少年少女は森を征く
早速森の手荒な洗礼を受けたレオンとサンリアは、そのまま夜を過ごす。レオンにとっては何てことのない夜だったが、サンリアにとっては悪夢を呼ぶほどの出来事だったようで…。
「やめろ、シオ…ん」
目覚めたのはベッドではなく地面の上だった。
少しふかふかしているのは、土が踏み固められていないからか。
「ある意味褒めてあげるわ。あんな高さから落ちて気付かずに寝てるんだもの。神業よ」
呆れた顔のサンリアが立っている。レオンは跳ね起きた。
(何で俺は此処にいるんだ!?)
一分間ずーっと考えていると、徐々に記憶が戻ってきた。
彼の頭脳にしては上出来の早さである。
「思い出した?旅に出たのよ」
周囲を見回す。森。やっと全ての記憶が戻った。
そして、
「落ちたァ!?」
「遅いっつーの!」
そういえば後頭部がヒリヒリする。そっと触れてみると、特大の瘤が出来上がっていた。
「いってー!!…っ!!」
「それでも起きないんだから…。
真夜中で私イヤな夢見てたから、レオンが落ちた音ですごい吃驚して目が覚めちゃったわ」
レオンの幸せそうな寝顔をサンリアが傍らで作業しながら眺め続けていたことを、じーちゃんは指摘したかったが、体が夜行性のせいで日の出ている間は魔力が弱まり、ホッホッと笑うような声しか出なかった。
「…痛ぇー」
「痛いのは分かったから。それより」
サンリアは言葉を切ると、小枝とふいごをレオンの前にドサッと投げ置いて、
「朝ごはんよ」
と言って去ってしまった。
「どう考えても火ぃ起こせってことだよな、これ…」
だが、火を強くする道具はあるが、肝心の起こす道具が無いのだ。
チラと仰いだ空の太陽は梢の向こう。だが、川岸では直射日光がバンバン当たっている。
「…そうだ!」
レオンは剣と枝を数本握って川岸に走り、剣を鞘から抜いた。
(グラードシャイン…光の剣…こいつを使えば!)
小学校で習った、ルーペの原理。日光を集めれば焦点が高温になり発火する。
さて、しかし思い付いたもののどうすれば良いのか。
よくファンタジーの世界で魔法使いがやる様に、呪文を唱えてポーズでも決めるか?
「…一点光集」
呟いてみて、自分のセンスの無さに気付き愕然とする。
(一点光集…日光…光集…えぇい何でも良いや)
「日光浴!」
何か大幅に間違えた!
しかし叫んでしまった彼はままよと剣を高く掲げ、つばを支点にくるりと逆手に持って切っ先で枝に触れる。
ピカアァッ!
剣が強く輝いて、彼は目を細めた。
やがて枝から煙が出た。
「おっしゃ!」
(光の剣…使いこなせそうだ!)
火を大きくし、枝を束ねてサンリアの元へ走る。
「見ろサンリア!火点けたぞ!」
「…点いてないよ」
「嘘っ!?」
火は消えていた。走ってきたせいだ…。
「もういっちょ!」
めげない彼であった。
サンリアが見つけた少し開けた場所で、朝食を作ることになった。
「こういうとこ、別の世界の成れの果て、らしいわよ」
「なるほど…急がないとそのうち俺らの世界もこうなるのか…」
レオンは広場の隅に苔むした地蔵の様な石像を一体見つけ、誰にともなく祈った。
レオンの種火を使って、サンリアが火を熾す。風の剣を使っているのか、何もせずとも火はすぐに大きくなった。ふいごは要らなかった。
朝からサンリアが調理したのは、昨晩屠った狼の肉だった。骨を煮込んだ獣臭い匂いが辺りに漂っている。
レオンは初め、骨と皮のついたそのままの肉塊にギョッとしたが、サンリアがあばら骨から鍋に肉をこそぎ落としているのを眺めていると、お腹がぐうぅと鳴るのだった。
「そういや昨日の晩は飯食べられなかったから腹減ったな」
「でしょ。そう思って、昨日から川で晒しておいたから血抜きはばっちりよ」
「いつの間にそんなこと!次やる時は俺にやり方教えてくれ、そしたら俺がやるから」
「えぇー…いいわよ別に…」
「いや、力仕事は俺がやるから」
