オムライス
魔本が発声の魔法を会得するための訓練はみぃちゃんとみゃぁちゃんのスライムが担当することになった。
みぃちゃんのスライムは発想力が凄いだけでなく、常に下剋上を狙う野心家で、焚書を逃れた存在自体が伝説級の魔本を仲間内では新入り扱いし、ペット魔獣ヒエラルキーの下層に陥れようとしている……。
そんな野望からではなく、本という自由意思のある魔法を使える無生物に、イメージだけで自分の外側に魔力で声帯を作り喋らせようと指導していた。
ぼくの発想は、音は空気の波なのだから魔力の膜を張りスピーカーで再現しようとしていたのに、みぃちゃんのスライムは魔本の真上に見えないスライムを作りだせ、と魔本に仕込んでいる。
魔本にイメージしやすいのは今そこ居るスライムの方だ。
魔本の指導はみぃちゃんとみゃぁちゃんのスライムに任せて、午前中に魔本で解読した魔法陣の検証をしていたぼくとケインのスライムと兄貴とキュアの方に混ざることにした。
「古代魔術なんてたいそうなことを言っても基本は変わらないよ」
ぼくのスライムはみぃちゃんの右前足の肉球が、文字上でも魔法陣上でも置き換わっている神々をメモパッドに書き出した。
「仮説で良いからどんどん書き出していくのは良いね。この方法なら正解不正解を魔本に聞くだけで仮説の絞り込みが出来るね」
「午前中に散々考え込んだから、難易度の高いみゃぁちゃんの肉球でさえ一瞬でどの足かわかるようになったよ。置き換えるにしても、もっとわかりやすい記号にしてくれたら良かったのね」
ケインと兄貴はみゃぁちゃんの肉球のちょっとした違いについて熱く語り出した。
検証の内容がずれている。
それではこの集団が肉球研究会になってしまう。
こんな和やかな雰囲気になるほど、古代魔法陣は現代の魔法陣で代用出来るものがあったので、新たな発見らしいものが見つからなかった。
置き換えの魔法陣を制作した先人たちに感謝を。
……話はそんなに単純なことではないかもしれない。
新しい魔法陣は完璧ではない。
だから、補完の魔法陣がいくつも必要になるのだ。
「どうしたの、兄さん何か見つけたの?」
「いや。突然思いついただけだよ。飛竜の里の地震って魔獣暴走より前だけど、記録って残っているのかな?」
「文書化されているのなら魔本に聞けばわかるだろうけれど、民間に伝わる文書化されていない伝承はぼくも気になっていたんだ」
古代魔法陣から現代の魔法陣を比較すると、古代の魔法の方が自由なのだ。
防御の結界もコの字型のように凹ませることも出来た。
だから、街の結界は重ね掛けをすることなく一つの結界で構成されていた。
飛竜の里は古くからある里だから昔の結界の残滓があるかもしれない。
魔法陣を安全に使えるようになる段階を踏む間に、魔法とはこういうものだという固定観念が出来てしまうと柔軟性が失われてしまったのではないかと思うのだ。
「口頭伝承なら魔本も把握していないし、里の孤児たちは出身もバラバラだから色々なことが聞けるかもしれないね」
「そろそろ戻ろうよ。またお腹が空いたから二度目の昼ご飯に丁度良いよ」
「お風呂に入って寝たいな」
「里にも温泉掘っちゃおうか?」
温泉という単語にキュアが飛んできた。
「ポアロさんに相談してから作るからね」
キュアの願望は成体の飛竜が集団で入れる露天風呂だろう。
そんなの池や湖のレベルになっちゃうよ。
亜空間のあちこちで、各自トレーニングしているみんなに精霊言語で、帰るよ、と伝えた。
里の孤児院に戻っても、祠巡りをしている子どもたちはまだ戻っていなかった。
ポアロさんを探して母屋に行くと、ちびっこ飛竜たちにポアロさんのところまで案内してもらった。
「ずいぶん早く帰ってきたね。何かあったのかい?」
「いえ。思い付きで調べものをしているだけです。この前里の人たちにも聞いた、飛竜の里を含む大規模な地震があった話ですが、その後の復興の時に里の位置を少しずらしましたか?」
「ずらすというほど移動していないが、山崩れで里の半分の地盤が弱くなったので結界を横にもう一つ作って少し移動したようだよ」
「元々の結界はそのままなんですね」
「そのままだよ。山の神の祠から魔力を供給しているから、今も生きている結界で、よく山菜を取りに行くよ」
「後で結界を調べても良いですか?古い時代の結界に興味があるんです」
「それはこちらも有難い。カイル君やケイン君はたっぷり魔力を奉納してくれるから助かるよ」
ぼくたちが魔法陣の話をしようとしたら、ポアロさんに温泉を作る許可を取りたいキュアがぼくの頭の上でソワソワしている。
自分からいきなり話しかけなくて正解だ。
キュアがいきなり喋り出したら、温泉の話の前にポアロさんが驚いて腰を抜かしてしまうだろう。
「住民も増えたことですし、温泉でも掘って大浴場を作って良いですか?」
ポアロさんが満面の笑顔になった。
「じつは廃鉱のお風呂の話は聞いて、うらやましいなと思っていたんだ。温泉を掘り当てられたら里の人たちも喜ぶよ」
キュアがぼくたちの頭の上を踊りながら飛んだ。
「キュアは飛竜たちも入れる大きなお風呂を期待しているのですが、そんな場所はありますか」
ケインは懸念を先に切り出した。
「山側の土地はもう地盤も固まっただろうから、大きなお風呂を作れる場所はあるよ」
念のために補強の魔法陣を考えよう。
ポアロさんは地図を取り出して具体的に検討し始めた。
