豊かさと余裕
朝食の後片付けを手早く済ませる間も飛竜たちは付きまとい、早く見てくれとせがんでいる。
みぃちゃんとスライムがドヤ顔をしているから、普通の縄跳びではないのだろう。
大人の顔の高さまで飛んでいる飛竜たちが回す縄をスライムが弾みながら高速で跳ぶ、とんでもない曲芸を見せてくれた。
みぃちゃんは助走をつけて回転する縄を潜り抜けている。
飛竜たちに跳ばないのか、と聞いたら、気が付いたら飛んでいて足が地面につかない、と言っていた。
そりゃそうだ。
飛竜なら足を地面につける方がおかしい。
ちびっこ飛竜が浮いているのに縄を回している様子を見て、縄跳びじゃないよ、とみんなで笑っていた。
縄をぐるぐる回しているのに飛んでいるなんて、揚力や推力どうなっているのだろう?
飛竜は魔力だけで飛んでいるのかな?
それなら羽をバタつかせる意味が分からない。
「何を考え込んでいるんだい?」
いつもより問いかけが早いと思ったら、ウィルじゃなくハロハロだった。
「魔術具なしで飛べるのはいいなぁ、と思って」
「ずいぶん子どもっぽいことを考えているんだね」
「子どもだからいいんです」
そんなやり取りを周りのみんなが笑いながら見ている。
「子どもの疑問や発想はなかなか良いところもあるんですよ」
イシマールさんがしみじみと言った。
「厨房の便利な魔術具もカイルの発想ですよ。柔軟な発想が新製品開発のきっかけになります」
「正しい知識も必要ですよ。飛行の魔法を発案しても、魔力枯渇で墜落したら生死にかかわります。安全装置のついた魔術具の方が現実的です」
飛竜ほどの魔力量が無ければ、お婆が苦労した初期の錬金術と一緒で、身体強化でジャンプした方が、飛行の魔法より高く跳べて魔力消費量が少なくなりそうだ。
「飛ぶための原理は思いついたのかい?」
「なくはないけど、無駄な努力になりそうですね」
「実用的じゃないのか……」
ハロハロはあからさまに落ち込んだ。
「今すぐ、どうこう、という訳ではないが、飛竜を戦地に送りたくなくてね…」
戦争が起こらないように外交で何とかしてほしいが、それが理想論でしかないのが今の帝国だ。
「帝国から密偵が入り込んでいたように、王国からも帝国に密偵を送り込んだらいいのにね」
ボリスが簡単そうに言った。
「送ったが働かない。私のように腑抜けにされたのだろう」
精神操作を抵抗なく使いこなしていると見た方がいいのだろう。
そして、腑抜けにされているくらいならまだ程度はましと考えた方がよさそうだ。
「それにしても、人間が魔法で飛べる理論に当てがあるなんて、すごいことだよ」
ウィルが上級魔導師の幻の技だと言った。
飛竜は魔獣だから魔法陣を使わない。
魔導師は祝詞を魔法陣の代わりに唱える。
けれど、今は幻の技……。
失われた文字が関係しているのだろう。
死に近づく魔法は考えない方がいいので、ぼくは飛竜たちの回す縄に身体強化でジャンプして一緒に遊ぶことにした。
縄跳びに飽きたぼくたちは祠巡りを兼ねて、里を散策することにした。
ちびっこ飛竜やみぃちゃんとシロもついてきたので、里の人たちは気軽に挨拶して、道案内までしてくれた。
飛竜の里も七大神の祠を核とした結界の中に、山の神や、豊穣の神などの祠で強化してあった。
大きな里ではないけれど、徒歩で回るには距離があったが、全員が身体強化をかけて歩いているのでかなりの速さで回れた。
昨日は御馳走様でした、とみんなが山菜や卵やらをくれるので、どんどん手荷物が増えた。
しまいには台車まで貸してくれる人が現れた。
「この里は豊かだな」
台車を引きながらハロハロが言った。
台車にはみぃちゃんとシロが乗っている。
王太子に台車を引かせる猫と犬はこの二匹だけだろう。
「積雪も少ないので寒さに強い作物なら冬でも育つのでしょうね」
「いや、人の心も豊かだよ」
「飢える心配がないから、出てくる余裕もあります。ぼくは北部の貧しい開拓村の出身なので、分け与える余裕のない人々を知っています」
「「!!」」
ウィルとハロハロが驚いている。
「ぼくは幼いころに両親を亡くして、今の家族に養子にもらわれたのです」
「辺境伯領が豊かになったのは、新しい神が誕生してからです。俺の出身の村も余裕はなかったですよ」
「兎をシチューにするくらいだもんな」
「妹には言えませんが兎のシチューは旨いですよ。貧しくなくとも、害獣は駆除したら余すことなく利用するものです」
「カイルはそんなに貧しい村の出身だったんだ」
ウィルがショックを受けている。
だいぶん考え方が柔軟になったとはいえ、ぼくが最貧民だったとは思わなかったのだろう。
「とはいえ、もうあの村もかなり豊かになったはずです」
「そうだな。村長が変わってから随分と良くなった」
ハロハロは何か気が付いたような顔をした。
「……中間搾取か」
「まあ、いろいろとあったようだ」
ピンハネ以外に、教育の問題もあったしね。
「学ぶ必要性を大人が理解していないと、子どもを学校に行かせる期間が短くなります。自然の摂理は農村部でも身に付きますが、正しい専門知識を広めないと発展どころか、衰退してしまいます」
