宴もたけなわ
「なんでイシマールがいないんだ」
夕食の下ごしらえを済ませたら、不慣れな人員は厨房には必要ない。
ポアロさんに監修してもらいながら、ちびっこ飛竜たちのお世話だ。
猪のお肉を刻むのはハロハロの手つきが危なすぎて、飛竜の厩舎の掃除係になったのだ。
「洗浄魔法で丸洗いしたらいいだろう」
「堆肥にするから堆積場まで運んでよ」
掃除するハロハロを、ぼくと同じくらいの大きさの飛竜がみぃちゃんを乗せて遠巻きに眺めている。
この厩舎に居る飛竜は現在三匹で、ハロハロを警戒している子が一番大きく後の二匹は四才のうちの三つ子たちと同じくらいの大きさだ。
小さい子たちはシロにピッタリ寄り添って、ハロハロの悪意から守ってもらっているように見える。
小さい飛竜が羽を広げてキュッキュと鳴いた。
「可愛いですね。わぁ。羽を触らせてくれるのかい」
「ありがとう。飛竜って固い鱗なんだね」
「これはいい素材になりそうですね」
「ああ。脱皮した皮はうちの里の大きな収入源になっているよ」
「なんでお前たちだけ触らせてくれるんだ!」
「ハロハロさんが文句ばかり言っているから、飛竜たちが寄り付かないのですよ」
飛竜は神経質なので、苛立っている人を警戒するのですよ、とポアロさんは穏やかに言った。
人間だってイライラした人に近づきたくない。
「こいつらの親は子供の面倒も見ないで何をやっているんだ」
うん。
それは気になっていた。
初めにこの里にやって来た飛竜は言ってしまえばシングルマザーで、里の結界を利用して安全なところで子育てをしようとしたら、里の人たちに気に入られただけだ。
両親がそろっている飛竜まで、わざわざこの里に来なくても子育てくらいできるだろう。
「国を守っているのですよ」
「「「「国を守る?」」」」
「死霊系魔獣と戦っているのですよ」
夜間徘徊する死霊系魔獣は、死んだ魔獣が夜になると単体ではかなり弱いが蘇生力の塊である死霊に取り憑かれることで数や力を増してくる。
生き物は必ず死ぬ。
日々生まれる死霊系魔獣が凶暴化すると、日中に人里に降りてくるようになる。
成体の飛竜は全ての属性の魔法を使いこなすので、死霊系魔獣を討伐し、発生源を抑えることもできるのだ。
「飛竜が山に居るおかげで、この里では夜間も心配なく外出が出来ます」
今夜は大宴会になりますよ、と楽しそうに言った。
飛竜は行動範囲が広く、この里に子どもを預けている間に、国中の魔獣や死霊系魔獣を退治してくれているのだから、飛竜は存在しているだけで国を守っているのだ。
「騎士団が使役している飛竜も戦争のために契約しているわけではないので、もっと地方の魔獣討伐に出かけて経験を積ませなくてはいけないのです。クラーケンを相手にあんなみっともない作戦に参加させられても経験値として生かせません」
ポンコツなのは飛竜たちではなく、作戦を立てた騎士団の上層部だ。
厩舎に仕上げの清掃魔法をかけたハロハロは、憮然として言った。
「聖魔法が使えるんだから、クラーケンなんか討伐してしまえば良かったんだよ」
「「「ハロハロは騎士コースも受講したはずだよね!!!」」」
王太子殿下は実技では手心を加えられたとしても、座学はほぼ満点じゃないと、人の上に立つものとしてどうかと思うぞ。
魔獣討伐は土地の総合魔力を考えずに討伐してはいけないのだ。
クラーケンを討伐して飛竜が死霊系魔獣の出現を抑えたとしても、巨大な魔力の圧が消えた土地に大量の魔獣がやって来るから魔獣暴走が起こるのだ。
アレックスよりも馬鹿なのか?
