夢見る手解き
イグラスとリンリスタンの戦いは双方の大損害を受け戦線を維持できずに終結した。ディゾールはセルシアが逃げたと知らせを受ける。剣の仲間達はノノからセルシアが砂漠世界から消えたことを聞く。件のセルシアは、大魔導師宅にて保護され治療を受けていた。アザレイとも一時休戦だ。
館には、もう一人男がいた。足音を聞いてテテが慌てて元の姿に戻る。
「何か賑やかだと思ったら、もう起きてきたのか」
アザレイとは違う、文官タイプの優男。しかしその顔はよく似ている。
「お世話になったようで。吟遊詩人のセルシアです」
「ああ、アザレイから聞いてるよ。弟がいつも世話になっている」
「アザレイ君は別に…」
「いや、違うよ。レオンの方だ。俺はシオン。大魔導師サレイの継嗣で、レオンと共に十二年暮らした、あいつの義理の兄だ」
セルシアは居る筈のない人物が目の前に現れたと知って驚いた。
「…何故、別の世界の人間がここに。しかも貴方、確か子供が産まれたのでは?」
「へぇ、あいつ俺のことも話してたのか。子供はな、多分あと一月くらいで産まれるよ。元の世界で嫁さんが待ってる。母さんの仕事を手伝ってさっさと終わらせて、孫を見せに戻らせてやりたいと思ってここに来てるんだ。俺は今、あの世界の長代理だ」
「長は、血族でないといけないんじゃなかったです?」
「代理だよ。レオンが戻るまでのな。幸い事情は元から知っている。あのクソッタレ共…ああいや、レオンの親戚連中から選ぶよりはマシだ」
「そうですか。ところで…貴方はレオン君とアザレイ君、どっちの味方なんですか?」
「俺?俺は、そうだな…うーん…大魔導師殿の味方かなー!」
シオンがそう言った途端、アザレイの表情が暗く翳ったのを、セルシアは見逃さなかった。
「セルシアお兄ちゃん!ウルスラ連れてきたよー!」
パタパタと軽い足音が二つ響く。
「ただいま!あれっ、庭まで来てたんだ!シオンお兄ちゃんもいるー。皆で巨大犬小屋見に来てたの?」
「お帰り、カレンちゃん。セルシアさんが起きたから出て来たんだよ」
「そーなのね!はい、ウルスラ!この人がセルシアお兄ちゃんだよー」
カレンの後ろに隠れていた男の子が前に押し出される。
「はっあのっ、初めまして!ウルスラ、です…」
成る程確かに似ている、とセルシアは彼を観察した。髪色は自分とほぼ同じだし、顔はヨナリアにそっくり、つまり自分とも似ているのだろう。
「初めまして、セルシアです。ヨナリア…ああ、今はディゾールと名乗っているんだっけ。彼の甥です。だから…そう、君の従兄弟だね」
「へぇ、すっごい美形遺伝子なんだなぁ…」
シオンがしげしげと二人を眺めて言う。
「カレンのお兄さん達も、その、カッコいいです!」
銀色の天使が少し顔を赤くしてシオンを見上げる。中々の破壊力。これは、宜しくない。俺には妻子が。シオンは話題を変えることにした。
「その三つ編み可愛いね。自分でやってるの?」
「最近は自分でも出来る様になりました!それまではカレンがやってくれてました」
「おおう…仲良いのね…」
「私はお父さんいないし、ウルスラはお母さんいないから、馬が合うってやつよ!ね!」
「はい。よく二人で、お父さんとお母さんが結婚したら家族になれるのにねって話してます」
アザレイが珍しく吹き出した。
「…いや、夢を笑って済まない。だが結婚とはそういうものではないんだ。二人が家族になりたいなら、二人が結婚すればいい」
「お兄ちゃん!?」「アザレイ!?」「ぼ、僕がカレンと…!!?」
周りがアザレイの発言にギョッとする。任務を離れたこいつ自身は中々面白い奴だな、とセルシアはアザレイを評した。
セルシアはウルスラと暫く二人だけで話をした。
「ヨナリアから聞いたよ。君も音の民だと。僕と同じだ」
「お父さんは…僕の左耳が無いのは、音の民だからだと言ってました。セルシアさんも無いんですか?」
「ああ、僕は両側とも無いよ。この世界では、異質かもね。僕らの世界では、これはギフトだった。音の民は音楽の才能に目覚めやすい。勿論個人の努力次第だけど…僕らの世界では音の民に憧れて、自分で耳を削ぎ落とす馬鹿までいたくらいだ。流石に、そんな紛い物は大抵すぐバレるんだけどね。僕は音の民であることに幸せを感じてるよ。武器を取り上げられても金を盗まれても、歌を取り上げられることはないからね」
