終戦の休息
瀕死の重傷を負ったアザレイがその身を聖獣に転じた。聖獣からインカーを逃すためにシノが出現し、聖獣と炎の神との戦いは大崩落を引き起こした。その混乱の最中、サレイがアザレイとシノを回収。また、捕虜となっていたセルシアも、テテと共に金色の髪の女性に連れ去られた。
(化物共め……無茶苦茶しやがって)
ディゾールは撤退に際して指示を出しながら、小さく忌々しげに舌打ちした。団長のアザレイが不在、黒天の方で動ける大隊長はダイスモン卿のみ。崩落した底まで敵味方問わず可能な限り救出を行ったが、前線にいた者の多くは死に、運良く生き残った者も重傷者が多い。空を飛んでいた騎竜と竜騎士達の被害は幸い少なかったが、とてもではないが勝利と喜べる状況ではなかった。
(アザレイは大魔導師殿が匿った。〈卵〉らしきものも捕獲されていた。目標は達成したということだろう。上空から眺めているしかない崩落は酷いものだった……もうこれ以上一刻でさえこの世界に滞在したくない。熱さと神っぽさで頭がやられそうだ)
「中隊長。確保していた捕虜の姿が見えません」
「……そうか。構わん、作業を続けろ」
(逃げおおせたか、セルシア。助けが来たのだな。アザレイは恐らくもうイグラスに運ばれているだろう。お前を縛るものはもう何もない。この戦いに参加させなかっただけでも、良かったと思うしかない…)
ディゾールは瞼を閉じた。剣の仲間が助けたならば、崩落ごときでは死なないだろう。優しい夢を見たのは、自分の方だった。弟は、セルシアは、もう自分の後をついてくるだけの子供ではなくなっていた。弁えている筈だったが今更痛感している。これからは、敵同士だ。
「そうか、なら、シノとテテは少なくとも生きてるんだな」
イグラス軍もリンリスタン軍もその全てが塵の彼方に消えた夜、インカーはエンブレイヤーの形になって休んでいるノノと話をしていた。
『生存は、分かる。しかしこの世界にはもう居ない。テテは去り際、主を治療してもらってくると私に言ったきりだ。連れ去られた様だな』
「テテさんとセルシアさんは…この世界にはもう居ない…。でもまだ生きてらっしゃるんですね」
フィーネが安堵の深呼吸をする。クリスと合流出来たため、もう息をしても背中は痛まなかった。
「テテがセルさんと一緒なら、オルファリコンも渡った筈だ。治療さえ終われば彼は大丈夫だろ。……シノは…私を庇うなんて、馬鹿な子だ…。でも、シノがいなければあの獣は倒せなかった。あれは何だったんだ、どこから湧いて出た…」
「俺、見てたぞ。アザレイがあの獣に変身したんだ。クリスの投げた雷がアザレイにヒットして、墜ちるとこだった。急にアザレイが真っ黒になってあの獣になったんだ」
「てことは、あれも死の剣の権能、なのかしら…」
『あれは旧世界の獣。剣とは無関係』
「旧世界って何だ?」
クリスがエンブレイヤーに問い掛ける。
『大樹に坐す大いなる神の故郷。何故あの者が旧世界の獣と契約していたのかは知らぬが、大いなる神の埒外の力だ』
「大いなる神ってのは、イグラスの夜の神のことか?」
『左様、〈卵〉に力を与え、七神剣を造りし神』
「え、待ってそれ聞いてない。何よそれ…それじゃ、全部ラインハルトの計画だって言うの!?水や炎の神様を作ったのも?七神剣を作ったのも?それを私達が集めているのも、全部!?」
『左様。全て大いなる神の思し召し通り』
ノノの言葉にサンリアは憤ってじーちゃんを探した。
「じーちゃん!どういうことよ!私達の世界の為じゃなかったの!?ラインハルトは何を企んでるのよ!!」
サンリアが天幕の頂に止まっていたじーちゃんに食って掛かる。
『ワシにも、分からんのじゃ。じゃが、少なくともコトノは分かっておった。そして彼奴は今まで、各世界の七神剣を維持させてきた。森の維持、世界の維持の為だと。森が拡がるのも困るし、森が無くなるのも困ると。七神剣を動かすと、その均衡は崩れる。じゃから、七神剣を動かす時は、根本の原因を絶つ時じゃと、言い伝えられとった』
「根本の原因を絶つ…何を指してるんだ…」
クリスが考え込む。再びエンブレイヤーから声がする。
『大いなる神を管理者の座から降ろす。彼の者が引き起こしているこの次元の終焉を食い止め、今生きる者達を守る』
『炎の…それは、お主の意見か、コトノの行動の推察か、どちらじゃ』
『〈卵〉は繋がっていない。しかし、我々の行動原理はいつも一つ。この地に生きる者達を守ること』
『……それが、神であるということなのかもしれんの。』
ある時は気の置けない友の様でいて、ある時は強い力に動かされている血の通わない機構の様に振る舞う。そこに自由意思など無いのだとしたら、カミナも、コトノも、哀れな生き物だ。じーちゃんはそっと目を閉じた。
セルシアは自身が柔らかい寝台の様なものに横になっていることに気付いた。幌の中ではない。木の天井だ。木?砂の世界では、ないのか?