「ハロハロさん。私は話に聞いただけですが、そもそも、今回のクラーケンのような巨大な魔獣では、飛竜はイカに集る蠅くらいの大きさでしかなかったようです。とても七匹の飛竜では浄化できませんよ」
ハロハロが王族スマイルを止めた。
「私が聞いている話と違うのか?」
「王家に上がっている報告書を本当に読んだの?」
ウィルが訝しがる。
「いや、秘書官から報告を聞いただけだ」
「情報は多角的に集めて、確認は自分でするものでしょう」
ボリスががっかりしたように言った。
ハロハロが国王になったらこの国は駄目になる。
「帝国の傀儡……」
ポアロさんがこそっと呟いた。
王宮内に何かある。
飛竜たちはすっかりシロになついてしまい、どこに行くのにもついて来る。
小さいのは安定して飛べず、少し飛んではシロのそばに止まり、二三歩走っては、また飛び立ってシロの上を旋回している。
精霊と飛竜は相性がいいのかな。
あっ!
シロに風を送ってもらって揚力を上げているのか。
そうやって魔力の使い方を学ぶのかな。
研究所を覗いた時に、大きな鳥の羽のような魔術具を背負わされたアルバイトの騎士が、飛行実験で胸部を圧迫されて失神していた。
身体強化に魔力を使い、飛行の魔術具にも魔力使用したことで、着陸前に魔力が尽きてしまい自重によって負荷が加わり、ベルトが胸部を締め付けたことで失神してしまったのだ。
見た目は天使か、と思える出来栄えだった分、自殺装置と言わざるを得ない結果にがっかりした。
小さい飛竜たちは固い鱗の守りがあるが、体重も結構ありそうなので、胸の筋肉で羽を動かして飛んでいるのではない。
長時間同じ場所に滞空飛行できる風は真下に居ても感じない。
風を操り、揚力や、推力を得るだけじゃない、飛行の魔法があるはずだ。
「何を考えているんだい?」
ウィルはぼくが考え事をしている時は、少し待ってから声をかけるようになっていた。
「小さい飛竜たちは親に教わらないのに飛べるのは何でだろう?」
ボリスが笑った。
「人間だって、赤ちゃんに歩き方を教えなくても、赤ちゃんは時期が来たら歩き出すじゃないか」
「ボリス。それは周りの人たちが歩いているのを見て真似るからだろう?里に飛竜が代わる代わるやって来るし、少し大きいのが飛んでいるのを見て、真似するからじゃないかな」
「そうだよね。教わらないと飛べないよね」
飛竜に直接聞いてみよう。
クルック?
いや。君は学んでいる途中だから、大人に聞くよ。
「飛行の魔術具を新たに作るのかい?」
ハロハロが王族スマイルで話しかけてきた。
「魔獣の生態に興味があるからね。飛ぶ魔術具なら、翼の魔術具を研究所で開発しているから、ハロハロはそっちを覗いてみたらいいよ。なかなか興味深いよ」
失敗は発明の母だ。
そのうちあっちも成果を上げるだろう。
ハロハロは助成金でも出して、支援してあげたらいいのに。
イシマールさんは庭に竈を作って、大鍋でお米を焚いていた。
「イシマールさんは何でもできますね」
ウィルが尊敬するように言った。
「騎士団で美味いものが食いたかったら、自分で作るのが一番だ」
王都のご飯が美味しくないと思った人は自炊するようになるらしい。
「ハロハロはどうした?」
「文句が多いので会場設営に回して里の人ともめても困るので、厨房の魔術具に魔力を注いでもらっています」
ハロハロが唯一、他の人に優れるのは魔力量だけだ。
「無難な仕事だな」
「みぃちゃんに監視させているので、手伝いに来てくれた里の人を困らせないようにしてくれています」
今頃、ボリスに指導されながら、王族スマイルでマヨネーズを乳化させているだろう。
「当初はハロハロをまともにするためにここに連れて来ているのかと思いましたが、目的は違いますよね」
「気がついたか。王宮の掃除のために少し離れていてもらっている。アレをカイルに何とかしてもらおうとは、殿下もお考えではないよ」
ハルトおじさんは王宮で大暴れをしているのか。
「三大公爵家はこの国の結界を支える領地の主だから、瓦解したままではまずいのだ」
「帝国の鼠退治かと思いました」
「帝国の鼠には逃げられた。死んでいなければ帝国で臭っているはずだ」
あれ!
