亜空間トレーニング
真っ白な亜空間でぼくたちは力試しをすることにした。
精霊言語を取得したケインは有象無象の思念を受け取らないために、マナさんは思念を遮断する壁、ぼくは魔力ボディースーツを想像して自分の魔力で殻を作っていることを教えた。
ケインは聖魔法以外の学習がまだ中級魔法までしか習得済みではないので、上級魔法を封印して手合わせをした。
自分の思考も漏らさないように気をつけ始めたケインは簡単に的になってはくれなかったが、ぼくのフェイントを見破れずに攻撃があたりそうになると、思念が漏れ出てくることもあった。
ぼくの攻撃が当たらないのはケインのスライムがピンチになると盾になって介入してくるからだ。
攻撃を跳ね返す魔法陣まで駆使してくるので、胸を貸すというより、ぼく自身も訓練になった。
攻撃がかすって怪我をしても、キュアがすかさず癒してくれるので、体力と魔力が続く限り続けられる環境で、光る苔を食べたぼくたちは体力と魔力が尽きることは無かった。
ぼくとケインのスライムたちは、ぼくたちの手合わせに付き合い続け、みぃちゃんとみゃぁちゃんは自分たちのスライムたちを鍛えていた。
兄貴はシロを相手に格闘系ではなく魔法対決をしていた。
視界の端にそれらが見えていたのだが色々な疑問が浮かんできたので、ぼくは思わず本気を出してケインにスライムごと高速エルボーをくらわして、戦闘不能に追い込んだ。
「兄さん。キツイ。いきなり、手加減を、止めないで……」
キュアの癒しを受けながら息も絶え絶えにケインが言った。
「いや。ごめんね。視界の端で信じられないことをやっていたから気になって……」
回復したケインが起き上がって見たものは、みぃちゃんのスライムが六体に分裂して灰色狼のブリザードを出し、兄貴が魔方陣無しの無詠唱で雷魔法をシロに食らわせていた。
シロはもちろん自分の手前で放電し難は逃れていた。
「うん。わかった。これは気になる」
みぃちゃんのスライムは下剋上を果たすべく、分裂したり融合したりを繰り返し、みゃぁちゃんとみゃぁちゃんのスライムを翻弄した。
ぼくとケインのスライムも二匹の戦いを凝視している。
みぃちゃんの口が大きく開いて雷魔法を打ち出すと、みゃぁちゃんのスライムが水蒸気で拡散させて回避しようとするのを、みぃちゃんのスライムが分裂して拡散した電流を集めて、みゃぁちゃんとみゃぁちゃんのスライムにぶつけようとしたところで、ぼくが土魔法で絶縁体の壁を作った。
「勝負あり」
ケインの一声で猫たちの勝敗は決した。
兄貴とシロは特段勝敗を気にしていたわけではないようで、ケインの掛け声であっさり止めた。
「なかなかいい戦いだったけど、どうやって分裂したんだい?」
“……自分がたくさん居たら強くなるかなって…そしたら出来ちゃった”
うわあ。天然だ!
