勇者ヨークの旅路
リノモジュールはクリスの体のせいでインカ―のことを好きになってしまい、自分がいなくなると嘆いていた。インカ―は、それならリノも自分と恋仲になればいいと説得する。リノは自分は死人だから幸せになるなど烏滸がましいと言いながらも、所詮一時の恋のためにクリスを取られるのは絶対嫌だとインカ―を拒否した。
二人はインカーの家に帰った。炎の神の翼が外れかかっていることに気付き、修理することになったのだ。誰か居てくれよ、とインカーは願った。誰もいなければ、自分の家でリノに虐められるかもしれない。別れも近いのに、これからも独り住む家で、そんな思い出を残したくはなかった。
果たして、そこにはレオンとサンリアがいた。
「あ、丁度良かった!クリス、明日の夜、レオンの出し物やるから。十八時に地上のステージ前に集合してね」
インカーがちらとリノを見ると、どうやら瞬時にクリスに切り替えたらしい。瞬きをしてからへにゃと笑った。
「おー!ついにか!一大スペクタクルショー楽しみにしてんだ!」
「一応サンリアにも動画チェックして貰って、変なとこないか、ヤバいもん映ってないか確認して貰ったんだ。だから多少脚色入ってるけどほぼほぼそのまんま。新説・勇者ヨークの旅路、だ」
「何何、リオンも何か凄いことやんの?」
「俺の魔法、だよ!音楽と歌はセルシアがやってくれるって。その為に明日は歌わないようにするって約束してくれた」
「うわ、セルさんがそんな…そりゃかなりマジのやつだな…」
「まあセルは明日一日くらいフィーネちゃんとデートしてやっても罰は当たらんと思うなー。俺を見習えってんだ、あの歌馬鹿め」
「インカーはずっとクリスに付きっきりなの?大丈夫?迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ、たまにはこんなのんびりした祭も良いもんだ。毎年仕事ばっかりで碌に楽しめないからな、満喫させてもらってるよ」
「…本心?」
「何でクリスが自信なさげなのよ!」
サンリアのローキックが飛ぶ。クリスはインカーと目を合わせたままそれをひょいと避けた。
「何?宿で半日寝てましたって言えば良かった?」
「あー!楽しんでくれてるなら良かったわー!いやー良かったー!」
「半日も?呆れた…」
「クリスって寝坊助だったのか」
レオンが天然をかますので、サンリアが耳打ちして説明する。間もなくハァ!?と素っ頓狂な悲鳴がレオンから上がった。
インカーはもう一度くらいリノと話してみたかったが、クリスが嫌がるのでその機会を得られないでいた。あと少しでリノの心のもつれが解けそうな気がしていた。彼がクリスの幸せを願った、あの言葉が本心だ。それをリノ自身が受け入れられないから、クリスやクリスが好意を向けた先に手酷く当たるのだろう。
しかし、そこまで分かったところで、それを解すのは自分の役割ではない気もしていた。自分は所詮この街の人間だ。犬飼という仕事は簡単に放り出せるものではない。リノには旅に付いてきなよと挑発されたが、その自信も無い。挑発か、お願いかは分からないが。だから、願わくばリノが自身の本心にもう少し素直になって、せめてクリスを傷付けるのを控えてほしいと伝えたかった。けれどリノからあそこまで言葉を引き出せただけでも上々だったのかもしれない。
「さぁ行こう、インカー。レオンとの待ち合わせの時間だ」
クリスに手を引かれ地上に出る。一年で一番夜の長いこの時期、空にはもう星が光っていた。レオンがステージ横で二人に手を振る。
「めちゃくちゃ緊張してきましたー…!」
「大丈夫、フィーネは霧を出してくれるだけでいいんだ。維持はサンリアがしてくれるから」
「いえ、比較的少ないとはいえ私の記憶も使われてるんですから…」
「私も監修したから大丈夫、ばっちり皆カッコよく映ってるわよ!」
「さぁ、出番だ。二人とも、観客席から是非見て下さい」
セルシアがにこやかにサンリアとフィーネを送り出す。
レオンとセルシアが壇上に上がる。セルシアの顔は既に観客全員に知れ渡っており、早速万雷の拍手が起こる。これは俺のことを舞い手と勘違いしているかもな、とレオンは内心苦笑した。
ルイネが奥の演奏席に座る。ヨークがステージ中央に立ち、強く光り輝く大剣を抜いた。その小さな体躯に見合わぬ立派な大剣に、観衆はどよめく。ヨークはその大剣を片手で軽々と振り回し、ステージの中央に突き立てた。
突如、濃厚な霧がヨークの周りに立ち込める。その中で光の大剣は、白くぼんやりと光っていたが、やがてその光は筋となり、霧の上部に四角く照射した。
やがて、人々は美しい緑をその光の中に幻視した。柔らかな音楽が流れ始める。この緑は、オアシスか。違う、これは誰も見たことのない景色。
黒い土。太く密集して生える木々。所狭しと広がる草花。
楽園?
