陰鬱な帰路
仲間の元に転送されたセルシアはフィーネに許しを請い、受け入れられる。彼はサレイから聞いた真相を仲間達に話し、死の剣の主アザレイを仲間に入れることを次の方針にするのだった。
アザレイは、砂漠世界の外れに設営されたイグラス軍のキャンプ地の中、傷付いた騎竜の前に転送された。
この騎竜は俺のだ、とすぐにアザレイは気付いた。火傷だらけで鱗もあちこち剥がれ、とてもではないが飛べそうにない。雷はノーマークだったなと彼は後悔する。黒天の魔法部隊に魔法防壁を張らせていた筈だが、あの混乱である。維持出来なかったのだろう。他人に任せきりにせず、自身でも防壁を張っておくべきだった。魔力など、足りずに困ったことは無いのだから。
相棒に手を延ばし、触れる。相棒は低く唸ったが、匂いで主人と嗅ぎ分けたのか、それとも酷く疲弊しているからか、それ以上動く様子は無かった。癒やしの術を送る。貴重な衛生兵として前線から遠ざけられてしまうため、あまり癒やしの力を持っていることは大っぴらにはしていないが、彼は他の魔法と同様それをある程度使用することが出来た。母の様な速度は無いが、それでもゆっくりと騎竜の鱗が再生していく。内臓もやられているかもしれない、と彼は中を〈診〉た。死んだ肉を分解し、周りの肉で補強してやる。騎竜は今やはっきりと主を認識し、恐らく痛みを伴う筈の治療を我慢して受けている。良い子だ、とアザレイは声を掛けた。良く生きてくれていた。もう大丈夫だ、また共に飛ぼう。
「…アズ、戻ったのか」
「ガンホム。無事だったか」
「あんまし…無事じゃねえな…」
アザレイが振り返ると、ガンホムは荷車の上に寝かされていた。
「あの小僧っ子と戦っている時、何度か変な熱いものを食らってな。音もしなかった。ありゃ、何だったんだろうな…。んで、それで体ん中焼かれちまって、負傷兵よ。大したことないと思ったが、飯が食えなくなっちまったらしい。イグラスまで生き延びれば治せるだろうが…」
アザレイは荷車に飛び移り、ガンホムに手を当てて〈診〉た。腹に大穴が空いている。大したことない訳がなかった。
「光で焼かれたのか…すまない、あいつがこんな攻撃手段を持っているとは想定外だった。俺の采配ミスだ。今、治す」
「治すってお前…う、あ…?」
ガンホムの傷を塞ぎ、生命力を活性化させ、肉や臓器の死んだ部分を補強する。囁く様な譫言が彼の口から漏れる。恐らく今全身の血が沸騰した様に駆け巡り、脳が誤作動を起こしているのだろう。
「…どうだ、そろそろ楽になってきたか」
「ああ、もう痛くはねぇな。中々得難い体験だったぜ、女とヤるより良かった。俺の運命の人はアズだったんだな。抱いていいか?」
「そんだけ馬鹿言えるならもう大丈夫だな」
アザレイがガンホムの言葉にギョッとしていると、背後から声を掛けられた。ガンホムの手当をしに来たディゾールだ。
「チッ、浮気現場を嫁に見つかっちまった」
「誰が嫁だ誰が。団長が勘違いするだろうが。ほら、動ける様になったなら自分で拭け」
温く濡らされた布巾を叩きつけられて、ガンホムは酷えなーと文句を言いながら体を拭き始めた。
「何故ディゾールが小姓の真似事を?」
「…俺の班は俺以外全滅したんだよ。竜騎士はだいたい生き残ったが、歩兵やらの前衛部隊は壊滅した。アズ、再編するならこいつ小姓からやり直させた方が良いぜ。他人への気遣いがなってない」
「お前ぐらいクズ野郎じゃなけりゃ誰の下でだって上手くやってみせるさ。…ところで、お帰り、団長。大魔導師殿が連れて行くのを見ていたから心配はしていなかったが、お前が居なくて中々大変だったんだぞ」
「…すまない、迷惑掛けたな」
「いいさ、どうせすぐ戻って来ると思ってここにアザレイホイホイを仕掛けといたんだ。明日からキリキリ働いて貰うぞ、団長殿」
「酷いわ、ディズ。私の所に来てくれてたのも団長目当てだったのね」
「お前は俺の旦那なのか女なのか設定はっきりしろよ」
「え?どっちが良い?」
「知るか!!」
ディゾールに叩かれて、お前が話を振ったんだろ、とボヤきながら、ガンホムは体を拭いている。
「…ディゾール。報告は明日改めて受けるが、ガンホムくらいの、イグラスまで保つか分からない重傷者は何人居る?」
「黒天が十三、銀天が百四十一だ。あっちは赤い天幕が足りなくて、黄色まで実質赤だ」
「…分かった。黒天から治療して来る」
黒衣の天使は、そう言うと荷車を降りて赤い天幕を目指した。
「…アズ、何か思い詰めてんな」
「ああ、まァ…自分だけのうのうと完治するまで軍から離れてたんだ。申し訳無さもあるだろうよ。…それに、あいつがあの化物を呼ばなけりゃ、落盤は起こらなかった。仕方無いと分かっちゃいるが、俺だって恨み言の一つや二つ出そうになる。あいつ自身もそれを感じ取ってるんだろう…」
