砂漠の恋は炎
インカーの傷を治したかったクリスは、リノモジュールに体の制御権を渡してしまい、結果彼女の心を傷付けてしまう。逃げ出して自暴自棄になるクリス。そんな彼をライサが地下の地下に連れ込んだ。
驚いたのは、両隣に潜んでいた男達だった。爆発した様な音が轟いたかと思うと、地を這って彼らの脚に電流が走ったのだ。彼等はライサに、自分達の恋敵の死骸を処理するよう頼まれていたのだが、何が起きたと明けの部屋に駆け込んだ彼等が見たのは、地面の上で引き付けを起こしながら無様に転がる依頼人と、傷一つ負わず、頭髪は逆立ち体中から放電し、凄まじい形相でこちらを睨みつける〈恋敵〉の人間とも思われぬ姿であった。情けなくも彼等はそれだけで竦み上がってしまった。
「お前等も、俺を殺りに来たクチか」
「あ、いや、俺達は…」
「お、おい、ギム兄貴…」
ギム兄貴と呼ばれた大男が前に押し出されてきた。彼も目の前の様子にギョッとしたが、流石に虚勢を張って言った。
「俺等はただ後始末をこいつに頼まれただけだ。…悪いが中に入らせてくれ。このままでは店の奴等が来ちまう」
「…別に、構わねえよ」
尚も髪を逆立たせながらクリスは言った。ギムはゆっくりと部屋の中に足を踏み入れ、そしてライサを助け起こした。他の男達もギムが入ったのに続けと入ってきて、入り口の壁に貼り付いた。クリスは呆れ返った。
「そんなに怖がるこたぁないだろう!お前等が何もしでかさなかったら、俺も何もしない。…ライサはダチになれたと思ってた。本当なら友人に攻撃なんて、したくなかったんだけどな」
「ライサに…一体何を…」
「雷を流し込んだ。刺される直前にな」
男達はどよめいた。雷を操るなど、人間技ではない。
「お前は一体…」
「炎の剣って知ってるか?」
「あ、ああ、選ばれし勇者が持つというあの…まさか、お前が!?」
「いや違う。俺は炎の剣の勇者を迎えに来たんだ、森の向こうからな」
男達は呆気に取られて何も言えなかった。それだけ目の前の男が言ったことは突飛過ぎたのだ。漸くライサが正体を取り戻して尋ねた。
「…それで……勇者は、見つかったのか?」
クリスはライサを見て、暫し押し黙った。確証は無い。だが。
「…ああ、見つかった。インカーちゃんだ」
「ええッ!?」
一斉に驚きの声が上がった。クリスは目を瞬かせた。
「何だ、お前等皆インカーちゃんと知り合いか?」
「い、いや俺等は…!」
「ギム…止めろよ。…結局あいつの運命の人は、俺等なんかじゃ、なかったんだ…」
「ライサ!?」
「俺等には、高嶺の花だったってことさ。あいつの目は玉犬を通してこの国全体を見据えてる。本当に、生き女神さ。…だから、俺等みたいなちっぽけで浅はかな人間のことなんか、対等な者として見えてないんだろう。想い人の唇を奪われて逆上してその男を殺そうとするような小っせェ男なんかさ…ったく、あいつには見合わねェさな」
ライサは力無く首を振って自嘲した。リノが、いやクリスがインカーに働いた狼藉を、ライサは陰で見ていたらしい。クリスは黙って唇を噛んだ。
「…カッコ悪いよな…振り向いてほしいって純粋な憧れだったのが、いつの間にか独占しようとして、執着して、嫉妬して。俺がインカーに付く悪い虫だってのをザザ神は分かってたんだ、だからクリスを寄越したんだ…思い上がった俺を叩き落とすために。…クリス。完敗だよ」
「言ったな。…投了すると?」
「ああそうだ。もう、お前があいつに何しても俺等は…文句は言わねェ…元々文句言おうってのが間違いだったとね」
「お前らもってことか?」
クリスはギムに視線を移した。
「右に同じ、だ。ライサに無理なもん、俺やこいつらに出来る訳がない」
クリスは少し眉を顰めたが、すぐに無表情になり上着を着た。烏合の中には涙する者もいたが、彼は気にも留めずに建物を出た。
今は迷いなくインカーの家に足が向いていた。リノはあれ以来ずっと黙っている。クリスとしても今は話したくないので好都合だった。インカーと向き合うのは怖いが、自分が逃げてばかりではライサが報われない。インカーに嫌われても、ナシだと断じられても、謝罪だけはするべきだ。もしそうなったら、ライサの代わりに、彼女が愛する者と出会うまで、次は自分が護ろう。
(もしその相手が…リノだったら、俺は…リノに…)
『黙って聞いてれば要らんこと考えやがって。クリスのことを袖にする女なんて嫌いだよ。僕はただのモジュールで…僕は、お前だ。この体は、クリスのものだ。お前だってあのキスで思い知っただろう』
(ああ。あれは、俺がやったことだ。だから謝るんだ)
