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七神剣の森【全年齢版/完結】  作者: 千艸(ちぐさ)
五里無水
61/105

唄神の統べる夜

砂漠の都市で新生祭が始まった。老いも若きも皆が心待ちにしていたそれは、笛太鼓の調べと共にやって来た。インカー扮する美しい女狼神ザザが祭の開幕を彩る。剣の仲間達は揃いで仮装し、想い人同士で手を取って、祭の輪に入っていった。

ヨークとミフネが様々な屋台に目移りしながら食料を調達していると、目の前を褐色肌の子供が通り過ぎた。否。

「ライサ!」

「…おー?レオンじゃねェか。元気にしてたかよ?サンちゃんもミフネ似合ってるな」

「ありがと。ライサは…それ、何の仮装?随分何ていうか…大胆ね」

「んー?これは誘惑と成功の神様ラライの仮装だよ!」

ライサはその場でくるりと一回転する。身につけている布は最小限の腰巻きだけ、金の首輪から伸びる何本もの金のチェーンを左半身に巻き付け、背中に飾る黒い蝙蝠(こうもり)の片翼を固定している。背中の黒いたてがみと黒い狐の尻尾は、恐らく首輪から伸びる金の組紐で固定されているのだろうが、腰巻きの中でどの様に固定されているのか、その組紐の端の宝石が腰巻きの下に伸びる太腿(ふともも)の辺りをぷらぷらと揺れて目を引く。普段は上げていた前髪を横に流してピンで留め、大きく(あや)しい目を強調させるかのように引いた銀のアイシャドウ、それと同色の口紅を付け、美少年なのか美少女なのかの区別がつかない。

「うわー、ラライ神かぁ。綺麗だなぁ」

「ふふふ、正直は美徳よ、ヨークサマ。お姉さんとイイコトしない?」

「ちょっと!?どっちでも良いっていうの!?」

「お金持ってるならどっちでも良いさね。ま、ミフネちゃんも居るし今のは冗談だけど!それよりルイネがさっきステージの順番待ちしてたよ、そろそろ始まるんじゃない?さっさとそれ片付けて行こうぜ!」

「それは大変、フィーネの応援しなきゃ。レオン、これ残り食べといて」

「いや俺も連れてけよ!?」


ザザ通りに出ると、弦楽器の音が聞こえてきた。人々が声を(ひそ)めながら、興奮を隠しきれない様子で宮殿の方へ走ってゆく。レオン達はその音の主を(なか)ば確信しながら、宮殿前広場へと急いだ。曲は低音になり、段々速くなったかと思うと、昇華する様に激しく情熱的なフリッシュに移る。人だかりから割れんばかりの手拍子が起こる。その向こうで、チラチラと美しい銀の衣がひらめくのが遠くからでも観察できた。

「やっぱりルイネとキャミだ!」

ライサが叫び、レオン達は走り始めた。ライサが人混みを()き分ける。

「子供は前に行っても良いことになってんだ、付いてきて」

そうしてステージの一番前に陣取ることに成功した。

「水寄せの舞のアレンジか!」

ライサが驚嘆(きょうたん)する。人々は目の前の奇跡に夢中になっていた。キャミが美しい銀の剣を持って踊ると、何もない所から水飛沫(みずしぶき)が飛び散る。それを自由に操りテンポの速い超絶技巧曲に合わせて舞い狂うキャミの姿は、まるで本当に神がかったかのようだった。ルイネが舞台の前に現れたヨーク達を見てウインクを贈る。ヨークの周囲で黄色い悲鳴が上がった。野太い声が混じっていた気もする。ラライ神が指笛を吹いた。するとルイネは不敵に笑い、体を前傾(ぜんけい)させると、曲のテンポを更に速めた。キャミの足はもう宙を舞っているかの様だ。人々の熱気は最高潮に達した。

ついに曲が終わった。キャミの丁寧なお辞儀は大歓声に包まれた。アンコールの声が当然上がる。が、キャミの体力が限界に達しているのは誰の目にも明らかだった。いつの間にか美丈夫な炎の神が壇上に現れ、キャミの手を取って舞台を降りる。満場の拍手に送られて、唄神(ばいしん)も演奏席を立ち去ろうとした。が、もう一曲弾いてくれ!と言う声に振り向いた。叫んだ人は真っ赤になった。

「しかし水の神は休まねばなりません…私一人での演出となると…」

ルイネは遠慮がちに穏やかなアルトで話しかけたが、たちまち盛大な拍手に掻き消されてしまった。ではご好意に甘えて、と彼はまた席に着いた。一瞬にして辺りがしんとなる。彼の手からいくつかの音が、和音が、そしてメロディが紡ぎ出され、人々をその世界に引き込んでゆく。今度は先程とは打って変わって静かで穏やかな曲調だ。

ルイネが静かに唄い出す。その声は無理なく遠くまで響き渡った。


──あり得ないとは思いながらも 心の何処かでは思い描いていたのです 貴方との幸せな日々を…

けれど貴方は行ってしまった 私の想いが届く前に 貴方の一番大切なものと共に…

私の想いは何処にあるのでしょう? ただ一つ言えるのは 私はまだ貴方が好きですということ

貴方が私を見なくても 貴方が笑っているだけで 私は幸せだったのです…


それはかつて置き去られた者の悲しい慕情(ぼじょう)の歌であった。様々な人がそれぞれの想いを歌に重ね静かに聴き入る。ある者はある日突然自分を捨てた肉親を。ある者は片思いのまま終わってしまった恋を。ある者は先に()った大切な人を。そして取り残された自分を嘆く心の言葉そのものであった。


