神都の神守
レオンはグラードシャインの権能を使って自身の旅路の記録映画を上映した。それを勇者ヨークの旅路として人々が絶賛する中、インカーだけはそれが剣の仲間達が歩んできた実際の旅だと気付く。彼等との別れが迫っていることを嘆く彼女に、クリスは炎の剣を取って共に来てくれと頼むのだった。
『ふー、漸く煩いのが終わったわい。耳のいいこの体にあの連日のどんちゃん騒ぎは辛かったのう』
旅装束を整えるサンリアの肩でじーちゃんが愚痴を零す。
「そんなこと言って。じーちゃん重くなったわよ」
『ぎょ、玉犬達が供物を分けてくれただけじゃよ』
「え、それ食える物あったか?悪かったな、気が回らなくて」
インカーが驚く。玉犬の主食は岩や砂なのだ。
『いや、毎日焼き立てのパンや羊肉、菓子なんかを捧げる店もあったからの。ぜーんぜん不自由せんかったよ』
「やっぱ満喫してたんじゃない!」
そう言って笑うサンリアの胸元には銀色に鈍く光る竜の意匠のバッジが付けられている。セルシアの歌の他に、レオンの映画にも銀竜バッジが授与され、キャスト全員にバッジが配られたのだ。
「こっちはいつでも行けるよ。仔犬達にとっちゃ初めての遠出だ。皆張り切ってる。ノノさんも付いてくるし何も心配してなさそうだ」
「こんなに大勢の皆様に見送られて出発することになるとは…」
フィーネが気恥ずかしそうに見送りの人々に手を振る。
「玉犬が出払うのも異例だけど、お前等は祭の立役者だからな。そりゃ惜しまれるってもんよ。…ありゃ、金鱗邸の旦那さん泣いてら」
「オーナー!短い間でしたがお世話になりました!」
セルシアがそう呼んで手を振ると、その男は地に崩れ落ちて号泣した。
クリスはその背後に金髪の少年が一瞬見えた気がして声を張り上げた。
「ライサ!いるんだろ、ライサ!出て来てくれよ!」
民衆の中に動きはない。
「ライサ!お前もありがとな!ギム達にも宜しく!俺もお前のこと好きだったぞー!インカーのことは引き受けた、心配無用!じゃあなー!」
クリスは構わずに言葉を続けた。いらえはないが、きっと伝わったと彼は確信していた。
「じゃあ、そろそろ行くか。フィーネ、頼めるか?」
「お任せ下さい!」
レオンに言われ、フィーネは流れる滝から水を集めて地を這う巨大な鰐を作り出した。見送りの人々が驚きと恐怖でどよめく中、剣の仲間達は躊躇わずそれに乗り込む。犬飼のインカーはノノに乗り、仔犬達は我先に走り出した。それに続いてフクロウが飛び、巨大鰐が砂の上を滑るように進み、最後にノノが駆け足で付いてゆく。
祭の後の、街から離れる行列が見える。めいめいの街に帰る者もいるが、メインストリームはやはり神都に帰る人の群れだ。神都に向かうにはそれを辿れば良い。迷うこともない。
風に乗って歌が聞こえる。
勇者ヨーク、再び旅立たん
炎の神の加護を得て更なる試練へ
戦え、その持てる力全てを使い
闇を打ち払い夜明けを求めよ
光の剣は我等の元に──
炎の剣は我等の元に──
神都は煉瓦作りの広大な街だった。周囲には枯れない水路が巡らされ、広く開け放たれた門からは人々の出入りが絶えない。
ノノは恰幅の良い白衣の男の姿に変化していた。玉犬の仔犬達とインカーを先導して神都の門に近づくと、門衛が駆け寄ってきた。
「ロジャー様!お帰りなさいませ。神殿までお送り致します。ご同行の方は…玉犬様がた、犬飼、それから…?銀竜バッジの者達ですか。いえ、問題ありません。ご一緒にどうぞ!」
ロジャーと呼ばれたノノは鷹揚に頷く。どうやら顔の知れた高位職者と間違われているらしい。そんなんで大丈夫か?バレやしないか?とレオンはドキドキした。そもそも玉犬様が顔パスなら、ノノはそのままの姿でも良かったのではないか?
都の中央にある、炎の神殿に通される。神職らしき男が丁寧に奥の間に彼等を迎え入れ、門衛を労って帰らせた。ややあって、左の扉からノノと同じ顔をした、黒髪黒髭で恰幅の良い白衣の男が入ってきてレオンはギョッとした。ご本人じゃねーか!
