大冒険
風が森からさわさわと吹いてあたりの草木を波のように揺らしていく。木々の隙間から少しずつ見える空はすっかり茜色になっており身を隠す場所を探す時間は少なくなってしまった。
魔獣が来ない、瘴気が湧いていない安全な場所……。
風が草木を吹き抜けていくのに、気持ちを乗せるようにして、あたりの気配を探っていく。
ずっと遠く、立木の向こうに質の違う魔力が一対六で戦っているようだ。傍らに消えそうに揺らぐ魔力の気配がある。どうやら狩りの成果を横取りしようと魔獣同士が戦っているのだろう。
「あっちは魔獣が狩りをしているから危ない。こっちの森の方は風向きが悪くて気配が探れない。とりあえず悪い気配はしないから行ってみようか?」
ぼくが指をさして状況を説明していると、ケインのそばに居た黒いのが地面に平たく這いつくばるように広がっていた。なんだろう?地面に何かあるのか?
ぼくはマネするようにしゃがみ込んで地面に手をついた。土の中や表層部の気配が掌に伝わってくる。森の方に広がっていく夕霧のように意識を注いで気配を探ってみる。森の奥には魔獣の気配があちこちにたくさんあった。やはり入っていくなんて自殺行為だ。それに、ところどころに真っ暗な闇の気配がある。胸の奥がどっと重苦しくなり背中から脂汗が出る。あれが、母さんの言っていた“わるいもの”だ。町に入れてはいけない、夜中にやって来る邪霊のような魔獣なのかもしれない。
「森の奥はとても危ない。手前ぐらいで草を編んでおうちを作ろう」
「すごいなぁ、おまえ。よくわかるな」
「赤ちゃんの頃から、森に採集に行くのに連れていかれていたから、気配を探れ、っていつも教わっていたんだ」
「…いいな、カイルは…」
どこがだ。生まれてこの方散々な人生だぞ!ボリスの方が恵まれてるだろうに。
「……小さいころからいろいろ出かけられて…」
「ぼくはきょうまでおうちの外に出たことない」
ケインは今日がお出かけデビューだったっけ。まあ、うちの敷地内だけで十分楽しめるからなあ。
「ぼくはもらわれっ子だから、もともと山奥に住んでいたんだ」
「おれもへいみんの子がよかったなぁ」
隣の芝は青く見えるものだよな。ススキを持って白い布被って散策するなんて、この状況でなければ楽しい子ども時代の思い出になることだろうに。お貴族様の子どもはこんな風に遊ぶことなんてないんだろうな。そう考えると少し同情の念が湧く。
東の空は暗くなってきている。魔獣除けの薬草が見つからなかったのが残念でならない。背の高い草むらをドーム状に編んで隠れ家でも作ろう。
「兄ちゃん、兄ちゃん!あれ!きれいだよ…!!」
ケインの指さす方を見ると、蛍のように光る何かがふわふわと幾つも浮いている。色とりどりに光っているそれは、大人の親指の爪ぐらいの大きさで、向こう側が透けて見える。
ぼくたちが持っているススキの穂先に集まってきたと思ったら、離れたりして、ぼくたちの周りをぐるぐる回るのもいる。それぞれに意思があって自由に動き回っているようだ。
「メチャメチャきれいだ…!なぁなぁ、これなんだ?!」
すねていたボリスもすっかり興奮している。
「ぼくも……はじめて見たよ。何だろうな…」
この世界にはこんなにも、奇麗なものがいるんだ。
二人は手で触りたいだろうが、片手にススキもう片方は被っている布を押さえているので、触れない。手をもぞもぞさせて小さく飛び跳ねている姿がとても可愛らしい。
自分も小さい子どもだということはさて置いて、この奇麗な光たちと可愛らしい子どもたちの様子に身もだえするほど萌えを感じる。語弊が生まれそうだけど、ぼくにショタの気はない。
ケインのそばの黒いのも気配を薄く伸ばしてゆらゆら漂っている。楽しんでいるんだろう。
