閑話#13ー3 公爵子息三男の葛藤
はじめての海は音がうるさい、なんか臭うという感想だ。
カイルは潮騒、磯の香、と訂正してきた。
海の神の祠で、美味しい海の幸にたくさん出会えますように、と魔力奉納をしながら祈願した。
ご利益はすぐあった。
自分で給仕しての食事は初めてだったが、見慣れぬ御馳走を前に怯む心があったのでありがたかった。
あら汁というスープはラーメンのスープよりあっさりしていたが、出汁の旨味を圧倒的に感じることが出来て、こういうのが好みだと実感した。
カニがびっしり詰められた稲荷ずし、花ビラのように細巻を配置して作られた太巻き、どれもこれも美味しくて、老後はこの町に住むのも悪くないとさえ思った。
そんなぼくでも躊躇してしまうのは生寿司だ。
魚が美味しいのは知っている。
肉を生で食べるのは魔獣くらいだ。
魚を生で食べるのもきっと海魔獣くらいだろう。
海魔獣と化したカイルが生寿司を美味しそうに食べていく。
いい顔だ。
味に感動して目尻に涙を浮かべながらうっとりとしている。
ぼくは何も考えずにメイさんから借り受けたカメラでカイルを撮影していた。
しまった。
カメラを借り受ける時に、相手の許可なく撮影をしないと約束していたのだ。
何らかのお仕置きがあることは間違いない。
ハルトおじさんはカイルが一番感動していた大トロに手を伸ばした。
これは絶対美味しいやつだからぼくもすかさず手を伸ばした。
「「……」」
言葉にならないほど美味しい!
ハルトおじさんが訳の分からないことを言い出しているが、ぼくは気にせずカイルが食べた寿司を次々と食べた。
口の中でとろけるのも美味いが、噛むと旨味が増す寿司も美味しい。
魚の名前を聞いたがどんな姿なのか想像もつかない。
こんなに美味しい魚なのだからさぞかし美しい魚だろう。
お腹いっぱいになった後の散歩で吊るされている実物を見た時にはもうほとんどお腹の中で消化された後だった。
知っていたら食べなかっただろう。
「一夜干しを炙ってマヨ醤油で食べると美味しいんだよね」
カイルによだれを垂らさんばかりの表情で言われると、ぼくなら何でも食べてしまうだろう。
海岸線を散策していると、流木一つでさえ興味深く見えた。
波しぶきを浴びるとアレックスは女の子みたいに甲高い声で、きゃぁきゃぁ言いながら、誰彼かまわずに抱きついてきた。
身体強化をして振り払っていたら、高波にザブンと飲み込まれそうになって、ずぶぬれになってしまった。
犬だけが難を逃れたが、猫もぼくたちもずぶぬれになった。
こんな状況なのにカイルは手を叩いて大笑いで喜んでいる。
海の水は塩辛い。
被ってみなければ海水を味見することはなかっただろう。
……楽しむってこういう事なのか。
カイルは魔法の杖を取り出すと、ぼくたち全員を洗浄の魔法で乾かした。
「むっ無詠唱!」
「「「どうやって魔法の杖を出したの!!!」」」
カイルは魔法の杖を鞄からゴソゴソ探さなくても取り出せる魔法陣を開発したようだ。
この短期間に成功させるなんてすごすぎる。
興奮するぼくたちをよそに、カイルはお土産を探そうとはぐらかした。
アレックスが干しイカを見て海魔獣だと大騒ぎしているが、海岸に行くときにも干してあったのに気がつかなかったのかな?