「そう?何か縛るもの持ってるの?」
「ああ、ロープがあるよ」
「それなら次はそれ使ってやり方教えるわね」
「おう!今日はありがとな」
「こ、この位何てことないわよ…」
サンリアは口を尖らせて黙ってしまった。レオンは気にせずサンリアの手際を眺めていた。
サンリアは荷物袋に鍋とおたま、スティックとお椀を持参していた。
「ああ、そういえばお椀、一つしかないや。どうしようかしら」
「サンリアが食べ終わったら貸してくれるか?」
「……んー…いいけど」
何故か顔を赤くして、彼女は俯いてしまった。レオンはそれも気にせず、鍋の完成を待っていた。
「…本当はもっと煮込んだ方が美味しいんだけど、ちょっと朝からやる料理じゃなくなるからこの位かしら」
サンリアは器用にお椀とスティックを使って食べた後、「悪くないわよ」と言ってレオンにお椀をよそって寄越した。
「ありがと、いただきます」
レオンは恐る恐る狼肉のスープを口にした。うまい。空腹は最高のスパイスと言うが、それを差し引いても食が進む。レオン個人的には塩味が効いていた方が好きだが、肉本来の味というのも悪くない。
「うまい!肉食獣の肉ってマズいって聞くけど、全然そんなことないな」
「食べたことなかったの?しっかり血抜きすればそんなものよ」
「匂いも気にならない、この野菜のおかげかな。めちゃくちゃ合うな」
「それは行者にんにく。一昨日取ったものがまだ残ってたから入れたの」
「スープも美味しい」
「うふふ、豚骨スープならぬ狼骨スープよ。夜営しながら煮込むと朝にしっかり出汁が出たものを食べられるんだけど、まあそれは次回かな」
「これよりうまくなるの?やべぇな」
レオンがスティックをフォーク代わりにしながら何度もお替わりしてパクパク食べていると、サンリアは嬉しそうな顔から、ちょっと後悔している顔に変わってきた。
「んー…私ももうちょい食べとくべきだったかな。それ食べ終わったら一旦お椀返して?お替わりしたい」
「いいけど、…えーと、俺口付けちゃったんだけど」
今度はレオンが赤くなる番だった。
「今更気にするの!?」
食べ終わると、サンリアは残りの骨と肉をロープで縛って放り上げた。するとそれは風船のように上空へ舞い上がり、木々の背よりも高い所でふわりと浮かんで止まった。
「残りは日干しにするわ。このままウィングレアスの力で浮かせておけば勝手に干されるから楽なのよねー。多少じーちゃんのおやつになっちゃうけど」
サンリアの言った通り、早速シロフクロウが一羽、肉の風船に取り付いていた。
荷物を纏めたサンリアは、最後に消した火の跡に砂を掛けて埋めた。
「さて、と。出発しましょ」
「OK。でも、どっちに向かうんだ?」
「そうね、レオンの世界にはもう行く必要が無くなったから…じーちゃん、どっちに行くの?」
サンリアが上空に声を掛ける。暫くするとじーちゃんが降りてきて、ばさりと少し先の木の枝に止まった。
「こっちみたい」
サンリアはウィングレアスを背負って歩き出した。
「なあ、そのデカいの担いで動くの邪魔じゃないか?その剣も空に飛ばしたらどうなんだ?」
ウィングレアスが時々枝に引っかかるのを見て、レオンは声を掛けた。どちらかというと、ウィングレアスが引っ掛けた枝が外れて戻ってくるのを、背後のレオンが食らいまくっているので声を掛けた、が正しいかもしれない。
「んー、でもこれ背負ってないと言葉分かんなくなっちゃうから…」
「何それ!?」
「七神剣の、世界を渡るための魔法のひとつで、あらゆる世界の言葉が分かるようになってるのよ。気付かなかった?多分貴方の聞こえてる音と私の唇の動き、一致してないわよ」
「吹替版ってことか…?全然気付かなかった…。お前の剣だけ?それとも俺の剣にもその機能、あるんだろうか」
「そういえば、どうなんだろ。あるとは思うけど、その剣の形でグラードシャインの力が全部発揮できてないんなら、無いかも…?ちょっと試してみようか」