もしも、帝国のスパイが素材採取の件に絡んでいたら……。
「帝国でも奇病が流行っているそうだ。香水の原材料の価格が上がっているらしい」
ああ。
そっちにもいっちゃったんだ。
「死ぬような病気ではないし、脱水症状も起こらないのだから、本人の体臭として定着するだけだ。気にするな」
国境を越えてしまったことまでは責任は持てないよ。
庭に酒樽ふたつに板を渡した簡易テーブルと石二つに板を渡した椅子がたくさん用意され、ビュッフェスタイルの宴会が始まった。
里中から人が集まって来て、飛竜の帰還とカップリングの成立を喜ぶ宴となった。
イシマールさんの飛竜の結婚披露宴みたいになっている。
集まった人々は珍しい料理に戸惑っていた。
王都の料理か、辺境伯領の料理か、海の魚があるから港町の料理か、と囁きあっている。
直接聞きにくればいいのに、なかなか打ち解けてくれない。
今回は港町で仕入れたスパイスを使ってカレーを用意したのだ。
生魚は鉄火巻だけにして、かっぱ巻きや飾り寿司だけにした。
魚料理は無難にフライにした。
タルタルソースも用意した。
ポアロさんの奥さんが郷土料理も用意してくれたので、最初はそちらの方が人気だった。
川魚のお鍋だったが、なかなか美味しい。
それでも、カレー鍋の匂いの誘惑に負けて食べた人が、旨い!と叫んだことでようやく行列ができた。
これがきっかけとなり、すべての料理を味見してくれるようになった。
里の子どもたちにはフライやお寿司が人気になった。
「自分が手伝ったものを食べてくれた人が、美味しい、と言ってくれたら、嬉しくなるでしょう?」
ボリスがハロハロに訊いた。
「……食べてくれた?」
「そう。食べてくれたことだよ。ハロハロは普段、毒見をしていない食事は食べないでしょう?庶民はそこまでしなくても、信頼できない人が作ったものは食べないよ」
「そう考えたら、食べてもらえるだけでも嬉しいな。でも、美味しいと言われると、もっと嬉しい…」
「誰かのために何かをしてあげるって気持ちより、喜んでもらいたいと思った方が、自分が幸せになれるよ」
「「すごいな。ボリス」」
ウィルとハロハロの声が重なった。
「カイルの受け売りだよ。飛竜がハロハロになつかないのは、ハロハロの考え方を飛竜が嫌うからだと思うよ」
「私の考え方……」
「「「うん。変えないとダメだね」」」
ハロハロの躾はぼくたちの仕事じゃない。
「ウィルは何が一番美味しかった?」
ぼくは話題を変えることにした。
「どれも美味しかったけど、カレーの魅力は最強だね」
そんな会話をしていたら、お酒が入った里の人たちが、ぼくたちにお礼を言いに来た。
美味しい食事をありがとう。
飛竜を連れ帰ってくれてありがとう。
中には涙ぐんでお礼を言う人もいる。
里の人たちにとって、飛竜は神聖な魔獣であり、また、自分の子どものように行く末を心配していることがわかった。
ハロハロは王族スマイルで勧められたお酒を飲んでいる。
思っていた以上に美味しかったらしく、本気で褒めていた。
宴がたけなわになるころにはすっかり薄暗くなった。
庭の灯篭に明かりがともると、精霊たちも時々現れたり消えたりした。
お腹が満たされた里の子どもたちが精霊たちを追いかけているのを見て、アリサが妖精を捕まえた時を思い出して、フフ、と声が漏れた。
「何が面白いんだい?」
ウィルに訊かれた。
