出立の朝
アザレイはテテに乗って剣の仲間達に合流した。彼の予想に反して暖かく迎え入れられ、経緯を説明すると、彼等は快くイグラスのサレイ邸に向かうことを承知した。出立は、翌朝だ。
翌朝。アザレイは怪訝そうにレオンに聞き返していた。
「何をするって?」
「だから、お前の記憶見せてくれって。イグラスに入るにはどうしたらいいのか皆で考えなきゃだから、景色を見たいんだって」
「見せるって、どう…」
「こう」
レオンがグラードシャインをアザレイの肩にひょいと載せると、二人の目の前にウィンドウが現れ、グラードシャインを担ぐレオンの映像が映し出された。
「な、何だこれは」
「グラードシャインが見せてる幻影だ、こういうの見れたら良いなーと思って作ってみたんだ。映ってる映像はお前が今考えてること。だからイグラスのこと思い出してくれればその映像が出る」
アザレイは驚きの余り言葉も出なかった。レオンは光の剣を戦闘に使うだけではなく、色々と便利に使いこなしているらしい。自分よりも戦闘の経験は少ないだろうが、こういう異世界技術においては、レオンの方が一日の長がある様だ。しかし。
「…お前の顔しか映らない」
「そりゃアザレイが俺のことばっか考えてるからだろ!」
レオンに思考が漏れるのは癪だなと思いつつ、駄目だこれではまたこいつしか映らないと思い直し、で、何が見たいとこいつは言ってたんだ?と思い出そうとする。レオンの顔しか映らない。何だか屈辱的だ。
「アザレイ君。イグラスへは狼がいいですか?鳥がいいですか?」
セルシアが肩を震わせながら助け舟を出す。
「…ああ、それなら断然鳥だ、空からの方が動きやすい」
パッと映像が切り替わり、イグラスの大樹と、その幹と根の上に広がる街並みの映像が出た。
「何と…樹上都市!僕が居た時は霧が深くて気付かなかったなぁ…」
「母が箱庭の魔法で結界を張っていたからだ。内からも外からもお互い見えなくなっていた」
パパッと映像が切り替わり、サレイの映像、霧の庭の映像と変わった。
「あー!お前気が散り過ぎなんだよ、ちゃんとイグラス見せろって」
(ん?今サレイ母さん二人いなかったか?)
レオンは抗議しながら、ふと引っ掛かった。黒髪の母と、金髪のサレイが居たような。いや、後にしよう。急いで出発しないといけないのだ。
「思考を安定させるのは難しいが…口で説明すれば良いのか。
イグラスはその通り、樹上都市。大樹の巨大な根の上に始まった街は、最初の王宮を幹に作ったことを切掛けに、貴族の館や重要施設が幹を遡上していく。その王宮は今は学園、現在の王宮は一番下の胴吹き枝…そう、これだ。あまり上に建てると夜の神がお怒りになるということで、これより上には軍の施設しかない。俺達が拠点にするのは学園を少し登った…この水色の、母の屋敷だ、許可は得た。ここからテテで飛び続けると四時間程。隠蔽魔法は俺が全員分掛ける。念の為だが…」
「隠蔽魔法全員分!?凄いな、アザレイは魔法使いなのか!」
「…話の腰を折るな」
また画面にレオンが出てきたのでアザレイはうんざりして彼を睨んだ。ひょいと横に移動して、グラードシャインを振り落とす。念の為、の話はもうイグラスの景色とは関係ない。この念写術を続ける必要もない。
「念の為だが、隠蔽魔法に対する看破魔法が存在するから、森を出たら七人が固まって移動せず、さっきの母の屋敷で合流する様に。目的地を見失ったり看破魔法や不測の事態で隠蔽魔法が解けたりした場合は森まで戻っておけ。後程俺が迎えに行く」
「さすがアズにゃんは軍団長なだけあって指示や説明が的確だねぇ!」
インカーが感心した様に頷く。アズにゃんだと?アザレイは怪訝そうにインカーを見遣った。
「…おっと、アズにゃんは嫌だったか?」
「いや、判別できればいい」
「じゃ、アズにゃんだ」
インカーが笑顔でそう宣言した。綺麗な女性に親しみを込めて呼ばれるのは悪くない。勿論、誰でも親しげに呼んでいい訳ではなかった。例えば。
「じゃあ俺もアズにゃんで」
「嫌だ、断る。雷のと呼ぶぞ」
「そんなに嫌!?ちなみに、ライノなら大歓迎なんだけど」
「雷の」
「ごめんて!」
ギロリと睨まれてクリスがギブアップする。
「片付け終わったわよ、行けるわ」
アザレイの話を聞きながら撤収作業をしていたサンリアが声を掛けた。それを聞いてアザレイは頷く。
「ではこれよりイグラスへ。先導する。テテ、宜しくな」
テテが鳥の姿でうおーん!と遠吠えする。一同は玉犬に乗り込んだ。
「…お前達は、怖くはないのか」