「…僕も、聖歌隊に選ばれたんです。学年で十人、その中でもソロ役、一番を任されたんです。…でも、それは僕が〈片耳が無くて可哀想だから〉だって言う人も…いるんです。僕は歌うのが好きです。でもお父さんは、ちょっと困った顔をしていました。応援はしてくれてるんですけど、僕はどうしたらいいのか分からないんです…」
ヨナリアは音の民が尊重されるあの街にあって、あの美貌であるにも関わらず、音の民ではなかった。それは想像以上にとても辛いことだったのかもしれないと、セルシアは今になって漸く気付いた。
「…ヨナリアは、小さい頃の僕が音の民として在ることも心配していたよ。音の民は人の慰めになることが多くて、色んな大人が執着…自分のものにしようと狙ってくるんだ。僕らには親代わりの保護者がいたけれど、それでも何度も嫌な思いをしたし、危ない目にも遭った。僕が剣を使えるようになろうと頑張ったのも自分と仲間を守るためだった」
「音の民って大変なんですね…」
「ふふ、それでも僕は歌いたかったんだ。誰かと歌の技術で競うのも良いし、皆に褒められ喜ばれるために歌うのも良いし、お金になるのも良かった。でもそんなことよりまず、僕らしさが歌を歌うことだったんだ。
君も、自分のやりたいことをすれば良い。歌いたいから歌う、それ以上の理由なんて無いよ。歌が好き、何かが好きだと胸を張って言えることは、もうそれだけで才能なんだ。ソロに選ばれて嬉しかったなら頑張れば良い。嫌なことを言われて悲しければ歌を辞めてみても良い。でも僕なら、きっと辞められない。
君は僕の従兄弟だ。この血に流れる音の民の魂が、僕等の心を奮わせてくれる。歌う勇気を与えてくれる。歌を知らないなら作れば良い。歌を忘れたなら聴けば良い。声が出ないなら演奏すれば良い。
さあ、君もそろそろ、堪らなくなってきてる筈だよ?」
大きい天使が小さい天使に微笑む。それは正しく手解きであった。
小さい天使が瞳を閉じておずおずと口を開く。そこから流れ出たのは天の調べの様な透き通るボーイソプラノの即興曲。
夢を見たのです ある日世界が 生まれ変わって 朝日に輝く
夢を見たのです ある日世界が 僕に優しく 手を差し伸べる
それはどんなに 幸せでしょう
それはどんなに 嬉しいことでしょう…
ウルスラがセルシアを見る。セルシアは頷いて引き継いだ。
夢を見たのです 僕の小鳥が 宝物を得て 飛び立ってゆく
夢を見たのです 僕の小鳥が 翼拡げて 大空を目指す
それはどんなに ときめくでしょう
それはどんなに 喜ばしいでしょう
カレン達がいつの間にか話を止めて此方をじっと見つめていた。ウルスラの頰が上気する。歌うことの少しばかりの気恥ずかしさと、歌うことの圧倒的な気持ち良さを受けて、彼の心が満たされてゆく。
僕のいる世界はまだ僕に冷たく
(打ちのめされて)
誰もまだ僕のことを見向きもしない
(それでもいつか)
あの日見た夢の続きをまた見られるなら
(その時はきっと)
次は夢じゃなくてこの手に捕まえたい
(この手に──)
夢の(夢の) 続きを──!
観客はほんの数人。拍手の手が足りないが、そんなものはどうでもいい。将来の自分の様な似姿の天使に誘われて、即興で歌い切った。歌詞もリードして貰いながらだが、自分で紡ぐことが出来た。確かに、何かの夢の形を掴んだ気がした。
「歌うのって、こんなに楽しいんですね…!」
「そうですよ、忘れないでね。僕等の根っこはきっと一緒です。いまに君も、僕の様に歌の虜になるでしょう」
「虜?って何ですか?」
それは…とセルシアが説明しようとすると、カレンが駆けてきてウルスラに抱き着いた。
「すっごおおおい!ウルスラの歌、すごいよ!綺麗だった!カッコ良かったよ!あれ何ていう曲?」
「えっと、今僕が考えて作った曲だよ」
「ええっ!それはすごいな少年。あれ即興だったのか!」
「セルシアお兄ちゃんも普通に歌ってたけど、知らない曲だったってこと…!?」
「そうですね、僕はウルスラ君に合わせて歌いました」
「えーえーえー!何それ、もう訳分かんない!どうやって!?すご!すごすぎる!」
カレンの大興奮は中々治まりそうになかった。