仕組まれた再会
コトノ主はラインハルトと話をし、彼の意志を確認した。カミナはコトノ主の願いを受けてシオンに会いに行ったが、サレイに捕獲されてしまった。かくてイグラスに海の卵と天の卵が揃う。残るは陸の卵のみ。「武」の者達はそれを奪還すべく砂漠世界への侵攻を計画していた。
インカーは耳を疑った。ノノ、もといエンブレイヤー越しの念話なので、正確には耳を使う訳ではないのだが。
「この国に…敵が攻めてくる、だと…?」
『ネーチャン、コワイ、イヤ、コワイ』
『ほら、今朝目覚めてからシノ様がずっとこの調子なんだ。夢見が悪かっただけかと思ったが、隔離防壁を破る者が出た。無論、お前達以外にだ。他の長で動けるのは…サレイだが、その可能性はない。奴は防壁を破って侵入する様な自己主張はしない。であれば、武の者だ。恐らく既に、この神都に向けて出撃して来ている』
「くそっ、狙いは何だ!侵略か?」
『属世界に落とそうというのかもしれない。しかし、シノ様が目覚めたことを察知されたのだとしたら拙い。コトノと同じく、シノ様も狙われる可能性が高い』
「…我々が砂漠を抜け切る前でまだ良かったです。すぐにそちらへ向かいましょう」
「セルさん…!皆、それでもいいか?助けてくれるか?」
「勿論だ!インカー姉の大事な故郷だぞ」
「それに、俺の帰る場所でもある」
「シノちゃんも守らなきゃ!」
「二度と神様に手出しはさせません…!」
『英の子らよ、感謝する。…ロロ等を侵入地点まで誘導させる。そこから侵入者の痕跡を辿って欲しい。今〈お兆し〉…使い魔達を飛ばして捜索しているが、如何せん砂漠は広く…まだ敵の規模が分からん。くれぐれも注意してくれ』
「分かった。皆乗れ!走るぞ!」
目的地の侵入地点に着いたのは、砂漠の太陽が沈みかける頃だった。
「何だこれ…」
インカーは言葉を失った。そこには二百メートルはあろうかという幅の大きな鉄の橋が谷の向こうの森から掛けられていた。これを使って渡った軍隊は、彼女の国のどんな川よりも広い人の流れになっているだろう。それを想像してインカーは震えた。
「これは…こんなの、無理だろ…」
「しっかりしろ、インカー!お前が持つそれは何だ!俺達が持つのは七神剣。文字通り一騎当千の力を持つ神の剣だ!俺達なら戦えるし、俺達が行かないと勝てない。そうだろ!」
クリスがインカーを励ます。インカーの目に炎が再び宿る。
「…そうだな、私達が…私が守らないと。シノを。全ての玉犬を。家族達を。この世界を」
「地響きが遠くに聞こえます。夜のうちに近い場所まで寄りましょう」
次はセルシアのククが先導して、彼等は再び駆け始めた。
夜になった。遠くに夜営の灯りが見えたぞ、と先導を変わったレオンが叫ぶ。
「捉えましたか。では向こうから火を炊いても見えない位置を探して下さい。僕らも休息が必要だ」
「そうだな。モモ達ももう限界だろう。今日は休んで明日……」
休息、と聞いて気が抜けたのか、インカーの上体がぐらつく。
「おっと、インカーが一番限界だったらしい。俺が支えてゆーっくり行くから、お前等は先に行っててくれ」
「分かったわ。ごゆっくり」
サンリアがクスッと笑ってレオンに付いていく。セルシアとフィーネも頷いて、二人を置いて先に行くことにした。
夜営の準備を始める。火種はインカーが到着してから頼むとして、まずは夜露を凌ぐ天幕だ。セルシアとレオンとサンリアが、手慣れた様子で設営を始める。フィーネは大地から今夜必要なだけの水を借りている。
「やあ、元気になった様で良かった」
突然頭上から声を掛けられ、一同は空を仰ぎ見た。隠蔽魔法が解かれる。
騎竜が降りてきたところに、レオンが即座に切り掛かる。騎乗していた男はヒラリと躱して慌てて両手を挙げた。
「待って、待ってくれ!敵じゃない!」
「…敵じゃない?誰だ?」
レオンが剣を構えたまま訝しげに問い掛ける。セルシアは信じられないという顔でその男を見つめていた。
「俺はセルシアの兄、ヨナリアだ。弟に会いに来たんだ」
