戦は無情
セルシアが連れ去られた。フィーネは彼を許すことが出来なかったと後悔に泣く。しかし助けに行くかと提案されると、彼を許すには彼が反省し脱出の努力をする姿勢を見せるべきだと断り、帰ってこいとじーちゃんに伝言を託した。一方セルシアは完全に投げ槍になって、兄の元に降るのも良いかと弱気になっていた。
彼の兄は彼が眠りについたことを確認して、自身の天幕に帰った。その夜半のことである。一羽のフクロウが幌の口からバサバサと中に入った。
『歌を歌ってくれたお蔭で場所が分かったが…中々あいつ、外に出んかったな。やれやれ、随分と時間も遅くなってしもうた。ほれ、セルシア、起きろ!起きるんじゃ!』
後ろ手に回されているセルシアの親指を嘴で噛む。
「いでっ!?」
座ったまま寝ていたセルシアが小さく叫び声を上げて目を覚ます。慌てて周りを見渡し、彼の腰元にフクロウが座っているのを見つけて小声で話し掛けた。
「…何だ、おじいさんでしたか。僕はこの通り、囚われの身ですよ。音の剣も置いてきてしまいました。僕の戦いはここで終わりです」
『なーにを言っとるんじゃ。早く戻って来い』
「戻って来い?はは、あの状況を見ておいてそんなこと仰るんですか?…出て行って下さい。僕の戻る場所なんかもうどこにも無いんだ」
『クリスが、お主を助けようと画策しておった』
「……余計なお世話ですよ」
『それをフィーネが、嫌だと断ってな』
「…!!…そう、ですか」
助けを少しも期待していなかったと言うと嘘になる。彼女が彼を許してくれるかもしれないと期待する気持ちも少しだけあった。しかし、所詮自分は裏切り者だ。あまつさえ、裏切りを隠し、何度も愛を囁いた。どの口で謝ったって、許しては貰えないだろう。
『しょげるな。彼女は強い女じゃ。お前は捕虜として辛い目に遭うじゃろう、自身の裏切りに死にたくもなっているじゃろう、じゃがきっと死なない、と言っておった。何故なら自分がまだお主を許していないからじゃと。それはお主への罰なのじゃと。生き汚く生き延びて、独りで脱出して、自分に謝りに来いと。そうしたらきっと許してやると。お前の大事な人が、さっさと帰ってこいと怒っているぞ、とお主に伝えろとワシをここに寄越したんじゃ』
じーちゃんは一気にまくし立て、全部伝えたぞ、と溜息をついた。
「…おじいさん」
セルシアは、自然と自身の口許が吊り上がるのを感じた。
「いい女でしょう、あいつ」
『ワシのサンリアの方が伸び代はあるがの』
「そうかもしれませんけどね!僕の女はフィーネだ、彼女がいれば最早他の女はどうでもいい。ああ…最高だ。やっぱり僕の目に狂いはなかった。僕の暁の女神、貴女の為に朝日が昇る、僕の新しい明日がやって来る!
…っといけません、今はオルファリコンが無いんでした、お喋りは静かにしないと…。
分かりました、おじいさん。しっかり伝言は受け取りました。貴女の大事な人は、貴女のお言葉に大いに奮起し、必ず戻るとお約束します、とお伝え下さい。今晩はもうこんなに静かで、今の僕が動くには危険過ぎる。明日の戦闘の混乱に乗じて脱出しましょう。直ぐ向かいます。テテにティルーンを持たせておいて下さい。彼女なら僕を見つけてくれるでしょう」
『あい承った。では戻るぞ。ワシゃもうお腹ペコペコじゃ…』
「おやすみなさい、おじいさん。本当にありがとう…!」
フクロウが飛び立つ。セルシアはその羽音が遠ざかるのをワクワクしながら聞いていた。
「…なるほどね。明日脱出するんだな。お前の考えはよく分かった」
あり得ないほど遠くで、知らない声がした。常人ならば聞こえない距離だが、セルシアはヒュッと息を呑んだ。コン、カカ、コンと足音にしては賑やかな音が近付いてくる。やがて幌の口が開き、黒い大男が入ってきたかと思うと、セルシアは荷車の外に引きずり降ろされた。黒い大男は片手杖を突き、夜中だというのに黒いバイザーを付けていた。目が見えていないのだろうか。
「ディズの頼みで聞かせてもらっていた。お前の叔父貴も心配性だな。ま、今回はその心配が大当たりだった訳だが…」
「聞かれていたのか…耳の良いことで」
セルシアが冷たい地面に転がされながら憎々しげに大男を睨む。
「お前、今逃げると殺されるぞ。アズの怖さを知らないだろう。死の首輪は外れてなどいない、加減されただけだ。お前は泳がされている。信じる信じないは勝手だが、…ディゾールはお前を殺されたくないらしいからな。お前が死ぬとあいつは使い物にならなくなるかもしれん。とりあえず、逃げられない様に手足の骨は折らせてもらう」
大男がセルシアに馬乗りになる。杖で押さえ込まれ、口に手袋の様なものを突っ込まれた。
「ぐ───!!!」
めきり、と腕に嫌な音がした。
(近くにプラズマイドが無いと…医療モジュールは動かないんですね…)
熊男の言葉は分かったから、翻訳機能は動いていた筈なのに。不便なものだ。否、本来この痛みの方が自然なのだが。
セルシアは荷車の中に転がされ、脂汗を浮かべながら呻いていた。両腕両脚の骨を折られてからは一睡も出来なかった。全くあの熊男、丁寧にポキンポキンと折りやがって。驚く様な馬鹿力だ。
