炎の神シノ
突然降りかかってきた炎の試練で、インカーは死の淵に立たされる。お前が一番好きだ、一緒に来いと叫ぶクリスに、彼女は息も絶えだえに、一緒にいきたい、と答えた。その答えに炎の神が反応し、彼女は炎の剣の主に選ばれたのだった。
炎の神が目覚めた、とノノは言った。果たしてそれは本当の様で、燃え上がっていた人々も今は鎮火し、神殿中の炎が中庭の祭壇に吸収されていった。サンリアは仁王立ちのままドヤ顔で汗を拭ったが、その実もう歩く元気も無かっただけだった。燃えていた人々は殆どが息を引き取ってしまったようだった。ロジャーの目論見は達成されたのだろう。
彼がやったことは決して許されることじゃないけれど、とサンリアはこっそり考える。私は分かる、彼の気持ち。身内の筈のあの村で起こった足の引っ張り合い。全部燃えてしまえばこれほど気持ちの良いことは無いだろう。あの世界の長のシステムは崩壊寸前だった。私はもう、あの村には戻らない。では、どういう長のシステムがいいのか?分からない…それはきっと、後で考えよう。今は何とか、インカーの様子を見に行かなければ。
純白の玉犬が駆けてくる。前にサンリアが撫でたリリだ。彼女はサンリアの前に尻尾を振りながらやって来ると、背中を差し出した。
「…乗っていいの?」
わん、と返事があった。サンリアはリリに倒れ込むようにしがみついた。
全ての炎が集まって行くのを見て、インカー達もリリとサンリアも、中庭の祭壇に集った。そこら中に焼死体が転がる中、体内から炎が消えたロジャーが立っている。憎らしいほど無傷だ。
「おお、インカーが炎の剣を取ったか。お前もあの炎を受けて無傷とは、素晴らしい」
「黙れ外道。インカーは無傷なんかじゃなかった。もう少し遅かったら、ヤバいとこだった。雷様の権能で回復しただけだ」
クリスが噛み付く。ロジャーは憑き物が落ちたように笑った。
「すまないな。裁きは如何様にでも受ける。最早私の役目は終わった。炎の剣は顕れ、炎の神が目覚めた。私は…私達は、やり遂げた。今までの無様は、人如きが、神の不在に、哀れに藻掻いたまでのこと。見ろ、炎の神の御偉容を!」
祭壇が音を立てて焼け落ちる。
そこに座っていたのは、小さな赤い仔犬だった。
『ネーチャン。……ボクダヨ』
「お前、あの卵の…」
仔犬とインカーが目を合わす。仔犬は小さな尻尾を振るわせた。
『シノ。ボク、シノ』
「シノ…?それがお前の名前か?」
『ソー』
仔犬が欠伸をしながら伸びをする。ロジャーは呆然としたように炎の神だと思しき仔犬を見ていたが、漸くおずおずと声を掛けた。
「炎の神…シノ…様?」
『ナニ?』
「貴方の加護を賜った私を…ご存知ですか?」
『シナナイ』
「?」
「あー、多分知らないって言ったんだと思うよ?」
シノのたどたどしい話に夢の中で長いこと付き合っていたインカーがフォローする。
「は、は、は…。ご存知ない。そうか…。私は、神のご意思とは本当に関係ないところで、本当に、私の手で…」
ロジャーは後ろによろめき、尻餅をついた。
『ネーチャン、イッショ?ソレ、ボク。イッショ、イク?』
「え?それって、これか?」
インカーが炎の剣を掲げる。仔犬は小さい尻尾を振る。
『ソー。ソレ、ボク!』
「これは、ノノさんが変化して…」
『ノノは炎の神の端末。故に炎の神の一部』
炎の剣からノノの声がする。
「な、なるほど…。じゃあ、一緒に行こう、シノ」
『ウレシ!ウレシ!モウ、ボク、ネンネ』
くうくうとはしゃいだかと思うと、何の脈絡もなくシノはそう宣言して、本当にグースカと寝てしまった。
「な、なんかさ…コトノ主様と全然違うな…」
レオンが呆気に取られて素直な感想を述べた。じーちゃんが訳知り顔で溜息をつく。
『まあ、コトノ主と違って卵の中でずーっと寝てただけじゃからのー。そんなもんじゃないかのー。
さて、ロジャーよ、どうする?ここで全部後は炎の神に丸投げして引退、とは、どうにも行かなさそうじゃが?』