うるさいアレックスをよそにぼくたちは滞在中に釣りがしたいと相談した。
商店街は王都ほど華やかではなく、海が時化ていてろくな魚がない、とカイルが嘆いていた。
馬車に大量に積んでいた保存の魔術具は素材採取用ではなく、魚を買って帰るためのものだったのか。
カイルはお土産が見つからないなら作ればいい、と言い出して、牡蛎を大量に買い付けた。
お土産に持ち帰るのかと思ったら、夕飯に食べてしまうらしい。
必要なのは殻の方だった。
みんなでやすりを借りてせっせと磨きをかけていく。
錬金術でパパっと済ませたいと話したら、仕上げの加工で使うから魔力の節約だと手作業を強いられた。
この時は錬金術を学んでいないボリスやアレックスに気を遣っているのかと思ったが、気遣われていたのは本当にぼくの魔力量だった。
削っていく先から崩れていく殻と格闘していると、しびれを切らしたカイルがスライムを魔術具のように変形させてあっという間に仕上げてしまった。
「その研磨の魔術具はスライムだよね」
アレックスが真顔で言った。
ボリスが自分のスライムにはできない、と言うとあっさり納得したが、その後やって来たハルトおじさんのスライムがあっさり真似してしまった。
「育ちが違うからな」
めっちゃドヤ顔している、とカイルが呟いた。
ドヤ顔は初めて聞く言葉だが、説明されなくても意味はわかる。
ハルトおじさんの得意げな顔と、パールピンクのスライムが球体なのに胸を張っているように見える様子のことだ。
錬金術で貴金属を加工するのは、ぼくが考えていた以上の魔力を消耗した。
みんなでみぃちゃんを加工していたのに、イメージを固定しようと観察しても、猫はすぐに動いてしまいなかなかうまくいかない。
ぼくはエリザベスのお土産にするにはあまりに不細工な白金のみぃちゃんを、カイルに差し出して作り変えてくれるように頼んだ。
カイルはぼくのみぃちゃんを、招き猫みたいで可愛いね、と言って違う白金でみぃちゃんを作ってくれた。
必ずエリザベスに渡すように念をおされて、ぼくの不細工なみぃちゃんはこれはこれで味があっていい、とそのままもらってくれた。
お世辞じゃない。
カイルはあのみぃちゃんを可愛いと言ったのだ…。
嬉しくて胸が熱くなった。
掌のカイルのみぃちゃんから、温かいカイルの魔力が滲み出ていた。
……カイルの魔力!
他のみんながカイルの作ったみぃちゃんを欲しがったのに便乗して、ぼく用のみぃちゃんを獲得することが出来た。
夕食はみんなでお手伝いをした。
タルタルソース用の茹で卵の殻をむくとか、野菜を洗うくらいしかまともに出来なかったが、楽しかった。
人が口に入れるものだから丁寧に洗う。
ぼくが毎日当たり前のように口に入れているものも、誰かがこうやって丁寧に下処理をしてくれたものなんだ。
そんな当たり前の事で、ぼくは毎日食事を作ってくれている人に感謝する気持ちになった。
野菜を洗うぼくの横にメイさんかやって来て、昼食時のカメラの一件を注意された。
やってしまったことは事実なのでぼくは懲罰を受けると申し出た。
メイさんはぼくを野菜貯蔵庫に連れて行き、何かの作業をさせることもなく、静かに言った。
ぼくに必要なのは懲罰ではなく常識を知ることだと。
そこでぼくはオーレンハイム卿の息子に、人との適切な距離感を学べと言われたが、よくわからなかったことを正直に告白した。
メイさんはラウンドール公爵に思うところはないし、上位貴族の間では一般的なことかもしれないが、と前置きしてから、普通は気になる相手に調査員をつけて四六時中監視するものではない、と教えてくれた。
ぼくにはいつも調査員がついているから、そういうものだと思っていた。
そして、信頼をすることの大切さを諭してくれた。
カイルは普通の七才児よりすっと強くて賢いから、ちょっとやそっとのことでどうにかならないし、ご両親も万全な対策をしているから、いちいち監視しなくても大丈夫だ。
会えない時間に、何してるのかな?元気にしているのかな?と考える時間もいいものだと言った。
会えない時間が長いのは嫌だが、会えない時間に想像してそれを芸術の極致まで高めた人もいる。
「そうですね。信頼することは大切ですね」
メイさんは小首を傾げた後、信頼関係とはまず相手に、自分が信頼される人間なならなくてはいけないと念を押した。
カイルに信頼される人間になる……。
言葉の響きはとてもいい。
「はい、まだまだ至らないとは思いますが、カイルの信頼を勝ち取るべく努力します!」
ぼくがハッキリと宣言したのに、メイさんは顔をしかめて反対側に小首を傾げた。
夕食の鱈鍋は最高だった。
カイルと同じ鍋から取り分けて食べるのだ。
「白子は濃厚で美味しいから少し食べてみるかい?」
