目覚め
朝は誰にでも平等にやって来る。
暁が稜線を染めたころ、ぼくとボリスは身支度を終えて、ウィルを起こした。
港町に滞在していた時より早朝の行動になるので起きられなければそれでいいけど、声を掛けなければ恨まれるかと思い取り敢えず起こしてみた。
「あああ、おはよう。本当に早いね」
「「厩舎に先に行っているね」」
そう言いおいてぼくとボリスは厩舎に出かけた。
中庭にはまだ飲んでいる人が数人残っていて、夜通し宴会ができる平和さに驚いた。
潰れて寝ている人には毛布が掛けられている。
死霊系魔獣が出ない安心感は人々をここまでくつろがせるのか。
ポアロさんはぼくたちより先に厩舎に来ていた。
驚くべきはハロハロがもう厩舎の掃除を始めていた。
みぃちゃんがシロに何か追加でしたな、と聞いている。
効果があるというよりもはや別人のように丁寧に仕事をしている。
飛竜たちも不思議そうにハロハロの仕事ぶりを見ている。
ポアロさんに挨拶をして聞けば、飛竜たちに起こされて厩舎に来てみたら、ハロハロがもう掃除を始めていたとのことだった。
「おはようハロハロ。ホントに早いけど寝れたの?」
ボリスが驚いて訊いた。
「おはよう。夢見が悪くてあまり寝られなかったはずなのに、頭はスッキリしているんだ」
あの白昼夢の後でスッキリしているなんて、ハロハロの精神構造が理解できない。
ハロハロは仕上げの清掃魔法を済ませると、ぼくに言った。
「カイルは薬に詳しいと聞いたけど後で相談に乗ってくれるかな」
ハロハロは変な薬でも盛られていたのだろうか?
厨房のイシマールさんの手伝いに行くことにした。
「厩舎に行ったら全部終わっているんだもん。どうなっているんだい?」
ウィルが厨房にやって来た。
たった一晩で人が変わったようになってしまったハロハロが、イシマールさんにぬか床の作り方を教わっている。
「料理は面白いね。作るのも楽しいし、食べて美味しい、食べた人に喜んでもらえたら、なお嬉しい」
謀略のぼの字も感じさせない自然な笑顔をぼくたちに向けている。
「ハロハロ。昨日の晩、何かあったのかい?顔つきも考え方もまるで別人だ」
みんなが思っていることを、ウィルが切り出した。
「うん。酷い夢を見た。長い間、思考を奪われていた間、見てこなかった現実を見たよ」
「「「「「「!!!!!!」」」」」」
王太子の思考を奪うって、大罪じゃないか!
何がどうしてこうなった!?
「ぬか床を作ったのに、何で浅漬けを作っているの?」
ハロハロは自分が爆弾発言をした自覚もなく、かぶの浅漬けをポリポリ味見している。
「ぬか漬けは明後日かな。発酵は時間がかかるからね」
「発酵の神様の魔法陣を容器に書いておこう」
本当に別人だ。
ポアロさんの奥さんは、中庭で飲んだくれていた人たちに味噌汁とおにぎりを食べさせて、追い返した。
朝食を終えたちび飛竜たちがみぃちゃんとスライムたちと縄跳びをして遊んでいる。
シロはぼくの隣に座り朝食を食べるぼくたちを見守っているのだが、はた目にはおこぼれを待っているように見えるので、卵焼きを差し出されて首を振っている。
「シロのご飯は済んでいます」
本当は何も食べないが便宜上用意したものは、みぃちゃんとスライムが食べてくれる。
「庭に梅の木があるのですが、実は食べないのですか?」
「あんなに酸っぱいものはとても食べられないよ。香りが良いから植えているだけだよ」
ぼくは梅干しの作り方を教えて、仕込んで貰う約束をした。
焼酎が手に入るなら、梅酒が作れるのに、と呟いたら、ハロハロがお酒に反応した。
「カイルの考案するものをどうこうするのは辺境伯領を通してください」
ハロハロが利権を手にしないように、ウィルが牽制した。
「いや。カイルの作るご飯は美味しいから、お酒もさぞ美味しいだろうと思っただけだよ」
日本酒はまだ王都で流通していないのかな?