クリスは意を決したように足を早めた。
「あ…クリスさん」
インカーの家に近付いたところで、フィーネが見つけて声を掛けた。
「フィーネちゃん、昨日ぶりー。インカーちゃんは何処かな」
「インカーさんは、玻璃砂宮にお務めに。クリスさん…リノさんのこと、聞きました。私にも心配させて下さい」
「フィーネちゃん…ありがとうねー。でもきっとセルが嫉妬するからいいよ、大丈夫。俺はもう正気に戻ったから。ちゃんと謝れる」
「セルシアさんのことは放っておけばいいんです!あの人はちょっと拗ねてるくらいが可愛らしいんですから。私は仲間の心配をしてるだけです」
「…フィーネちゃんって意外と強かだね…。そうだなぁ、じゃあもし今からインカーちゃんにフラれたら、慰めてくれるー?」
「勿論です!」
ふんす!と鼻を鳴らしてフィーネは両手に握り拳を作った。ありがとう、じゃあねーとフィーネに手を振り玻璃砂宮に向かって、ポツリと呟く。
「…心配しなくても手出しはしねーよ」
(僕が聞いてるの分かっててあの発言ですか?度胸ありますね)
見事に予想が的中しピリピリした声が届いたのでクリスはニヤリとした。
「セルも他人の事は言えないくらい段々拗らせてきてんなー!」
今度はいらえはなかった。
インカーは宮殿で仔犬達のブラッシングをしていた。
「…来たか、スッス。悪いけど丁度良かった、そこにブラシがあるからお前も手伝ってくれ」
インカーがちらりとクリスを一瞥し、右手に持った大きいブラシで水辺のバケツを指す。クリスは頷いてブラシを持ち、手近な仔犬を抱いて梳き始めた。今抱えている仔犬は一番毛足の長い黄色いココだ。中々梳き応えがあって、クリスは暫く何も喋らずに熱心に梳いていた。ココが段々気を許してクリスの足元に腹を天に向けて寝転がる。
「…へぇ、上手いもんだ。ブラシの加減が良いんだな」
「まあ、ブラシをかけてやるのは慣れてるから…」
クリスは何気無しに返答し、しまったという顔をする。
「…そうなのか。動物か?人か?」
「…セ、セルのことだよー」
「嘘つけ。あの人は全部自分で出来る人だ。…スッスの好きな人?」
「…あー。そんな話より、さ。インカーちゃん、昨日はごめん」
「…何に対して謝ってるんだ?」
「その…傷を治せって迫って、無理矢理、キスしたこと。」
「お前がやったのか?」
「うん。俺がやった」
「…そうか。あの時何か言ってた、リノって奴じゃなくて?」
「リノは、ただの俺が抱えてる幻想だ。俺が好きだった、俺のことを好きだった、俺が殺してしまった人間を、忘れたくなくて住まわせてるだけだ。やらせたのは、俺だ。…その証拠に、俺はあの時のインカーちゃんの感触をハッキリと覚えてる。今でも思い出すと凄く興奮する」
「あー、いやそこまで言わなくていいから…。そっか、分かった。スッスがやったんなら、…うーん…別に…いいよ」
「…えっ。それって…」
クリスは手を止めてインカーを見た。彼女は俯いてモモを梳き続ける。
「まぁ、私の傷の為だし。傷を見たくないって気持ちも伝わったし。あの冷たい目をした男も、スッスの別の一面だっていうなら、受け容れる。勿論、普段のスッスの方が良いなとは思うけど…」
「ん、ん、ん?よく分かんないな。ごめん。キスして良い?」
インカーはハッと顔を上げた。眉間に皺の寄った真剣な顔を作りつつ、期待に満ちた眼差しでクリスが四つん這いしてくる。彼女は思わず笑ってしまった。
「バーカ、仕事中だぞ。…一回だけな」
モモが仕方ないなと言わんばかりにインカーの膝からのっそりと退く。
クリスはインカーの肩を掴んで、そっと唇を重ねた。その口づけは、昨日よりも甘く、優しく、傷付いた心を癒し、満たしていく。
そのまま暫くして離れたので、インカーは少し意外に思った。
「今度は舌入れてきたりしないんだな?」
「ちょっ、やめてよね!?俺だって場所弁えて我慢してんの!」
真っ赤になって慌てるクリスを見て笑うインカーは、自分も赤くなっていることに気付いていなかった。
「…ありがとう、クリス。こんな私を好いてくれて」
「おう、好きだよ、インカー。これからは俺が護る」
「…ふふ!これから、か!そりゃ楽しみだ」
インカーは、彼等の目的が炎の剣の勇者にあることを忘れていなかった。自分が彼等と一緒にいられるのは、新生祭が終わり、神都に赴くまでだ。それが終われば自分はまたこの街に戻り犬飼の仕事を続け、クリス達は旅立ち、二度と逢うことはないのだろう。そうと分かっていても刹那の恋に身を投じようとする自分が意外で、なるほど恋は理屈じゃないのだなぁ、と何処か他人事のようにしみじみと納得するのだった。