夢枕
子どもにできる話はここまでだという事でその場はお開きになった。
みんなはそのまま自室に帰ることなく当たり前のようにぼくの部屋に集まった。
「世界は広いな」
アレックスが呟いた。
「ぼくは王都を出たことがなかった。海を見たのだって、はじめてで、海水がしょっぱい事さえ知らなかった。知らなくたって暮らしていけるからいいんだと思っていた」
「知ることが大切だってわかったんだから、これからもっと学べばいいよ」
ボリスがアレックスの肩を叩いた。
「ぼくは市民の力があんなに大切なんだなんて今日初めて知ったよ」
ウィルの表情にはいつもの皮肉な笑みがなかった。
「ぼくは想像を超える魔獣がいることに驚いた。何でも調べて知っているつもりでいた」
マークが肩を落として言った。
「高度計算機の速さに負けた」
ビンスもガッカリしている。
「みんな頑張ったよ。ぼくの説明が不足していたのに、よくあんなにたくさんの人たちを説得できたと思うよ。ありがとう」
アレックスが泣き出した。
「もっと、もっと、頑張るよ。こんな声をかけるしかできない自分じゃダメなんだ」
「「「「「うん。アレックスはもっと頑張っていいよ」」」」」
「なんでそんなに息ぴったり合わせて言うのさ!」
ぼくたちは全員で笑い出した。
「……それにしても、立体的な結界は目に見えるとカッコ良かったね」
ウィルがしみじみと言った。
「あれが、不死鳥の貴公子誕生の正体なんだろ」
アレックスが聞いてきた。
蝶の魔術具は使ってしまったのだから、このくらいならバレたとしても問題ないだろう。
「ご誕生のお祝いに三百匹の蝶で演出をしたんだ。上空での演出だったから誰も正体を知らないから、辺境伯寮生の証言は間違いじゃないよ」
「「「うん。何かの魔術具だとしか知らなかったよ」」」
開発中の魔術具を他領の人間に話さないのは常識だ。
「今日の蝶は三百匹ではきかないだろう。どれだけあったんだい?」
「千は優に超えていたと思うけど、数えていないよ。クラーケンの一報を速達で家族に知らせたら、結界を補強するために徹夜で作ってくれたんだ。うちの家族は最高だよ」
「「「「「それは認める!」」」」」
「あれはお父上が制作したのかい?」
「基本設計は父さんだけど量を考えたら大人たち総出で取り組んだはずだよ」
たぶんスライムたちも手伝ったはずだ。
「これで王都から南側は辺境伯領主に頭が上がらないな」
ウィルは冷静に分析した。
「三大公爵家は瓦解した。派閥に忠誠を誓えば謝罪が出来ず、悪臭のせいで公の場に出られない。息子に爵位を譲っても臭わなければ派閥を裏切っていることになるから、もう派閥として成立できない状態なんだ」
ぼくは貴族の派閥に興味がなかったから疎かったが、上位貴族には命を懸けたやり取りになることもあるので、ウィルは詳しかった。
三大公爵家に近い領の領主は通行税や、凶作や災害時の支援まで三大公爵家のどこかに依存しなければいけない体制になっていた。
各領主たちは生きのこったラウンドール公爵家に嫌がらせをした過去が少なからずある為、王家に庇護を求めるか、辺境伯領主を頼るかで右往左往しているらしい。
今回のクラーケンを阻止したことで、海運の物流を担っていた港町が救われたことで穀倉地帯も恩恵を受けたのだ。
「帝国はずいぶんと王国から小麦を輸入しているんだね」
マークとビンスも知らなかったようだ。
「留学したら内情を調べてみるよ」
「頼もしいけど、危険のないようにね」
知ってはいけないことを知ってしまったら、いつの間にか事故死していたなんてことになったら、とんでもない。
「鳩の郵便屋さんが国境を越えられたらいいのにね」
「空飛ぶ魔術具が国境を越えたらすぐに撃墜されるって父さんが言ってた」
「やけに詳しいじゃないか」
アレックスがボリスに噛みつく。
「ぼくの兄が帝国に留学しているので手紙が三月から半年もかかって届くから父さんに聞いたことがあるんだよ」
マークとビンスならボリスの兄のような女性の描写以外の炙り出しの手紙を書いてくれそうだ。
「みんな情報を集めているんだね」
「留学しそうなことは幼少期から意識していたから人に聞くぐらいのことはするよ」
「みんな留学するのならぼくも留学したいな」
「アレックスは合格できるように頑張ろうね」
「うん。頑張るよ」
ここからは明日こそ釣りがしたいね、と軽い話題に移っていった。
その晩ぼくは泥のように眠りに落ちた。
そして、明け方に夢を見た。
荒涼とした大地から精霊たちが逃げ出していく。
わずかにいる生物は-237℃から100℃の温度でも生きられるという乾眠中のクマムシのような極小の生物なのだが、それが生まれたての精霊素を吸収してしまう。
まさしく不毛の大地だ。
“……タスケテ……”
そこはどこだい?
