まるで神の様な
ついに剣の仲間達は樹上都市イグラスに到達した。サレイ邸に到着したレオン達を出迎えたのは、懐かしき義母サレイと、レオンの死んだと思っていた妹カレンの元気な姿だった。
カレンとインカーが外に出たのを見届け、サレイはレオンを東の応接間に案内した。サンリアも付いていく。フィーネは途中で、セルシアの様子を見てくると言って踵を返した。
「サレイ母さん…久しぶり」
「ええ。もう九年になるわね」
「…そうだな。…サレイ母さんに聞きたいことが一杯あったんだ」
レオンの次の言葉を、サレイは黙ってじっと待っていた。
「…俺は、俺と父さんは、サレイ母さんに本当に愛されていたのか?」
「…愛していたわ。心から。出来ることなら、老いて朽ちるまで、ずっと一緒に居たかった」
「……じゃあ、どうして殺したんだ。どうして捨てたんだよ。他に方法は無かったのか?何で……何も教えてくれなかったんだ……」
レオンは両手を血が滲むほど握り締めた。母を責めるつもりは無かったのに、口から出てくるのは怨嗟の問い。
「…カオンには、話したわ」
「へっ?」
「カオンには相談したの。私達が長として、家族として、どうしていくべきなのか。彼は一緒に逃げようと言ってくれた。使命なんかどうでも良いと。大事な家族と、愛する人と一緒に、この次元を捨てて他の次元に移ろうと、言ってくれた……。大勢人が死ぬかもしれない、かつての仲間も許さないだろう、それでも私と共に生きたいと、言ってくれた」
サレイは目を伏せた。折角の愛の言葉なのに、サンリアには彼女がちっとも嬉しそうには見えなかった。
「サレイ…貴女はそれを、受け入れられなかったのね」
「そう。私にはイグラスにアザレイが居た。使命もあった。自分の中に、かつて託された譲れない願いもあった。カオンには謝っても謝り切れなかった。でも彼は笑って頷いたの。それなら、君の予定通りにするといいよ、って…笑って…死んでいった、私の、腕の中で、彼は自分で命を断ったの……」
父は自殺したのか。信じられない。自分の息子を、俺を遺したまま?
しかし、母のことは信じたい。この悲しむ姿さえ演技だとは思いたくない。敵かもしれないと不安だったのが、目的は同じだと知って心底安堵したのだ。その不安をまた繰り返したくない。
「何故命を断つ必要まであったのか…貴方は今、そう思って信じられずにいるわね、レオン。それ程カオンには受け入れ難い未来だったのよ。
……今の貴方はちょうど、あの人に生き写し。カオンではないわ。カオンでは駄目だった。貴方は主神様…ラインハルト様の大切な方の、生まれ変わりなの。
貴方が、代替わりして新しい神に成るのよ」
一方、西の応接間では。
「うん、麻酔は効いているね。それじゃあ切るよ」
クリス、いやリノモジュールが、安楽椅子に凭れて首をアザレイに上向きで固定されたセルシアに声を掛けた。セルシアは応えるように椅子の肘置きをぎゅっと握る。視界にリノが持つ鋭いメスが見えたかと思うと、ぷちゅと音がして目の前が真っ赤になった。セルシアの手に力が入る。フィーネはウルスラをしっかり抱きしめたまま、少しだけ身震いした。
「力抜いて大丈夫だよ。あまり力入れると流れる血が増えちゃうからね」
気楽そうなリノの声。そうは言われても怖いものは怖い。メスは容赦なく眼球を切り取り、ぐうっとセルシアの視界の中央が暗くなり、こぽっと音がして右目の眼球の半分が摘出されたのを、左目が捉える。うわっ、見たくなかったな、とセルシアは思った。自分が見たくないと思うものがこの世に存在したとはね。
「よし、順調。左目もいくね」
リノのメスは淀み無く動き、間もなくセルシアは全ての視界を失った。
「はいそれじゃ、セルシアさんの方は終わり。アザレイ君、目をしっかり縛っておいて。でないと残りが転がり落ちちゃうかもしれないから」
一々怖い話をするな!セルシアは叫びたかったが、フィーネとウルスラの手前、みっともない姿は見せられない。疲れたフリをして、足腰が立つ様になったら動こう。
「次、ディゾールさん。ガンホムさん、その位置でしっかり捕まえてて」
「おう、任せとけ。潰さないギリギリの力で固定しといてやる」
「やめろ…!」
ディゾールが抗議するかの様に肘置きをバンバンと叩いた。
「はい終わり。ディゾールさんとセルシアさんは暫く僕…俺の傍から離れないで。医療モジュールがフル活動出来る様にね。完全に治るまでは目の周りの神経は麻酔が掛かったままになってるから、…全力で歌うのはお預けな、セル」