「カイル君の手土産にお酒もありましたが、昨日は人数が多かったので全員に当たらないので、お出ししなかったのですよ。今晩楽しみましょう」
「辺境伯領の晩餐会には卸しているから、王都でも飲めますよ」
イシマールさんは日本酒の事業にもかかわっている。
「ああ。今までは辺境伯を嫌うように暗示がかかっていてね。それで毛嫌いしていたようだ」
王太子に暗示って、国家機密級の爆弾発言が多すぎる。
「先ほどから聞き捨てならない発言が多いのですがどうなっているのですか?」
「おかしな話なんだ。自分でもまだしっくりこない。どうも私を操ろうとした人間は一人じゃないせいで酷いことになっていたようだ」
確かにハロハロの人格は酷かった。
「王城の警備体制が心配になりました」
ボリスががっかりしたように言った。
王立騎士団へのボリスの信頼度がダダ下がりになったようだ。
「警備を命じる方に問題があっただけだ。母親に裏切られているとは子どもなら誰も思わないだろう?ここは王都から離れた独立自治領で、どこの派閥の影響もないから安心して過ごせる。こういう場所が私には必要だったのだ」
ハロハロは晴れやかな顔をして空を見上げた。
憑き物が本当に落ちたのだろう。
「よろしければ、お話してみませんか?防音の結界を張れますよ」
シロに訊いてもいいけど、ハロハロ自身が話すことで、しっくりくるだろう。
「ああ。頼もう」
ぼくは魔法の杖をひと振りして庭に結界を張った。
飛竜たちが何だい、とでも言うようにこっちに寄ってきた。
“ハロハロの話を聞くだけだから、大丈夫だよ”
“……悪いものが来たら追い払うよ”
“他の人に聞かせられない内緒話をするだけだよ”
“……わかった。内緒話だけなんだね”
飛竜たちは縄跳びに戻っていった。
「飛竜は賢いな。結界の気配を感じたのか……」
ハロハロに白昼夢を見せて良かった。
「きっかけがあれだ、とハッキリと言えないことなんだが……」
要約すると、王妃の侍女に一服盛られていたようで、自分の思考で深く考えることを止めるように暗示がかけられていたらしい。
そこに王妃と派閥の違う妻の親族が、自分たちの都合のいいようにハロハロを扱おうと、秘書官や侍従の人事に口をだし、母親の派閥と妻の派閥が交互に操り人形にしようとしていたのだ。
“……ご主人様。ハロハロは長期間、薬づけにされながらも、幼いころに精霊を捕まえたことで、本来の人格を失わずに隠すことができていたようです。また、王族教育や学校での学習内容も本来の人格が保持していたようなので、奇跡的に馬鹿が治ったようです”
馬鹿に付ける薬はなくても、ショック療法は効いたようだ。
「いやはや……そんな状態を回復させる悪夢って、すごいですねえ……」
ポアロさんがしみじみと言った。
「これも飛竜の里に来て、飛竜の世話をしたから、見ることが出来た夢なのだろう。とある飛竜の半生を見たのだ。あれは実際に起こった出来事だと思う。イシマールさん、あなたの左手は義手でしょう」
「ああ。戦場で失った」
「昨晩、夢の中で、ゴール砂漠の戦いの現場に居ました。昨日、番になった飛竜との間に居たのであなたの切断された左腕が私の顔面に当たりました。本当にそれで目が覚めたというか、呪縛が解けたのです」
まさかの物理。
イシマールさんの左腕の衝撃で暗示が解けたのか。
ハロハロは、飛竜の厩舎が昔は石造りだったか、イシマールさんの妹は熊と兎を使役しているか、などの情報が事実かどうか確認をした。
「それで、薬を盛った方は誰なのですか?」
イシマールさんが切り出した。
「母上の側近の侍女だ。辺境伯寮の大審判の後、体調を崩して実家へ帰った。気持ちが沈んだ時に食べたらいいと、この飴をくれた時に会ったきりだ。香水で誤魔化していたがかなり臭かった」
ハルトおじさんの情報によると、素材採取のときに猪を狂わせた魔香は帝国由来の成分があり、帝国の関与も疑われている。
その侍女が帝国のスパイなのだとしたならば、王太子を傀儡にすることで王国の内政に干渉しようとしていたのだろう。
「あの時は匂う人が多すぎて、王宮もさぞ混乱していたでしょうね」
ウィルは父親経由で知っている話題をふって、もう少し情報を探り出そうとした。
「ああ。私の従者で臭わなかったのは下働きの平民ばかりだった。いまだに王宮は臭いぞ」
「謝罪と誓約書が揃えば、寮長でも整腸剤を処方できるように手配してあるのだから、ぼくが居なくても治せますよ」
ぼくは自分が寮に居ないせいではないことを強調した。
「派閥の乗り換えは簡単にはいかないよ。それよりカイルの実家は製薬所もあるんでしょう。その飴の成分を解析してもらったらいいんじゃないかな?」
「王太子が一服盛られて操られていたなんて情報は、流出させたらまずいでしょう」
うちにそんな秘密を持ち込んで大丈夫なのか!?
「三大公爵家が信用できないから、そこから支援を受けている研究所に持ち込みたくない。カイルは辺境伯領主の庇護下にあるが、辺境伯領主は王家の敵ではないので、一番安心なんだ」
ハロハロは安心でも秘密を知った家族が安全でなくなってしまう。
三大公爵家のご子息がここに居るのだから、そっちでもいいじゃないか。
「出所を伏せて解析してもらったらどうだい。調べてもらうことを知っているのは、ここに居る人たちだけなんだし」
ボリスは派閥の違うウィルが居ることを無視していった。
「ぼくはこのことは父上にも言わないよ。カイル。親友として約束するよ」
ウィルはいつもの冷笑ではなく、真剣な表情で言った。
ぼくも今のウィルなら信用できる。
「鳩の郵便で頼んでみるよ。一粒預からせてもらいます」
ぼくはハロハロから飴の瓶を受け取った。
“……ご主人様。仕掛けがありますが、害のないものです”
仕掛け?