“……カミガミニミステラレタ…”
神々に見捨てられた土地なのかい?
“……タスケテ…ナニモイナクナッテシマウ…”
精霊素が尽きてしまうのかな。
どうすればいいのかな?
“……カミニイノリヲ…マリョクヲ……”
どの神様に魔力を奉納すればいいのだい?
“……ダイチノカミ…”
わかったよ。
大地の神様の祠だね。
“……ハヤクタスケテ……”
精霊たちがせっかちなのはいつものことだけど、この子は本当に切羽詰まっているようだ。
不毛な大地を回復させるほどの魔力は奉納できないから少しで勘弁してね。
そう念じた時には目が覚めていた。
ちゃんと最後まで話を聞いてくれたのかな。
ぼくの周りで起こる様々なトラブルに帝国の影がちらついている。
夢枕に立った精霊は帝国の精霊だろう。
帝国に思うところはあっても精霊たちには関係ない。
何とかしてあげたいな。
“……ご主人様。あの精霊は帝国内の精霊です。不毛な大地から、ご主人様が光る苔の洞窟と呼んでいる洞窟に避難しています。ご主人様の評判を聞きつけて依頼してきたようです”
精霊界でどんな噂になっているんだ!
“……ご主人様は特筆すべき人物であり観賞に値するとのことです”
動物園のパンダなのか…。
光る苔の洞窟に居るのならば、あの精霊は大丈夫だ。
それでもせっかちな精霊のことだからなるべく早い方がいいだろう。
大地の神の祠って、どこにあるんだろう。
“……ご主人様。近くまでなら行ったことがありますよ”
祠の近くに行ったのに魔力奉納をしないなんてことがあったかな?
“……ご主人様。オーレンハイム卿の御子息の領地にございました"
あそこでは発酵の神様と豊穣の神様にしか祈らなかった。
そうだ。
二毛作の検証なら大地の神様を外したら駄目じゃないか。
帰りに立ち寄るにしても、せっかちな精霊がそれまで待ってくれるだろうか?
“……ご主人様。現在祠の周囲には人の気配はありません。さっさと済ませてしまいましょう”
今から?
誰かが部屋に入って来たらどうするのさ。
“……ご主人様。お部屋の鍵はかかっております。いつものように猫に留守番をさせましょう”
そういえばシロが一番せっかちだった。
ぼくはサッサと着替えて、亜空間を経由してオーレンハイム卿の息子の領地に行った。
シロによると祠は領主館の庭園にあるというのだが散歩した時に素通りしたようだ。
“……ご主人様。庭師は現在遠くに居ます。走ってください”
シロに言われるがまま気配を消す魔力ボディースーツをイメージして庭の奥へと走っていった。
まだつぼみさえない薔薇のアーチをくぐり抜けると、綺麗に手入れされているのに違和感のある広いスペースにでた。
左右で趣が違うのだ。
片方は白いイスとテーブルがお茶会でも出来そうな猫足の乙女チックなものなのに、反対側は大木を輪切りにして磨き上げた天板のテーブルと丸太をくり抜いて作った重そうな椅子なのだ。
領主夫婦の趣味を左右で分けたのかな?