お湯が出なければがっかりさせてしまうな。
お昼ご飯の匂いにぼくとケインのお腹が鳴った。
「今日のお昼ご飯はチキンライスですよ」
大人数のチキンライスは鶏とトマトの炊き込みご飯だ。
……大きなフライパンにたくさんの卵があれば……。
「兄さん。何か美味しいこと考えているでしょう?」
「夢のように大きなオムライスってどう思う?」
「子どもの夢だね。美味しそう!」
「オムライスって何だい?」
ぼくとケインがポアロさんに説明すると、それはとても美味しそうだ、ということになり、祠巡りに行っていなかった子どもたちを集めて中庭で支度をした。
チキンライスとスープはお料理当番が準備してくれているので、ぼくが用意するのは大きなオムレツだけでいい。
パエリアのフライパンを薄く伸ばして、竈ではなくフライパンに魔法陣を描いてキュアに焼いてもらうことにした。
「子どもたちが近づき過ぎないように、防御の魔法陣を描いた方が良いね」
母さんと交代で里に来ているお婆が子どもたちの事故を気にした。
フライパンが気になったら覗きたくなるのが子どもらしい行動だろう。
焼き上げるのも配膳もキュアとスライムたちが張り切っているから任せることにして、フライパンの周囲にぼくの家族と魔獣しか入れない結界を張った。
キュアの火加減の練習のため小さなフライパンで試作した。
試食はお料理当番の里の人と子どもたちだ。
みんなで小さなスプーンで一口味見して、ほっぺたを上げる笑みをした。
キュアはみんなに褒められてドヤ顔をした。
美味しいチキンライスを作ったのはみんなだよ。
「これをあの大きなフライパンで作るのか!」
「楽しみだね」
「早くみんな帰って来ないかな」
美味しいもののために頑張るのは苦にならない。
みんな手早く人数分の食器を用意しテーブルをつなげた。
ポアロさんの奥さんがチキンライスの仕込みをもう一度始めた。
「お昼にこんなに美味しいものを作ったら、晩には里の人たちが押しかけてくるから、晩の分を仕込むのよ!私たちの晩御飯は里の人たちが持ってきてくれるから夕食の支度は心配いらないよ」
流石族長の奥さんだ。
里の人たちの行動を先読みしている。
祠巡りから戻ってきた三つ子がふくれっ面をした。
ぼくとケインが途中でいなくなったことに文句をつけている。
「ちょっと思いついたことがあったから、試してみただけだよ。良い匂いがするだろう?」
「「「美味しいものだね!!!」」」
三つ子は鼻をクンクンさせると笑顔になった。
「フライパンは熱いから近づいたら駄目だよ。結界を張ったけれど、三つ子は入れるから、気をつけてね」
三つ子たちにフライパンに近づかないことを約束させた。
「貸本屋に行ったはずなのに、どうしてお昼ご飯を作っているのかしら?」
キャロお嬢様とフエが首を傾げたが、お腹が空いたらご飯を作るのは当たり前だ。
中庭に集まったみんなが大きなフライパンを囲んで出いる中、溶き卵の入ったバケツを持ってスライムと合体したぼくとケインは上空から卵を流し込んだ。
卵がジュッと焼ける音を立てると、子どもたちから歓声が上がった。
キュアは巨大菜箸で卵を素早くかき混ぜた。
ぼくとケインはチキンライスをせっせと卵の半分に乗せた。
ここからがキュアの腕の見せ所だ。
魔法でフライパンをトントンと叩くように揺すると、卵がチキンライスを包み込んだ。
子どもたちは飛び上がって喜んでいる。
料理って楽しいよね。
フライパンのまま取り分けようかと考えていたが、晩に里の人たちにも振舞うことになりそうなので、特製の巨大皿を錬金術で制作した。
つなげたテーブルの上の大きなお皿に、オムライスを乗せたフライパンをキュアが器用に持ち上げて乗せると、拍手が沸きあがった。
「魔法の無駄遣いのような気がするよ……」
フエがあきれたように言ったが、ぼくも洗礼式の前は大人の魔法の使い方に疑問を持ったものだ。
「ハルトおじさんの前髪かい?」
思考を漏らさないようにしていたはずなのに、ケインがぼくの心を読んだかのように言った。
顔に出ていたのだろう。
「魔法は笑顔になるために使うんだから、色々な使い方があって良いんだよ」
「飛竜の里の子どもたちの常識が、明らかにおかしくなりそうな気がするよ」
ウィルがボソッと呟いた。
「楽しければいいじゃないですか。この子たちが大きくなったら、みんな思いがけないような魔法を披露してくれるようなりますわ」
自分も子どもなのにキャロお嬢様は孤児たちの未来を楽しそうに想像した。
巨大オムライスを取り分けてもらうために子どもたちが並びだした。
ぼくたちも自分の皿を持って最後尾に並んだ。
子どもたちはぼくたちに列の先に行くように促してくれたが、キャロお嬢様が断った。
「お料理当番がいつも一番先に食べているのでしたら納得しますが、そうではないでしょう?私たちはここではみんなと同じように並ぶのが普通です。よそってもらった子から先に食べて、後片付けのお手伝いをしましょうね」
キャロお嬢様の言葉に先に席に着いていた子どもたちから順番に、いただきます、という声がした。
美味しいね、という言葉が飛び交うと、作って良かったと思える。
「カイルとケインは食べ終わったら亜空間で少し寝ないと、午後から温泉を作っては駄目だよ」
亜空間で色々やっていたことを察したお婆に釘を刺されてしまった。




