姫と団長
アザレイはディゾールの内通を不問に付し、更に告発したガンホムとディゾールの仲が悪化するのを防ぐため、二人に休暇を共に過ごすよう指示した。ディゾールはこの機に、と自身の息子ウルスラをガンホムに引き合せた。
アザレイは非常な居心地の悪さを感じていた。目の前の王女が何を求めて彼をこんな花だらけの場所に呼びつけたのか、皆目分からないのだ。
ここは王室の庭、王女が管理する花園の四阿。むせ返る花の匂いがアザレイの思考の邪魔をする。花は嫌いではないが、一輪のささやかな彩りと香りを楽しむ方が好きだ。目にはあやかな王女の花園は、彼の感性には合わないのだった。
「報告書じゃなくて貴方の口から聞きたいの。私は第一王女、王位継承序列一位よ?それくらいしてくれたって良いじゃない」
王女は少し語気を強めた。アザレイは動かない。顔を伏せて、彼女の前に跪いたままだ。同じ十五歳、昔は共に庭を駆け回った仲だが、アザレイは黒天騎士団団長となり、王女は成人を迎えた。立場の差は歴然と二人の間に横たわっている。アザレイの顔を上げさせるのは容易なことではないだろう。
「ですから、王の許可がないと…」
「お父様の許可なんか事後承諾でも構わないわよ。取っておく。必ず取っておくから教えて」
「何故姫様がそこまで今回の遠征に拘りを持たれるのか」
「貴方の活躍を聞いておきたかったのよ」
「某に聞かずとも…」
「だって、サレイが今回はご自分で聞くのが宜しいですわよって」
「……?」
毎度のことながら、アザレイには母の言動は理解が追いつかない。だが。
「…承知しました、母が姫様にご無礼を働いたということでしたら」
「あら、教えてくれる気になったの?」
「……簡単でよければ」
「いいわよ、でもちょっと待って。アザレイ、口調を昔に戻して?姫様じゃなくてハルディリア。某じゃなくて私。出来るわよね?」
「出来かねますが」
「やりなさい。私がやれと言っているのよ」
「……わかりました、ハルディリア」
強制される無礼な仕業に冷や汗が出る。成人前の道理も分からぬ子供ならば兎も角、今の彼女は目下の者に呼び捨てにされて、何が嬉しいのだろう。アザレイの居心地の悪さは最早苦痛の域に達していた。
「今回の目標は水の都に存在する〈海の卵〉の奪取でした。敵対勢力は剣の仲間の五人。うち一人は捕虜化に成功。…結果的に、捕虜交換の様な形で〈卵〉を獲得し帰還しました」
「そうなの。で、その〈卵〉はどうしたの?」
「…王の管理下に」
「と、いうことは、神官たちが何かする予定なのかしら…。でも、そう。貴方と同じ、剣の仲間達に会ったのね。どんな人達だったの?」
ハルディリアに聞かれて真っ先に思い浮かんだのは、橙色の髪の少女。それから彼女の…
「…女の子がいたのね」
「!?」
突然思考を読まれた心地がしてアザレイは思わず顔を上げた。ハルディリアは笑顔だ。王が国民に向ける完璧なそれだ。
「そう、良かったじゃない。そのうち仲間になると良いわね」
どういう意味だ?アザレイは焦って混乱した。
「某は…イグラスに忠誠を…」
「うふふ、私の言いつけも守らないで忠誠…?可笑しい…」
「姫、ハ、ハルディリア…」
「ああ、サレイがご自分でって言った意味が分かったわ。そう…面白いじゃない…」
姫の笑顔は貼り付いた様に動かない。それは鎧であって、その下の本当の顔を想像したくなかった。アザレイは窮鼠の心地で顔を伏せた。何かを決定的に間違えたらしい。それは理解できたが、彼には最早どうすることもできなかった。
下がらされて、アザレイは兵舎へと戻る。自邸まで戻る気力はない。また貴族としての仕事が溜まるまで自邸の方は放置で良い。男所帯で賑やかで雑然とした兵舎の方が、自分らしいと思える。とりあえず、目眩がする様なあの四阿の花の匂いを忘れたかった。
