正義の居場所
アザレイは騎士団に合流したが、彼等はさながら潰走する敗軍のようだった。自身の可能な範囲で治療をして回った彼を父が呼び出す。次はもっと上手くやると言った父に、もう戦いは終わる、次などないと答えたアザレイは、人の欲がある限り戦に終わりなどあるものかと一笑に付された。
アザレイは自身の天幕に戻ってからも悩んでいた。自分は人が神によって迫害される現状を打破せんとディスティニーを手にしたのだ。この剣は、人が人を迫害するためのものではない。神を挿げ替えた後、イグラスは何処へ向かうのだろうか。自身の忠誠は、どれ程のものだろうか。
軍を抜ける時が来るかもしれないな、と彼は思った。大義なき侵略者と化したイグラス。あの聡明な国王陛下がその様な愚行を犯すとは思えないが、ハルディリアならばやりかねない。彼女が王冠を被る時が、自身とイグラスの分岐点になるだろう。そうなったら、自分はディスティニーを抱えて旅に出よう。
寝台に横になり、夕日色の彼女が自分の隣に立つ光景を夢想する。恋をしている、とセルシアが指摘してきた。そうなのだろうか、自分でもよく分からない。ただ、守ってやりたいと思った。どうしようもなく死に恐怖する彼女を、その恐怖から守るのは自分の役目だと思った。あの時は、その恐怖を与えたのは自分自身だったが…。その様子を思い出し、自分の鼓動が速くなるのを感じる。興奮、しているのか、俺は。
死の想起を使うのはあれが初めてではない。捕虜から情報を引き出すため、戦場で効果的に場を支配するため、隊内の風紀を正すためにさえ使ったことがある。不愉快に感じたことはあれど、楽しいと感じたことは無かった、筈だ。それらはあくまで大義のためであって、自身の欲望のためではない。サンリアに対しても、だ。…その筈なのだが。
(これは、恋ではない……征服欲だ)
アザレイは気付いた。崇高な理想の影で、レオンに対するライバル心の様なものが、サンリアを支配下に置きたいと願っていた。その優しさも、明晰な頭脳も、…自分に縋り付く体も、恐怖する心も。全て自分のものにしてみたいと願っていた。
(存外、俗な男だ、アザレイ・シュヴァルツ)
彼は自身を軽蔑した。純粋な恋ならばどれ程救われただろう。或いはレオンの影が無ければ、自分は純粋に彼女に恋をしていたかもしれない。まだ年若いが、魅力的な少女ではあった。しかし、彼女はお前のものじゃない、とレオンが言った。あいつが。死の剣と対になる光の剣を持つ、あいつが!
…全然眠れる気がしない。アザレイは小さく舌打ちをして、天幕の外に出た。こんな余計なことを考えるくらい元気があるなら、銀天の赤天幕でも行ってみるか。
視線を感じた。森の生き物だろうか。やけに大きい。アザレイが動くと付いてくる。狙いは、俺か。
こちらからは目視できないのでまだ死の権能が使えない。今暴れられては天幕が壊されるかもしれない。アザレイは気付いていないフリをしながら夜営の陣から離れた。どうだ、此処まで来れば狙いも付けやすかろう。闇から出て来い。その時がお前の最後だ。
「わん、わん、くぅーん」
「……テテか?」
「わわん!わうっ!」
嬉しそうな鳴き声。ふんふんと鼻を鳴らしながら漆黒の巨大な狼が闇夜の茂みから現れた。目だけが金色に光っていた。
「お前、何故此処に…あの男も一緒なのか」
テテはセルシアについて転送されたと思っていたが、確認はしていない。こちらに飛ばされたのだろうか?テテは首を横に振った。成犬があの有翼の狼になるからだろうか、こいつらにもハッキリとした知性がある。
「そうか。…一緒に来るか?」
アザレイがそう言うと、テテは尻尾をぶん回した。しかし、隊の者は怯えるだろう。アザレイは少し考えた後、〈死の首輪〉を機能を殺して見た目だけ作ってテテに付けた。テテは特に抵抗なくそれを受け入れた。
「…アズ、そいつぁ何だ」
ガンホムに真っ先に見つかった。そういえば、こいつには首輪の誤魔化しは効かないのだとアザレイは思い当たった。
「砂漠世界の狼だ、一頭〈死の首輪〉で確保した。戦利品として持ち帰るつもりだ」
「へぇ、あの狼か…人を載せながら自分も炎で戦闘してたやつだろ」
