邂逅
エリアDの浄化を終えた、そのまま蝶の魔術具を坑道の枝道から引き上げたら、エリアDの扉の前で大渋滞が起こっていた。
中から扉を開けるのにも鍵が必要だった。瘴気を含む魔力を封印する扉だもの、キュアでは開けられない。
扉を開けるとキュアの浄化の魔法に乗って蝶がエントランスを埋め尽くした。
発生したばかりの瘴気は瞬く間に浄化され、蝶を回収してしまうと、飛んでいるのはキュアとぼくとみぃちゃんだけだった。
ケインを除くみんなが、エントランスを光りながら飛ぶぼくとみぃちゃんを凝視している。
みんなを覆っている薄い繭は魔術具の女王蟻が翅を脱ぐように脱皮すると砂粒になってパラパラと降りかかった。
片付け方に難のある魔術具だ。
地上に降りてスライムとの合体を解くと、スライムたちが任せてちょうだい、と散らばった魔石を片付け始めた。
「エリアDの瘴気の発生源を抑え込んで、浄化して来ました。封印ではなく拘束しているだけなので、近日中に対処してください」
ぼくの言葉にどよめきが起こった。
所長とランスとディーは涙目だ。
エリアBを数年かけて浄化してきたのに、ぼくは小一時間でエリアDのほとんどを浄化したのだ。
再び手足を拘束されたディーは涙もぬぐえないでいる。
「暴れたのかい?」
「キャロお嬢様を害したのだ。たとえ恩赦があるとしても、お嬢様の御前では拘束すべきだよ」
ボリスがハッキリと私見を述べた。
そうだった。ぼくは何も説明していなかった。
「ディーの事情とエリアDの浄化の詳細と、どっちを先に話そうか?」
「「「「「「「「「エリアD」」」」」」」」」
満場一致だった。
撮影した映像を早送りで見せながら、瘴気濃度を追跡して記録した魔術具と比較しながら説明した。
「いくら飛竜の護衛があるとはいえ物怖じしなさすぎだろう」
ランスが無知ゆえの強行か、と言ったが、VRで予習済みです、とは言えなかった。
“……チョコレートって何?大福は献上餅でしょう?イチゴ大福は大福にイチゴを入れたってことなのはわかるんだよね”
ケインが精霊言語を取得したようだ。
うわ、いつ取得したんだ!
聞きたいこともいっぱいあるよね。
“……もちろん!”
取り敢えず亜空間に行こう!
ぼくも最初は上級精霊に手ほどきを受けた。
先輩として説明しよう。
ケインにとっての亜空間は実家に帰る経由として通過するか、時間制限なく新作の魔術具の検証をする場でしかなかった。
寛げるようにと港町の浜辺を模して、ビーチパラソルとデッキチェアでおもてなしだ。
三つ用意したデッキチェアに兄貴に座ってもらう筈だったのに、みぃちゃんとみゃぁちゃんが占拠してしまった。
「どこからどうツッコんで聞けばいいのかわからないけれど、兄さんにはこの黒いのがずっと見えていたんだね」
ケインは自分のデッキチェアの影に居る兄貴を、黒いのと呼んだ。
まあ僕も最初はそう呼んでいた。
「ぼくがうちに引き取られた日からうちに居たよ。初めて見た時は背筋が凍るほど驚いたけど、ぼくより先にうちに居たから、仲良くなってからは兄貴って呼んでいるよ」
ケインは昔のことを思い出そうとして頭を掻きむしった。
「二段ベッドの下で木札を使って何かやり取りしていたよね」
二才の記憶を思い出すケインが凄いよ。
「精霊言語を取得する前に兄貴と会話がしたくて試行錯誤していたんだ。兄貴はぼくたちが文字の学習をしていた時に見よう見まねで文字を習得したんだ」
兄貴が自分で説明すればいいのに、デッキチェアの後ろに何故隠れているのだろう。
「ぼくもね、うちにもう一人誰かが居るような気がずっとしていたんだ。だけどうちはいつも来客が多いし、ペットも増えたからそんなものなんだと思っていたんだ」
ぼくは幼いケインが階段から転がり落ちないように寄り添っていたり、誘拐事件では買い物かごの中に潜んでいてケインだけ殴られた衝撃が少なかったりした色々なことを話した。
「じゃあ、あの思い出の部屋にあるのって……」
「ああ。兄貴と一緒に過ごした日々を形に残したかったんだ。見えないけれど居るんだ。誰にも負けないくらい家族思いで、ぼくのピンチにも駆けつけてくれた」
港町で家族からの応援の魔術具が届いたのに、ぼくが使用したら消費魔力のロスが多くて泣いた一件も話した。
「兄さんは奇跡みたいなことを、毎年どんどんやる無敵の天才だと思っていたよ」