「カイルは平民であってももっと魔法を学ぶべきだと言うのかい?」
「ううん。今の身分制度をどうこうと言うより、そもそも無知は失態を呼ぶのですよ。大げさに言えば、祠の位置を勝手に変えてしまうことがあったら、とんでもないでしょう?」
「自殺行為だろ」
「実際には、さすがに神様関係は大丈夫でしょうけど、結界の補強を気付かずに破壊してしまったりすることはあるんですよね」
ボリスが掌をポンと打った。
「あの時、植えた結界強化の植物を素材として採取しちゃったり!」
「正解!」
ああ、とウィルも納得した。
話の通じないイシマールさんとハロハロに、オーレンハイム卿の息子さんの領地の実験の話をした。
「生活魔法程度の魔法陣を知っているだけでも、そういったことを防げるかもしれないのです」
「なるほど。そういうことか」
「魔力の少ない人が魔法を学んだら魔力枯渇が心配じゃないか」
「魔力が少ない人は滅多に魔法を使わないですよ。コップに水を一杯出すだけでフラフラになるより、井戸の水を汲みます。けれど、日照りで井戸が枯れた時はフラフラになってもコップに一杯の水を魔法で出せた方がいいじゃないですか」
「ふむ、確かに知らないよりも知っていた方がいいな」
王太子がこういう現状を認識してくれたなら、何かが変わるだろうか。
「ラインハルト殿下が動いている奨学金はそう言った事情からなのかい?」
「あれは全然違います。王都の低所得者の労働力の向上が目的です」
「「何をやっているんだ!!」」
今度はボリスとウィルに、来年度から平民や余裕のない貴族用の奨学金の設立の話をした。
本当はトイレ工場でおしり洗浄機を作る労働者を集めるためなんだけどね。
「王都の貧困対策なんて、王家の仕事じゃないか」
「だから、ハルトおじさんがやっているんだよ」
「カイルも関与しているんだろう」
「出資しただけだよ」
「「「!!!!」」」
「カイルは個人資産があるんだよ」
イシマールさんが俺と比較できない程の金持ちだ、と呟いた。
「貧しい農村の出身……個人資産が潤沢……」
ウィルがうなっている。
「良い家族に恵まれて、楽しい魔術具を一緒に作っただけだよ」
「そうだね。キャロラインお嬢様がご入学されたらいろいろ解禁になるから、楽しみにしていてね」
ボリスが納得したように言った。
「「それまで待たなくてはいけないのか!」」
ウィルとハロハロが嘆くように言った。
「スライムの実力を示すのはウィルとハロハロが最初なんだからいいじゃないか」
「まあ、スライムにも驚いたがそれ以上なものがあるのか」
「夏休みに辺境伯領に絶対に行くぞ」
「「「仰天すること間違いなしだね」」」
ぼくとボリスとイシマールさんの声が揃った。
帰りたいねぇ、とボリスとイシマールさんがしみじみと言った。
単位は取得したのだから、王都に戻ったら帰ってもいいのだ。
「この旅が終わったら帰ろうかな」
イシマールさんもカフェの基本メニューを従業員に仕込んだから帰れるかな、と言い出した。
「ぼくもついていきたいな」
「ラウンドール公爵領に行ってみたらいいよ」
「「「そうだ!!!」」」
みんなにやりこめられて、ウィルが両方に行くもん、と息巻いた。
台車をウィルが引く番になると一番大きい飛竜が台車に乗った。
「自分で飛べる奴は飛んでくれよ!」
ンミャ。
みぃちゃんが早く引けとばかりに鳴いたから、みんなで笑った。
身体強化をかけてウィルが台車を引くと、飛竜が飛んでウィルがつんのめった。
里を一回りして、帰ってくると、ポアロさん家の中庭の奥にある小さな精霊神の祠に魔力奉納をした。
昔はここに住宅があったが地震で半壊したので、今の位置に建て直したそうだ。
ハロハロがまともになったのは精霊のお蔭なので、たっぷりと魔力を奉納した。
圧縮した魔力を祠の水晶に送ると、一度にたくさん奉納できることをクラーケン騒動のときに発見した人がいたのだ。
「こうやって普通の人々も結界を支えているんだな」
そう呟いたハロハロのそばで精霊が一つだけ光った。
君がハロハロを守ったんだね。
“……ご主人様。あの子はまだ幼いので話すことは出来ません”
もしかしたらこの国の国王の資質とは精霊に好かれることなのかもしれない。
“……ご主人様。全属性の魔法を自在に使いこなす人間はいません。それなので、ガンガイル王国の結界は精霊の力を借りなければ満たせません。辺境伯領も同様です”
だから、婚姻関係を続けて、血統を維持していたのか。
…精霊の存在を信じていなかったのに、精霊の力を借りていたのか。
なんだか、精霊が健気すぎる。
ハロハロの精霊につられて、たくさんの精霊たちが集まり始めた。
大昔はこうやって精霊たちが遊びに来るのが普通だったのかな。
「ああ。お帰りになったのですね」
精霊たちの光につられてポアロさん夫婦が祠にやって来た。
「王族と精霊なんてまるで伝説のようですね」
精霊神と建国王に例えるにはハロハロはまだ頼りないよ。