好みの分かれる食材だから、と自分の小鉢に取り分けたものを小さくして味見をさせてくれた。
白くてトロンとした食感で、味は濃厚なのにしつこくなく、さっぱりとしている。
「これは美味しいね。何のお魚だい?」
「「これは鱈のせ……」男の子の鱈よ」
メイさんがカイルの言葉に重ねて説明した。
ぼくは聞かなくていいことはあえて追及しない方針だ。
「男の子の何を食べたの?」
アレックスは空気を読まない。
「美味しければいいじゃないか。どうせイカの時のように、後から海魔獣が、とかいうんでしょう」
ボリスに淡々とあしらわれているのだが、釣りに行けない理由が大型の海魔獣の出現と聞いて笑えなくなった。
クラーケンの出現の可能性に飛竜騎士師団派遣の要請。
これは父上の調査員でも対応できない事態になったようだ。
今、そこに、災害級の危機が迫っているというのに、宿に戻ったぼくたちは『ぼくがかんがえるさいきょうのクラーケン』を描きっこして遊んでいる。
緊迫感のなさに呆れるというより、ただ単にどうしようもないのだ。
みんな子どもなんだから。
この宿では全員に個室があたっているのに、こうしてカイルの部屋に押し掛けているのは、みんな不安を和らげたいのだ。
大人たちはそうはいかないようで、ハルトおじさんがカイルにカメラでクラーケンを撮影するよう依頼してきた。
カイルは出来ることと、出来ないことを仕分けしたうえで出来る可能性があることを議題にあげていく。
出来っこないを実現する、その現場に立ち会っているのだ。
カイルは無茶をしないでちゃんと寝ることを約束してぼくたちを部屋から追い出した。
早朝から速達の鳩が七羽、大きな魔術具を運んできた。
カイルは寝間着のまま、みぃちゃんと狂喜の舞と称して、小躍りをした。
後ほどその魔術具の働きを見た時に、ぼくがその場で踊りたくなるほど喜ぶことになるとは、この時は思わなかった。
カイルは朝食もそこそこに、メイさんの家の工房に籠って飛行の魔術具の試作品を作りに行った。
ぼくたちはメイさんと一緒に、万が一避難することになったらどうすべきかを語り合った。
海魔獣が上陸することは考えられないが、結界が機能しているのに高波が襲ってくるという事は、結界が破れた時にどんなことが起こり得るのかを議論した。
魔力の衝撃波が直接襲ってくるのか。
津波級の高波が発生するのか。
地図上では見えてこない一番低い土地はどこか。
マークとビンスは市内の危険箇所の測量に出かけた。
ボリスはメイさんに、七大神以外の神々の祠がどこにあるか聞いて地図に落とし込んでいった。
子どもにだって出来ることがこんなにあるのに、ぼくはアレックス同様、何をしたらいいのかさっぱりわからなかった。
「注意喚起を促すにはどうしたらいいのだろう?」
ボリスは自分が疑問に思ったことをどんどん口に出し、ぼくたちに案を出すことを促した。
ぼうっとしている場合じゃない。
みぃちゃんだって工房でカイルの助手をしている。
例えぼくたちの出した案が無駄になったって、評価の失点になるわけじゃない。
というか、評価ってなんだ。
誰に認められなくてはいけないのだ。
今考えるべきことは、ひとりでも多く生きのこることだ。
メイさんは美味しいものを食べなければ名案も浮かばない、と言っていつものラーメンに、エビ頭から出汁をとりはじめた。
匂いにつられるようにカイルが工房から出てきた。
飛行の魔術具が簡単にできるわけがないから、午後もカイルは工房にこもりきりになるのかと思っていたら、ほぼ出来上がったとのことだった。
みぃちゃんで試験飛行をするんだ、と言いながらうっとりした顔でエビラーメンのスープを堪能している。
うん。
まずはラーメンだ。
海の神の祠で安全祈願の魔力奉納をして、馬車から新型の魔術具を下ろすと、それはどう見てもただの絨毯だった。
水黽のような魔術具を絨毯の四隅に配置して、浮力を魔法陣で増幅させる仕組みだと言っているが、ぼくには理解が追い付かない。
スライムに貴重なカメラを任せるなんて、と憤ったら、カイルはスライムを真上に投げた。
スライムは体をさかさまにした袋のように変形させてふわりと降りてきた。
スライムはぼくより優秀だった。
魔法の絨毯は問題なく浮かび上がり、撮影ポイントを探してどんどん上昇していった。
みぃちゃんとスライムは見えなくなり、四角い絨毯が小さく見えるだけになった。
ボリスとアレックスは跳びはねて喜びながら、シロの横で万が一に備えて足に身体強化をかけている。
マークとビンスは飛行高度の計算方法を議論している。
カイルは上空の絨毯を見つめているが、ハルトおじさんと口元を隠しながら話し込んでいる。
ぼくはこの場で何をすべきなのか……。