「違うよ。ケイン。ぼく一人で成し遂げたことは最初に生きのこったことだけだ。それも実母にかばわれて父さんに発見されたから生きのこったんだ」
ぼくはケインに山小屋事件の詳細を話した。
「ぼくは確かに努力している。だけど、努力だけではどうにもならないことを、支えてくれる人たちが居るから無茶が出来るんだ」
ハロハロやディーに干渉した経緯も説明して、何が起こっていたのかの情報を共有した。
「父さんや母さんも知っているんだ……」
「廃鉱内の浄化はついさっきの出来事だからまだ知らせていないけど、孤児たちのお世話はお婆とマナさんも手伝ってくれているよ。でもみんなは兄貴のことはまだ知らない。気が付いてくれなければ説明出来ないからね」
ケインはしばらく押し黙って考えていた。
「ありがとう。兄貴!ずっと不思議に思っていたことは、兄貴が居てくれたから出来たことなんだ」
ケインは、自分が幼いころから体を動かすことや、魔力操作が楽だったこと、魔力枯渇を経験したことが無かったことを語ってくれた。
「なんだかぼくだけずっとズルして生きてきたみたいだね……」
「いや。ぼくは幼少期からシロと一緒だし、三つ子たちに妖精が居るように、ケインには兄貴が付いて居るものだと思っていたよ」
精霊に好かれるだけで、何かしらの恩恵を受けるのだ。
ぼくたちはあの誘拐事件で精霊たちに好かれて運命を変えた。
でも、それぞれが違うご加護を得ていて当然なんだ。
兄弟として一緒に暮らしていても、考え方や行動は似て非なるものなのだから、違っていて良いのだ。
「気分は落ち着いたかい?ケイン」
「うん」
兄貴もそんな隅っこに引っ込んでいないで、出てきてケインの練習に付き合うぞ!
ぼくが強めに思念を送ると、ケインが肩をびくつかせて兄貴はテーブルの影に移動してきた。
「口で発する音声情報ではなく、考えていることがそのまま伝わるのが精霊言語なんだ。ケインはぼくがエリアDに行っている間に習得したようだけれど、どういうきっかけだったんだい?」
ケインが精霊言語を取得したきっかけは、ぼくと同様にスライムだった。
瘴気濃度を追跡して記録した魔術具の検証が成功した暁に所長とコッソリ約束していた未浄化エリアの調査に、ぼくが単独で乗り込んだことを怒っていたら、ケインのスライムから強烈な思念が送られてきたのだ。
落ち着け、残された自分たちにはやることがあるはずだ、と諭され、瘴気を追跡する魔術具の解析に集中できたらしい。
ケインのスライムは優秀だった。
ぼくのスライムから送られて来た坑道内の情報を精霊言語で転送してケインと共有したのだ。
ケインは無線や目の前の魔術具が示す情報から判断しても、間違いなくエリアDの実況を配信をしている状態だと気が付いたのだ。
ぼくがエリアDを浄化するまでは、ハラハラのし通しで、新たな瘴気がエントランスに湧き出てからのパニックも語ってくれた。
瘴気の最も濃かった箇所が固定されて動きが無くなると、他のエリアにあった瘴気が固定化された瘴気の方へ岩盤を浸透して集まり始めたことが魔術具からわかった。
各エリアを遮断する扉の魔術具を越えてエントランスに来ることは無かったので、浄化済みのエリアA、B細部の扉に魔力を注いでいた研究員や文官たちに、鳩の魔術具で回復薬を支給して結界の強化を図ると瘴気は全く近寄れなかった。
明かりの魔術具に浄化の魔法組み込んでいたこともきっと有効だったのだろう。
そう安堵してたとたん、念のために張っていた浄化の結界に反応があったのだ。
低く霧が発生したようにエントランスに瘴気が湧き出て、明かりの魔術具では対処できない範囲に広がっていった。
誰もディーを信用していなかったので、拘束を解いて全員を守る結界を張ってくれとは言えなかったようだ。
みんなは自分の結界を維持することに集中して、誰かの結界が弱ったら手榴弾型の魔術具で援護しようということになった。
ボリスはケインが結界に入れて保護した。
回復薬を散布して浄化するには範囲が広く、自分たちの魔力枯渇に備えて携帯しておくことになった。
ぼくとの通信で、卵型の魔術具の予備があったことが発覚し、みんなは希望をもってケインを見たが、ぼくの魔力が発動条件だったので、誰もががっかりした。
