其の者の運命
ラストリゾートを手にしたレオンの前にラインハルトが現れる。驚異的な回復力と実力の差を見せつける夜の神。だが無傷ではない。レオンは七神剣の能力を思いつく限り活用し、瀕死に追いやられダークラーに転じたアザレイと力を合わせて、ラインハルトを地に叩きつけた!
大樹までビリビリと振動するけたたましい音を立ててラインハルトが地に叩きつけられた。
爆発する様に一瞬にして挽肉になり。そのまま炎に焼かれていく。
レオンは樹上から確かにそれを見届けた。復活の気配も無い。
「た、斃せた…!」
ダークラーが翔んで地上付近まで下降し、その様子を確認する。
『魔力が拡散していく。間違いない。こいつは死んだ』
「ああ、一回死んじゃったよ。勿体無いな」
レオンの頭上で声がする。見上げると、そこには、
無傷のラインハルトの姿が。
そこからレオンは急にスローモーションの様に時の流れが淀むのを感じた。
自分も咄嗟に動けない。
ラインハルトの魔力が此方へ届いてしまう。
あれを。
殺さ、なければ。
殺されて、しまう。
『させません!』
レオンの胸から何かが飛び出す。
それはラインハルトの魔力の直撃を受け止めた。
トカゲだ。
(あ、コトノ…主、様)
身を捻ったレオンの体がコトノ主から離れていく。
何とかラインハルトの魔力線を殺す。
しかし同時に、コトノ主は耐えきれず、蒸発した。
コトノ主が消えて残った〈無〉の座標から、次の瞬間、水が迸った。
大樹の枝が折れるほどの圧倒的な水量。
レオンとアザレイは飛び上がって宙へ避けた。仲間達を確認すると、玉犬達が鳥になって救い出し、それを二人のサレイが結界で守ってくれていた。
「何だこれは…おいおい!面白いじゃないか、ヌィワ!」
ラインハルトが上機嫌でその様子を眺める。
大樹の枝を何本もへし折りつつ、水の勢いは全く弱まる気配を見せない。
まるでコトノ主が蒸発した地点が海の底と繋がったかの様に、滔々と。
地上に水流が到達する。
イグラスの森を薙ぎ倒し、四方八方へ大洪水を引き起こし。
それはまるで、水が意思を持って海に還ろうとするかの様に。
世界が、濁流で覆われていく。
人も、生き物も、森も、他の世界も。
全て等しく水に飲み込まれていく。
「駄目だ…それじゃ森が水に変わっただけだ!コトノ主様やめてくれ!」
レオンの声は虚しく水流に吸い込まれてかき消された。
結界が張られている他の世界は、結界ごと。
突き出た他の次元ごと、水に埋もれていく。
否、水が他の次元の破片を押し潰していた。
「皆の帰る場所が、無くなっていく…」
セルシアがぽつりと呟いた。複雑に交差していた次元が、水によって平らかになっていく。
それは、彼等が帰るべき故郷との、完全な分離を意味していた。
一人、その光景に手を叩いて喜んだのはラインハルトだった。
「素晴らしい!ヌィワにここまでの力があったとはね!最初からこうすれば良かった、森なんかちんたら育てるよりこっちの方が手っ取り早かったな!
嗚呼、凄いな、凄く綺麗さっぱり何も無くなった。うつくしい、最高だ!