ぼくは、自分は何事もそつなくこなす事が出来ると思っていたが、特出した才能がない事に気がついた。
絨毯がゆっくり降下し始めると、試験飛行の成功にみんなが喜んでみぃちゃんとスライムを出迎えた。
スライムは見事、クラーケンの撮影に成功した。
望遠の倍率から大きさを計算するのはマークとビンスに任せて、ぼくはぼくにできることを考え始めた。
カイルは海の結界が高波を防ぎきれていないことから、結界が突破された時の危険予測をしている。
避難勧告だ。
ハルトおじさんが領主に圧力をかけて住民の避難を促すのなら、ぼくは町中で住民を避難経路に誘導しよう。
海抜の低い道を使用しないように、呼びかけることならできる。
飛竜の大きな影がぼくたちにかかって、イシマールさんがカッコよく登場した。
カイルは元飛竜騎士に任せておけば大丈夫だ。
ぼくはボリスと共に馬車に乗り込みメイさんの家に急いだ。
商業ギルドや漁業ギルドに声をかけてもらうためだ。
なしのつぶて。
のれんにうでおし。
ぬかにくぎ。
メイさんが謎の呪文をブツブツ言いながら、各種ギルド長に手紙を書いて鳩を飛ばすが、返答がないことに苛立っている。
ぼくは避難する従業員に、家族やご近所さんに声掛けして避難する人を増やすようにお願いした。
メイさんとボリスと手分けして海抜の低い地域で声掛けをしていると、カイルの鳩がぼくの作ったみぃちゃんを咥えて飛んできた。
住民たちに神々の祠に魔力を奉納して結界を強化するように促してくれ、町中に蝶の魔術具が散らばったらそれは結界を強化するものだから触らないように、と書いてあった。
「海の結界がもたないって、本当かい?」
ぼくがボリスやメイさんにも知らせに行こうとしたら、住民の一人に声をかけられた。
「結界はクラーケンを防いでいますが、高波は防ぎきれません。これは海の結界が疲弊している証拠です。いつ突破されるかわからないけれど、突破された時の衝撃は港の結界で防げるのかわからないのが現状です」
「いつ起こるかわからないことで、仕事を放り出して逃げれない!」
「こっちは生活が懸かっているんだよ。お坊ちゃん!」
ヤジがだんだんきつくなると、とりまきに紛れている調査員が下がらせようかと合図してきた。
「神々の祠に魔力を奉納してください。結界を強化しましょう!」
ぼくは調査員を無視して祠に魔力奉納をすることを優先した。
「家族を守るために、魔力を奉納してください!足の遅い人だけでも先に避難をさせてあげてください!」
話を聞かない人などどうでもいい。できるだけたくさんの祠を回って、住民に声をかけて行こう。
「兄ちゃん!あんたがここに来た理由はわかっている。この地区は土地が低いから真っ先に浸水するからだね!避難しない奴らはあたしが祠に引きずり込んで魔力奉納をさせてやるよ!あんたは別の祠を回っておくれ!!」
「あっちに小さいけれど商売の神様の祠がある。案内してやるよ」
話の分かる住民もいる。
ぼくはぼくのできることをやる。
風魔法で声を拡散させながら魔力奉納を呼び掛けた。
なしのつぶて。
のれんにうでおし。
意味は分からないのに、胸に重く響く。
…僕は諦めない。
カイルならやれると信じている。
次の祠を回ろうとした時に、護衛の冒険者が叫んだ。
よそから来た少年がこの町のために魔力を奉納して回っているのに、もっと大人がちゃんとやれ!と声を嗄らして説得を始めた。
思いのたけを叫びきった時には、祠の前に行列ができていた。
もうぼくは一人じゃない。
住民たちも積極的に声を掛け合って、避難しながら魔力を奉納していく人も現れた。
馬を借りられた事で町中を回れるようになり、メイさんとボリスにも蝶の魔術具の話ができた。
カイルは螺鈿の加工で素材を交換していたみんなに連絡を入れていた。
町中の祠に長蛇の列ができるころ、蝶の魔術具が街中に散らばった。
「この蝶は結界を補助する魔術具です。触らないでください」
ぼくが声を拡散させた時には、もう触ってしまった人がいたようで、痛そうに掌を振っていた。
下から順に蝶が輝きだして上空高い蝶は見えなかったけど微かに煌めいていた。
その美しい光景に歓声が上がると、ぼくはさらに声を拡散させた。
「この蝶の魔術具で結界を強化しています。クラーケンに負けないように魔力奉納をお願いします!」
これからが本当の勝負だ。
ぼくはもう一周、祠巡りを再開した。
フラフラになりながら魔力奉納を終えて祠を出ると、回復薬を差し出された。
マズくもウマくもないそれは、カイルの薬より効き目はなかった。
それでもないよりましなので、行く先々で魔力奉納とセットで回復薬を飲んだ。
「どうしてそこまでやるんだい?」
どうしてって?
