大崩落
アザレイはフィーネの獣を殺し、レオンとサンリアの相手を部下に任せ、インカーを狙う。クリスはセルシアを探していたが、インカーに向かって葬送剣が使われようとしているのを見つけ、慌てて自陣に駆け戻ることに決めた。
「お前が死の剣の主、アザレイだな」
有翼の狼の背に座した白い衣に赤い鬣の女がアザレイを睥睨する。アザレイは交わす言葉を持たない。英の連中を一人でも多く戦闘不能にし、〈陸の卵〉を回収し、七神剣がイグラスに集う前に夜の神の代替わりを済ませてしまわねばならない。こんな所で無駄話に付き合うつもりは毛頭無かった。
「〈第一の──〉」
「〈卵〉は孵った。中から生まれたのは何の力も持たない仔犬だ」
女が話を続ける。アザレイは詠唱を止めた。
「お前等の目的は炎の神だったんだろうけど、無駄だよ。あの仔犬を連れて帰っても神の力なんか無い。幼い子供レベルの言語能力と、すぐ寝る健康な体を持つ、ただの可愛らしい雛だ。あれは今ここには居ない。だけど、ここにも居る。あれの権能はこの国全部に広がって、森との境界を保ち、人と共に存在している。炎はつまり、人の糧なんだ。卵一つ、仔犬一匹持って帰ったって、炎の神を攫ったことにはならない」
「…成る程。耳には入れておこう」
女は恐らく本当のことを言っているのだろう。しかし〈卵〉を求める本意は、その魂の格だ。力など改めて蓄えさせればよい。
「ここには居ない、と言ったな?その犬ではないのか」
「この方はノノさんだ。炎の剣が具現化した一つ。炎の神そのものじゃない。シノは…炎の神は、大事に隠されてる。戦場になんか出てこない」
「ならば炙り出されるまで、全て殺す。お前からだ、炎の剣の主」
「私の名前はインカーだ!仲間なんだから、名前くらい覚えて帰りな!」
「仲間ではない。剣は剣を呼ぶ。だからこそ、敵となるのだ!」
炎の渦がアザレイを覆う。しかし彼の騎竜は風を纏いそれを散らす。
「死の権能、命を奪う、闇の執行人。黄泉路を示せ、〈第一の葬送剣/クロウヴァ〉」
必殺の奔流がインカーを襲った!
レオンが幻影で見せてくれた死の剣の大技。それを食らったレオンは焼け爛れた様になっていた。そう、あれならば、私もついこの前近いものを経験した。確証は無い。しかし、これ以外に道はない。死中に活を求める。
「〈炎上、死活咲〉」
「何ッ…!?」
アザレイは目を疑った。インカーが炎を纏う。葬送剣がその炎に吸収されて散ってゆく。それは葬送の炎。而して再生の炎。彼女の体を燃やすその炎は、死を食い尽くし生へと転じる。
得心がいった。何故レオンが生きていたのかと不思議だった。暗闇病は不治の病、祓うことは出来ても一度呪われた体は元に戻らない、筈だった。しかし彼は無傷で生きている。それは、この炎の剣の権能だったのだ。
「……それがどうした」
アザレイは独り言を吐き捨てた。確かに相性は悪い。だが勝ち筋はある筈だ。反撃の炎を凌ぎながら、対策を考える。身に纏う距離の近さの現象は、作用線を断ち切るにも直接斬り込まなければならない。葬送剣は魔法の刃だから弾かれたが、直接斬り込めばあの炎も斬ることが出来る。しかし騎竜では届かない。これ以上高熱源に近付けば、冷却の魔法陣が保たない。騎竜では届かない、ならば…
ッドオオオオオオン!!!!
衝撃がアザレイに叩きつけられた。騎竜が翻る。体が硬直している。
(っく、プラズマイドか!!)