ふふふ、人を愛したヌィワ、君の最期がこの災害を引き起こすなんて!何と報われない、可哀想なヌィワ!!嗚呼…悦い……とても悦い……」
水は止まらない。最早その地点は水が溢れる現象として、空間に固定されてしまった様だった。
レオン達が無事な大樹の枝に降りる。ラインハルトはもうレオンには何の興味も無くなったらしく、ずっと満面の笑みを浮かべて眼下の大海を眺めている。綺麗な海にはしゃぐ子供の様だ。
「ごめん……皆。俺のせいで……」
レオンが震えながら両膝をつく。頭を下げても無意味と知りながら。
サンリアがレオンに駆け寄り、彼の肩を抱く。
「レオンのせいじゃない。レオンが悪いんじゃないわ…!」
「レオン君は成すべきことはやったんです。ただ巡り合わせが悪かった。それだけのことですよ…」
セルシアがレオンに、そして自分に言い聞かせる様に言葉を選ぶ。
「最期にリオンさんのこと守れて、主様は幸せだったと思います…。誰もこうなるなんて予測出来なかったんです。主様でさえご存知無かったのでしょう、ご自身が破壊されるとどうなるか…なんて……だからあんな無茶を……。だから、リオンさんはどうか、ご自分を責めないで下さい」
フィーネが泣きながらレオンの手を取る。
「…消えちまったなぁ。まさかトニトルスの雲まで沈められるとは思ってなかった…。でも次元の壁ごと押し沈められちゃ、仕方ないよなー」
「私の世界の皆は、最期に大量の水が押し寄せてきて吃驚しただろうな…。全員が死に絶える前に、この次元との干渉から押し出されてれば良いなぁ…」
クリスとインカーが手を取り合いながら、どこまでも広がる無慈悲な海を見ていた。
アザレイが地上付近から飛翔して帰ってきた。
『イグラスの、大樹の幹にいた者達は、ある程度無事な様だ。王宮は残念ながら大樹の枝に当たって破壊されていたが…シオン達は生きている』
シオン。忘れていた。レオンの顔が更に歪む。あれ程心待ちにしていた自分の子供。もう、会えないと分かったら。それがこの戦いのせいだと、彼が知ったら。シオンに何と言えばいいのか。
(……いっそ、…シオンも死んでいてくれた方が、良かっ……)
レオンの心にふっと姑息な考えが浮かび、彼は自己嫌悪で青ざめ震えた。
悪夢の様だった。
直前まで、全てが上手くいったと思っていた。
何故今、こんな状況になっているのか。
夢ならば醒めてほしい。
彼の心は圧し潰される寸前だった。
「代替わりが、行われたと聞いて来たんだが。」
聞き慣れない男の声がして、一同は声の主を探した。
「大いなる者。ようこそお越しくださいました」
サレイが静かに跪く。その先には、中肉中背、控え目に言っても凡庸な、風采の上がらない男が立っていた。記憶に強く印象付けられない様に意図してその風貌を選んでいるのかもしれないな、とセルシアは推測した。
「うん。短命種の子供がラインハルトを斃せたのは意外だったけど、実際見てみるとまあそりゃここまで盛ればそうだよねって感じだね。で、斃したのになんで凹んでるの、この子は」
「自分が引き起こしたことの重大さを受け止めかねている様です」
『母上!?』
サレイの心無い発言に、アザレイが思わず叫ぶ。大いなる者は頷いた。
「なるほどねー。ねえ君、それならさっさと代替わりすれば良いよ。そしたら、皆君がやったこと、君が存在したことすら忘れるんだから。元々、短命種が代替わりを担う時には世界の根底に関わるような記憶は改竄されるものなんだ。代替わりすれば、君は長命種として存在を作り変えられて、誰も君のことを恨んだり罵ったりしなくなる。どうする?」
「やります」
レオンは即答した。
「待って!!私達もレオンのこと忘れちゃうの!?」
「ごめん…サンリア。俺、無理だ。ちょっと今はもう、お前らの顔も見られない。一人にさせてくれ」
「馬鹿!馬鹿レオン!!そんなの許さないわ!レオンが凹むのなんて、正直今までも何度もあったじゃない!何かの気の迷いに違いないんだから!
ねえ、この残った大樹の上で、私達と一緒に生きようよ!代替わりなんてしなくて良い、ラインハルトが引き続き神様やっててもいいから!貴方と一緒にいさせてよ!!」
サンリアに腕を掴まれ揺さぶられても、レオンは顔を上げなかった。
「…意志は固いようだね。分かった、それじゃ、君を次の管理者として任命しよう」
大いなる者がレオンに手を翳す。レオンは終の剣を握り締める。
次の瞬間、レオンは皆の視界からも、皆の心からも、姿を消した。