翌日、イグラス軍は砂漠が熱を帯びる前に森に入らんと夜が明ける前から行動を開始したため、昼前には恙無く森との境の鉄橋まで辿り着いた。往路の際は全軍が渡り切るまでに数時間を要したものを、帰路では一時間も掛からず渡り終えてしまった。
アザレイは、自身の騎竜が復帰したこともあって飛車に乗り込み昨晩取り逃した休息を取っていたが、全軍渡橋の知らせを受けた時は思わず外を眺めた。まるで敗軍の様だ、と彼は思った。
麾下のユブレー、スロテは戦死。ポートゥスは赤い天幕に寝かされていたので治療したものの、片足は失ったままだ。唯一無事だったダイスモン卿はアザレイの帰還を喜んでくれたが、その目は疲れからか落ち窪んでいた。頼みにしていた銀天の魔法部隊が想像以上にお粗末だったのかもしれない。出来ると断言したのが彼である以上、悲壮な責任感を持って指揮に当たったのだろう。撤退時にも団長不在のため副将として黒天の総指揮を執った筈だ。アザレイはその肩に手を置いて短く労いの言葉をかける間に、こっそり見える範囲の疲労を取ってやった。
慣れた森での夜営も、班単位で再編しないと人手が足りない状況だった。昼間、輜重兵中隊長でもあるディゾールにこの事態を予言されていたので、アザレイは一班で騎竜四頭を預かるように再編しておき、伝令させた。つまり、設営能力のない負傷兵を除いた黒天騎士団の戦力は四分の一にまで減少していたのだ。名簿を貰って再編案を練りながら、アザレイはそのショックに一度だけ嘔吐し、小姓のヤトも戦死していたので、自分で処理する羽目になった。
その夜、アザレイとダイスモン卿は銀天騎士団団長に召喚された。アザレイの父、シアノン・シュヴァルツ団長である。
「まずは、お互い無事で良かった」
シアノンはそう言ってアザレイの肩を叩いた。アザレイが頷くと、シアノンはアザレイに背を向けた。
「…あの、炎の神を呼び出し地に大穴を開けさせた黒い異形。あれがお前のせいだと言う者があってな。…本当なのか?」
「…はい。私の瀕死に際して召喚される様に契約しておいた獣です」
アザレイの言葉にダイスモン卿が小さく驚きの声を上げ、シアノンは眉を顰めたままゆっくりと振り向いた。
「あれを呼んでいる際、お前はどういう状況だったのだ」
「雷の剣の攻撃を食らい、騎竜と共に落下している時でした。瀕死の条件を満たし、私の身体があの獣に変化しました。私には意識があり、自身の騎竜を受け止めて寝かせたり、攻撃対象を見定めたり、〈卵〉を捕えたりする程度の操作は可能でした」
「……成る程」
シアノンは目を閉じて首をゆっくりと横に振った。
「国王陛下には…伝え方を考えんと、お前が戦犯にされてしまうな」
「戦犯に…」
「銀天は、元来四個旅団から成る最大勢力の騎士団だった。だが、今は全てかき集めても、一個旅団に満たない。およそ六分の一にまで減ってしまった。そちらはどうだ?」
「黒天は、負傷兵除いて四分の一です」
「そうか。ダイスモン卿が能く守ったのだな」
気のおけない元上官に話を振られて、ダイスモン卿は渋い顔をした。
「某は崩落に関しては無力でした。…しかし、銀天の魔法部隊はもう少し鍛えておくべきでしたな」
「左様、うちのは黒天ほど鍛えられてはおらん。私がアザレイに団長を譲り、銀天に移ってから二年…。せめてお主と共に移籍出来ていればと思わぬ日は無かった」
「望外のお言葉にございます」
「せめて後三年、いや一年あれば、魔法兵でない者にももう少し教育できたのだが。奴等と来たら、魔法兵を便利屋だと思っておった。次からは平野戦でも魔法兵を有効に運用出来る戦術など考えさせねばなるまい」
「次などございませんよ、父上」
「何?」
「国王陛下がお求めになっていた三神は揃ったのです。七神剣もイグラスを滅ぼすものではありませんでした。もうすぐ夜の神のご悲願が成就致します。最早戦など必要ありません」
シアノンは呆気に取られてアザレイの言葉を聞いていたが、突然爆笑し始めた。
「ハッハッハッハッ!!アザレイはそう思うのだな!神のご意思によって聖戦が起こり、神のご意思によって戦争は終わると!!」
「違う…のですか…?」
尚も笑い続ける父を、アザレイは驚愕の表情で見た。
「ハッハッハ……ハァ。…いいや、違うね。戦争など、この世に人が存在する限り起こり続けるものだ。神などは理屈に過ぎん。イグラスがどれ程の属世界を侵略してきたと思う?その全てに神のご意向があったと思うか?…断じて、無い。国とは常に更に強くなろうと外に拡がり続けるものだ。例え神が変わったとしても、国の在り方は変わらんのだ。森が拡がるなら切り拓けば良い。この拡がる森全てイグラスのものだ。そう考えるのが、人間というものなのだよ、アザレイ」