命をかけて護るもの
「あれはなんだろう?」
ぼくたちが登っている木から30メートルぐらい離れたところに威嚇の姿勢をとっている大型の猫みたいな獣と瘦せこけた野犬のような獣が間合いを取りながらじりじりと移動していた。ぼくとしたことが気を抜き過ぎていた、こんなに近くまで来ていたのに全然気が付いてなかったなんて。
「大山猫と灰色狼だ!」
ジュエルの上司さんから借りた魔獣図鑑に二体とも記載があったのを覚えている。
大山猫。魔獣の中でも、成長の過程で中級の攻撃魔法を使える種族だ。育つ環境によってその攻撃の属性は変わるが、このあたりは、森がまばらで草原が多い。そのため、大山猫のほとんどは草原で育つこともあって風魔法を習得しやすいのだという。
灰色狼の方は生まれつき氷属性の初級魔法を使える種族だ。だから、一体一体の魔法攻撃は強くはない。彼らは群れでブリザードを引き起こしたりして本来の力を発揮する、つまり物量による攻撃というわけだ。
「どっちが強いの?」
「灰色狼は一匹だけでは魔法はまともに使えないから大山猫だな」
「でも、あの猫けがしているよ」
ぼくには大山猫が怪我をしているようには見えないがケインは視力がいいようだ。怪我……そうか、決着がつかない限りぼくらは安全ということにもなる。
しかし、二匹は威嚇と攻撃を繰り返しながらどんどんぼくたちの居る木に近づいてくる。この二匹の対峙が何らかの形で解除されて、意識がこちらに向いたらと考えると結構ハラハラする。よく見ると、二匹とも疲れているようで攻撃の時間が短い。もしかして一晩中戦っていたのだろうか。だとしたら、決着がつくまで木の上で待っていれば安全だ。
「大山猫はたくさんかまれたあとがあるけど、この灰色狼はさっきからなかなかこうげきが当たっていないよ」
昨日草原の向こう側に獲物の横取りされたそうになっていた魔獣がいたような…、まさか灰色狼の群れ…?!
「はぐれ狼でろくに餌にありついていないから最後の力を振り絞っているのかも…」
この辺りにまだ群れの本体がいて、仮にこいつが群れの後追いをしているならまずいことになる。でも同時に、こいつがすでに完全に群れから追い出されたものなら……、いや、そんな悠長な賭けをしていられるのか。
ぼくは広めにあたりの気配を探った。魔力の強い生き物の気配はない。だが、大山猫の後方に小さな気配が三つある。大山猫の魔力に似た魔力だ。
「……!まさか、」
この大山猫は自分の赤ちゃんを守るために一晩中戦っているんだ!!
ぼくは目頭が熱くなるのを止めることができなかった。声も出さずにただ涙があふれ出てくるのを止めらなかった。どこかで自分の境遇とあの護られている仔猫たちの境遇が重ねてしまっていたのもあるかもしれない。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「……あの大山猫は……赤ちゃんがいるんだ……」
「巣穴を守っているからひけないんだ!」
二匹はどちらもひかずに戦い続けている。もうそろそろ体力の限界をむかえるだろう。だが、大山猫はギィヤーっと長い咆哮をあげた。ほとんど同時に、ぼくらの目をつぶしかねないほどの閃光がその大きな口から発せられた。そして、こちらの全身の毛がパリッと逆立つような感覚とともに雷鳴によく似た轟音と、雷に似た光が灰色狼の身体に直撃するのを見た。本当に一瞬のことで、ぼくも何が起きたか理解するまで少し時間を要した。しかし、毛は黒焦げになり、身体はズタズタに引き裂かれた灰色狼が倒れ、周囲の木もその電撃によりちいさく燃えているのを見た時に、その一撃がこの勝負を終わらせるのに十分すぎる威力があったことがわかった。
「「やったー。お母さん山猫が勝った!!」」
二人は喜んでいたが、ぼくはまだ涙が止まらなかった。大山猫も、もう魔力がほとんど残っていない。もうすぐ死んでしまう。赤ちゃんを残して………。
ぼくはもう声を殺すことはなかった。
みっともないぐらいにえぐえぐ言って泣いた。
大山猫はよろよろとしながらも赤ちゃんたちのいる方に歩いているが、倒れこんでしまった。
「兄ちゃん、大山猫は死んじゃうの?」
「…ぅ…ぅ…うん…」
「赤ちゃんはどうなるの?」
「たぶん死んじゃう」
ボリスがかわりに答えてくれた。
「たすけにいこうよ」
ケインは木を降り始めてしまった。
しっかりしなくてはいけない。ぼくはすかさずあたりの気配を探り危険じゃないのを確認してからケインを追いかけた。母山猫には立ち上がる力がなくても、先ほど見せた電撃をもう一度最後の一撃として出す、子どもを護るための余力があるかもしれない。
「子猫はこっちだ。母猫は凶暴だから近づいちゃだめだ」
ぼくは二人を引き連れて巣穴の方へ行った。
近づくとミャーミャー泣き声が聞こえる。母猫を探して出てきている子もいる。
「三匹いるから、捕まえて」
ぼくは手前でうろついていた一匹、ケインが巣穴に手を突っ込んで残り二匹を引っ張り出して一匹をボリスに手渡した。ぼくたちの掌にすっぽりとおさまる小さな命。
「母猫のところへ連れてってやろうよ」
ボリスは最後の対面をさせたいようだが、魔獣二体の死骸がほかの魔獣を呼び寄せるので、さっきの木に戻った方がいい。
足元に鳥らしき影が二つちらつく。見上げると、ぼくたちの真上を鳥が旋回している。もうすでに魔獣が来ていたのか…?!まずい、空からの襲撃に対応できるほどの戦闘力は皆無だ。だめだ、今度こそ終わりだ…………。ぼくは絶望的な顔をしていたかもしれなかった。
「兄ちゃん、あれ、鳩‼鳩だよ‼」
「え…?」
あまりに悲観的になりすぎていたんだ。誘拐され、全く分からない原野に迷い込んで、様々な魔獣の気配にさらされ、凄絶な魔獣同士の戦いやその中に見た家族愛を感じたり、あまりにぼくには刺激が強すぎた。ストレスもあってか、全く現実を把握しきれてなかった。
あの鳥はジーンが精巧に作り直した玩具の鳩じゃないか。ようやくぼくは冷静さを取り戻した。
ぼくはあたりを探る範囲をできる限り広げてみた。たくさんの人が馬に乗ってこっちに来ている。
「ケイン、ボリス。迎えが来たよ、……帰れるんだ」
ぼくは心から安心して座り込んだ。
でも、妙だ。よくよく考えてみると、おかしいほど珍しすぎる。雷魔法、しかも死にかけの状態とはいえあれだけの威力で出せる大山猫がこんなところにいるなんて。あの威力が中級なんだろうか、なにもわからない。あとでジュエルたちに報告しなくちゃ。この仔猫たちは……どうなんだろうか。