自室が明るい。またあいつらか。アザレイは少し口許を緩めて扉に手を掛け、それから仏頂面を作って開けた。
「…おい、お前等」
果たして、中にはガンホムとディゾール、それから小姓のヤトが居た。
「あっ団長!お疲れ様ッス!」
ヤトが元気良く反応する。
「…ヤト。お前が入れたのか」
「ガンホム様とディゾール様ッスから!」
「ん?アズ、何かいい匂いがするなー。女か?」
「団長は姫様に呼ばれたッス」
「ヤト。お前こいつらに気を許しすぎだ」
「失礼しましたッ!」
「まあまあ団長殿。俺等は恙無く休暇が終わった報告に来ただけだよ。ヤトにお願いしたのは俺だ、責めないでやってくれ」
「報告など要らん」
アザレイはディゾールが座っている自分の寝台にドカッと乗り込み横になる。ディゾールは少しだけ端に寄ってアザレイを見た。
「…お疲れ様?」
「……落ち着く部屋が欲しい」
「心にもないこと言ってるな?アズ。俺等がいて良かったー!って感じの声だぞ」
ガンホムが声で聞き分けてくる。もう何も言うまい、とアザレイは皆に背を向けて目を閉じた。
「…おいガンホム、団長殿が黙り込んじまったぞ」
「何かお辛いことがあったッスかね…」
「姫様にフラれたとかか…?」
ヤトとディゾールは呆れてガンホムを見る。
「…団長がアプローチする訳無いだろ」
「団長ッスよ?硬派の極みッスよ?」
「いや硬派というより…女慣れしてないだけだろうが…姫様はお好みじゃないだろ団長は」
「えっじゃあ誰?風の剣のあの子?」
「ええっ、やっぱりそういうことだったんスか!?」
「やっぱりって何だヤト、心当たりがあるのかお前」
「いやディゾールさんはご存知無いと思うんスが、団長彼女にハニトラに遭って…俺等の天幕に逃げてきたことがあったッス。その次の日からあの…拷問が…」
「なんとそんな経緯が…」
ディゾールがニヤつきを隠さずアザレイを見る。
「……主の醜聞を広めるのが趣味か、ヤト」
アザレイは皆に背を向けたままうんざりした声を出した。ヤトが真っ青になる。
「お、俺、そろそろ戻るッス。団長、何かご用ありましたら鐘で…」
「いい。行け」
「イグラシアス(※おやすみなさい)ッス、団長!皆様!」
「…イグラシアス」
不機嫌でもきちんと挨拶はしてやる辺り、生真面目な男だ。ディゾールは尚もニヤつきながらアザレイに声を掛けた。
「そういや…なぁ団長。お前んとこの妹と俺のウルスラが仲良いの知ってたか?」
「ん?ああ、よく自慢されるな」
「知らなかったの、俺だけかよ!」
被弾させてやろうと思ったら返ってきた。
「アズ、今度ウルスラちゃんがカレンちゃんの訓練見学に付いてくるかもだってさ。構わないか?」
「子供の遊び場ではないが…いや、八歳か。そういえば俺もその位から稽古に出入りさせてもらっていた。ディゾールが目を離さないなら構わん」
「重々気を付けるよ。俺の天使に不届き者が近寄らん様にな」
「…そっちの心配はしていなかったな。カレンにも注意を払うべきか…」
「兄貴も心配だよなぁ、分かるよ…セルシアもウルスラに似て可愛かったから、兄代わりの俺はもう…」
「…言われてみれば、音のはお前に似ていた」
「えっ?見たのか?顔を」
「以前、秘密裏に偵察に出されたことがあっただろう。あの時に見た」
「えーっズルい!俺だって近くで見たい!会いたいー!…そうだ団長、あいつこっちに引っ張って来ようぜ」
「何…?」
アザレイが上体を起こす。ディゾールは午前中にガンホムと話した内容を彼に伝える。夜は段々と深くなってきていた。