挿話〜昔々あるところに、遥か遥か遠い未来に〜
この次元を、時間軸上から俯瞰してみましょう。
もしも、あの時私達が敗北していたら、
世界はどうなってしまっていただろう──
「お姉様、アンゼお姉様、お柿様…」
「いやだから、最後のは字間違えてるってば…」
「あ、良かったですお姉様、戻って来られましたね」
水色のふわふわとした巻き髪を揺らしながら、妹が目の前で微笑む。彼女は寝椅子から立ち上がった。金色の細く長い髪が、更々と流れる。
「どうしたの、エミューナ様。クリウスから何か言伝でもあった?」
「いえ、ただアンゼ様が産後鬱っぽかったのでお話でもしようかと…」
「あのねぇ。産後鬱って産後にしかならないのよ。こういうのはマタニティブルーって言うの。いや、違うから。マタニティブルーでもないわよ別に。私とあの人の子なんだから、死んでても生き返って生まれてくるわ、きっと」
「えぇ…ちょっと怖いですね…」
困った様に笑う妹を見て、本当にこの子は素直なんだから、とアンゼは眉を開いた。
「…今ね。私達が負けていた場合のことを考えていたの」
「え、どちらに、ですか?」
「うーん。どっちもあり得たわよね…。でも主神は結局、何も変えられなかったんじゃないかしら。ヤバかったのはラインハルトの方かもね」
「あの方、狂人でしたもんね…」
普通の感覚で見ると、あれは狂人に見えるのか。アンゼは新鮮な驚きと共に妹を眺めた。この感覚を持つ半分庶民の王こそ、やはり今のワーネイアに必要だったのだと彼女は改めて確信する。
もしも、の世界は悲惨だった。でも私達は勝利した。
もう、世界は大丈夫。
私が死ぬまでは。
─────
フードを被った蝙蝠族の少女が友人の姿を認めて駆け寄る。
「セオ、お帰り。何が書いてあった?」
人族の少年セオラキは、少女に声を掛けられ、少し笑顔になる。
「ただいま、レム。うーん、多分だけど、太古の記憶だよ」
「太古?って、半人種が生まれる前とか?」
「そうそう。それどころか、ヒトが地下に潜る前」
「えーっ!アウストラロピテクスじゃないか!」
「何でピンポイントでそこまで遡った?もうちょい後だよ。ヒトと、神様がいた頃の話」
「神様…神様かぁー。僕の耳が好きなあいつの事じゃないよね…?」
レムがフードを上から押さえる。セオラキだってレムの猫耳は好きなのだが、この様子だと到底本人には打ち明けられない。
「うーん、もうちょい怪物寄りな絵だったねぇ。管理者達では無さそう」
「怪物を神様って崇めてたってこと?管理もしてくれないのに?」
「単純に、人族の運命をそいつ等が握ってたってことじゃないかな」
「嫌だなぁ、そんな運命読めないじゃん…。僕等の仕事が無くなる」
「…ところでレムはいつまで魔女のフリするの?そろそろ厳しくない?」
「えっ?まだ声変わりはしてないし…したらしたで喉薬作ればいいし…」
「…前はあんだけ女装嫌がってたのに。変わったねぇ、レム…」
「えー?だって今はセオがいるからね!僕も頑張らなきゃー」
レムが彼にぎゅうと抱き着いてくる。ここに拠点を移してから、地下で成長を止められていたセオラキも随分大きくなったが、レムはもう大人顔負けの身長になってきた。悔しいが、身長差が狭まらない。
「やっぱ、お日様が大事なんだなぁ…」
セオラキは眩しそうに空を仰ぐ。
あの記憶をもっと研究すれば、何故祖先が地下に潜ったのかが分かるかもしれない。本物の太陽を捨てなければならなかった理由は何か。地上で何が起こったのか。
(大樹様に直接聞ける人が居ればいいんだけど…)
今は別の問題に駆け回っている友人達を想起しながら、自分に出来ることをやろうと彼は気合いを入れ直すのだった。