スライムたちは全員、色めき立った。
いや、本当にすごいよ。
分裂するのは理解できるが、分裂しても同じ個体として活動して、再集結できるなんて、やれるものならやってみたい。
ぼくのスライムが自分の体から小さい球体をポンポンと飛び出させることに成功し、本体を取り囲んで輪になって踊り出した。
可愛い。
こうなるとスライムたちの学習能力は高く、次々と成功させていった。
“……あふれる魔力を垂れ流さず、魔力で作った被膜に包んでから自分から切り離して、切り離した自分を制御してみたら成功したわ”
スライムは元々視界が全方向にあり、見たいところにピントを合わせているので、自分が増えても違和感なく制御できたようだ。
分裂したたくさんの自分に同じ動作をさせるのは比較的簡単だが、別の動作をさせるには動きがぎこちなくなり、練習が必要だ、と研鑽し始めた。
ぼくももう一人のぼくを作り出せるか試してみたら……案外簡単に出来た。
ただ、二人分の視野、二人分の動作の情報処理をする作業は存外に脳が疲れた。
練習しないと実践で使えるようにはならない代物だった。
「……兄さんは凄すぎるよ」
ケインはため息交じりに言った。
「これはケインが今練習している思念を漏らさないように自分の魔力で殻を作ることの応用なんだ。順を追って練習したらケインにも出来るようになるよ」
ぼくがケインにも出来るようになると励ましていると、分裂を習得した兄貴が自分を五体も並べてコサックダンスをしていた。
実体化したのが嬉しかったのか、それとも実体化する前からダンスを練習していたのかとても上手い。
「……兄貴は芸達者なんだね」
「ぼくも初めて見たよ」
疲れ知らずの兄貴が腰を落として足を交互に高速で出しているのを、スライムたちが真似し始めた。
可愛いし、見ごたえもあるが、兄貴に質問がある。
シロでも良いか。
「兄貴の魔法は魔法陣も詠唱もしていないようだけど、どうやっているんだい?」
「精霊魔法を使っているようです。あの方は人でも魔獣でもありませんから、どうやら精霊に近い存在なのでしょう。ほかに例のない事象なので私も推測でしかお話しできません」
兄貴は存在自体が特殊なことをケインに説明した。
本人はずっとコサックダンスをしている。
実体化しないで影に漂っていたころの方が神秘的でカッコよかった気がする。
みぃちゃんとみゃぁちゃんは子猫に分裂させてラインダンスの練習をしていた。
真っ白な亜空間はダンス天国になった。
新たに手入れた力を体になじむまで訓練?した後、ぼくたちは廃鉱の宿泊施設の部屋に戻った。
小一時間ほどお昼寝した態でロビーに出ると、スライムたちが小さな分身をスパイとして情報収集にあたらせた。
米粒サイズになったスライムが、自身の魔力が漏れ出ないように外側をコーティングして、ディーと、ディーを連れて王都に帰るハロハロの髪の毛に付着して王城内を探ってくる予定だ。
ハロハロが廃鉱に戻って来なくても、本体スライムが居れば分裂スライムを亜空間経由で迎えに行けるので心配ない。
みぃちゃんとみゃぁちゃんは分裂して小さくなっても存在が可愛すぎるので、魔力を消しても魅力が消えないのでスパイ活動にはむいていない。
本人たちは新たな能力で活躍したがったが、今は分身を使いこなす練習段階だ。
ぼくだってまだ分身を単独別行動させるほど使いこなせない。
夕飯のカレーの香りが流れてきた。
お昼にたくさん食べたのに、ぼくとケインのお腹が鳴った。
亜空間に長く居ると一日がとても長くなるのでお腹が減るのだ。
屋台のおっちゃんにあまりものが無いか聞いてみよう。
おっちゃんにたい焼きをもらって中庭でぱくついていたら、キャロお嬢様が恨めしそうに見ていたからケインが一口あげていた。
「いくら食べても太らないなんて羨ましいですわ」
「魔力をたくさん使うとお腹が空くからね」
キャロお嬢様も体型を気にするお年頃になったんだな。
「魔力を使い切るほどの訓練も寮監が許してくれないし、家を出たのになかなか自由にならないものですわ」
