挿話〜大魔導師の継嗣〜
それは、決して誰にも漏らさなかった、ある少年の苦悩。
彼には、魔法があった。
母が再婚する前まで、それは身近なものだった。
母は魔法使いとして仕事をしていたし、家でも母の周りを常に色んな物が飛び回り、掃除や料理を瞬く間に終えていた。まだ二つしか物を同時に動かせない彼にとって、母の魔法は憧れだった。
学園では、まだ魔法は教えていなかったが、何人かの同級生は彼には及ばないまでも、既に少しは魔法を扱えていた。
いつかは母の様に、魔法で皆の役に立ちたい。
それが彼の将来の夢だったのだ。
ある日、母が再婚すると言ってきた。
しかし、彼女が行く街は、なんと魔法が使えないところだという。
誰も魔法なんて知らないし、母も魔法を使わないようにするし、仕事は変えるし、彼も魔法を使ってはいけないと教えられた。
嫌だったが、母と離れるなんて考えられない。仕方なく、我慢すると答える。
良かった、と母の顔が花のように綻ぶ。
それが幸せなのだ、と彼は思い込むことにした。
彼は実際上手くやっていた。
本当にこっそり、新しくできた弟を泣き止ませるのに魔法を使うこともあったけれど。
騒がれないように、バレないようにしっかり隠し通した。
養父には、一度だけ、お母さんは魔法が使えるんだよ、と言ったことがある。
養父は、勿論知っている、と答えたので彼は驚いた。
でも、お母さんは魔法がなくても十分魅力的だし、大切な人なんだよ、と養父は答えた。
そう言われると、自分だって魔法が使えるお母さんが好きなんじゃない、今のお母さんだって大好きだ、と答えるしかない。
それなら良かった、と頭を撫でられ、言いたいことはそうじゃないのに…というモヤモヤを押し殺した。
このまま母が幸せならいいではないか。
母が幸せなら。
母が死んだ。
火事ごときで死んだ。
魔法を使えば、火事でなんて。
身重の状態でも、産後すぐの状態でも。
もしかしたら生きているかもしれない。
死ぬよりは、と魔法を使ったかも。
しかし母は迎えに来なかった。
魔法から、彼から逃げた。
それが結論だった。
この街はクソだ。養父は優しかったが、母を殺した。養父の親戚は母を貶めた。義理の弟は……
弟は。
まだ六歳だ。
三年一緒にいただけだが、この子は母の為に怒ってくれた。
この子一人ならいくらでも引き取り手はあったろうが、自分と一緒にいることを選んでくれた。
この子を連れて、昔の街に帰ろうか。
しかし、帰り方が分からない。
母の昔の知り合いは、越してくる時に会ったっきり、一度も見掛けていない。
こちらでなら、養父の遺産で二人の子供が成人するくらいまでは何とかなる。
悔しいが、もう少しこの世界で暮らすしかないようだ。
十八の時。唐突に、接触があった。
この世界で禁じられているはずの魔法。
夢に干渉する形でそれは顕れた。
養父が遺した仕事を継げと。
「お断りだね」
彼はその影にいらえた。
「カオン父さんが何をやり残したのか知らないけど、それならレオンが実の子供なんだから。あの子が大きくなってから頼めばいいじゃないか」
『彼では、駄目なのです。彼は、彼こそが選ばれし者……
夜の神と夜の民を止め、この世界を救う者』
「…だから〈兄〉の俺に、あいつを扶けろと。あの世界を捨て、こんな世界を守れと」
ここは彼の夢の中。彼の怒りが炎となってその影を襲う。この怒り、この悔しさ、何も知らないお前には理解できまい。
「夜の民イグラスの大魔導師が継嗣、シオンが予言する。お前達の目論見は潰える。そしてお前は、俺の夢の中で滅びるがいい!」