クリスの声がいつもの調子に戻る。それだけで、こんなに落ち着くとは思わなかった。セルシアは微笑んで頷いた。
「あ、あの、クリスさん」
ウルスラが遠慮がちに口を開く。
「クリスさんは、何でも治せるんですか?」
「何でも…?ああ、何でも治せるよー。心の病気以外はねー」
「それじゃあ、あの…ガンホムさんの目、治せませんか」
「へっ?」
驚いたのはガンホムだ。ガンホムには目が見えるという感覚が分からない。今更視力を取り戻して、逆に支障が出やしないだろうか。
「んー、そのバイザー取ってみて」
「お、俺ァいいよ…そこまで困ってねぇし…ディゾールの目が治ったらまた杖の役してくれるだろうし…」
チッと舌打ちする音がディゾールから聴こえた。
「……分かったよ…診てくれ、お医者さん」
ガンホムは床に座り込んでサングラスを外した。
「…はーん、なるほどね。眼球はあるんだ。じゃあ視神経の異常かな?何歳から見えてないの?」
「生まれつき…いや、物心付く前は見えてたと親父は言ってたな。でも覚えてない」
「OK、それなら治せるよ。しかもすぐ治る。やる?」
「頼んだ。」
「じゃ、君もこれ飲んで」
何か冷たい丸いものを掌に握らされる。躊躇っていると、
「問題ない。俺も飲んだ」
とアザレイが保証してくれたので、ガンホムは腹を括って飲み下した。金属の様につるつるとしていて、味はしなかった。
「…そろそろかな。ちょっとだけ指令送るから瞼に触るよ。静電気みたいなのが起こるけど吃驚しないでね」
リノモジュールがガンホムの額に手を当て、指で瞼を触った。クリスの十指にはリノが付けさせた接触端子が仕込まれている。ナノマシンに例外処理をさせる場合に便利なのだ。ボディメンテモジュールが端子に視神経異常、水晶体異常、毛様体筋薄弱を報告してくる。修復。脳内マッピング完了。予想通り視覚野の殆どが別ニューロンに置換されてしまっている。未分化ニューロン検索。十分数確保。パスを繋げる。後は入力刺激だ。
「よし、目を開けて」
「…う、わ…」
ガンホムが眩しそうに目を開ける。混乱、動揺、頭痛。報告が五月蝿いので全てリノが遮断してやる。情報の洪水がガンホムの目覚めたばかりの視覚を襲う。線。輪郭。光。色。自分の瞼。動き。人の、顔。
「わぁ…ガンホムさん、そんなに綺麗な緑の目だったんですね…!」
ウルスラがガンホムの目を覗き込む。ガンホムはその顔に向けておずおずと手を延ばす。彼には自分の掌がとても大きく、その少年がとても小さく、しかしキラキラと、輝いて見えて。
「……なるほど、これが天使か」
彼は思わず呟いた。
西の応接間で奇跡が起きていた時、東の応接間ではサンリアが激怒していた。
「レオンが神様なんかになりたい訳ないじゃない!長命種!?永遠の命!?ハァ!!?巫山戯ないで!そもそもその、前世だっていう主神サマだって、ラインハルトだって、長生きのし過ぎで死にたくなったんでしょ!何でまた同じことを繰り返すのよ!」
「今度はきっと大丈夫。貴女達も神の眷属として同じ命数を得られる様にしましょ。再び長命種が復活するの。以前には、彼は孤独だった。友だと思っていた貴女達に裏切られ、ラインハルトにも心を閉ざした。でもこうして生まれ変わって、剣の仲間として共に戦った今の貴女達ならきっと上手くゆくと思う」
「私達まで長命種になるってこと?止めてよね…」
「よく、分かんないんだけどさ。いやそりゃ、誰かがやらなきゃいけない仕事なんだったら俺でも良いと思うけど…」
「レオン!!」
「待って、落ち着けサンリア。何でそもそも、神様は長生きしないといけないんだ?今の俺のままじゃ駄目なのか?」
「主神は…管理者は、長生きしてしまうのよ。というより、死ねないの。何度死んでも、この次元がシステムとして管理者を維持しようとして蘇生してしまう。死ぬまでの記憶を持ったまま、ね」
「嫌すぎる…死ねないなんて地獄よ、そんなの。一人が七人になったって一緒。七人で孤独になってお互いに嘆き合うだけだわ」
「そうかな?俺はお前がいてくれたら永遠だって寂しくないと思うけど」
「んんっ、えっと、レオン!!?」
サンリアが急に素っ頓狂な声を出して真っ赤になったので、何だ?とレオンは驚いた。
「あら、レオンったら!今のは何?サンリアちゃんへの愛の告白?」
「えっ!?え、今のそうなる!!?」
次はレオンが顔を真っ赤にする番だった。