精霊達の悲願
セルシアは大魔導師サレイの霧の箱庭で、レオンの義理の兄シオン、ディゾールの息子ウルスラと邂逅する。ウルスラに悩みを相談されたセルシアは、彼に音の民としての矜持と在り方を教え、自身で詩を紡ぐ手解きをした。
セルシアとしては流石に家族団欒の場にお邪魔するつもりは無かったのだが、カレンに押し切られて夕飯の食卓を一緒に囲むことになってしまった。家長席にサレイ、その右手側にシオン、セルシア。セルシアの向かいがカレン。ウルスラも、まだお父さんが遠征から帰って来ないので…とセルシアの隣に座っている。アザレイもまだ遠征軍が戻らない今は軍部にも自邸にも戻れないらしく、母親の隣で黙々と食事を取っている。
こうして子供達に囲まれるサレイは、まさに普通の優しい母親だった。サルレイとして現れた時の金髪ではなく黒髪の淑女になっており、顔も心なしか年上に見える。しかし、本人なのは間違いない。セルシアは笑顔で場に溶け込みながら、メイラエの話題をいつぶち込んでやろうかと思っていた。しかし、そのタイミングを待つ内に、この場で不用意な話をすると、ウルスラが真っ先に危機に陥ることに気付いた。私達の部外者でありお前の家族である者がいるのだから、余計なことは口走るなよ、という牽制なのだと理解した。
セルシアは治療と食事のお礼にと、歌を披露しようとした。サレイがそれなら、と家中から魔法で楽器の類を寄せてくる。
なんと、オルファリコンの入ったティルーンも飛んできた。
アザレイは目を剥いてサレイを無言で威圧したが、サレイは何処吹く風だ。セルシアはサレイの真意を掴みかねつつ、有難くそれを受け取って演奏を披露した。雪を待つ子供達の歌。新しい年を祝う歌。寒い夜の静かな森の歌。冬を渡り歩く鳥の歌。
「さあ、そろそろ子供達は寝る時間だわ。といっても急に言われると嫌でしょうから、セルシア、最後に子守歌を歌って頂戴?」
セルシアが頷き、ゆりかごの歌を歌い始めると、
「この曲は知ってる!」
と子供達が一緒に歌い出し、全然子守歌にならなかった。しかし二人はそれでかなり満足したらしく、皆に「イグラシアス」を言うと寝室に向かってくれた。
「…母上。何故オルファリコンを出してきた」
妹達が退がると、アザレイが怒りを露わにしてサレイを問い詰めた。
「あら、だってあれはセルシアのじゃない」
「母上は俺の邪魔をするのか」
「アザレイが私の邪魔をしているのよ?悪い子ね。七神剣を散らしても、事態を悪くするだけよ。でも〈卵〉を捕まえたのは偉かったわ。これで後は英の子達を皆集めればお終い。もうすぐ私の役目は終わるわ」
サレイがシオンと微笑み合う。
「でも…そうしたら、ただ神の願いが叶うだけだ。この国は…!」
アザレイが立ち上がる。サレイがアザレイにぴんと人差し指を立てる。
「アザレイ。セルシア。貴方達に会わせたい人がいるの。一緒に来て?」
サレイ、セルシア、アザレイ、シオンの順に館の裏庭に出て来る。
「ヌィワ、居るかしら?」
『此処にも居るわ』
裏庭の池の中から少し不思議な返答があった。夜の池の水が淡い緑に輝き、セルシアの見慣れた少女の姿を取る。いや、それは錯覚だ。
「…コトノ主様」
セルシアは片膝を付いた。
『お久しぶりね、セルシア。フィーネがとても人間らしく幸せそうにしているの。貴方のお蔭ね』
「…貴女は、僕を憎んではいらっしゃらないのですか」
『構いません。あの時確かに、未来は狭くなった。でも、最善の道はそこに在りました。私も貴方と同意見でしたのよ』
「ご存知で…」
『雨は水で出来ているでしょう?内緒話には気を付けてね』
そういえば降っていたかもしれない。神様とは恐ろしいものだな、とセルシアは慄きながら苦笑した。
『でも、サレイ。どうしてセルシアだけがここに居るの?』
「アザレイが悪戯したのよ。困った子。私達の計画が分からないみたい。私が言っても信じないから、貴女から伝えて頂戴」
『あらあら、サレイってば、ふふ、子育てに失敗したのね!でも仕方ないわよね、貴女の立場じゃあね…。
最後の英の子。私達は本当は、自分の世界が好きだった。自分の世界を最後まで、守りたかった。でも、いつまでもそうしていては、あの方が勝ってしまう。森が全てを覆い尽くしてしまう。あの方は私達にチャンスをくれていた。あの方は一度、自分の力を分けて後継者を作ろうとしていたの。そう、ちょうどアザレイ、貴方がやろうとしていたみたいに』
