Reborn.
「誰かいるのかい?アリサ」
父さんはアリサが指さしたケインを見て、家族にケインから離れるように言った。
「あのね、父さん。悪い子ではないからそんなに警戒しないでほしいな」
「やっぱりカイル兄ちゃんには見えているんだね」
「いや、この状態では見えないよ。そこに居る気配を感じるだけだよ」
「ああ?いや。お前たちが何を言っているかわからない」
父さんは首を傾げた。
母さんもお婆もクロイもアオイも何も見えていないようで、父さんの指示を聞かずにケインから離れることは無かった。
兄貴はいつもケインと一緒に居るから、違和感なんて微塵もないのだろう。
「アリサにはその子はどういう風に見えているの?」
ぼくのスライムが尋ねた。
「男の子だよ。カイル兄さんより少し大きい」
「普通の子どもに見えるのかい?」
「黒くないのかい?」
「ねえ。ちょっと実体化してよ」
ぼくとケインとぼくたちの魔獣たちが一斉に騒ぎ出した。
兄貴は多分、家族に拒絶されるのが怖いのだろう。
「大丈夫だよ。兄貴はずっとケインと一緒に過ごしてきて、家族のみんなを守って来たんだ。嫌われるわけないよ」
ぼくの言葉に兄貴の気配が動揺するように揺れたが、まだ実体化しなかった。
「カイル。一体どういうことなの?」
お婆が心配そうに言った。
みんなから見れば、ぼくはケインに向って語っているようにしか見えないのだろう。
「長い話になるからみんな座って話すよ」
居間に移動すると、アリサは兄貴の分の椅子を食堂から運んできた。
アリサには本当に男の子に見えているようだ。
みんな怪訝な顔をしていたが、ぼくとケインとアリサは兄貴が椅子に移動するのを待った。
みぃちゃんとみゃぁちゃんは兄貴の椅子の両側に座り、キュアも兄貴の上に浮いている。
スライムたちはそれぞれの主の肩に乗って一緒に話を聞く姿勢を見せた。
三つ子たちは右肩にスライム、左肩に妖精を乗せていた。
それを見たシロは妖精型になってぼくの左肩に座った。
「三つ子たちはぼくが養子だってことは知っているよね?」
「「「うん。カイル兄ちゃんが三才の時に、お父さんとお母さんが死んじゃったんだよね」」」
「そうだよ。近くにいたぼくの父方の親族は理由があってぼくを引き取れなかったんだ。そうしてぼくはこの家に引き取られた。父さんはぼくをいきなり連れて帰ったのに、気を利かせた騎士がぼくの存在をみんなに伝えてくれていたから、ぼくがこの家に来たその瞬間から家族として受け入れてくれたんだ」
まだ兄貴の話にならない前振りの段階で父さんが嗚咽を漏らした。
早すぎだよ。
「お風呂に入って晩御飯を食べただけで、何とも言えない安心感に包まれてぼくは食べながらそのまま寝付いたんだ。気が付いた時はケインと同じベッドで寝ていて、部屋の隅っこに黒い何かが居たんだ」
三つ子たちは肩をビクッとさせた。
しまった。
怪談風の語り口になってしまった。
「ぼくもびっくりしたよ。でもね、その黒い存在もぼくにびっくりしていたんだよ。ずっとこの家に居て、ずっと家族を見守っていたのに、訳の分からない子どもがずっと見守っていた子と同じベッドで寝ているんだもん」
ぼくはあの日を思い出して、フフっと笑った。
本気で怖かったんだ。
兄貴が怖かっただけでなく、この先どうなるかわからない自分の状況も怖かったんだ。
……違う。
兄貴が居たことで、自分の置かれた状況の怖さが少し消えたのだ。
「それでもその黒い存在は、ぼくが家族に害をなさないただの子どもだと気が付いてから、ずっと一緒に居てくれた」
ケインもフフフって笑った。
知らずに身体強化の補助を受けて、ビックリするような身のこなしが出来るようになったよね。
「領都を出た時の話をしてもいいのかな?」
父さんはかん口令が敷かれているぼくたちの誘拐事件について、差しさわりが無い範囲で、三つ子たちに概要を説明した。
「とにかく夜になって魔獣たちに襲われる前に安全な場所に避難したくて、魔力探査が何なのか全くわからない状態で辺りを探ったら、案の定信じられないような頭痛に襲われた時に助けてくれたんだ。ぼくの頭を覆って魔力暴走を抑えてくれたんだ」
父さんと母さんとお婆が、はっとした表情で、見えない兄貴が居るはずの椅子を見た。
ケインは兄貴の居る椅子の背もたれを触りながら言った。
「ぼくもあの時は黒い存在に全く気付いていなかった。でもね、あの日のぼくたちの状況が悪くなっていく一方だったことは、幼心でも気付いていたんだ。西日になっていくとぼくたちの影法師が長くなるんだ。暗くなると何か悪いものがやって来る、どうしようもない恐怖が襲ってくるんだよ。だけど、カイル兄さんは何か必死に模索しているし、ボリスは何かあったら盾になる覚悟でぼくのそばに居るんだ。泣いてなんかいられないって強がった時に、心をギュッとするように包み込むものがあって、ぼくは泣きださずに済んだんだ」
ぼくがススキを探しに行っている間のケインの葛藤を聞くのは初めてだ。
あの時のケインはまだ三才になったばかりだった。
原野にそそっかしかった頃のボリスと二人きりで放置してしまったのだ。
それはさぞかし怖かっただろう。