「…ここ、は」
「あっお兄ちゃん起きたのね!おはよー!」
セルシアは起き上がろうとして左腕に体重を掛ける。そこでしまった、骨が折れてるんだった、と思ったが何事もなく起き上がることが出来た。腕も、脚も、正しく動く。痛くない。
目の前にいるのは狐色の髪の女の子。十歳、には達していないだろうか。
「…おはようございます。僕と貴女はどうして此処に?」
「ママが連れてきたのよ、お兄ちゃん…あっ、お兄ちゃんじゃなくて、私のホントのお兄ちゃんの方ね。お兄ちゃんと一緒に、二人とも治療が必要だから、って。お兄ちゃんの犬さんはお兄ちゃんと…あーんもう!お兄ちゃん、お名前教えて!」
「セルシア、です」
「セルシアお兄ちゃんね!ありがとう!」
少女は嬉しそうに笑った。セルシアもつられて微笑む。
「セルシアお兄ちゃんの黒い犬さんは、今はアザレイお兄ちゃんと一緒にお庭で犬小屋作ってるよ!」
セルシアから笑顔が拭い取られた。
少女の名前はカレンと言った。アザレイの妹であるならば、カレンは大魔導師サレイの娘ということになる。歳は八つらしい。セルシアお兄ちゃんにそっくりな子が友達にいるのだと言うのでウルスラではないか?と尋ねると、とても驚いていた様だった。そして、折角だからウルスラ呼んでくる!待ってて!と彼女は出て行った。
暫くして、アザレイが部屋に入ってきた。
「…存外、大人しくしているのだな」
「カレンちゃんと約束しましたので。待っているだけです」
「知っているか。あいつは、レオンの妹でもある」
「そうなんですね。生き別れの兄を殺そうとしたことは、教えてやらないんですか?」
「……俺は常に最善を取る。レオンの存在など、どうあってもカレンにとっては端からノイズでしかない」
「身内には、お優しいんですね」
「お前も、身内には随分と甘い様だったが?」
「…少しばかり、優しい夢を見ていただけですよ。僕の帰る場所ははっきりしています」
「帰る場所、か…。同じ事をサンリアも言っていた。たった半年と少し共に過ごしただけで、そうも思えるものなのか」
「心を通わせるのに時間など関係ないんですよ。分かりませんか」
「いや……少し分かる、気がする。」
アザレイはサンリアと過ごした三日間を思い返していた。心に強烈に刻み込まれている。少し事情を説明しただけで、彼女は深い洞察を見せ、仲間になれないか、と尋ねてきた。あのまま対話を続けていると、自身の決意まで揺らぎそうだった。
「おや、貴方。恋をしていますね」
「…殺されたいのか」
「仕方ない、僕には聴こえちゃうんですよ。呼気の乱れ、鼓動の高鳴り。声の微かな揺らぎ。音の剣を持っていなくても分かりますからね」
自慢気な顔をしてみせるセルシア。アザレイは取り合わず、真面目な顔で目の前の男と向き合う。
「……音の剣が、今でも欲しいか」
「オルファリコンが無くたって、僕は帰りますよ。約束しましたので」
「そうか。…音の剣を持たないお前は無害だ。だが、放置すれば音の剣を再び手にすることになる。今、ここで両腕を奪っておくか?」
「発想がもう修羅のそれなんですが。やめて下さいよ、まだすぐ帰るとは言ってないじゃないですか…。折角だから数日ばかり、イグラスを観光させて下さい。僕は今は一介の吟遊詩人、こんなチャンス逃すつもりなんか更々無いですからね!」
セルシアはアザレイの案内で庭に出た。霧が深いからか、薄暗い。庭には馬小屋よりも大きい犬小屋を建ててもらって満足そうなテテが座っていた。とは言え、テテ自体今や馬ほどの大きさなのだ。それに付き合うアザレイは、律儀というか何というか。テテはアザレイにも嬉しそうに尾を振り、セルシアを視認すると彼に飛びついた。
「アザレイ君。テテに家を建ててくれてありがとうございます」
「こうしないと家の扉を壊してでも中に入りそうだったんだ」
「テテは寂しがり屋ですからね…」
セルシアがテテを撫でると、テテは待ってたわとばかりに鳥に変化した。
「おお、テテも二次成長したんですね!凄い、よく頑張ったね」
もっと褒めて!とテテがセルシアに擦り寄る。
「あのデカい鳥達も全部そうやって変化していたものだったのか…」
アザレイは初めて知る玉犬の神秘に素直に目を見張っていた。