夜の帳が迫っているのになんて平和に過ごしているんだろう。緊迫感がなくなってしまったことに、ぼくは一抹の不安を覚えた。なんか、まずいかも…。
ぼくの不安を感じ取ったかのように、光たちがすっと一つ二つと消えていく。
「「あっ行かないで!!」」
ケインとボリスの声がかさなった。
残り少なくなった光たちはぼくたちの周りをぐるぐる回ると一列になって動き出した。ぼくたちは深く考えることもせずに、後について歩き出した。
遭難したときは歩き回らない方が発見されやすいはずなのに、そんなことは頭に全く浮かばなかった。
光たちはぼくたちの歩く速さに合わせるよう移動していく。時々ぼくたちの周りをまわってくれるやつもいて、楽しい気分は続いていた。
こういう時あるあるで、どれだけ時間が過ぎたのか全く覚えておらず、あたりが暗くなったことで光たちはさらに奇麗に見えた。
光たちの列の先頭が消え始めていたことにも気が付いておらず、三人とも夢見心地のまま移動した。
やがて、光の列がとある木の根元に吸い込まれているのに気が付いた時にはもう自分たちがどこからどれくらい歩いてきたのかわからなくなっていた。
そうなると急に寂しさに襲われるのだ。
「どうしよう。ひかりさんみんな木のあなにはいっていく…」
「…!木のまたに、奥までつづく穴があるぞ」
ボリスが覗き込んでいる。光たちが入って行っているのにまだ真っ暗な穴を覗くなんて結構勇気がある。
残り少ない光たちは、ぼくたちを誘うように目の前でぐるぐると回ってから穴の中に消えていく。
「どうする?おれたちも入ろうよ」
穴の大きさはぼくが膝を抱えて座り込んだ位の大きさしかない。頭から、足からかしか入らないだろう。中に魔獣や“わるいもの”がいたらたまらない。まずは気配を探らなければ返事もできない、なんて考えていたら、ボリスは頭から体を入れていた。
「ちょっと待って!安全かどうか確認しないと‼」
ボリスの足を押さえて止めようとしたが、するりと滑るように中に吸い込まれていった。
「ボリスー、大丈夫かい?」
「………だいじょうぶだよ……だよ……、中はひろいよ…よ……よぉ………、きれいだよ…よ……よぉ…」
ずいぶんと声が反響している。こんな木のうろが洞窟の入り口なのか?
「兄ちゃん、ぼくも行きたい」
ここに居てもむしろ危険だろう。穴の中からはわるい気配はしない。一晩過ごすなら洞窟の方が確実に安全だ。
「一緒に行こう!」
ぼくは足の間にケインを挟んで、布を入れたかごをケインの頭の下においてクッションのかわりにすると、足から穴に入った。穴の奥は緩やかな傾斜になっており、滑り台のように滑り降りることができた。
確かに中は予想以上に広くて奇麗だった。
入り口はチューブ型の滑り台位の広さしかなかったが、奥に進むとぼくたち三人が並んで両手を広げられる程の幅がある上に奥行きは目視できないほどあった。どうして奥まで見えるかって?洞窟の岩壁にびっしりと生えている苔がうっすらと光っていたのだ。蛍光緑にやさしく光る洞窟はとても神秘的でぼくたちは圧倒されてしまった。
「ここはすごいだろう」
ボリスが得意げな顔で言うが、ここに案内してくれたのはふわふわと光るものたちだし、この景色もこの苔が成してるものだろうに。お前の手柄はせいぜい先陣をきったことだけだ。
ここは彼らの寝どこなのか、奥に手前にちらほらと光るものたちが散らばっている。大半は奥の方に引っ込んでしまっているのだろう。ここにいるのは最後までぼくたちのことを心配そうに付き添っていた光たちだ。何者であれ、感謝だ。
「ほんとうにきれいなところだね」
「ここなら安心して一晩過ごすことができそうだ」
「ちょっと奥の方を見にいこうぜ!」
「いいね!!」
いや少し休みたい。今日一日のイベントとしては盛りだくさん過ぎて、気力と体力を使い果たした。ぼくだけ軟弱なのか?
