残るもののすべきこと
ぼくたちの長い一晩が明けると、入学式に向かう新入生たちが食堂でキャピキャピしていた。
可愛い。
「少し背が伸びた?」
新入生たちを激励したキャロお嬢様がぼくたちの異変に気が付いた。
「成長期だからね」
「寝て起きたら背が伸びるのは普通のことだよ」
「また魔術具でも作っていたの?」
誤魔化したつもりでもミーアにはバレバレだった。
「土竜型だから今は土の中だよ」
こういう時は嘘をつかずに半分だけ本当のことを言っておく方が身のためだ。
「完成したら見せてくださいね」
「無事に戻ってきたらね」
ぼくの軽口にポケットの中のスライムたちが震えて抗議した。
冗談はさておき、戻ってくることを信じているけれど、本音は帰ってくるまで心配でならない。
シロが邪神の欠片の追跡は嫌がるから、結界の行方を魔力の流れでたどるしか出来ないのだが、外国だからなにぶん遠すぎる。
明け方、寮の精霊神の祠から基礎の結界をたどったが、遠すぎてよくわからなかった。
ぼくが辺境伯領主様のスライムの分身を預かっているので、異変があったら震えて教えてくれることになっている。
この子は連絡用と、緊急時にキュアの魔力を補充することで地下に居る分身の延命になるのでは、という配慮から預かっている。
だけど、朝からキャロお嬢様の声を聞いてポケットの中で小さなスライムの欠片が小さく震えているのは、辺境伯領主が孫の寮生活を知りたがっているのが伺える。
孫ラブなじいじに報告したいのだろう。
「今日の昼食は魔獣カード倶楽部にお弁当を届けてもらう手はずを整えましたから、部室で情報交換をいたしましょうね」
キャロお嬢様が意味深長な言葉を残して去っていった。
新学期初日から情報交換をするようなことがあるのだろうか?
談話室には迎えに来たウィルを見た新入生たちが、キャーキャーと騒いでいた。
外面は完璧な貴公子だから、女子たちが、王都は凄い、と顔を赤らめている。
「おはよう。あれ?背が伸びた!?」
「成長期だからね」
「ウィルより大きくなるよ」
ケインが人前でウィルと呼んだことに気を良くしたウィルはそれ以上問い詰めることは無かった。
「お昼休みに部室に集合ってキャロライン嬢から聞いたから、ぼくもカイルたちを驚かせるお弁当を用意するよ。帝国帰りの兄が持ち込んだ食材だよ」
新しい食材の出現の予感に一日の滑り出しは上々な気分で寮を出た。
研究所でぼくに与えられた部屋は広かった。
素材を運び込んで環境を整えることに午前中を費やす予定だったのに、来客がひっきりなしにやって来て、すっかり辟易してしまった。
研究員たちが偵察がてら挨拶にやって来るのは、片付けながら忙しい態で追い払うことが出来た。
飛竜や犬や猫やスライムたちまで忙しく働いているのだ、名前を聞いて握手するだけでみな帰ってくれた。
だが、助手志望の人たちはなかなか帰らない。
「うちはスライムたちが優秀なので助手はいりません」
ずっと同じことを言い続けていたので、中級魔法学校の生徒会長の顔も見ずにそう言った。
「忙しいところ申し訳ない。先日の件を詫びに来たんだ。ぼくの態度は酷かった。君にきちんと謝罪したかったんだ」
水色の髪の少年がジャニス叔母さんのパン屋の焼き菓子セットを手土産に、わざわざ詫びに来た。
「本当に気にしていないから、良いんですよ」
ぼくがそう言うと、少年は寂しそうに言った。
「それはわかっている……。そしてそのことがぼくを苦しめる。君は本当にぼくのことなんか気にしていないだろうし、謝罪に来たのもぼくの自己満足でしかない。王都で一番美味しいお菓子を手土産にしても、君の叔母さんの家のお菓子だ。ぼくは自分が恥ずかしいけれど、こんなどうしようもないのがぼくだから仕方がない。あのときの失言はあの場にいる自分が不甲斐なくて君に八つ当たりしただけなんだ。ごめんなさい」
少年はぼくに頭を下げた。
「……ありがとう。ぼくの叔母さんのお菓子を王都で一番美味しいお菓子だと選んでくれて、嬉しいよ」
