の記号を複数組み合わせても発動できるよね……」
ぼくは重大なことに思い至って武者震いが起こった。
ああ、これは凄い!
古代魔法陣を肉球に置き換えれば神罰を気にすることなく書き写すことが出来る!!
……これはぼくのために広げられていた走り書きなのだろうか?
いや。そんなことはどうでもいい。
次期公爵候補がぼく一人であっても、危険な魔法陣をぼくが研究することは可能になるのだ。