否、
それは森であった。
勇者ヨーク、風の精霊ミフネに誘われ 果ての森に迷いこんだ
そこに封印されしは白き神の剣 ヨークはその封印を解いた
忽ち現れる闇の狼 ヨークは勇猛に切り捨てその肉を食らった
ここは果ての森 闇が飲み尽くさんとする世界
勇者ヨーク、森を出た そこは肥沃な大草原
石の都で彼が出会ったのは ルイネの加護を持つ男
彼に誘われ試練の城へ 白き迷宮、黒き獣
ヨークは神の剣で獣を祓う 刺し違える寸前で獣は崩れた
ヨークの聖石、神の剣に宿り ヨークは一命を取り留める
ルイネの振る舞いを受け 仲間に加え彼は旅立った
果ての森は尚も彼等を惑わす やがて時さえ歪み未来へと届く
そこは空の上の世界 蒼く冷たき理想郷
雷の如き男、勇者ヨークの前に立ち塞がる
神聖な闘技にてヨークを破り、男は神の力を得た
しかし次の試合にて友を殺してしまった男は
理想郷を去り、ヨークと共に旅に出る
勇者ヨークとその一行、キャミの都に辿り着いた
闇の勢力に追われしキャミは 加護を持つ女をヨークに与え
闇を祓わんとヨークに願った
戦場となるは過去の都 闇はミフネを飲み込んだ
音の刃、雷の雨、水の獣 そのどれも闇の竜共に敵わず
ヨークは単身ミフネを救うべく闇の陣地に攻め込んだ
囚われのミフネの前に立ち塞がる恐るべき敵
闇の剣を持つ男 ヨークの宿敵にして異父兄弟
ヨークを殺めんと闇を操る
神の剣、闇に飲まれんとしたその時、ヨークはミフネを救い出す
雲が割れ、闇の勢力は引いていく
しかし、ああ、見よ!勇者ヨークのその無惨な姿
闇の呪いに侵され最早死を待つばかり
救うには果ての森を抜けねばならぬ
ミフネの祈り、神の剣に届き
真の姿を得た神の剣が 闇の呪いを清め祓った
果ての森よ、諦めよ 勇者ヨークの体は今また炎の神の元へ
玉犬が眠る彼を迎え 炎の神が加護を与え
今ここに復活せん 勇者ヨーク、我らが伝説──!
