蝸牛のイリュージョン
窓の外で人が落下している。
ぼくが直接かかわるのは面倒なので、魔法の絨毯をぼくのスライムが操作してキュアと救出に向かった。
共同研究を断ったらぼくが研究室の窓際にいるのを確認してから、これみよがしに出来損ないの飛行の魔術具を実験する人が居る。
腕や背中に羽をつけたり、大型の鳥の魔術具に乗ったりするが、たいがい地面に叩きつけられて回復薬のお世話になっている研究所でも有名人だった。
「回復薬の値段だけでもっといい素材を買えるよね」
みぃちゃんがそう言うと今日も研究室に来ているイザークが爆笑した。
「猫でもわかることじゃないか」
新学期初日から入り浸っているイザークにみぃちゃんは三日で猫を被るのを止めて普通に喋り出した。
その時は腰が抜けるほど驚いていたのに、同日会ったみゃぁちゃんに、お前も喋れるんだろう、と得意気に聞いていた。
みゃぁちゃんのスライムは機転を利かせてイザークの耳元に弾んでいき、ぼくの声真似で、面倒ごとを起こしたくなければ誰にも言うな、と脅しをかけて再び腰を抜かさせた。
イザークはいつもぼくたちの魔獣たちに遊ばれているけれど、懲りずにやってくる。
中級魔法学校は卒業相当まで履修済みなので、生徒会室とこの部屋を毎日何度も往復している。
「あの人に何か助言してあげたらいいのに」
「自分で安全に降りる方法を考えつかない人が空を飛んではいけないよ」
あの人は魔法の絨毯に乗りたいから無謀な実験をしているのか、と思ったが、ぼくが研究室をもらう前から落ちていると他の研究員が教えてくれた。
落ちるのが趣味ならぼくの見えないところでやってほしい。
「あの人なりに進化して高度を上げられるようになったんだ。死にたくないから助けがある場所で実験しているんだろうね」
「死にたくないなら、自分が飛ばなければ良いのよ」
みぃちゃんはなかなか辛辣だ。
「カイルは飛行の魔術具も魔法も公開しないのはなんでなんだい?」
公開したら王宮お抱え技師になれるから、将来安泰じゃないか、とイザークは言った。
「上位貴族と同等の称号をもらえたとしても、お抱え技師はご勘弁だね。父さんみたいに上司に恵まれるとは限らないじゃないか」
競技会用の小技の魔術具を制作しながら、自分の作りたいものだけ作っていたいよ、と流した。
スライムたちとキュアが戻ってきたのでみぃちゃんが窓を開けて中に入れた。
イザークはみぃちゃんの丸い手が窓に手をかけるだけで開ける様子に、猫が生活魔法を使いこなしている!とみぃちゃんの手を凝視した。
「怪我無く回収、放流してきたよ」
「あいつは魚釣りの魚か!」
「だって鳥類というよりは跳びはねた魚程度じゃない」
「酷いこと言うなぁ。人間だって飛びたいんだよ」
窓を見上げるイザークに軽口を叩いたキュアが当たり前のように言った。
「飛んで何をするんだい?」
キュアの質問の真意がわからないイザークが首を傾げると、みぃちゃんのスライムが、考えなしだねぇ、と呆れたように言った。
「お前が転べば痛いだろう?身長より高い場所から落ちたらなお痛いのはわかるよね?」
ぼくのスライムは小指の爪ほどの大きさの分身を作ってイザークに説明した。
「小さいなら身長の二倍でも二十倍でも対応できるだろうけど、人間の骨格は自分の倍以上の高さから落ちて何とかなるように出来ていないじゃないか。神々は人間が飛ぶようにお創りになられていない。あれはただ高いところから落ちているだけだよ」
落ちるにしてもまだマシな方法があるのに、とパラシュートに変形できるぼくのスライムが残念そうに言った。
「松ぼっくりの種の飛び方を知っているかい?上手く風に乗れば結構飛んでいくんだけど、人間で試すのはお勧めしないよ。自分がクルクルと回ってしまう」
ぼくのスライムが見本として、分身を松ぼっくりの種子を頭に張り付けた小さな人型にしてテーブルから飛び降りさせた。
人間なら間違いなく目を回す速さで回転し、キュアが羽ばたき風をおこすとその風に乗ってふらりと舞い上がった。
イザークだけでなくみぃちゃんもみぃちゃんのスライムも喜んだ。
「猫やスライムたちの方が賢いじゃないか」
窓際から入り口のドアまでクルクルと飛んでいったスライムの分身を見ながらイザークが言った。
「松の種をモデルにする魔術具は現実的には人間があの回転について行けないから無理だけど、どうすれば遠くに飛んでいけるかという思考の一助を授けてくれるはずだよ。神々が生きとし生けるものの形を造り、生きるものたちが生き続けるために己の姿かたちを決めたんだ。人間は飛ばないことを選んだんだ。それでも飛びたいのなら、ちゃんと安全に着地点にたどり着くようにしなくてはいけないね」
「飛ぶことしか考えていないあの研究者に何を言っても無駄だという事かい?」
イザークが絞り出すように、息が詰まったように言った。
「試行錯誤は無駄じゃないよ。彼はきっと成果を出す。……ぼくが嫌なのは着地点の予測が出来ない研究は研究者の意図を超えた活用をされてしまうということだよ」
ぼくが自由に研究できるのは軍事転用を許さない大人たちが砦になってくれているからだ。
そんな優しい世界で生きている。
「軍事転用……とか?」
イザークも気が付いたように言った。
残念ながら理想郷なんてない。