シロは害がないと言うが、用心して瓶のふたを開けた。
小指の爪くらいの大きさの赤い飴玉が十数個あった。
その中に一つだけ、存在感が強いものがあった。
「一つだけ何か仕掛けがしてある!」
ぼくの言葉にみんなが代わる代わる瓶を覗いたが、わからない、という返答ばかりだったが、ボリスだけが顔をしかめた。
「一つだけあるね。これでしょう?」
ボリスが箸で突いた飴は、ぼくが不審に思ったものと一緒だった。
「「「「「何が違うんだ?」」」」」
「「微弱な魔力反応があるんだ」」
ボリスも魔力探査の練習を怠っていなかったので、かなり上達したようだ。
やるねぇ、頑張ったねぇ、とボリスを褒めていると、ウィルが瓶を覗き込んでウンウンうなりだした。
「魔力量が多い人の方がわかりにくいと思うから、ポアロさんに適当に選んでもらおうよ」
説明しがたいことだから、とボリスは誤魔化しながら瓶をポアロさんに手渡した。
いきなり自分が指名されたことに狼狽えながらも、ポアロさんはぼくたちと同じ飴を選んだ。
「説明しにくいけれど、私はこれだと思います」
ウィルが、なんでだ、とうるさいが、ポアロさんは魔力探査と言うよりも、精霊と親しい飛竜のお世話をしているから、精霊の影響を受けていると思う。
ぼくは素手で触らないように箸で問題の飴をつまんで、日に透かせて観察した。
「魔法陣が刻んである」
ぼくが箸でつまんだままの飴玉をみんながしげしげと眺めた。
魔法陣を確認できたのはポアロさんとボリスとイシマールさんだけだった。
「精霊神のご加護…かな」
ハロハロは、辺境伯領は精霊神を祀る領地だからな、と言った。
「うちにもありますよ。とても小さな祠です」
「「「あとで案内してください」」」
「お前たちは本当に祠の参拝が好きだな」
「祈ればご加護が得られるのに、祈らない手はないですよ」
「まあ、そうだな」
別人になったハロハロは話の呑み込みが早い。
「奥さんがわからないのはどうしてなのかな?」
「私は魔法学校に行っていませんから、魔力や魔法についてはわかりません」
ポアロさんの奥さんは、地元の学校に魔法学がなかったので何も学んでいなかったのだ。
地方と都市部で魔法の地域格差がありそうだ。
「何の魔法陣だろうね。見当もつかないよ」
ボリスとポアロさんはお手上げだった。
「食べてみようかい?」
分別がついたはずのハロハロが、どうせ今まで散々食べてきたんだし、と何でもないことのように言った。
もう一度あの戦闘場面に送り込んでやろうか!
みんなの冷たいまなざしに、ハロハロは、冗談だよ、と言ったが、笑えない。
ぼくは飴玉に魔力を流して確認しようとして手に取った。
飴玉から赤い霧が発生して拡散した後、四角く集まった。
「「「「「「「おおおおおお」」」」」」」
赤い霧で出来た四角いシートに文字が浮かび上がった。
それはぼくへの伝言だった。
帝国皇帝に弱みを握られてガンガイル王国の王太子を傀儡にすべく送り込まれたこと、国王には思考停止の暗示が効かなかったこと、王太子にも半分程度しか効かなかったので、暗示が解けたらぼくに東の魔女が謝罪したがっていることを伝えてほしい、と書かれていた。
他にも王国内に送り込まれたスパイの名前や所属も記載されていたので、ウィルが喜んで転記していた。
「東の魔女って、誰ですか?」
「おとぎ話にあっただろう。不老不死の研究をして、百年眠って百年生きても結局不幸になる話」
百年後に起きたら常識が変わってしまっていて、ジェネレーションギャップに苦しんだ挙句、もう一度眠りにつく話だった。
不老不死に興味がなかったから忘れていた。
「東の魔女って本当に居たんだね」
「帝国の皇帝が起こしたってことかな」
「弱みって何だろう?」
ウィルは人の弱みを詮索しない方がいいよ。
悪だくみしそうだもん。
ウィルがスパイの名前を転記し終えると、赤い霧は霧散した。
「ラインハルト殿下に速達の鳩を飛ばそう」
イシマールさんはウィルが書き出した紙を取り上げて、特殊な魔術具の筒に入れた。
合鍵と暗号がないと開けられないものらしい。
ウィルが制止する様子もないということは、もう暗記したのだろう。
ぼくは魔法陣が消えた飴玉をお婆の研究所に送って解析してもらうことにした。
内緒話の結界を解くと、飛竜たちが喜んだ。
縄跳びが上手にできるようになったから見てくれ、と近寄ってきた。
可愛いものを見て癒されよう。
東の魔女のことは一旦忘れることにした。