外は朝になった様で、兵共が慌ただしい。このまま放置されるのだろうと思っていたら、サッと幌の口から兄が入ってきた。
「…ガンホムに委細聞いたぞ。ほら、痛み止めだ。痛くなくなりはしないが、熱くらいは下がる」
「兄さん…、怒ってないん…ですか…」
「怒っては…いる。だが怒っても仕方ないだろう。帰りたがらない捕虜の方が珍しいもんだ」
「ごめん…なさい…迷惑、掛けて…」
「いいから飲め。痛いだろうが起こしてやる」
セルシアは助け起こされ、ひいひい言いながら縦になった。もう一生動きたくない気分だ。顎を上げられ、喉に薬を流し込まれる。噎せたら絶対に痛いので、我慢して飲み干した。
「良い子だ。これには眠り薬も入ってるんだ。お前はもう今日一日、このまま寝ていろ…」
何とか間に合わせた神都の兵力と剣の仲間達が合流し、いよいよ決戦の時が来た。インカーは夜中の火の番の際にクリスから事情を聞いていたが、それでも出陣の直前、フィーネに確認せずには居られなかった。
「本当に、セルさんより神都を優先していいのか?独りで、剣も持たずに脱出なんか…。テテが運ぶとは言え、そもそも人が多すぎて、どこに居るのかも分からないんだぞ?」
「…大丈夫です。必ず戻ると約束しますと仰ったんですから、私は彼を信じるのみです。例え、この戦いの中では戻れなくても。いつか必ず、戻ってきてくれます」
フィーネの決意は揺らがなかった。
「…分かったよ、フィーちゃんはそうやって、自分にも罰を与えてるんだな。なら、良い。ここは思いっ切り派手に暴れて、奴等を追い払ってやろう!」
インカーはそう言うと右手を拡げた。その手に炎が起こり、エンブレイヤーが顕れる。更に炎が体中に燃え広がり、ザザ神の衣装となる。更に更に炎が天に登り、ノノが現れた。
「盛り沢山かよ!いいなーずるいなー!」
レオンが欲張り変身セットに目を輝かせる。
『ここはシノ様の領域。我等に敵うモノ無し』
ノノがインカーを背に載せながら、笑う様に少し目を細めた。
「私も今日はちょっと贅沢しますよ!」
フィーネが地下水から膨大な水を集める。七つの獅子の頭と、そのうち中央の頭に十本の角を持つ巨大な獣の形の魔法生命体が形作られた。フィーネをその背に載せて雄と立つ。見上げることしか出来ないが、少なくともノノの五倍の高さはある。きっと神都の神殿よりも大きい。
「す…っげー!!かっこいーーー!!!」
レオンが目をキラキラさせたまま、サンリアを振り向く。
「…だ、出せないわよ!?悪かったわね!!」
「前回の戦いで分かったんです。魔法防壁には…物理!質量!どーん!です!」
フィーネが獣を真っ直ぐ銀色の兵達の陣に突っ込ませていく。魔法防壁がバリバリ、と獣の体重を支えられず罅割れる。遥か下で何か騒いでいるが、何を言っているのかまるで分からない。このまま割ってしまえば、あの人達は潰されてしまうだろう。
「いいえ…セルシアさんは荷車の中だと教えて貰いました。つまりこの辺りにはいないということです。返してもらいますよ、セルシアさんを!」
巨大な獣は跳躍した。
「くそっ、何だあの質量兵器は!跳ねるなんて聞いてないぞ!!前線も何もあったもんじゃない、無茶苦茶だ!!」
「魔法防壁展開、間に合いません!第ニ輜重大隊、壊滅!」
「一撃で五百も持っていかれてたまるか!何とかしろ!」
「落ち着いて、第二副長殿。魔法防壁を二重にしましょう。一枚は全域を覆い、もう一枚は狭く分厚く。一枚目で時間を稼ぎつつ、割られる前に二枚目をあれの落下地点に移動させるのです」
「な、なるほど…流石はダイスモン卿…おい!今言われた通りにしろ!」
通常平野戦を得意とする銀天騎士団の副長達は皆、騎兵や重装歩兵上がりで魔法に疎い。何とかしろ、もむべなるかな。自分はここで実質銀天と黒天の魔法部隊の総指揮を取らなければならないと、ダイスモン卿は覚悟を決めた。
(大丈夫だ、あんなモノ、必ず団長殿が仕留めてくれる…!)
「団長!銀天の魔法部隊があのでかいのに掛かりきりになっちまってる、他の攻撃が素通りしてんぞ!」
「分かっている、近寄れないだけだ……!」
大きいものは騎竜の倍、翼開長十数メートルはあろうかという色とりどりの巨大な鳥の群れ。炎を操り騎竜を寄せ付けず、光の剣で守護されているのか、攻撃しても全く当たらない。剣の権能は遠隔でも殺せるが、生物や魔法生命体など「現象」の定義から外れるものは、直接「死」を書き込む、即ち葬送剣か物理で斬り込んでやらないと殺せない。
(煩わしい…!)
「ガンホム!あの獣に突っ込むぞ!ディゾール、援護!」
「「イーラ・イグラス!」」
アザレイを先頭として、騎竜が錐の如く並ぶ。鳥よりも小さく機動性に優れた体を活かし、鳥に反応される前に一気に獣まで接近する。横から浴びせられる炎はガンホムの隊が捨て身の魔法防壁で受ける。たった一太刀、死の剣を、あの獣に。それであの猛攻は終わる。
(捉えた!)
「〈第一の葬送剣〉──!」