アザレイは騎竜と縺れながら落下した。騎竜を死なせる訳には。彼は騎竜をディスティニーの奔流で跳ね上げる。どうか生き延びてくれ、俺は……
『呼応。深淵は光を呑み夜に輝く。集結。其は七つめの力。常世の闇。生と死の姿。収斂。守るは人、守るは人為、其の生命の営み。この身に宿れ、〈第七聖獣/ダークラー〉』
身に刻まれた詠唱術式が発動する。俺は、いつから決死の覚悟を身に付けたのだったか。今なら思い出せる。それは聖獣との契約。死を揺籃し、人の生を守ると決めたあの時。今果たされる、黄泉路の誓い──
──それは戦場の空に突然発生した。
夜を渡る蝙蝠の翼。紫紺の角が輝く犀の頭。黒い穴熊の様な体。玉犬にも引けを取らぬ大きさを持つその異形は、地響きを立てて着地した。
『ダークラー呼応せり。旧き神よ、後は引き受けよう』
それは瞬膜を開閉してそう宣言した。降ってきた騎竜を掴み、優しく地に降ろす。そして翼を拡げると、ノノに肉薄した。
『旧世界の獣よ、其方の居場所は此処にはない』
ノノが呼び掛ける。ダークラーは咆哮し、玉犬と聖獣とで魔力のぶつけ合いが起こる。
『我、契約に従うまで。神の過ちを正し人為を守護せん』
『其方もまた過ちである』
『笑止。我が正しさを受け容れぬことこそ過ちである』
『何を…!』
ノノの炎の防御をダークラーが突き破る。雷、風、炎、光、様々な攻撃がダークラーに当たるが、全てその闇の毛皮に吸収されてしまう。インカーがノノの背中から飛び降り、ダークラーの鉤爪は空を掴んだ。鳥に変化したモモがインカーを受け止める。ノノはそれを確認すると、ダークラーに飛び付き噛み付いた。縺れながら戦場に落下する。地に叩きつけられたのはノノの方だ。ぎゃあん、とノノの悲鳴が上がる。ダークラーはノノを振り解き、再びインカーを狙って飛び立つ。
『ネーチャン、ダメ!アッチイッテ!』
インカーの目の前に突如シノが転移してきた。
「シノ!?お前こそあっち行ってろ、危ないぞ!」
インカーが手を伸ばすが、モモが急上昇し離脱する。
シノが鳥に変化した玉犬達から炎を集める。それは臨界し、ダークラーを貫く強烈な熱線となって放出された。余波が戦場に荒れ狂い、地は崩壊し、大穴を開ける。ダークラーは熱線を受け蒸発しながら、シノをその手に掴んで落ちた。
最早戦場は大災害の様相を呈していた。イグラス軍もリンリスタン軍も大地の崩壊に巻き込まれ壊滅状態だ。唯一、勝者がいたとするならば。
「よく頑張ったわね、アザレイ。〈鳥籠〉」
消耗し動けなくなった仔犬を鳥籠に入れて、彼女は傍らに倒れている、聖獣の核となっていた自らの息子に微笑んだ。
「貴方も、あの子も連れて行きましょうね。大切なお客様ですもの」
テテは空を飛びながら主人を探していた。ミミが二次成長を遂げ鳥に変化したのを皮切りに、一斉に兄弟達も変化の術を会得したのだ。嗅覚も鋭さを増した。砂の匂い、血の臭い、焼ける臭いに混じって、あの人の香りが確かにする。きっと、あの荷車の中だ。荷車が崩落に巻き込まれていないのは幸いだった。テテは傍に降り立ち狼の姿に戻ると、幌を齧って剥がした。
痛ましい姿の主人がそこにいた。人間の手足って、こっち向きに曲がったっけ?多分、悪い奴らにやられたのだろう。気を失っているのだろうか。舐めてみたが起きない。
「大丈夫よ、寝ているだけだわ。治療してあげる。貴方、その人を咥えて一緒にいらっしゃい」
金髪の優しげな女性が近くで声を掛けてくれた。それは助かる、私ではこの人を治せないから…。テテはセルシアを咥えて女性の方に歩き出した。
レオンは見ていた。
山の様な巨体の竜騎士に押され、あわやという所でロロが鳥に変化してくれた。空に逃げられれば安全だった。その竜騎士が盲目でも、騎竜は視覚を持っているのだ。竜騎士はまともに追って来られなかった。
何か出来ることはないか、と思った。勿論、玉犬達の防御のために撹乱の力は再び使い始めた。サンリアは、無傷のままうまく騎竜軍を引き付けている様だ。インカーは葬送剣を食らって無事だった。凄いな、と思う。自分も今ならば押し負けないだろうか。アザレイの体を、駆け付けたクリスの雷が直撃する。よし!彼は叫んだ。アザレイが墜ちる。そして、突然巨大な怪物に変身し、地に降り立った。
何なんだ、あれは。レオンは目を疑った。アザレイは、あんなものに変身できるのか。死の剣の対である光の剣にも、その様な権能があるのだろうか。レオンは対抗心を燃やしてアザレイを観察した。ノノさんが押されている。今ならビームで援護出来ないだろうか。レオンはイメージした通りにビームを発射した。同じ事を思ったのだろう、サンリアとクリスも動く。しかし、怪物の毛皮を通すことはなかった。インカーが逃げる。ノノがやられる。シノが出てきて、怪物を倒す。怪物はシノを掴んで地に墜ちて、蒸発し、アザレイの姿に戻る。そこに。
ふわり、と空間が歪んで、サレイが立っていた。
(…ああ、とうとう見てしまった)
レオンは見ていた。サレイがシノを魔法の鳥籠に入れ、横たわるアザレイと共に魔法の様に消えるのを。
(やっぱり、サレイ母さんは、敵、だった……)