愛は運命に克ちうるか
新生祭を終え無事銀竜バッジを獲得した剣の仲間達は、神都リンリスタンに到着する。出迎えたのはこの世界の真の長、神守のロジャー。彼は炎の剣の裁定として、血族を皆殺しにする決断をする。炎に焼かれ生き延びた者が英である、と。ロジャーの姪のインカーが危ない。剣の仲間達は駆け出した。
神殿中が酷い有様だった。あちこちで人が炎上し、その炎が周囲を焦がす。どこからか水を運んできてやった者が、炎上する人型共に抱きつかれ共に燃え尽きてゆく。
「インカー姉を知らないか!今日ここに来た玉犬は!誰か!!」
「レオン君!インカーさんはこっちだ!僕とクリス君なら分かる!」
「風で送るわ、先に行って!フィーネも!」
「サンリアは!?」
「私は…ちょっとでも消火してみる!人の火は消せなくても、建物は!」
サンリアが突風を起こす。クリスがジャンプし、その風に乗る。
「まだ…まだインカーのナノマシンは動いてる。でも時間の問題だ、頼む…生きててくれ…」
クリスは祈りを喉から絞り出した。また後でな、なんて別れの言葉、受け容れられる訳がない。
サンリアは仲間達を見送った。じーちゃんが肩に止まる。
『…サンリア。この者達を助ける義理は無い。分かっておるな?』
「分かってるわよ、じーちゃん。でもね、私に出来ることがあるんだもの。それを見なかったことになんて、出来ない!」
『ふぉっふぉ。愚問じゃったの。限界は見極めてやる、とことんやれ』
「行くわよ、〈断空〉!」
サンリアが仁王立ちし、ウィングレアスを翳すと、周囲の時が止まった。
いや、違う。辺りを燃え広がる炎が全て消えたのだ。そのせいで激しく動いていたものが一瞬にして無くなった。人はまだ悶え苦しんでいるが、体の外側まで炎はもう拡がっていない。
炎を燃やす空気。その動きを止め、遮断した。本来窒息させるための魔法として編み出したもの。連続使用すれば、生者諸共殺してしまう。故に。
「っだはっ、ぷはぁーっ!」
サンリアが息を継ぐと〈断空〉が解除される。熾火になっていたものは劫と勢い良く炎を上げ始める。しかし、明らかに先程よりも火の範囲は減った。
「…よし!〈断空〉!」
繰り返せ。選ばれなかった彼等に、平等に安らぎの死が訪れるまで。せめて自身は何者も傷付けなかったと、死者が納得できるように。
(…こんな、酷い)
サンリアの目には涙が浮かんでいた。
「インカー!」
クリスが扉を開けた。玉犬の仔犬達が、元の姿に戻ったノノの周りに集まって吠えている。
「ノノさん…インカーは…」
クリスがノノに問うと、ノノはそっと口を開けた。
彼女の大きな舌の上に、インカーがいた。しゅうしゅうと煙を上げ、弱々しく呻いている。その肌に炎が増えてくると、ひゅっとノノが吸い取った。成熟した玉犬は炎を操る。ノノはインカーが燃え上がらない様に、その炎を食べていた。
「ノノさんが守ってくれてたんだな…」
クリスはプラズマイドでナノマシンの活性化を図る。フィーネもノノの舌ごと彼女を濡らす。それでも内側から起こる炎は、あっという間に彼女を再び覆ってしまう。
「インカー…聞こえるか?炎の神の試練だそうだ。体の内の炎を制御できれば、助かるんだと。ロジャーが言ってた…」
インカーは答えない。クリスはそっと両手を伸ばした。彼女の灼ける頬に触れる。自分の手もじりじりと焼かれていくが、そんなものは後でどうとでもなると彼は知っていた。痛みを遮断するか医療モジュールが聞いてくる。ノーだ。遮断してしまったら、彼女の頬の感触が、分からなくなる。
悔し涙が止まらない。こんな理不尽な形で奪われるなんて絶対に嫌だ。
「インカー、俺だ。クリスだ。俺はここにいる。だから、行かないでくれ、頼む…!頑張れ…何とか耐えて、抑えてくれ…!」
止む気配はない。
これは、駄目、なのか。
インカーでは、なかったのか。
好きになるべきでは、なかったのか。
「嫌だ。お前がいないと駄目だ。お前が一番好きなんだ!負けんなインカー、一緒に来い!苦しい思いなんかさせない。痛い思いなんか、もうさせない。ずっと俺の傍で笑っててくれ!」
彼女は、聞こえていた。
彼女の一番大切な人が、彼女の両頬に触れているのを感じていた。