ぼくは謝罪は受け入れず、頭を下げたままの少年の手を取って言った。
スライムたちもみぃちゃんもシロでさえもぼくの言葉に作業の手を止めた。
キュアは少年の後頭部上方に回り、簡単に許すなよ!こいつの髪の毛でも燃やそうか、と剣呑な思考を精霊言語で送ってきた。
まあ、大人しく待っていてくれ。
人の話は最後まで聞くことが大事だよ。
「ぼくは……弟のケインも、昨日、初級魔法学校の生徒会室に入ったときから、君が役職名だけの生徒会長だと薄々気が付いていた。ほかのみんなから浮いていたからね。人は笑顔で人を蔑む。当人たちに蔑んでいる意識がないから、特段人当たりが良い笑顔をするんだ。ぼくとケインはそんな人たちにたくさん会って来たから、そんな笑顔は気にしないんだ。だけど君は心のままに悪態をついた。自分が陰で言われていることを、そのまま真っすぐにね。君のことを庶子の癖に、と思っているということは、ぼくらを平民の癖にと心のどこかに思うところがあるんだよ。だけど面倒だから放置した」
ぼくの言葉に少年は顔を上げた。
直接的な害意は相手を避ける理由になるから、対処法は簡単だ。
だが、笑顔の裏にある害意は直接敵対しないから、排除のしようが無く、自分の心が少しずつ消耗していく。
「ぼくだって、君を気にしない罪を犯したんだ。あの部屋の中は歪だった。上の立場の人間たちが抵抗できない下級生の部屋に押し掛けて、厚かましく、上位者の顔をしていたんだ。だけど君は、君だけは上級生なのにあの状態を理不尽だと感じていた」
「……そうなんだ。朝一番に上級魔法学校の生徒会の面々がやって来て、下級魔法学校生の言い出したことで迷惑をこうむっているのだから、下級魔法学校の生徒会に抗議すべきことだ、と言い出したのに、ぼくは偶々持ち上げられた生徒会長だから、中級魔法学校の生徒会役員を説得できなかった。結局ぼくが無能だっただけなんだ……」
少年はこぶしを握り締めて小さく震えていた。
少年の消耗しきった心が悲鳴を上げている時に偶々ぼくが居合わせただけだ。
「こればっかりは、口で言っても伝わらないんだ。上位者はそう振舞うものだとみんな思い込んでいるからね。ぼくとケインがあの場にいるのを平民にしては優秀だから、という基準で判断して笑顔で接していただけだ。人の能力に身分なんて関係ないのにね」
ウィルの選民思想が解けるのにも時間がかかった。
本人が自覚した後も、何度もその思想の残滓に打ちのめされていた。
「君は自由にすればいいんだ。心の赴くままに。人は生まれながらに貴賎があるわけじゃない。生まれながらにして背負う義務に合わせて育てられているだけなんだ。君はその階級の狭間に生まれてきてしまっただけだよ。人は生まれてきた時に親も立場も選べない。好き好んで庶子として生まれるわけじゃない。君は家のために生まれてきたんじゃない。だから、家のために人に後ろ指を指されたりしなくて良いんだ。不思議だね。努力すれば神様からご褒美がもらえる世界で、親の違いで人から後ろ指を指されるんだ。本来、親は子を守るために戦うんだよ。君が庶子になったのは君の父親のせいだ。正妻の養子になって嫡出子として扱われたとしても幸せになれるとは限らない。けれど、他人に後ろ指を指されない立場を生まれる前に用意できたはずなのに、それもせずに嫡男の代用として中途半端な立ち位置しか用意できなかったんだから、あえて親族の期待に応える必要はないんだ」
顔を上げた少年はぼくの手を強く握った。
「……ああ、そうなんだ。でも、ぼくはもう逃げられない」
「一族の秘伝を聞いたんだね」
少年は無言でうなずいた。
「それでも君は君で良いんだよ。そんな上位貴族はいっぱいいるよ」
不敬だからはっきり言えないが、王太子の地位を追われかけている王族教育を終えた人を知っている。