そう言うと彼は兜を外した。月の光に照らされて白金色に輝く長い髪が流れ出る。その瞳は硝子細工の様で、セルシアと鏡の様に生き写しだった。
「ヨナリア…!?貴方は死んだってサレイが…」
「ああ、俺は一度死んだ。そしてイグラスのディゾールとして蘇生されたんだ。大魔導師殿は嘘はつかないが、いつも全ては語ってくれない」
「…兄さん、何故今」
「そりゃ、これが最後の要の戦いだからさ。お前と会えるのも最後かもしれない。この前は声だけだったから…ほら、明日は敵同士でも今日は兄弟だ。ハグくらいさせてくれよ」
「どうしたんだ?セルシア。本物じゃないのか?」
「……いや、本物だ。本物の兄さんだ……」
セルシアは警戒していたが、それでも兄に近づくと、飛びついて抱き締めた。兄も笑顔でハグを返す。
「兄さん……会いたかった!」
「おいおい、お前まで俺より身長伸びやがって!ああ…十二年ぶりだな」
「もうそんなに…ああでも、小さくなっても兄さんは変わらないね」
「いや、小さくなっては無いからな!?」
二人が笑う。フィーネは微笑ましくセルシアを見ていた。
「この前は声だけってことは、セルシアは話したの?」
「えっ?お前仲間に言ってなかったの?ああ、彼女はこっちの陣にいたから知らないのか。お前等が助かったのはセルシアのお蔭なんだぞ」
「!!ちょっ…」
「どういうこと?」
セルシアに突き飛ばされつつ、ディゾールは続けようとした。声が出なかった。セルシアがオルファリコンを抜いた。レオンとサンリアが慌ててセルシアの両腕に掴まって彼を押さえる。
「待て待て、セルシア!どうしたんだ!?お前ヨナリアを迎えに行くんだって言ってたじゃないか!」
「セルシア!私達が助かったのは貴方のお蔭って、どういうこと?」
サンリアが少し剣呑にセルシアを問い詰める。
「セルシア。お兄さんの声、戻してあげて。」
「……嫌だ」
「…セルシアさん。あの時、何があったんですか」
「……言わない」
「その男は、コトノ主を売ったのだ。お前等剣の仲間の為に」
砂丘の上から別の声がした。黒い人影と、抜かれた漆黒の大剣。
アザレイだ。
セルシアが睨むが、彼の作用線はアザレイに到達する前に殺された。
「主様を…売った…?」
フィーネが息を呑む。心臓が早鐘の如く鳴り響く。では、目の前にいるのは、敵か?自分に愛を嘯いていたのは。自分が、身を許したのは。
「フィーネ…」
セルシアが辛そうな顔をフィーネに向ける。
「その男は取引をした。お前等を逃せば、コトノ主の本体の居場所が分かると我々に教えた。その情報が無ければ、コトノ主は術を発動させた後逃げおおせただろう。その代わり、お前等は再び我々に攻め込まれ、少なくとも光のは、その場で命を落としていた」
「セルシア、お前…」
レオンが複雑な気持ちでセルシアを見上げる。セルシアは歯を食いしばり何も言わない。
「嘘、嫌です…セルシアさん、嘘だと言って…」
フィーネが首を振る。
「…ええ、嘘です、こいつらの出鱈目…」
「嘘なものか。本来ならば俺はとっくに光のを殺せていたのだ。今でも慚愧に堪えん」
撤退を決めたのは自分なのに演技が上手いものだ、とディゾールはこっそりアザレイに感心した。否、本心はそちらなのかもしれない。彼は怒りを抑えて任務の達成を優先したのだろう。
「フィーネ…僕より、こいつらを信じるのか」
「いえ……何も…信じられない。…ひとつ聞かせて下さい。主様の命と、私の命。優先するなら、どちらですか」
そんなもの、考えるまでもなかった。
「…フィーネだ」
「…分かりました。私は…ここで貴方を殺します!!そして貴方に心を許した私も一緒に死にます!!!」
「待ちなさい、フィーネ!」
サンリアがセルシアの左腕から手を離してフィーネに飛びかかる。
セルシアはその瞬間、レオンを振り解いて兄に斬りかかっていた。ディゾールは当然分かっていたとばかりに応戦する。
「〈死の首輪〉」
ガチン、とセルシアの首に輪が填まる。突然力を失ってセルシアは兄の腕に崩れ落ちた。
「それじゃ、この子は貰っていくよ。また明日ね。」
そう言うとディゾールは騎竜に跨り、再び隠蔽魔法に包まれてしまった。