冬の砂漠の夜のこと
インカーは目覚めた炎の神に認められ、炎の剣の主となった。神の目覚めを喜ぶロジャーだったが、顕れたその神はあまりに幼い仔犬だった。ロジャーは事態の責任を、炎の神シノを育てる形で取ることになり、剣の仲間達はインカーと七匹の玉犬を旅の仲間に加えて神都を出発した。
冬の砂漠の夜と聞くと極寒のイメージがあるが、それはあくまで乾季の話。冷たい雨季である今はある程度の湿度があり、気温はそこまで下がらない。といってもやはり火は絶やせない。皆が玉犬達にもたれて暖を採りながら寝静まる真夜中、インカーは火の番をしていた。
「…インカー」
彼女の恋人が、周囲を起こさないようそっと起き上がる。
「あれ、スッス。まだ寝てていいぞ。時間になったら起こすから…」
「クリスなら、寝てるよ。僕だよ」
「…リノ。体も寝なけりゃ睡眠とは言わないんだぞ」
「竜に羽差す(※釈迦に説法)ってことわざ知ってる?僕はナノマシン技師だぞ。自分の体のことくらい分かってる。それよりお話ししようよ」
そう言って彼はインカーの隣に座り、彼女の腰を抱いた。
「…インカー。やるじゃん。ちょっとは見直したよ」
「リノ、旅に付いてきなよって言ってたもんな。クリスにも頼まれた。でも実際、何をすれば炎の剣の勇者に値するのか全然分かってなかったんだ。とりあえず神殿まで行っただけ。私は、運が良かっただけ」
「相変わらずだな。お前のそういうとこ、苛々するんだよな。あんな好意を寄せられていたのに無自覚だし、可愛くないとか言うし、炎の剣に選ばれたのが運とか言うし、インカーファンクラブの存在も知らないし」
「ふぁ!?ファンクラブ!!?」
「声でけーな。皆起きるだろうが」
「あ…ごめん。…そんなんあったの?全然知らんかった」
「ライサとか…ギムって知ってる?あの辺」
「え、えぇー…ギム私のこと好きだったのか…」
「彼氏の前で他の男のこと考えないでくれる?不愉快」
「リノが話振ったんだろ…。まあその、鈍いのは悪かったよ」
「違う…ああもう。自己評価が低すぎるって言ってんだよ。お前、実際あの炎に焼かれてた時、途中まで諦めてただろ。分かるよ。もう自分は駄目だからって、どれだけカッコつけて死のうかって、僕なら考えるから。それでも最後に絞り出した言葉が、一緒に生きたい…。痺れたね」
「行きたい、だったと思うんだけどな…」
インカーは膝を抱えて顔を隠した。リノが優しく顎を抱え上げる。
「照れないで、可愛い子。顔を見せて。…多分、愛だよ。正解は愛だったんだ。炎の神は愛を求めてた。死ぬ間際の愛してるじゃなくて、もっと未来のあるやつだ。だから、お前がああ言った瞬間、『得たり』だったんだろう。お前が僕と同じことを言ってたら、死んでたってことだ」
インカーはリノの顔をまじまじと見た。そうかもしれない、と思う。
「…ああ、それは覚えてる。絶対それは言っちゃいけないと思ったんだ」
「…ありがとう、クリスのことを本気で想ってくれて。
まだまだ、全然、全っ然足りないんだけどさ。…あいつ、お前が燃えて以来、僕のこと一度も考えてないんだ。…だから、あいつのこと苦しめるの、そろそろ終わりにしようかなって、思って…あれ?」
インカーの両目からぼろぼろと涙が溢れた。リノは驚いた。
「何でインカーが泣くんだよ…」
「嫌だ…」
「えぇ…僕は死人だぞ。満足したら消えるべきだ」
「嫌だよ…私にとっちゃ、お前も大切な恋人なんだよ…一緒に生きたい、には、お前も含まれてんの。」
「こんなに邪険にされてんのに?」
「うん。」
「…クリスのことで逐一マウント取ってくるような奴なのに?」
「うん。リノ。」
「…何さ…」
「リノが好きだ」
リノの息が暫く詰まった。それから、くつくつと笑い出した。
「…もー!どいつもこいつも、クリスもお前もさぁ…!」
ふ、ふ…と笑う唇が震える。
「……何で僕が好きになる奴はこんなに馬鹿なんだよ…」
リノモジュールは理解した。
それは紛れもなく愛だった。
僕達を愛してくれる女がいた。
死ですら分かたれなかった二人を、まるごと受け入れてくれる人がいた。
結局、僕は最初から、一人の独立した人間としては全く不十分だったのだ。かつてのリノは、それをクリスに補わせた。だから僕達は二人で一人分で、それを理解していなかったから、今まで幸せになれなかった。
…良いのだろうか。
僕も、リノモジュールも、幸せになって良いのだろうか。
こんな奇跡が、こんな僕に、降り注いで良いのだろうか。
お人好しで馬鹿なインカーを騙している気分だったが、それは違うと自分でも分かっていた。インカーはハッキリと、クリスとリノを分けて考えてくれている。それでも、彼女にとってはどちらも大切な恋人なのだ、と。
ホント、馬鹿だなぁ。
お前はこんなややこしい二重人格男なんか選ばなくったって、十分幸せになれるだろうに、さ。
僕のクリスを…幸せにする権利なんか、僕が消えていいなら、全部まるごとくれてやるのに、さ。
……クリスの体の涙腺は、思っていたより緩かった。
「そりゃあお前…お前がクリスを好きで…私がクリスを好きだからだろ」
インカーがちょっと首を傾げて答える。馬鹿じゃないとは言い張らない辺り、彼女は聡明だとリノも認めざるを得なかった。理屈としては全く筋は通っていないが。
「訳分かんないよ…理由になってないだろそれ…。大体お前さぁ、贅沢なんだよな!こんなにいい男二人も捕まえて独り占めしてんじゃねぇぞ」
「何が駄目なんだ?身体は一つだろ」
「…うーわー、このデリカシー無し女め。許さん。愛され方は全然違うってことを体に思い出させなきゃいけないか?」
「やめろやめろ。今!やるな!ここで!…で、考え直したか?」
「何だっけ」
「ちゃんと、私と、クリスと、一緒に生きてくれるか?」
「…仕方ねえなぁ。クリスより僕の方が好きだって言うんだからなぁ」
「すぐそうやって火種作るだろ…もうお前が炎の剣だよ…」
「何それ…面白…っふふ…」
冬の砂漠の夜は冷える。二人で身を寄せ合うと、最早離れ難いのだった。