空を飛びながら、アザレイはテテに話し掛ける。騎竜の気性は様々で、戦闘に向かない個体もいる。そういう個体は蒼天が荷運び等に採用するので困りはしないが、戦闘という本来の野生では必要最低限にすべきものを無理にさせている為、ケアは大切だ。しかし、玉犬達は利口でこれから敵地に向かうと弁えている筈なのに、嬉々として翼を撃ち、速度も衰えない。炎の神の眷属だからだろうか。テテはアザレイを見て、わん!と元気良く返事をした。大丈夫だ、と聞こえる。そうかとアザレイは微笑んだ。
ならば急ごう。俺の大切な優しい忠士が、血の涙を流して待っている。
「アザレイー!聞きたいことあんだけどさ!」
レオンはアザレイのテテにロロを寄せた。アザレイは答えない。
「アザレイ!おーい!聞こえてるかー?」
「…五月蝿い、聞こえている。話してみろ」
「おう。さっきお前の記憶でサレイ母さんが金髪だったり黒髪だったりしたんだけど、あれはどういうことなんだ?」
「体が二つある」
「…ッハァ!!?」
何を、この男、何を言い出すかと思えば。
聞けばどうやら、サレイの本体は黒髪の方、金髪の方は純粋な魔力で編んだ魔法生命体の様なものらしい。発話や魔法行使も出来るそうだ。アザレイもそんな芸当が出来るのかと尋ねると、彼は首を横に振った。
「…真似をしようとはした。だが無理だった。やり方を教えてもくれなかった。今思えば、精霊の力で動かしていたのかもしれない」
「人間に真似出来るもんじゃないってことか…サレイ母さん凄いなー」
「あの人は色々と、規格外だ。生まれつきなのか、夜の神の巫女の権能なのかは不明だが…未来視さえしているのではないかと感じることもある」
それ程までに常人から逸脱した母が、愛したという自分の父。優しくて頼れる普通の父親だと思っていたが、光の長の血族であるという以外に何か特別なものでもあったのだろうか。
「…恋ってのは分かんねーなー」
「…俺はお前の頭が分からん」
アザレイに突っ込まれ、レオンはきょとんとした。
「そういやさ、アザレイの父さんはイグラスの、例の最低な奴なんだろ。何でサレイ母さんと結婚して別れたんだ?」
「……お前はどうしてそう…まあ母上に聞くよりはマシか。
母上が父上と結婚した理由は、父上から迫られたからだ。父上は高位の貴族で、母上は断れなかった。
母上が父上と離縁した理由は、俺が三歳の誕生日に爵位を与えられたからだ。長男のシオンは大魔導師の継嗣として育てろと王が指示したため、父上の跡取りにはなれなかった。そこで二人目の子である俺の時は、また魔導師にしろと言われては敵わんと、早々に貴族の嫡男として宣言し、俺は母上と引き離された。その直後、母上がシオンを連れて失踪した。…だが、母上は俺が生まれる前から、元々カオン殿の下に逃げるつもりだったらしい。もう一人生めば、自分は用済みとして貰えるだろうと…」
「なんかさ…サレイ母さんも…アザレイも…可哀想だな」
「俺は、別に。悪いことばかりではなかった。母上は…」
アザレイは言い淀んだ。母の真意は今となっては分からない。一見悲劇の中を生きている様だが、為す事全てが七神剣の為の効率的な立ち回りにも思える。俺を貴族の父の下で、将来死の剣と接触させる手札として埋伏させつつ、自身はシオンを連れてカオンと再婚し、レオンに光の剣をけしかけ、邪魔なカオンを殺してシオンに長代理をやらせる。
今回のことにしても、そうだ。直接的にはカレンがやったこととは言え、母は何故あの日ウルスラを箱庭に招き入れたのか?全て…俺の方針を揺るがせてシアノンが俺を失脚させることまで、果てはディゾールが尋問され負傷し俺が軍を離れ剣の仲間と合流しようと決めることまで、全て彼女の未来視に等しい計算の内だった可能性もある。
そういえばあの時、念話で「たった今〈視〉た」と言っていた。わざわざたった今、を強調させる必要があるか?〈視〉ていたわ、でも良かったのでは?疚しいことがあるから、計画通りであることを伏せたいから、そう言ったのではないか?
疑い出すとキリがないな、とアザレイは目を閉じた。真実がどこにあろうと、起きた結果は変わらない。ならば信じたいものを信じれば良い。
「…母上は強い人だ。どんな状況でも、子供達皆を愛し、信じてくれている。シオンもカレンも、俺も…お前もだ、レオン。母上は、自分がお前の父を殺したことをお前が乗り越えて、必ず来てくれると信じている。お前はそれでも、母上がお前に出会った運命を、可哀想だと言うのか?」
「…サレイ母さんが父さんを殺した訳は、サンリアから聞いた。正直納得はいってない。父さんへの愛が嘘じゃなかったとしても、だ。ただ…サレイ母さんはいつだって、そうやって自分で道を選んでるんだな。それは確かに、可哀想じゃない。んで俺を選んでくれた結果が、この旅なんだったら……俺はサレイ母さんに会って、ありがとうって言わなきゃだ」
そうして二人の少年は、お互い視線を交わし、微笑んだ。