そう言うと彼女はウィングレアスを宙に浮かせた。
「どう?私の言葉、分かる?」
「ああ、分かるな。こっちの言葉も分かるか?」
「ん、ばっちり分かるわ。じゃあグラードシャインにもちゃんと通訳の魔法が掛かってるのね」
「なら、俺と二人の時はウィングレアス担いでなくていいぞ。大変だろ」
「そうねぇ…」
サンリアはちょっと考えてから、
「でも、やっぱり背中にないと落ち着かないっていうか。丸腰で戦いたくないから、これでいいわ。ありがと」
と、レオンの提案を却下した。レオンは仕方なく、枝の跳ね返りに当たらないよう少しだけ離れて歩くことにした。
昨夜いきなり狼の群れに出くわしたために、レオンはまた何かに襲われやしないかと移動中ピリピリとしていたが、昼過ぎになっても大型動物の影すら見当たらなかった。
「なあ、サンリアは一週間この森を移動してきたんだよな?狼以外にヤバい生き物いたか?」
「うーん、ヤバい生き物ねぇ。死ぬかもしれないってだけなら結構色々いると思うんだけど、蛇とか毒虫とか…。見かけたら速攻逃げろ!っていうのだと、やっぱり一角獣かな」
「一角獣!?ユニコーンってやつ!?いるの!!?」
「いる、というか見たわよ。馬みたいな体で、おでこに大きい角が一本。あんなのに突進されたら絶対死ぬから、近づかれる前に空に逃げたわ」
「へー、そんなファンタジーの王道みたいな奴もいるのか…ん?でも、ユニコーンって女子には優しいんじゃなかったか?」
「気に入った女子には、ね!気に入るかどうかなんて賭けたくないし、そんな迷信じみたこと言ってる間に突き殺されるの嫌だし。レオンは男なんだから、最初からちゃんと逃げなさいよ」
「逃げる、なぁ…ウィング…風の剣は飛べるからいいけど、光の剣は逃げる役には立たないかな…」
「うーん、視覚を奪う、レオンを見えなくする、とか…?でも野生動物は耳も鼻も良いと思った方が良いものね…」
光と風。七人いるという剣の仲間のうち、まだ二人だ。どんなゲームだって序盤が一番苦労するものだ。いや、それは仕組みも分からないままとりあえず進めてしまうレオンのプレイスタイルの問題だが。
考えが逸れた。否、逸らす、というのはいい考えかもしれない。
「匂いなら、サンリアが運べないか?こう、風を使って、俺らがいない方から」
「なるほどね…風をわざと起こして、全然見当違いの方向の風上に私達がいると思い込ませて、こっちを風下にして?音は風で誤魔化せば…うん、ちょっと大変そうだけど、出来ないことはないと思う」
「それには…、っ何だ?」
突然じーちゃんが枝の上で激しく羽ばたき、ホ、ホウ!と鳴いた。
(熊が出たみたい!)
真剣な表情のサンリアがレオンに素早く小声で伝える。
(えぇ!?)
(さっきの匂いを運ぶやり方試すわよ、レオンは目に入ったら視覚を奪ってみて)
(急に言われてもやり方が…)
(とりあえずしゃがんで!できるか分からないけど試してみて!)
(分かった)
(お願いね!)
サンリアはそう言うと、繁みの中からじーちゃんを見上げた。じーちゃんはある方向から首を動かさない。そちらに熊がいるのだろう。サンリアもそちらに向き直り、ウィングレアスを握りしめた。
ザァザァザァザァ……
強い風がレオンとサンリアの繁みを飲み込む。左後ろから、右前方へ。二人の匂いと風の音がうまく囮となって、熊が離れてくれればよいが。
(後は静かに、向こうが移動するまでじっと待つことね。足音は地面を通って伝わるから、風じゃ誤魔化せないわ)
レオンは少しだけ繁みから顔を出して、遠くを見ようと念じた。見えない筈の森の奥、確かに黒く堂々とした巨体が見える。顔を上げて、匂いを嗅いでいる様だ。レオンは、さらにそこから視力を奪おうとした。光ではなく、闇を。熊の周囲から光を奪うイメージで。
(ぐっ…!)