見知らぬ住民にぼくは空を指さした。
「この空の上でぼくの親友が結界を補助している。結界が破られたら彼が真っ先にクラーケンの餌になるんだよ。みんなはその間に避難すればいい」
その前に高波にのまれてしまうけどね。
「空を飛んでいるのか!」
上空の小さな四角いものに人が乗っていることに気がついて人々が驚いた。
「クラーケンはね海の神の祠の広場より大きいんだよ。この町のためにそこまでして頑張る彼を見捨てたくないんだ」
ぼくはそう言って次の祠に移動した。
煌めいていた蝶が上空に集まりだした時、ぼくは叫んだ。
「勝ったぞー。カイルが勝ったぁぁぁぁぁ………」
魔力枯渇で座り込んだぼくにメイさんがカイルの回復薬を差し出した。
海の神の祠の広場に戻った後の混乱はハルトおじさんの演説で誤魔化して、ぼくたちは魔法の絨毯で宿に戻った。
絨毯の上では風を受けることもなくとても快適だった。
宿で情報の擦り合わせをしたら、カイルはやっぱり無茶をしていた。
クラーケンを外洋に導いたのは、カイルの親戚の緑の一族の族長だった。
カイルの国家機密級の秘密はこの一族についてだった。
………精霊魔法。
土地の魔力を使うという事は、魔力枯渇の心配がないのか!
無敵の魔法だな。
精霊なんて本当に存在しているかわからなかったのに、精霊の僕が存在しているのだから、精霊さえ捕まえれば無敵になれると信じる人はいるだろう。
自分で精霊を見つけられないのならば、緑の一族を利用して……。
カイルの未来が心配でならない。
帝国の不毛地帯はどうして起こったのだろう?
カイルの部屋に集まったら、アレックスがめそめそしていた。
ぼくも素材採取の実習で感じた、何もできなかったという虚無感だろう。
ぼくだって、叫ぶくらいしかできなかった。
蝶の魔術具を支えたのは市民の魔力奉納のおかげだ。
ぼくの魔力は微々たるものだ。
カイルはあの壮大な蝶の魔術具は家族の協力の賜物だと言った。
頑張るのは一人じゃなくていいんだ。
貴族の派閥や帝国の事情を推測しても、わからないことは地道に調べていくしかない。
兄たちに帝国の様子を聞き出そう。
翌朝、港町の領主からぼくたちに領主館への招待状が届いたが、無視して釣りに出かけた。
魚釣り自体はじめてなのに、漁師がいい漁場を教えてくれたからぼくでもたくさん釣れた。
浜ではメイさんが珍しい料理を振舞ってくれた。
みんなで口を真っ黒にさせてイカ墨パスタを食べた。
クラーケンの赤ちゃんかもしれないと誰も想像していないから黙っていた。
知らなくていいことは深追いしてはいけない。
帰りは魔法の絨毯で快適にビュンと飛んでいたが、オーレンハイム卿の子息の館に奉納し忘れた祠があるからと言って立ち寄った。
裏庭の奥に秘密のバラ園のような場所があり、明らかにオーレンハイム卿夫婦の趣味に左右でわかれていた。
穀倉地帯の真ん中らしく大地の神の祠だった。
みんなで順番に奉納をしていると、オーレンハイム卿の息子に声をかけられた。
「適切な距離感を守りましょうね」
ぼくはまだ適切な距離感を学習中なのだが、涼しい顔で、はい、と言った。
奉納を終えたカイルが、祠の入り口にある人形に気がついてオーレンハイム卿の息子に質問した。
「どうしてここにぼくの祖母の若いころの人形があるのですか?」
はっ!
オーレンハイム卿の憧れの女性はカイルの祖母なのか!
……ほっ、本当の同志だったのか!!
「私の父がジェニエさんの大ファンで姿絵や彫刻まで自作しております」
「「「「「!!!!!」」」」」
「………気持ち悪い」
カイルがボソッと言った。
やっぱりダメなのか!
ぼくは王都に戻ったらオーレンハイム卿に絵画の手ほどきを申し込もうと思っていたのに……。
「申し訳ありません。家族にも止めるすべはないのです」
「わかりました。一度オーレンハイム卿ご本人にお話を伺います」
カイルはキッパリと言い切った。
ハルトおじさんがしたり顔でぼくを見た。
勝手にカイルの人形を作れる能力がないことを知っているからだろう。