「ロジャー叔父さん!」
「インカーよ!よく来たな!長旅ご苦労だった」
「いや、ノノさんに乗せてもらったからあっという間だったよ」
インカーがロジャーに駆け寄り親愛のハグをする。
「ノノは…おいおい、それは私か?だっはは、面白い!そりゃ分かりやすい目印だっただろう」
「ロジャー叔父さん。それからこの人達が…」
「無論、神守たる私には分かっている。インカーよ、席を外しなさい。ノノと仔犬達に休息を。外で案内を受けよ」
「…分かった。皆、また後でな」
ほんの少し、これきり会えないのでは?という思いを抱えながら、インカーは皆に手を振って玉犬達と部屋を出た。
『…さて、もう良いか。久しぶりだな、ロジャー』
「…ナギラ。話には聞いていたが、縮んだな…」
『もっと変わったとこあるじゃろが!身長より!もっと!』
「だはは、変わっとらんな!…ようこそ神都リンリスタンへ。剣の仲間達よ。私がこの世界の長、ロジャーだ」
「えっ…炎の神様がこちらの世界の長ではないのですか…?」
フィーネが驚く。
「ああ、ノノが変化したアレを言っているのか。あれは私が創った神の形だ。この世界に炎の神と呼ばれる者は、存在しない」
ロジャーの言葉に剣の仲間達は衝撃を受ける。
「…あ、でも、サレイが言ってたわ。雷の剣と水の剣は長がアレだから良いけど、他は違う…って…それってつまり」
「左様。この世界の長は代々人間だ。炎の神は…正確には、炎の神と呼ばれる現象は存在する。この神殿の御神体。炎の〈卵〉だ。しかしそれに意思はない。〈卵〉は二千年前から眠り続けている。炎の剣の主が現れる、その時までな」
「もしかして、その〈卵〉が炎の剣なのですか?コトノ主様も、〈卵〉と呼ばれていましたが…」
そうだっけ?とレオンは首を傾げた。セルシアのことだ、一人だけどこかから漏れ聞いていたのかもしれない。
「それに近い。〈卵〉が認めなければ、炎の剣は現れない。〈卵〉は言わば強大な力の集まりだ。長達は常にその加護を受けている。遠く離れたノノを変化させ、魔力を送り込むことも可能だ。勿論、ノノ自身の協力が必要にはなるがな。玉犬は意思を持つ炎の神の端末だ。言葉を介さず人を理解し、人よりも優れた状況判断能力を持ち、人智を超えた行動を取る。玉犬こそが炎の神と言っても過言ではない」
「ココ…あの可愛らしいちびっこ達もか?」
ちびっことは言うものの、この数ヶ月で更に大きくなって、今では馬顔負けのサイズになっているのだが。
「三次成長を終えていない玉犬は、言わば〈成りかけ〉だ。あのサイズでも人と同じくらいは生きるが、大人になれず命を落とす者の方が遥かに多い。それは恐らく、神の端末として不適合だったということなのだろう。反対に、四次成長を遂げたノノ。あれはもう、ほぼ神だ。それこそ炎の神の右腕、狼神ズズとザザに並ぶ者だ」
「そのことはインカー、犬飼達は知っているのか?」
クリスが問うと、ロジャーは険しい顔をした。
「言える訳が無かろう!炎の神などいない、玉犬が〈卵〉の端末、お前達の育てているそれは神だ、と?この世界の根底を覆すことだぞ!
…いや、声を荒げて申し訳無い。故にこれはインカーにも話せぬ、長のみが代々受け継ぐ秘密なのだ。長は自分が長であることすら周囲に明かせぬ。そんな状態で、神殿における神守の地位を守るのは並大抵のことではない。神のいない他の世界も同じだっただろう。光の都、音の都、風の都。忘れ去られ、矮小化され、悲惨な末路よな。それに比べればこの世界にはまだ、神の力だけは存在する。だからこそ二千年、この虚構を続けてこられたという訳だ。私は…神が羨ましい。私が神になれればどれほど簡単だろうか!
…そう、思っていた。カミナに出会うまでは」
「うちの神様だな。雷様。フィーネちゃんにはそう教えたっけ」
「はい。半分がお人で半分が神様なのですよね」
「カミナ…雷は、人の身で神の領域に達した男だ。しかし、長としての役目を果たすことこそ容易になったが、その他のものを沢山取りこぼし嘆き続ける男だった。…地獄の様だった。人は誰でも何かを得れば何かを得られない。そのような欠陥を抱えながら、神の如き悠久を孤独に過ごすなど、私には真似出来なかった」
「それで、神を演じるようになったんですね」
「ふふふ、中々堂に入っていただろう?私の声に合わせつつ、立派な神の姿に創り上げるのは、苦労したもんだ。それに、お告げを出せるようになったことで一気にやり易くなった。無論、そんなものは無い。全て私の意見、考えだ。しかし〈卵〉は協力してくれた。〈卵〉によって私は先代よりも遥かに強い魔力を手に入れた。後の仕上げは、炎の剣だけだ」
『…ロジャー。炎の剣の主は誰だ?』
「決めておらん。我が血族であれば誰でもいい。…我が血族は増え過ぎた。このままでは次代の神守すらまともに決められぬ。据えた途端に蹴落とされる、醜い骨肉の争いが始まる。私の時もそうだった。故に、ここで減らす。己の内の炎を御した者のみが助かり、炎の剣の主となるだろう」
「…何を、する気だ?お前…血族を、減らす?お前、それ…お前のことを叔父さんって慕ってた、インカーも入ってるよな?」
「雷の子よ。これはこの世界の問題だ。お前達の口出しは無用。炎の剣が神都に到着した。今よりこの神殿にて、裁定が始まる」
「待て…っ!?」
止めようとしたクリスの目の前で、ロジャーは突然発火した。
「お前、自分もかよ…!クソッたれ!!」
フィーネが慌てて水を生み出す。
「無駄だ、この炎は体の内側より熾るもの。水を掛けても水に飛び込んでも助からない。私は神の加護を得ているから問題ない。他の者は…神が残したいと思った者のみが生き残るだろう」
「さっき貴様その口で神に意思はないと言っただろう!!気でも触れたか!!!」
セルシアが激昂して吼える。クリスが部屋から飛び出した。他の皆もそれを追いかける。あの赤い髪の、優しくて気丈な彼女を、探さなければ。