「大事なのは継承できる魔力と知識があるかどうかで、君はその最低ラインを越えただけだよ。知っているからと言って他言しなければ良いだけだ。君が好きでもない親族の意向に従う必要はない。知識を裏側で引き継ぐ人になっただけじゃないか。本家に本当に跡継ぎがいない時に知識を継承する役割がある、という程度の考えで好きに生きたら良いよ」
ぼくは辺境伯領にはハルトおじさんという、殿下と呼ばれない不思議な人が居る話をした。
キュアやみぃちゃんやスライムたちも少年の不遇な立場を理解し、許してやってもいい、という顔をしている。
少年は恥ずかしそうに笑って言った。
「それでも、ぼくは何の関係もない君に悪態をついた。許してほしいし。出来る事なら友だちになって欲しい……厚かましいかな」
「いや。こちらこそ喜んで。ぼくはあと一年で帝国に行く予定だけれど、うちはこの後三つ子が入学してくる予定なんだ。辺境伯寮生あるあるで、きっと飛び級するから、その時に上級魔法学校で会ったら優しくしてあげてほしい、という下心ありありで良かったら仲良くしてほしいよ」
ぼくが改めて右手を差し出すと、少年は声を上げて笑いながら握手した手をブンブン振った。
「ああ。約束するよ。ぼくがその時、学校でどんな立場でいるか想像さえできないけれど、出来る限り三つ子たちを守ってやるよ」
少年は生徒会を辞める気でいるようだけれど、王都に残る派閥の残党の都合上、きっと上級学校でも生徒会役員からは離れられないと思う。
だからこそ自分で居心地のいい生徒会を作ってほしい。
ぼくたちは休憩と称して、スライムたちが用意したお茶を飲んでジャニス叔母さんのお菓子を食べた。
少年の名前はイザークで、もう卒業制作も終わっている、なかなか優秀な生徒だが、庶子だからという理由で帝国留学を親が選択しなかっただけだった。
辺境伯領の市電の噂に興味津々で、初級魔法学校卒業時に家出をして辺境伯領まで見に行った行動力のある子だった。
ボリスたち一行の新型馬車を見たさに、視察と称して親戚の領地に先回りをし、なんとか間に合って見れた、と楽しそうに語った。
「ぼくは、君に憧れて、君に勝手に嫉妬していた。……こんな凄い魔術具を作れるのはエントーレ準男爵が関与しているからだ。ぼくだって父がもっとまともだったらって……あさましいよね」
最後は自嘲気味にそう言うと、ぼくのスライムはすっかりイザークに同情して触手をイザークの手に添えて、自覚できて良かったねえ、という目のない視線を向けた。
「なんだかスライムに慰められている気がするよ」
「慰めているよ。自覚したなら変われるはずだって言っているよ」
「ああ。頑張るよ。カイルと話していると才能の違いに打ちのめされるというより、励まされるんだよ。こんなぼくにでもやれることがあるんだって」
穏やかに笑うイザークは部屋に入ってきた時より精悍な顔つきになっている。
「やってほしいことだらけだよ。派閥の人たちから突き上げがあると思うけれど、相手の話を聞く条件に領地改革でも入れてもらえれば王国は安泰だもん」
「それは王都に残った人がやるべきことだね」
痛みを知っているイザークは苦労してもきっとやり遂げてくれるだろう。
昼休みに初級魔法学校の魔獣カード倶楽部の部室に行くと室内は花で飾られて、黒板におめでとう!の文字が大きく書かれていた。
緑の一族のトウモロコシ研究者のハナさんの養子になったフエが親族のメイ伯母さんを頼って留学したという設定で、王都の初級魔法学校に進学して新入生代表になっていたのだ。
入学祝は用意していたけれど、新入生代表になるとは思っていなかった。
一般入部受付をまだ始めていないので部室にいるのは辺境伯寮生とウィルとぼくの従妹たちだけだ。
みんなに祝福されて恥ずかしそうに微笑んだフエに入学祝の魔術具のペンをあげた。
「ありがとう。こんな風に普通に学校に通えるなんてとても嬉しいよ」
ショートカットに女子の制服が良く似合う。
女子としては斬新な髪形に辺境伯寮生たちは、可愛い、可愛い、カッコイイ、となかなか評判が良い。
お昼休みは新入生と倶楽部創立のお祝いで大いに盛り上がった。