そんなことはどうでもいい。部屋でみぃちゃんが留守番しているのだ。
サッサと奉納を済ませてしまおう。
大地の神の祠では300ポイントも一気に奉納させられた。
一度の奉納量としては最高ポイントだ。
帝国に魔力を奉納するのは癪だけど不毛の土地はあってはならない。
どうせ焼け石に水程度のものだ。
気にすることはない。
祠の外に出た時に入るときには気がつかなかったものを見つけた。
手のひらサイズのお婆というか、若返ったお婆ことジュンナのフィギュアが祠の入り口にあったのだ。
オーレンハイム卿はぶれない人だ。
お婆への執着以外はまともな人なのに、残念なヘンタイだ。
目的を遂げたぼくはサッサと港町の宿に帰った。
朝食の席でそれは告げられた。
「領主館に昼食の招待があったのですか」
事後処理のすり合わせは大人がやってくれたらいいのに。
「せっかく港町に来たのに美味しくないご飯は朝食のみにしたいので、断固拒否します」
「賛成の人は手を上げて」
ぼくの発言にウィルが悪ノリした。
「「「「「「はい」」」」」」
この町最高級の宿のご飯は一言で言えば、豪勢だけど脂っこい、しょっぱい、酸っぱい、この三つの要素で成り立つ味なのだ。
旨味が欲しい…。
イカ墨パスタが食べたい。
「その意見には私も賛成だ」
ハルトおじさんが深くため息をつきながら言った。
「私たちは昨日の今日では町を歩くだけで大騒動になってしまうのだ。謁見の機会を設けなくてはいけないのだが、この宿では格式が合わないと言っておるのだ」
「「ぶーぶーぶー」」
ぼくとボリスはすかさずブーイングをした。
領主という存在が辺境伯領でも身近な存在に感じるのは二人だけだった。
「辺境伯領はこの領主に恩を売りました。ただのハルトおじさんがここに滞在しているのだから、格が足りないというよりは先方に常識が足りないよ」
ボリスが珍しくきつい事を言った。
「だからこそ格を気にしているんだよ。むこうは領主、王弟子息はただのハルトおじさん。辺境伯領お墨付きの少年は父の魔術具で窮地を打破するきっかけを作ったに過ぎない。ここの領主が王太子派になるためには、ぼくたちが謁見に行く必要があるのさ」
ウィルが現実を淡々と語る。
「召喚命令ではないのですよね」
マークがすっぽかしをにおわせる。
ぼくたちは昨晩、釣りの話で盛り上がったのだ。
「そうだ、ただの招待だ」
「「「「「「お断りしましょう」」」」」」
その後は凪いだ海での釣りの計画と海岸でのバーベキューの場所の確保を冒険者さんたちにしてもらうことを相談して、ぼくたちは帰り支度を始めた。
早々に宿を引き払い、お土産をたくさん馬車に積みこんで、ぼくたちが帰ってしまったように見せかけて一足先に王都に帰した。
ぼくたちは釣りをして美味しい昼食を食べて、魔法の絨毯で帰宅することに決めた。
海を満喫できたけど、後悔はあるよ。
港町で、本枯節を作る計画は何もできなかったのだ。
おまけ ~とある冒険者の困惑~
昨日の狂乱を乗り越えて、今日は領主館に昼食に招待されているだけだと聞いていた。
そんな穏やかな一日にならないことは、この二日でわかっていた。
規格外の王弟子息殿下。
政治になんて興味がなかったから知らなかったが、王太子殿下にお子様がお生まれにならなかった頃は、反王太子派が、対立候補の筆頭にあげていたほど次期王に近い存在のお方だった。
殿下の時流を読む力は抜群で、反王太子派に持ち上げられたら辺境伯領に雲隠れし、王太子の足元が固まってから、経済魔獣へと変貌を遂げたのだ。
これは全部、昨晩聞きかじった情報なんだ。
あの大演説の裏に王太子派の工作員が紛れ込んでいて、最後に民衆を陽動した、と解散していく人々が小声で語っていた。
王太子派の領主には、ラインハルト殿下と少年たちが全ての功績を奪取したように見えたのだろう。
クラーケンの影響の高波が港を襲った時点で、いや、貿易船が入港できなくなった時点で手を打っていたら、殿下も少年たちも活躍することはなかっただろう。
己の愚鈍さを棚に上げて、少年たちの活躍に嫉妬したって、もう功績を奪うことはできない。
民衆は真実を目の当たりにしている。
領主館の執務室から出ることもなく、館庭の航海の神の祠に魔力奉納をしに来た領主一族さえいなかったことは、祠に必死に魔力を奉納していた住民たちは知っている。
声に出して言わないだけだ。
噂とはひどいものだ、ここの領主は“臭う”らしい。
人前に出られないのは、王都で流行した体臭がきつくなる感染症に罹患したようだ。
この町の住人は、領主一族は流行り病のせいで引退し、お代官様がやってくることになると信じているものも多い。
体臭がキツイくらいで引退することはないだろうから、ただの住民の願望だろう。
殿下と少年たちは領主館への招待を断ると、空飛ぶ絨毯で釣りに出かけてしまった。
護衛は立派な飛竜を従えた元飛竜騎士だ。
漁師たちが船の上で手を振りながらいい漁場を指で示している。
楽しそうだな。
いっぱい釣れている。
俺たちは海岸に集まって来る住民たちに、感謝の言葉を伝えてくれ、と頼まれ続けた。
大店の奥様が浜にコンロを幾つも持ち込んで肉や魚を焼き始めた。
イカ墨で真っ黒な料理も作っている。
食べ物なのか?