アザレイが目を伏せる。夜の神の巫女である母の前で、夜の神を弑する企みを暴かれるのはどうにも居心地が悪かった。
『アザレイ、勘違いしないで。貴方がやろうとしていることは、大いなるお父様…ラインハルト様もお望みのことなの。あの方は、後継者に自分が斃されることを望まれている。あの方は、御身だけが死に損なった……そう考えていらっしゃるのです』
「何…それでは母上は、母上も…夜の神を斃すために、動いていたと?」
アザレイが驚くと、サレイは首を振った。
「アザレイ、これは間違えて欲しくないのだけど。ラインハルト様は後継者が現れて自分を管理者の座から降ろすか、森で全てを覆い尽くすか、どちらかが良いと思っていらっしゃるわ。私はラインハルト様にお仕えする者、どちらに転んでも良い様に動く必要があった。皆が私の言動を、世界が終わる様に動いていると見るのも仕方無いわ、半分正解だったのだもの」
「成る程、それで僕等を窮地に追い込む様なやり口で、成長を促していた訳ですね…」
セルシアが嫌そうな顔をしてサレイを見る。シオンはセルシアを睨んだが、サレイは気にもかけなかった。
「そうね。そしてアザレイ、後継者作りにはアザレイの考えている様な三神を揃えるだけでは駄目よ。それはね、もう過去にラインハルト様が試した方法なの。あの方は三神を集め、自身の力を分け与えて、後継者を作ろうとした。でも、それはバラバラに砕けて一つに固まらなかった。その砕けたものが、今の〈卵〉と七神剣なのよ。
ラインハルト様はそれぞれが地に混ざり、根付き、育つことでこの次元と親和性を持ち、次こそ正しくこの次元の後継者のパーツとなるのではないかとお考えよ。〈卵〉と七神剣が再び揃うこと。これこそが、あの方を再び命の巡りの環に戻す術になる筈なの。」
「筈、で動いて、失敗したらどうなる。後継者が出来なかったら?神は再び失望し、森を加速させるだろう。その時…母上、貴女は?」
「その時は、ラインハルト様の意に沿うわ。」
「なら、神が希望する完璧な後継者など必要ない。神としての力を持つ別のモノを用意すれば良い。それでは不足だと言うなら俺が神を斃す」
「アザレイ。ダークラーと契約していることで貴方は自身の力を過信しているわ。死の剣すら、ラインハルト様から生まれたものだと忘れたの?貴方では勝てないのよ。私達は短命種。長命種との間には、星よりも遠い力の差の隔たりがあるの。しかも貴方は転生前の長命種であった頃、既に一度彼に敗北している。一人では勝てないということを二度も経験する無駄は止めなさい」
「…母上?貴女は一体誰で、何を…見てきたのですか。」
アザレイは、母が何を言っているのか全く分からなくなってしまった。既に一度敗北している?転生前に?もしそれが真実だとして、何故母はそれを知っているのだ?
戸惑う息子に、サレイは寂しそうに微笑んだ。
「私は、私に力と記憶を与えるのは、かつて星の端末だった者。名をリン/ウェル。旧世界にて、ラインハルト様と契約する精霊だった者。彼と共に世界の終焉を一度見た者。貴方達英の末路を見届けた者。そして今はラインハルト様の計画に介入し、命の巡りに干渉し、あり得た未来を次こそはと願う女」
彼女はそこで、泣いていた。私は間違えたと泣いていた。あの時契約していなければ、あの時正しく導けていれば、彼は純粋な美の神のままでいられた。しかし、私は間違えてしまった。美の神は死の神になってしまった。それは彼の大切な人がそう望んだからで。そこでも私は間違えた。ただ生きているだけで幸せだった頃の彼等を返して欲しい。全てがうつくしく正しく治まった未来がある筈だ。
「…私のことは、どうだっていいのです。話の本筋には関係ない。少しばかり訳知りの女が、少しばかり計画に噛んでいるから、それを利用して貴方達はあの方を止めてくれればそれで良い。さあ、七神剣よ、再び集いなさい。今のこの場はイグラスに非ず。私が貴方達を癒やす為に用意した箱庭。癒えたならば飛び立ちなさい。本来あるべき場所に戻りなさい。そして正しく再び私の元を訪れるのです」
サレイが右手を差し伸べると、アザレイが消えた。左手を差し伸べると、セルシアが消えた。シオンがサレイの右手を取る。
『サレイ。貴女は、今度こそ上手く行くと思いますか?』
コトノ主が尋ねる。サレイは静かに首を振った。
「…願うことしか出来ないわ。」