レオンの体温がぐっと奪われたように血の気が引き、目の前が暗くなる。どすんと尻餅をつく。と、同時に恐ろしい咆哮。
「ホ、ホウ!!ホ、ホウ!!」
じーちゃんが騒ぐ。
「駄目だった!?今ので気付かれたのね!仕方ないわ、レオン、私に掴まって!」
サンリアはそう叫ぶが早いか、レオンの腕に腕を絡ませて、無理矢理空に飛び上がった。一人でしか飛び慣れていないからか、レオンの体重でバランスを崩しかけるのを、吹き上げる風の量で何とか調整する。
「わ、悪い…ちょっと限界超えたみたいになって」
「分かるわ、私もなったことあるもの。慣れるまでは仕方ないのよ…このまま降りずに、暫く飛んで動きましょ」
サンリアは試行錯誤しながら、それでも数十分は飛ぶことに成功したので、どうやら熊の縄張りからは抜け出せたようだった。
勿論その結果、サンリアもレオンもくたくたになって、暫くは使い物にならなくなったのだが。
その日の晩には、レオンの腕や足は切り傷だらけになっていた。
野営中にひとつひとつ薬を塗っていて、勿論その程度の傷を痛がる歳ではもうないのだが、それでも何故半袖半ズボンで来てしまったのかと憂鬱な気分になる。
「そういえばサンリアもスカートだけど、怪我してないか?」
「んー、多分大丈夫だと思うけど…」
サンリアは無造作に火の方に脚を延ばしてがばりとスカートを捲った。レオンはサッと顔を背ける。下履きがあるとはいえ、目に毒である。サンリアはそんなレオンの慌てようを見て悪戯っぽく唇の片側を吊り上げた。
「うん、大丈夫よ。ほら見て?」
「見ねーよ!!」
「何でよう、心配してくれたんでしょ?気にならないの?」
「やめろ!女の子が野郎に脚をほいほい見せるな!」
「えー?どうして?」
「はあ、これだから小学生は。
あのなぁ、…あー、なんて言うか…大人の女性の体は男にとってすごく価値のあるもんなんだ。だからそんなに簡単に肌を見せるな。お前も大人になるんだし、今から大事にする練習しろよ」
「私、元の世界ではもう成人なのよ」
「はいはい、だったら尚更だろ。」
レオンが頑なに顔を向けず、サンリアが動く気配を見せると目を閉じてしまったので、サンリアは面白がって彼の正面に座り直した。
「分かった。もうしないわ、だから目を開けて?」
「おう」
レオンが目を開けると、サンリアが至近距離で彼を覗き込んでいた。突然のことに目が泳いで彼女の胸元を捉える。ワンピースの隙間の暗がりの中に、普段は気にならないささやかな膨らみが、彼女の両腕に寄せられ谷間を強調されて、確かにそこにあった。
レオンは最早驚きの余り目も逸らせず、思わず後ろにひっくり返った。逃げようにもそれ以上体が動かなかった。
「お前ー!わざとやってるな!?」
「うふふ、あはははは!レオンってばおかしい〜!」
強張る体を何とか引きずってサンリアから離れたレオンは、笑い転げる彼女を見て溜息をついた。
「俺を馬鹿にするのは別にいいけど、自分を大事にしろって言ってんの」
「うん…分かってる。レオンのそういうところ、好きよ」
「また揶揄ってんの?」
「んー?やだなぁ、ホントだよ?」
ニコニコするサンリアは、本当に可愛いから質が悪い。レオンはわざと眉を顰め、悪い奴だと心の中で何度も唱えた。
「もういいよ。それより、本当に怪我はないんだな?」
「無いわ。だって私、足は風でバリアしてるもの。ウィングレアスが体から離れない限り、私は無傷よ」
「あぁー!なるほどな…頭良いなー。俺にもそれ出来ない?」
「えー、うーん…私がレオンの体のこと、全部知ってたらできるかもだけど。トイレとかする時にちょっと危ないかもしれないわね?」
レオンは思い当たって股間をキュッと閉じた。
「…いや、やっぱいいです」
「それが正解よね。次の世界で服を調達するのがいいかな」
「ちなみにバリアは全身なのか?俺がお前の肩叩こうとしたらジャッ!ってならない?」
「まあ、全身に出来なくもないけど、それじゃあ危なすぎるもの。必要な時以外は足だけにしてるわ。手とか顔はセンサーだから出しておかないと逆に危ないのよね。服も大丈夫よ。あと、街中に入ったら解除するつもりよ。人混みで迷惑かけたくないし」
「なるほどね、覚えとくよ。バリアは咄嗟に出せるのか?何か飛んできたら防ぐとか」
「あー、今は無理かな…。発動や変化させる時はウィングレアス握って集中が必要ね。でもいいアイディアね、時間があったら特訓してみるわ」
ところで、サンリアはこの特訓を急いだ方が良かったのだが、そう言うのは結果論だろう。
事件は二人が思うよりもすぐに起こるのだった。