二人はすでに歩き出している。心配そうにいくつかの光るものたちがついて行っている。それなら安心か。
「奥が分かれていたら絶対に先に進むなよ!………もう!わかったよ、ぼくも行くよ」
仕方ないし、やっぱり心配だからぼくもついて行った。
奥に進むほど洞窟に幅は狭くなり光る苔も少なくなっていった。光るものたちがいくつか集まって先を照らしてくれたのでかろうじて足元や手前が見えた。蝙蝠とか蛇やトカゲとか住んでいそうなのに今のところ出会っていない。もっと明るかったらムカデぐらいは見つけられるのかもしれない。苦手な生き物を想像してしまうので、始終用心して気配を探る。
水が流れる音が聞こえてきた。どこかに水没している箇所があるのかもしれない。音のする方を探っていると水色の光るものが導くように照らしてくれた箇所に水が染み出ている岩があった。
「やったー、水がある。ぼくのみたい」
湧き水なら安全かな?ぼくも疲労でもう動きたくないしここらで休もう。
ボリスとケインはもう手ですくって飲んでいるし、水色の光るものが嬉しそうに二人の周りをぐるぐる回っている。なんてメルヘンな世界だ。
ぼくも水をすくって飲むと洞窟の壁に寄りかかって座り込んだ。ケインとボリスもぼくの隣に座る。案内役の光るものたちが集まってくれたので二人の表情がよく見える。二人ともつかれた顔をしているが、健康に問題はなさそうだ。
「おなかすいたな。兄ちゃん」
「おれ、これ持ってるよ。市場で買ってもらったんだ」
ボリスはポケットから干し肉を三枚出した。そんな上等そうな上着のポケットからむき出しの干し肉が出てくるなんて、想像もしなかったが、この状況で食料があるのはありがたい。
「ありがとう。少ししかないのにもらっていいの?ボリスの分へっちゃうよ」
「みんな、腹減っているだろ。おれ一人で食べるよりみんなで食べようよ」
「ありがとう、ボリス。ケイン、固いから細かく切ってやるよ」
「おれは大丈夫だぞ。歯が強いから」
ぼくはケインに貰った干し肉をナイフで削るように小さく切り分けた。
「ケインもボリスもゆっくり少しだけ食べるんだよ。助けられるまで、まだ時間がかかるから、後で食べる分を残しておこう」
「いま全部食べたらダメなのかよ」
「明日、何も口にできない方がつらいよ。干し肉を口に含んで唾液でゆっくり柔らかくしてから長く嚙んで、たくさん食べた気分にだけしよう」
「だえきってなに?」
「よだれだよ」
「後は水を飲んでしのごう。言うこと聞く子にはご褒美があるから」
「なんだよ、そのご褒美ってやつは」
「ボリスもケインも少ししか食べないって約束してくれるかい?」
「やくそくする!」
「ご褒美ってなにくれるんだ?それによるな」
「甘いもの。一つだけ」
「約束するよ」
みんなで壁にもたれながら、ひとかけらの干し肉をゆっくり咀嚼した。ものすごく塩辛いけど疲れた体には苦にならなかった。水は飲み放題の場所にいるのだ。心配事は明日に回そう。
「水なんかどんだけ飲んだって、腹いっぱいになった気がしないよ」
文句を言いつつも約束を守った二人にポーチにしまっていた飴玉を取り出す。その時点でふたりとも嬉しげな顔つきをぼくに向けてきた。ひとつずつあげると、すぐに口に含むや否や、ぱぁっと明るい笑顔になった。
「「おいしい!!」」
「がまんしたご褒美だもん、美味しくないとね。かじらないでゆっくり食べるんだよ」
瓶に残っているのはあと四つ。ぼくが我慢してもあと二回しかこの手は使えない。
ぼくはこれ以上考えたくなくなってしまい、ケインの持ってきたかごの中から麻袋を取り出してとりあえず寝床を作ることにした。
ススキも持ってきていれば、少しはましになったのに。
麻袋を広げただけの寝床はさすがにごつごつして痛い。光る苔が生えているところに戻るのも億劫だ。ぼくが倒れるように横になっていると、申し訳なさそうな小さな声でケインが言った。
「兄ちゃん、おしっこ」
着替えもないのにおねしょなんかしたくないよな。ぼくだってたんまり水を飲んだんだから他人事じゃない。
気力を奮い立たせて起き上がると、緑色の光るものがぼくたちの周りを回ってついて来いって示してくれた。寝床をかたづけてついていくと、個室トイレみたいに壁がへこんでいる空間があった。
「ありがとう。ひかりさん」
ぼくはこの優しい光るものにお礼を言って、小用を跳び散らかさないよう指導した。ここではしゃいだら自分にかかるだろう。
用を済ませると、緑色の光るものはまた案内をしてくれて、光る苔のところまで戻ることができた。
改めて寝床を作ると、苔は思ったよりふかふかでさっきよりはだいぶんマシな寝床ができた。