心は変わらない。しかしそれはもう過ぎてしまったこと。分かっている、諦めるしかないのだと。後に残された人々は、過去に戻ることは出来ないから、過去を変えることは出来ないから、振り向いてもらおうとはもう思っていない。ただ、想いは変わらない。だから人々は祈る。自分のかつて好きだった人が、今でもなお想わずにいられない人が、例えどんな(ところ)にあっても、天国にあっても地の底にあっても、常に幸福に笑っていられますように、と。

不意に(ほほ)に温かいものが流れ、彼は(あわ)てて(そで)()らした。(かたわ)らの人と目が合い、微笑まれる。その人の目にも涙が浮かんでいた。彼は微笑みを返した。その一瞬、そんな他愛ない動作一つで、人が分かり合える。これは真の音楽が持つ魔法だ。民族を、言語を、文化を超えて人の本質に響き、共鳴させる〈場〉を創り出す。唄神が(つむ)ぎ出し、唄い上げたのは真の音楽だった。まだ共感する悲しい出来事を経験していない幸福な子供達でさえも、その歌の美しさに心を打たれ、じっとルイネを見つめている。

涙を恥じて立ち去る人が何人か出た。立ち疲れてその場に座る人も出た。我もと楽器を持って列を成していた者達が出直そうと帰っていった。唄神は全ての人々をその歌で優しく包み込む。

ゆったりと美しい曲が収束する。割れんばかりの拍手喝采。炎の神の隣で、キャミ、いやフィーネは静かに泣いていた。まだ(よわい)二十一にしてこんな歌を歌うセルシアが、痛ましく、愛おしかった。

もう一曲、とまたせがまれる。当然だろう。セルシアも歌い(つぶ)される覚悟で上ってきている。

「これ当分終わんねーな…あれ?ライサは?」

「ほら、クリスとインカーが来たから…。いなくなっちゃったわよ」

「そうなのか、勿体無(もったいな)い。もう気にしなくていいのにな」



「…ちゃんと聴こえてるよ、ルイネ」

ライサは勝手知ったるインカーの家の屋根からステージを眺めていた。あの曲は、ライサの為のものだっただろうか。心の深いところに刺さって、あの場にいては涙が溢れてきそうだった。

慰謝料(いしゃりょう)は、この家を出てから毎週投げ込んでいた。インカーがそれに手を付けず、毎回戸棚に仕舞っていたのも確認している。本当に、自分の思い通りにならない、気に食わない女だ。炎の剣の勇者、さもありなん。傲慢(ごうまん)に人を振り回しておいてのうのうと眠っている炎の神と同じくらい気に食わない。クリスもインカーも、何か歯車が一つ()み合えば、ライサの大好きな部類の人間だ。しかし結局、神や伝説といったものは、地下の地下で生きる彼には(まぶ)し過ぎるのだった。

「あーあ。今年は銀竜バッジ狙うやる気が全然起きねェな…」

神都にいつ招集されてもおかしくない犬飼のインカーに付いていく口実だった、銀竜バッジ。どう考えてもセルシアは獲るだろう。そしたら、あいつらは全員付いていく。ライサが必要な場面など、もう何処にもない。本当に彼の存在する意味の何もかもを、クリス達が奪ってしまったのだ。何もない屋上にごろんと横になる。ルイネの美しい歌声に包まれて、ライサはいつしか眠りに落ちていた。


ハッと目が覚める。どれくらい眠っていただろうか。ルイネがまだ歌っている。いや、しかし宮殿の灯りの位置が違う。一…ニ…三…四。四時間も経っている!ライサは信じられないとステージに目を()らした。前列の方はもう座り込み、眠っている者もいる。クリスとインカーは居なくなっている。客も随分(ずいぶん)入れ替わっている様だ。しかしセルシアは全く疲れを見せず演奏し、全く衰えぬ力強い美声で唄い続けている。人だかりの総量も減っていない。むしろ増えている。

「バケモンだろ、あいつ…」

ライサは恐れ(おのの)いた。才能とかいう次元ではない。空前絶後。()しくもセルシアが故郷で呼ばれていた異名と同じ単語が、ライサの脳裏に浮かんだ。歌に詳しくないライサでも分かる、あれは命を(けず)る行為だ。何故そこまでして彼は歌うのか。銀竜バッジの為ではないだろう。ぶっちゃけそこまで本気を出さなくても、彼なら十分獲得できるのだ。


「もしかして…意味なんか、無いのか」


生きるのに、意味なんか要らないのか。

ただ歌いたいから歌うのか。

誰かの為、自分の為、そんなことなんか畢竟(ひっきょう)、どうだっていいのか。

インカーの為に生きてきた自分。家を買ったのも、資産を(たくわ)えたのも、銀竜バッジを獲得しに毎年頑張っていたのも、全部彼女の為だった。それが今こんなに(むな)しいのは、生き方を間違えていたからなのか。

今思えば多分あの最初の選曲も、たまたまライサに刺さっただけなのだろう。そこに意味なんかきっと無い。ルイネが気まぐれに伸ばした指に、勝手にライサが引っ掛かっただけなのだ。

自然体で生きるのが良さそうだ、とライサは思った。歯車なんて、噛み合う時は勝手に噛み合うし、どんなに努力しても報われはしない。常に自分の手の届く範囲を大切にして、離れていくものは追わずに、日々を暮らすのだ。この十八年間は、楽しい夢だった。届かないものに手を伸ばすと、自分も成長した気になれた。しかし夢が破れてみればこんなものだ。

まずは祭を楽しんでこよう。ライサはぴょん、と屋根を飛び降りた。





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