「その時は精霊たちが助けてくれて、秘密の洞窟に避難することが出来たんだ。そうやってぼくはいつも助けられていることが当たり前だったから、いつまでもこの黒い存在に気が付くことは無かったんだ」
ケインは不甲斐ないよね、と言いながら兄貴の居る椅子の背もたれを擦り続けた。
「誰にも見えない存在を説明することは難しいでしょう。ぼくと黒いのは誰にも説明出来ない状況で、文字を介してお互い何を言いたいのか伝えあう手段を得て仲良くなっていったんだ。ぼくが父さんと母さんを初めて父さん母さんって呼んだ日にぼくと黒い存在は兄弟として呼び合うことに事に決めたんだよ」
お婆が、ううううっとすすり泣いた。
ぼくも熱いものがこみあげてきて鼻の頭が痛くなった。
「見えなくても居る存在を説明するのは難しいけれど、ぼくはいつか兄貴の存在に家族が気付いてくれると信じていた……」
クラーケンを追い出した時、蝶の魔術具のくだりでは、ぼくは溢れてくる涙を止めることは不可能だった。
ケインが引き継いでその後の兄貴の活躍を語ってくれた。
廃鉱でぼくがいきなり暴走して全ての問題を一人で片付けようとしたときに(実際は魔獣たちとシロのサポートで強制的に解決した)スライムから強烈に落ち着けというメッセージを受け取って精霊言語を取得して兄貴の存在を知ったことを涙ながらに語った。
「居て当たり前の存在が見えないことで、知らなかったことで、自分がどれだけの恩恵を受けて生きてきたのかを全く気付かずに、自分の存在価値がとても高いように勘違いした時もあったよ。けれど、カイル兄さんと肩を並べるために必死になっていたから全く気が付かなかったんだ。でもね、兄貴はそんなことは当たり前だって言ってくれたんだ。自分の好意に見返りを求めてはいなかった、家族みんなが笑顔でいられることが、自分の幸せだからって……」
ここでケインも言葉を詰まらせた。
「兄貴は良いやつだよね」
「美味しいところを掻っ攫っていくヒーロー感があるわね」
「時々思い出の部屋に入り浸って感極まっているよね」
みぃちゃんとみゃぁちゃんとぼくとケインのスライムたちが暴露した。
それは内緒にしてあげるべきだろう。
「記念写真にいっぱい写っているから、存在に気が付いたならきっと見えるよ」
「あたいは兄貴が好きだよ。誠実で、恥ずかしがり屋で、でも誰よりも家族全員の安全に気を配っているんだもん」
「そうだよ!あたいが分裂できるようになったのは、兄貴がそうやって遠く離れた家族を心配してどこにでも行けるのがカッコよかったから真似したんだもん」
みぃちゃんのスライムが兄貴の居る椅子に向って叫んだ。
兄貴はカッコいいんだよぉ、と言いながらおうおうと涙を出さずに泣いた。
みぃちゃんのスライムは兄貴が推しだったのか。
「みんな黒いのって言うけれど、どこが黒いの?」
アリサは訳がわからないと首を傾げた。
兄貴が普通の男の子として見えているアリサの視点で見てみたいぞ。
「アリサにはぼくがどう見えているんだい?」
兄貴もそこが気になったようで、喋るために実体化した。
椅子に座っていた兄貴は黒かった。
事件の再現CGの犯人役のように真っ黒で体型が少年なのはいつもと変わらない。
父さんと母さんとお婆は突然現れた兄貴に驚いたが、ぼくとケインの窮地を何度も助けてくれた話を聞いた後なので三人とも涙目になっている。
「アリサ。この子はどんな髪の色をしているの?」
母さんは声を震わせて兄貴を見つめたまま言った。
「綺麗な栗色だよ。目は濃い青色だよ。どうしてみんな見えないの?」
「「アリサ。ぼくたちも今は見えているんだけど。本当に真っ黒い子どもの姿をしている、としか言いようがないんだ」」
クロイとアオイが同時に言った。
「シロにも黒く見えているけれど、妖精たちも黒く見えているのかい?」
「「「はい。真っ黒です」」」
父さんと母さんとお婆は三人とも口元に手を当てて、何か言いたそうにするが口に出来ないでいる。
「この黒い方の名前に心当たりがあるのでしたら呼んであげてください。心当たりのある方が本当に天に召されているのでしたら、もうとっくに魂の練成を受けているのでその名に意味は無いはずです」
見かねたシロが三人に声をかけた。
魂の練成って……死後の転生のことだよね……。
「「「ジョシュア」」」
父さんと母さんとお婆は口元に当てていた手を兄貴の方に伸ばしながら呼びかけた。
「……ぼくは……ジョシュア……」
兄貴がそう言うと、黒い体の色が薄くなり、母さんそっくりの髪の色で父さんそっくりの瞳の色をした少年になった。
「「……兄貴は兄さんだったんだね」」
ぼくとケインは兄貴が生後間もなく死んでしまった、この家の長男だという事に気が付いた。
父さんと母さんとお婆は涙を流しながら兄貴に近づいて、震える手で兄貴の腕に触れた。
「ぼくはジョシュア。……そう呼ばれていた。熱にうなされて心臓が止まるその時まで……」
兄貴は色のついた自分の手を茫然と見つめながら言った。
そんな感動と驚愕が入り乱れる中、部屋全体が白く光ったと思ったら、真っ白い亜空間に全員が居た。
いつものシロの亜空間ではなく、素敵な茶会セットの整った上級精霊の亜空間だった。