「弟妹を思い出しただけだよ」
「カイルの家には精霊が居るのか!」
ハロハロが食いついてきた。
「精霊たちはどこにでもいますよ。純真な子どもなら、ふいに気がついて追いかけたりするのかな、と考えただけですよ」
うちの三つ子はそれで三人とも妖精を捕まえた。
お酒が入ったハロハロから、うちの子に捕まえさせるか、カイルを連れ去るか、などの不穏な言葉が漏れ始めたので、イシマールさんに連れ去られた。
あいつは一回絞めてやりたい。
“……ご主人様。出来ますよ”
物の例えさ、直接的な暴力は嫌だよ。
“……ご主人様。精神的にキツイやつがあります”
シロの発案するお仕置きは衝撃的だったが、実行してみることにした。
ハロハロは現実を知った方がいいのだ。
おまけ ~公爵子息三男の趣味~
港町から帰宅すると屋敷中の誰もが、ぼくの帰宅を喜んだ。
調査員の報告から父上は事実をかなり把握しており、ぼくは緑の一族について説明するだけでよかった。
写真を見せながら詳細を語ると、父上がカメラの購入を約束してくれた。
本人の許可なく勝手に撮影してはいけないと忠告されたことを言うと、事前に確認しておけば大丈夫だろう、言った。
そうだ。
記念写真の時のように、日常の記録として何枚か撮らせてほしい、とちゃんと言えばいいのだ。
ぼくは父上にオーレンハイム卿に絵画の師事をいただきたい、と相談した。
「オーレンハイムは世界的に有名な芸術家だ。その方にご師事させていただくために、基本的な絵画の技術が最低限なくてはいけないが……」
父上が言葉を濁した。
そうなのだ。
ぼくは壊滅的に絵がへたなのだ。
『ぼくがかんがえるさいきょうのクラーケン』の絵をみんなで書いた時も、ぼくはお笑い枠だった。
ビンスに言われた。
形にとらわれずにきちんと縮尺を計算しろ。
紙に失敗作を残すのが嫌で、黒板に何度もカイルの絵を繰り返し描いて練習した。
写真のカイルから眉間や目の大きさ、鼻の長さなどすべてを測り、拡大や縮小した絵をくり返し描いた。
そうするうちに計算しなくてもスラスラとカイルの絵だけは描けるようになった。
だけどまだ満足できない。
カイルの笑顔が好きだから、表情が良く見えるように顔を大きく写した写真ばかりなので、全身の計測ができる写真が無いのだ。
ぼくは飛竜の里見学ツアーのメンバーで記念写真を撮ろうと言って、全身が写る集合写真を撮ることが出来た。
写真の撮影にはいつもカイルのスライムが付き添い、転寝している写真は撮らせてくれなかった。
だから、ぼくは自分の脳を鍛えることにした。
カイルの笑顔を。
全身の姿を。
瞼を閉じてもハッキリと思い描けるように、細部までカイルを観察した。
この旅は試練の旅だ。
ハロハロ以外、美しいものが多すぎるのだ。
蝶の魔術具に戯れる精霊たち。
新緑の里山に咲く山桜。
飛竜の求婚成功を祝う精霊たちの舞。
カメラを構える理由に事欠かない。
さりげなくカイルが入る構図で撮る。
ハロハロの邪心は不快で仕方ない。
みぃちゃんやシロ、スライムまで毛嫌いしている。
あんな執着をぼくはしない、と反面教師にして、無断で写真を撮らないようにしている。
でも観察することはやめられない。
迷惑をかけなければいいのだ。
心は自由だ。
絵画は趣味だ。
表現の自由は認められてもいいじゃないか。
決して気持ち悪い趣味ではない…はずだ。