ルイネが唄い終え、幻影を映す霧が晴れ、ヨークが光の大剣を掲げた。
それは誰も見たことのない魔法。誰も聞いたことのない伝説。誰も経験したことのない奇跡だった。圧倒的な迫力に腰を抜かした者も何人かおり、その者らは座ったまま、他の者は皆飛び上がって、寝た太陽を起こすかの様な大歓声と割れんばかりの拍手を壇上に送った。
勇者ヨークが大きく一礼し、ステージ前のリンリ、ミフネ、キャミを指差し、それから上がってこいとジェスチャーする。背後のルイネも隣に並ばせ、この一同が今回の映画のキャストです、と声を張り上げ紹介した。
めいめいが自由にお辞儀する。花や金貨銀貨が壇上に投げ込まれた。拍手も歓声も中々止まない。しかしショーはもう終わりだ。レオンはセルシアに耳打ちする。
(レオン君からの伝言です。このまま壇上に皆の幻影を置くので、今のうちに頂いたお金を拾って退散しよう、とのことです)
サンリアがフフッと吹き出す。レオンはにこやかに再度礼をすると、皆を幻影に置き換えた。最後にクリスがこっそりインカーの手を引いて人だかりから離れると、レオンは幻影を解除した。突然壇上から演者達が消え去り、人々はそれにすら熱狂した。
「最後の炎の神の幻影で分かったよ。あれ、創り物の幻影じゃないな?どうやってか知らないけど、本当にあったことを映したんだろ、全部」
皆でインカーの自宅に避難すると、インカーがレオンに尋ねた。
「うん、映像は全部本物だよ。ちょっと話が分かりやすい様に順序変えたりセルシアの歌で嘘ついたりしたけど。全部、俺達の旅だ」
「……そうかぁ。すごいんだな、貴方達は。この街で少しでも助けになれて光栄だったよ」
「何お別れみたいなこと言ってるのよ。まだお祭りは終わってないし、神都に一緒に行くんでしょ?」
「それはそうだけど。なんか改めて実感しちゃってさ」
インカーがはらはらと泣く。クリスは彼女の頭を撫でて、肩を抱き寄せながら殊更明るく話を続けた。
「俺はセルとリノの対決も映してほしかったなー!」
「それを言うなら僕も、白い迷宮を僕のお蔭で脱出できたことは言及したかったですね」
「私は主様がキャミ神と紹介されたこと、まだちょっと根に持ってます」
「私なんか最初からレオンのお付き扱いなんだから!皆ちょっとは我慢しなさいよ!」
「悪かったよ。でも勇者ヨークの伝説ってことで俺を主役にして、この街の皆に分かりやすい名前に置き換えたらこうなったんだよ…」
「いや、すごく良い再構成だったと思うよー。鑑定士もとい映画評論家の俺が言うんだから間違いない。お前、映画とか構図とか構成とか、そっち系の才能あるよ。良く皆の映像をあそこまで纏められたもんだ」
「あ、マジで?俺実は写真が趣味なんだよ。動画も撮っても良いかもしれないな。旅が終わったらだけど…」
旅が終わったら。
そこから誰もが暫く無言になり、外の喧騒が室内に流れ込んできた。
「終わったら、やっぱり皆、元の世界に帰るのか?」
聞きにくいことを聞くのはやはりレオンだった。
「私は…少なくともあの村にはもう未練は無いわ。じーちゃんと二人、皆の世界に遊びに行ってもいいかもしれない」
「僕は帰ると約束したので、やはり帰らねば。でも、ヨナリアをまだ迎えに行けてない。旅が終わったらまずそれですね」
「俺は…俺のいた世界が好きだなー…居心地も良いし。でもそこに大切な人は居ない。うーん、ま、その時考えるかなー」
「私は主様が帰ってこいと仰るなら帰ります。でも、お役目を果たし終えたら、ご褒美に、記憶を消さずに外の世界へ追放してほしい…ですね」
「それって、私と一緒に旅をするってこと?」
「ふふ、それも良いですね。でも、次代の子供を産み育ててからなので、かなり先になると思いますよ?」
「えーっ!確か少なくとも十年は向こうじゃない!」
「ですです。その頃にはサンリアさんも、リオンさんの世界に馴染んじゃってるかもしれないですね」
「なっ何で私がレオンのとこに居着くの前提なのよ…」
サンリアがちょっと不貞腐れ、チラッとインカーを見る。インカーは別人の様にしょげかえっていた。
「インカー!クリス、保留だって!」
「え、うん。サンちゃんどした?」
「だから!また来てって言えばきっと来るわよ、クリスは律儀だから」
「突然の褒められ。光栄の行ったり来たり」
「クリス、今戯けるとこじゃないから。大体あんたねぇ、その時考えるじゃなくて…」
「分かってるって。ちょっと照れ臭かっただけだって」
クリスはそう言うと、立ち上がってインカーの前に跪いた。
「インカー。お願いがある」
「…何さ」
インカーは仕方無しにクリスと目を合わせた。
「炎の剣を手に入れて、俺達と旅をしてくれ」
「……え?」
インカーの目がゆっくり丸くなる。
「え、えええ〜〜〜っ!!?!?」