「そうだ、繁殖に成功すれば軍の騎獣としても使えるだろう」
うー、とテテが唸る。それは嫌だという意思表示らしい。
「駄目なら俺の庭でペットにしてもいいが…」
「中々インパクトのあるペットだなァ…まあ、死の首輪がついてるなら大丈夫か。餌なら死体が腐る程あるしな」
「…趣味の悪い冗談だ」
アザレイは不快感を声に示し、テテはお前を食べてやろうか、とガンホムに齧りつく。
「よく躾けられてんじゃねぇか、涎でベトベトになっちまった。クソッ」
ガンホムが悪態をつきながら立ち去る。アザレイはテテを撫でてやった。
「あんな奴だが俺の一番の理解者だ。勘弁してやってくれ」
わう?とテテが返事をする。そうなの?と聞かれた気がして、アザレイは微笑み頷く。天幕を出てくる時に抱えていた苛立ちは、いつの間にか消え去っていた。
ついにイグラスに帰還した。凱旋の体は取らず、まず郊外に軍医が集められ、臨時医院が設置された。騎獣についても治療が優先され、様々な手配にアザレイ達が連日奔走している時に、王宮から召喚があった。
「昨日、シュヴァルツ銀天騎士団団長からの報告は受けた。次は黒天騎士団団長アザレイ・シュヴァルツ。其処元の番だ」
「はっ」
アザレイは端的に自軍の方針、戦闘内容、撃破数、被害数について述べた。国王は鷹揚に頷くと、暫くアザレイを待ってから口を開いた。
「〈陸の卵〉はどうした」
「……大魔導師サレイが確保致しました。先に此方に戻ったかと…」
「届いておらぬな…。それどころか、昨晩より海と空の神も見当たらぬ。…アザレイ・シュヴァルツ。やはり何も隠しだてはしておらぬか?」
「ございませぬ」
「其処元を、戦の直後にイグラスで見かけたという者がおる」
「はっ…」
「おかしくはないか?其処元、砂漠世界にいたのであろう?何故イグラスの、大魔導師宅に滞在していたのだ」
何やら、不味い。これはどうやら尋問らしい。しかも、結論が先に決まっているタイプのものだ。これを覆すには、何か決定的なカウンターを用意するしかない。だが、それが分からない。
「……某は戦闘で意識を失っている所を、サレイに回収され、治療を施されました。〈陸の卵〉については、サレイが確保していた筈ですが、私が意識を取り戻した時には確認できませんでした」
「横取りされた、ということか」
分水嶺は、ここか。
「恐れながら国王陛下に、魔導師サレイの目論見を奏上致します」
「…申してみよ」
「魔導師サレイが企てているのは、夜の神の代替わり。これは夜の神のご意思でもあるそうです。それに必要なのは、三神および七神剣。夜の神は代替わりが成らないので森を拡げ全てを終わらそうとしている。ですので国王陛下におかれましては、」
「母を見逃せ、と、そう言うのだな、アザレイ・シュヴァルツ」
アザレイの鼓動が一拍飛んだ。
「陛下、某は」
「森が拡がらないようにするには、神を代替わりさせるしかない。だから母の邪魔をするなと言うのだな。その様な、飛語に乗れと」
「陛下!」
「其処元、他にも隠しだてをしておるであろう。音の剣の主が其処元と共におったというではないか」
「……!」
何も間違っていない。だからこそ、絶望的だった。
「愚かな……絆されおって」
アザレイは国王の顔を仰ぎ見た。まるで息子の死を悼む様な、初めて見る悲痛の表情だった。
「あら、アザレイ。もう帰るの?」
謁見室の外で笑顔のハルディリアが待ち構えていた。
「姫様…」
アザレイは驚きを隠し、退いて膝をつく。
「うふふ、良かったわね。これで剣の仲間に仲間入り出来るじゃない」
「姫様、貴女は…」
アザレイは言葉を失った。陛下からは追って沙汰をと言われ下がらされたのに、この姫は何を言っているのか。まるで、そう、まるで彼女がアザレイの未来を握っているかの様な。
「臣下の希望を叶えるのは主人の役目だわ。そうでしょう?」
「まさか、姫様…」
「金と銀の人に宜しく伝えて頂戴?確か…ディゾールとか言ったかしら」
そう言ってハルディリアは謁見室へと消えていった。
アザレイは最早、自分が何処で何をしようとしていたのかさえ思い出せなかった。