冷たくて、心地いい。
もう全身が熱くて、痛くて、訳が分からないけれど。
そこだけは、動かせそうな気がした。
「……っ!」
名前を呼びたかった。しかし、肺から上がってくるのは喉を焼く熱風。
「…シュ、…シュ」
「…!そう、俺だよ、スッスだ」
通じた。ホントか!?今ので分かったか!?インカーはなんだか可笑しくて、ふ、と笑った。笑えた、気がした。
ああ。でも。
痛みを段々と感じなくなってきた。
頬の感触も、もう分からない。
そろそろ終わりが近いということか。
この大好きな愛しい人に、何と別れを言おう。
やはり、愛してる、が良いだろうか。
いや、それは。
その言葉は。
あいつが死に際に言ったものと同じだ。
クリスを呪った言葉だ。
それだけは、駄目だろ。
なら。
「…っしょに、い、きた…い」
『得たり』
殷々と、声が響いた。
インカーは、夢を見ていた。
真っ暗闇の中、何処かから子供の泣き声がする。
恐る恐る、足を踏み出す。進んでいる感覚は無いが、声は段々と近付いてきた。
「…どうした?何で泣いてるんだ?」
『……。マ……マ……』
明らかに子供の声ではない。洞窟の奥を吹き抜ける風のような、恐ろしい怪物のような響き。しかし、インカーはその内容の方が気になった。
「母親がどうした?はぐれたか?」
『イナイ……ナッタ………ママ、イナイ……』
「そうなのか。いつから居ないんだ?どこへ行ったか、分かるか?」
『ママ…ズットマエ……イナイナッタ……ウゴカナイ…ウメタ……』
「ああ、それは…」
死んだのだろう。
インカーが言葉に窮していると、また泣き声が聞こえてきた。
「…どんなお母さんだったんだ。」
『ヤサシ…ミカタ……ボクノコト…ミツケタ……』
インカーはその声のたどたどしい話にじっくり付き合った。声が母親と認識しているのは、拾ってくれた相手のことらしい。彼女に拾われる前の記憶は無く、彼女を喪った後の記憶もない。喪ってからずっと、この闇で泣き続けていたのだろう。
『ネーチャン……ママ、ニテル……ヤサシ……』
「そうか。でも、姉ちゃんは厳しいことも言うぞ。もう、泣くのはやめろ。私の母親も、もういない。一度、泣くのを止めて、ここから出よう。また泣きたくなったらいつでもここに戻ってきていい。でも、ここにずっと一人でいるのは、寂しいだろう。外に出るんだ。もう母親に会えなくても、そこにはきっと、素敵な出会いが待ってる。お前は、母親に愛されていたのだろう。ならきっと、誰かを愛することも出来る筈だ」
『ネーチャン……コワイ………オソト、コワイ』
「大丈夫だ。今はほら、姉ちゃんがついてる」
インカーが手を伸ばす。何かが触れた。握り拳程の大きさの、すべすべした卵の様だった。彼女はそれを抱き締めて…
「インカー!」
呼び戻され、ハッと目を覚ます。彼女は炎に包まれている。しかしもう、それは身体を焼いていない。
「インカー、大丈夫か?」
「スッス……。よく分からないが、大丈夫みたい…?」
インカーはノノの舌から起き上がる。熱くないが、炎ではあるらしい。クリスの手は相変わらず焼かれ続けている。
『炎の神が目覚めた。新生の時だ。インカー、私の中へ入りなさい。そして炎の剣を取るのです』
ノノが喋る。頭に響く様な、しかし優しい声だった。ノノはごくんとインカーを丸呑みした。クリス達から距離を取り、炎に包まれる。やがて炎が収まると、そこにはザザ神の衣を纏い、炎の剣を手にしたインカーが立っていた。
最早体は燃えていない。いや、炎の剣を持つ右手だけが燃えているが、その炎は彼女にとって熱くもなんともないようだ。仔犬達がわんわんと吠えながらインカーに駆け寄る。安堵したように寄ってたかってインカーを舐め回す。クリスはその場にへたり込んだ。インカーが彼の方に歩いてきて、左手を差し出した。
「よっ。心配かけてごめんな、スッス。さあ…一緒に行こう」
「あ、一緒に行きたい、だったの…?生きたい、だと思った…」
「そ、それじゃまるでプロポーズじゃねーか!?」
インカーが炎の剣をぶんぶんと振り回す。危ないわ!モモが決死の覚悟でインカーの袖に噛み付いて彼女を止めた。