何でもできそうに見えるご婦人なのに、料理はゲテモノが食卓に並ぶのか。
空飛ぶ絨毯が浜に戻ってくると、海岸にはさらにたくさんの人が集まってきた。
浜には天幕がいくつも張られ、屋台のようにお金を払えば野次馬と化した人々も、奥様や従業員が焼いた肉や魚の串料理を食べることが出来た。
さながら、クラーケンを撃退した後のお祭りのようになっている。
俺は少年たちがくつろげるように、押し掛けてくる人々を笑顔で押し戻す仕事をこなした。
少年たちの真ん中で猫とスライムたちがマグロを食べている。
「メイ伯母さん。このイカ墨パスタは凄く美味しいです」
口を真っ黒にした少年が絶賛すると、殿下も口を真っ黒にしながら召し上がった。
見た目はともかく、匂いは旨そうだ。
「食べてみますか?」
金髪の少年がフォークに巻き付けた真っ黒い食べ物を、俺の口の前に差し出した。
「皆さんはあっちで販売していますから、ご購入してくださいね」
金髪の少年は自分たちを取り巻いていた人々を屋台の方へ誘導する。
鼻先に突き付けられたフォークからは大蒜と香辛料のいい香りがする。
「大口をあけたら口の周りは汚れませんよ」
その一言で俺は落ちた。
口の周りにつかないように気をつけながら謎の黒いものを食べた。
大蒜、唐辛子、上質の油…そんな強烈な味の主役たちをまとめ上げる圧倒的な旨味の塊!
濃厚でいてさっぱりした味わいは、生まれて初めて食べる味なのに、ひれ伏したくなるような美味しさなのだ。
ああ。
黒髪の少年のようだ。
見た目の派手さはないのに、圧倒的な発想力と行動力で、ラインハルト殿下でさえかすむ活躍をした少年。
「ああ。クラーケンの足一本でももらっておけば、ここにいる全員でなら食べきれたかもしれないね」
クラーケンを食べようとする発想をする人は間違いなく誰もいないだろう。
「大きいだけで、大味かもね」
「ぼくはこっちの一夜干しがいいな」
他の少年はさり気なく食べたくないと主張している。
「私は一口食べてみたいね。だがもうクラーケンの襲来は勘弁してほしいな」
殿下は味の冒険者なのか。
「後片付けは本当にいいのですか?」
「あなたたちが居る限り、ここの人たちは帰らないわ。ここは夜までお祭り騒ぎでしょうから、絨毯でサッと帰れば大丈夫よ」
「「「「「「ありがとうございます」」」」」」
「また、遊びに来てね。今度こそ本枯れ節に挑戦しましょう」
「発酵の神様に祈っておきます」
まだ何か作りたかったのか。
少年たちと殿下は魔法の絨毯に乗ると飛竜を引き連れて飛び去ってしまった。
浜でお祭り状態の人々が、ありがとう、と手を振った。
まて、俺の仕事はどうなるんだ!
殿下の護衛はとっくに居なくなっていた。
「追いかけるぞ!」
仲間の冒険者にせっつかれて浜を後にしようとしたら、大店の奥様がお弁当を人数分持たせてくれた。
ありがたい……。
…こういう予定だったなら先に知らせておいてくれよ!
「お前、勤務中につまみ食いしたな!」
何故バレた。
俺は口の周りを手で拭ったが、イカ墨はついていなかった。
「ハハハハハ。歯だよ」
「殿下も少年たちもイカ墨を食べたらすぐに洗浄の魔法を口腔内にかけていたんだ」
「あれは魔力に余裕のある人の食べ物だな」
俺たちは王都へ向かう馬上で声を張り上げて、こんなくだらない話をしていた。
少年たちに追いつかなければ報酬が減額される、なんてことにならなければいいな。