「…ああ。これは、困ったな…。想定外だ…」
ロジャーは毒気を抜かれたように頬を掻いた。
今回の一件は、全て炎の剣が顕れたことによる悲劇だったということになった。神を僭称し虐殺行為を引き起こしたロジャーは、この事態を収束させられる高位職者が彼しか生き残っていなかったため、自身の犯した罪を秘して事後処理を取り纏めることになった。炎の神シノは、炎の神であるということを本人もまだ自覚しておらず、公表すると混乱を招くということで、暫くは神殿で極秘裏に、玉犬の仔犬として育てられる予定だ。やがて人語を流暢に操るようになったら、ロジャーは神守を引退して、彼の犬飼としてインカーの街に越して暮らすと宣言した。それは実際のところ、自身へのけじめなのだろう。最後の長の引き継ぎだ。
そして、剣の仲間達は。
「…本当に連れて行けるの?」
神都の門の外。一行はノノの仔犬達と共にいた。インカーの街に返しても、犬飼はもういない。そこで、インカーと共に付いていくことになった。いや、元々ロジャーの計画では、インカーがそこにいようといなかろうと、玉犬達を剣の仲間に付ける算段だった。インカーがあの街に残っていれば、他所から別の玉犬が移されていたかもしれない。しかし実際は、ロジャーが犬飼としてあの街に移るまで、玻璃砂宮は主不在となるだろう。
「ノノさんの子だし、炎の剣の眷属ということになるらしい。森も渡れるそうだ。一頭に一人、二人乗っても平気だし、丁度七頭いるから、剣の仲間が全員揃っても大丈夫だな」
「やったー!リリ、これからも宜しくね!」
サンリアがリリに抱き着く。ミミはそれを横目にフィーネに擦り寄った。
「ミミさん、宜しくお願いしますね」
「俺はどの子にしようかな…」
レオンが見回していると、わふ、と一番大きいロロがのしかかった。
「リオンはロロに気に入られたか!ロロお前重いから潰すなよ」
「僕は…どっちにすれば…」
セルシアがククとテテに引っ付かれて困惑している。
「あー…まあ、一頭今のところ余ってるし。交互にすれば?銀色がクク、黒色がテテだよ」
「セルシアってば、玉犬にまでモテるのね…」
サンリアがちょっとだけ羨ましそうにセルシアを見る。
「私はモモ、スッスはココだな。まあ、大方予想通りってとこか」
「ココちゃんはさぁ…可愛いんだけど、トロくない?大丈夫?」
「そこはほら、スッスの反射神経でカバーしてくれ」
「ん〜〜〜!頑張る!」
クリスはヘソ天するココの腹を撫で回しながら誓った。
「ところでインカー姉、炎の剣はどこに置いてきたんだ?」
「ああ、炎の剣は…今はコレだ」
インカーが髪飾りを指差す。それはクリスが祭の時にプレゼントしたものだが。
「ん?それ普通の髪飾りだったよな?」
「…お前に貰ったのは、燃えちまったんだ。今はノノさんがこれに化けてる。私が気に入ってたから、こうしてくれたみたい」
「へえー!ノノさんは流石、粋なことするなぁ」
クリスは髪飾りをちょんと突いた。
「あっつ!!?」
「バーカ、これでも炎の剣だぞ。他の奴が触ったら火傷するに決まってんだろ」
「ノノさん…紳士協定を結ぼう。俺がインカーに触れる時だけは協力してくれ。勿論他の奴がインカーに触ったら消炭にしていい」
「何の話してんのよ!ったく!!」
サンリアがグーパンを繰り出す。クリスには中々当たらないのだが。
「…ノノさんといえば、いつの間に喋れるようになってたの?」
「炎の剣になる時に、急に喋りだしたな。でも…分からない。普段は今でも全然喋らないし。本当はこいつらも、喋れたりしてな」
「えっ。ミミさん、お話ししませんか?」
フィーネが真剣な顔でミミに向き合う。ミミは鼻を鳴らしながら目を閉じ、フィーネの肩に頭を載せた。
「あっはい、ここを撫でろということですね?」
フィーネがミミの首を撫でる。ミミはまた鼻を鳴らした。
「あははは!フィーネ上手い上手い。よく会話できてるよ」
「思っていたのと違うのですが〜…!」