ぼくが養子でケインと血縁関係がないことは全員知っていたからだ。
ぼくは通信の魔術具で根拠もなく、出来る、やれ、と言うし、スライムもみゃぁちゃんも出来る、と太鼓判を押すように何度も念じてきた。
決心して卵をはじく右手の人差し指の先に魔力を込めた時に兄貴の存在とぼくの魔力を感じて、信じろ、ケインなら出来る、と兄貴の思念が聞こえ、自信をもって卵をはじくと魔術具が発動したのだ。
そこからがケインの本当の混乱の始まりだった。
みんなの思考が頭の中に流れ込んできたのだ。
魔術具によって一つの結界の中に籠ったようになってしまったから、そんなことが起こったのかと思ったが、ケイン以外の誰も他の人の思考が聞こえている素振りも無ければ考えてもいないので、自分にだけ起こっていることに気が付いたのだ。
ケインはぼくの胸ポケットにウィルの砂鼠がいないか確認までした。
エントランスに戻った瞬間ぼくのスライムがつまみ出していた。
「ウィリアム君は悪い人ではないけれど、兄さんへの執着心が気持ち悪いよね」
聞いたら兄さんが不快になるから言わないでおくよ、と言われたから聞かない方がいいのだろう。
他人が何を考えているかは、行動に移して公序良俗に反したり、犯罪行為をしたりしなければ、基本的には自由なのだ。
あえて知らない方が良い。
「ぼくや兄貴やスライムたちは訓練をしたから思考が漏れないんだよ。ケインもそれが出来るようにならないと亜空間を出ると精神的に持たなくなるよ」
「それは実感した。全員が大声で秘密にしておきたいだろうことまで話している状態なんだ。犯罪の自白にも使えないね。考えの表面的なところが表に出ているけれど、深層心理では暗示や解釈の差があるから参考程度にしかならないよ」
ケインはディーの思考に孤児院での洗脳の他に、帝国での神学の授業でも何かあったようだと言った。
聞いてはいけない神学の内容をディーが考え出した時に、兄貴が思考を遮ってくれたそうだ。
「兄貴がいるから日常生活は送れるけれど、自分で制御できるようにしたいよ」
ビーチパラソルの影を調節して兄貴に出てきてもらい、思考を遮る壁を薄くしてもらった。
「ああ。居る。わかる。……いつもぼくと一緒に居た!」
ケインにも兄貴の存在が確認できたようだ。
ビーチパラソルの影まで駆け寄ったケインが、黒い霧のようでしかない兄貴に触れる事は出来ないが、空中でハグをした。
思考を遮る魔力ボディースーツの練習はさておいて、いつも一緒に居たのに初めて出会ったかのような二人を見守ることにした。
兄貴の思考がぼくにも伝わってくる。
自我を持ち始めた頃はケインも赤ん坊だったし、自分も赤ん坊のようなものだったこと。
ぼくがうちの子になってから、自分の存在に気が付く人間が居ることを知ったこと。
ぼくたちを通して、いろいろ学んでいったこと。
うちの家族が大好きだと気が付いたのも、ぼくから学んだことで、ぼく以外の誰にも気付かれなくても、好きな人たちと一緒に居られるだけで幸せだと思っていたこと。
でも、大好きなケインに気付いてもらえて、ケインも自分のことを好いていてくれることが、今の自分に途轍もない幸福感をもたらしたこと。
嬉しすぎて話しかけられなかったこと……。
ぼくも目頭が熱くなった。
いつかこんな日が来ればいいとずっと思っていたんだ。
兄貴とケインは思念のやり取りで昔話を始めた。
二人がひとしきり話し込んでいるのを、みぃちゃんとスライムたちが和むような顔で見守っているのに、みゃぁちゃんは自分のスライムと合体飛行の訓練をしている。
あっ!
みゃぁちゃんやケインのスライムたちは洞窟の水を飲んでいない。
気が付いたことは黙っていよう。
ケインの訓練が先だ。
和んでいたはずのみぃちゃんとスライムたちが、ぼくの頭の上を飛んでいるキュアとぼくを見比べて目で訴えかけてきた。
……洞窟の苔が食べたいんだな。
“……ケインも食べたら良いんだよ。キュアは魔力操作の練習無しに実践で活躍したじゃないか”
“……きっと魔力の扱いが楽に出来るようになるんだよ”
それは希望的観測だろう?
洞窟に転移したら廃鉱の時間が進んじゃうから今は駄目だよ。
“……とっとと廃鉱を片付けようよ!”
“……一時的に兄貴に遮断してもらえば良いじゃないか!”
それもそうか。
ぼくは兄貴とケインに声をかけた。