富国強兵に即座に対応しなくては帝国に対応できなくなる現実がある。
「あはは。自分の考えが浅はか過ぎてなんて言ったらいいかわからなくなるよ。ぼくはカイルが帝国に留学したらもう戻ってこないから言いたい放題なんだと穿って見ていた」
人生に期待しないことで心を守ってきたイザークは思考が後ろ向きだ。
「お抱え技師にならないからといって帝国に残るつもりもないよ。イザークが考えているより帝国は安定していない。あそこに残れば、ぼくはいずれ人を殺す魔術具を作る羽目になるだろう。競技会用の魔術具はそんなことにならないような、人を笑わせる魔術具を作っているけれど、これだって発想を変えれば悪用できる。だから帰ってくるよ」
イザークは帰ってくるという言葉に晴れやかな顔になった。
「あんたも、あいつと同類なのか?」
「寮まで押しかけてこないからまだましだよね」
「縄張りを気にしているだけだろう?」
キュアとみぃちゃんとスライムたちがイザークをストーカー予備軍として話をしている。
いや。たぶんイザークは自分だけ置いていかれるのが嫌なだけだよ。
「今本気で開発している方の魔術具が完成したら、気楽に、とまでは行かないけれど簡単に海外旅行に行けるようになるよ」
「ホントか!」
イザークは研究室をキョロキョロと見まわしたが、小型の魔術具しかこの部屋にはない。
「寮にも研究室があるんだよ」
「えっ!寮に戻っても研究しているのかい!!」
「イザークだってタウンハウスに帰っても生徒会や、魔獣カード倶楽部の事務仕事をしているだろ」
そんなの当たり前だろ、と言葉を詰まらせながらイザークは言った。
毎日ここで油を売っている分見えないところで埋め合わせをしているはずなんだ。
みぃちゃんが、えらいねえ、とイザークの頭を撫でた。
「あ!みぃちゃんを手懐けたんだ。いいな」
騎士コースの制服のままやって来たウィルが、ぼくも撫でて、とみぃちゃんに頭を差し出して猫パンチを食らっている。
「平和だね。頭燃やしてみようかい?」
「回復薬の無駄遣いになるから止めてね」
キュアのシャレにならない軽口にウィルは突っ込んだ。
今日の検証内容をキュアが一足先に口にしたんだけど、本当にウィルで検証して良いのだろうか?
「なんか難しい顔をしているけれど、どうしたの?」
ぼくはウィルに今日の検証の内容を具体的に話した。
「いいじゃん!人目の多いところでやろうよ。騎士コースの訓練所の一角を借りて大々的にやろうよ」
ウィルはそう言うと鳩の魔術具で騎士コースの指導者に連絡を取り、どれだけ魔力を放出しても問題ない訓練施設の一角の使用許可を取った。
「兄さん。話が大きくなっているね」
今日の授業を終えたケインが合流すると、上級魔法学校の騎士コースの訓練所に移動した。
話を聞きつけた見物人がたくさん集まっており、騎士コースの制服を着たキャロお嬢様が防御の魔法陣が即座に出せない人は下がってください、と場を仕切っていた。
「見世物状態だけど良いのかい?」
サーカス団員のように扱われていることをウィルに改めて確認すると、右口角を少し上げて笑って見せた。
「観衆がどう思うかがこの魔術具の真骨頂だろう?」
ウィルは検証の内容を効率よく把握するためにあえて耳目を集める場を用意したようだ。
「まだスライムたちにも試していないのに、人体実験につきあってくれてありがとう」
ぼくはウィルに右手を差し出して固く握手をした。
仲が良いことをアピールしなければ、ぼくがウィルを虐殺しようとしているように見えてしまう。
「ぼくが被験者第一号になれることを誇りに思うよ」
ウィルがそう言ってぼくの肩を引き寄せて軽く抱きしめて仲の良さを更にアピールした。
ケインが見物人と距離を取った場所に記録用のカメラと魔術具を設置した。
競技会のマス目を想定したタイルに蝸牛の魔術具がちょこんと乗っている。
「はじめるよ」
ウィルがそう言って蝸牛を捕まえると、蝸牛は青い炎になってウィルの全身を覆った。ウィルは体をくの字に折り曲げて小刻みに震えながら、歯を食いしばって身をよじった。
ギャァー、と見物人から悲鳴が上がり、ウィルを助けようと飛び出してきそうになる生徒たちを最前列に居た辺境伯領の騎士コースの生徒たちが抑え込んだ。
ウィルは炎に包まれながら苦しそうに膝をつき、声を上げまいと食いしばっていた口を開いた。
「アハハハハハハハハハハハッハ……。ヒーッヒヒヒヒ。もう駄目。止めてくれ!」
予想だにしなかったウィルの笑い声に、見物人たちは混乱に陥った。
ケインがウィルの乗っているタイルに触れると炎が消えて蝸牛が姿を現した。
カッコつけることを諦めたウィルはおなかを抱えて床に寝っ転がった。
「……もう、効果は消えているんだよね」
消耗しているウィルを見てイザークが言った。
「くすぐったい感覚がまだ消えていないんだと思うよ」
「くすぐったいって、どういうことですの?」
魔術具の正体を知らないキャロお嬢様がこれは何の実験なのかと訊いてきた。
「魔術具に触れた人を健康被害を与えず戦闘不能にして、周囲の戦意を下げる効果のある魔術具の検証だよ」
「それではウィリアム君は大丈夫なんだね」
イザークはまだ肩を上下させて横たわっているウィルを見て言った。
「大丈夫なはずだよ。ウィルは蝸牛に全身をくすぐられていただけだからね」