キャロお嬢様は、実家を離れたワクワク感で入学して、勉強こそ楽しんでいるけれど、新しい友達がひとりも出来ないなんて少し期待外れだった、などの愚痴をこぼした。
寮の友達は学習館からの幼馴染で気心は知れているが、上下関係を超えてくるのはケインだけなのが物足りないようだった。
あんみつの器を持ってちょうどウィルがやって来た。
「ウィルの妹はキャロお嬢様と初級学校は在学期間が重なるよね」
「ああ。重なるけれどエリザベスが入学してくる頃には、キャロライン嬢は上級卒業相当に達しているだろうから、話にならないよ」
「いえ。だだ気軽に話せるお友達が欲しかっただけですわ」
「ああ。わかるよ。ぼくはカイルに出会えてとても幸運だ。王都に帰ったらお茶会を開こう」
キャロお嬢様のお悩みはウィルに任せて大丈夫だろう。
小腹を満たしたぼくはハルトおじさんの魔術具を確認に行った。
安全と機密性を高める魔術具の確認を終えると、もう一度入浴した。
ウィルには風呂好き過ぎる、とあきれられたが、三日分を一日でこなしているようなものだ。
ぼくとケインは夕食を終えると死んだように眠った。
翌朝も朝風呂を楽しんでから、廃鉱へ急いだ。
騎士の人数が明らかに前日より多かったが、現場の雰囲気は国王陛下がお出ましになる、と言うよりは瘴気の発生源を浄化する緊張感に溢れていた。
聖女先生は頼んでいた魔力を通さない布を人数分確保できたようで、王都から届いた荷物に安堵している。
実家と絶縁しているのに無理を言って用意してもらったのは、魔力を通さないのならば、瘴気も防ぐことが出来るのではと考えたからだ。
ローブに仕立てる時間が無いので今日はそのまま被ってもらうしかない。
ケインとボリスが誘拐事件のススキの変装を思い出して笑顔になった。
ハルトおじさんは危険が減るのならば細かいことは気にせず、頭から被って全身をくまなく隠すにはどうしたらいいか、検討し始めた。
ぼくたちが朝から準備をしていると、立派な馬車がやってきて、宮廷上級魔導師が伝説の古代魔術具を運んできた。
でかい。
伝説の魔術具を見た感想はそれが一番だった。
磨き上げられた真鍮のように輝く四角い箱は業務用冷蔵庫のように大きく、お神輿の台車のようなものに乗せられて十数人の屈強な騎士に担がれて坑道内のエントランスに運ばれた。
こんなに大きくて運搬に人手と横幅をとるなら、坑道の奥にある瘴気の発生源に運ぶのは到底無理だ。
どうするつもりなのだろう。
所長とハルトおじさんに宮廷上級魔術師が慇懃に挨拶をしているが、今まで現場の最前線で活躍してきたランスたちを上級魔術師は空気のように無視をした。
ぼくたちもハロハロの忠告通りそんな宮廷上級魔術師を無視して伝説の魔術具に近寄った。
「おい。見学の生徒たちが近寄って良いものではない。離れろ!」
宮廷上級魔術師の連れがぼくたちを魔術具に近寄らせまいと威圧をかけたが、誰一人怯むことは無くぼくとケインのお守りが反応して威圧を本人に返してしまったので、本人がよろめいた。
周囲の人たちはどよめいたが、ぼくたちは気にすることなく魔術具を観察した。
残留魔力の気配もなく、使用した形跡が見当たらない。
「ハルトおじさん。これ、試運転した形跡も無いのですが、大丈夫ですか?」
「王族しか動かせないから試運転もここですることになる」
「ハルトおじさんは王族ですよね。今、少し魔力を流してくれますか?」
ぼくの気さくな口調に宮廷上級魔術師はギョッとした顔をしたが、ハルトおじさんは気さくに、いいぞ、と言った。
エントランスの中央に台座に置かれたまま鎮座している魔術具に、ハルトおじさんが魔力を流した。
つるんとした巨大冷蔵庫のような魔術具に唐草模様と魔法陣を組み合わせたような装飾が浮かび上がった。
ぼくはハルトおじさんの魔力の上に超微細にしたぼくの魔力を薄く乗せて魔法陣を解読した。
この魔術具は正確には古代魔術具ではない。
使えない文字があるように使えない魔法陣を補うために上から被せてある魔術具だ。
「ハルトおじさん!……死にたくないなら、これ以上魔力を注いではいけない」
ぼくに言えるのはそれだけだった。




