切り裂く刃
インカーの家に滞在して数日。クリスはインカーが炎の剣に選ばれていると考え、親密度を上げようと頑張っていた。新生祭の準備も始まり、レオンが目覚め、剣の仲間達は平穏な暮らしを満喫していた。
数日経つと、もうレオンはすっかりいつもの調子を取り戻した。
初対面でレオンちゃんと呼んできたインカーに、その呼び方は恥ずかしいからやめて欲しいとお願いしたら、フィーネに合わせてリオンと呼び始めた。あだ名の様なものかな、と思ってレオンもインカーのことをインカー姉と呼んでみたら、インカーの後ろでクリスとライサがそれぞれ凄い顔をしていた。インカーも嫌がる風でもなく、面白いのでそのままその呼び方にしている。
レオンの仮装は結局勇者ヨークに決まった。衣装は派手にしなくても、グラードシャインが十分派手だろうとレオンが言ったのだ。自分の知らないうちに全く違う形に変化していたグラードシャインは、しかしやはり手に馴染むのだった。サンリアが作ってくれた鞘も、流石に鞘口は補強したが、よく伸びて頑張っていてくれている。腰に佩くには大きくなり過ぎたので、背中に負うストラップを付け直す。これで、ひとつの形を持たないフィーネのアクアレイム以外、全員背中に帯刀する格好になる。
衣服がボロボロだったので、ひとまずこの街で一般的な長い胴衣を借りつつ、折角だから仮装ではなく本物の剣士の旅装を仕立てようということになった。体格的に甲冑の類は厳しいが、鎖帷子か小札鎧、革の胴当てくらいなら合わせられるぞと言われ、レオンは困った。防具なんて着たことがないのだ。クリスに相談し、ちょっと丈夫なだけの革の服を作ってもらうことにした。インカーには言えなかったが、プラズマイドさえあれば医療モジュールも機能するのだ。また、死の剣には並の鎧など無意味だろう。それならば防御力より敏捷性を重視した方が良い。と、これら全てクリスが考えてくれたので、レオンはなるほどそうだな、と言うとおりにした。
革の縫製は堅いので、業者に頼むことになった。その間に他の仲間の仮装も、徐々に出来上がってきた。
ルイネは緑の大きなターバンと同じ色のマントを羽織り、銀の房飾りで装飾する。セルシアの外耳が無いことにインカーは最初凄く驚いていたが、それならいっそとクリスの提案でターバンにセルシアの髪と同じ灰色の兎耳を付けることになった。マントの下は短いベストにゆったりした白いサルエルのみで、セルシアの無駄のない上体の筋肉が無防備に晒されることになる。これについてインカーは、モテなきゃ意味が無いからなと謎の興奮を見せていた。
対してクリスは白いマントに金の甲冑を着込んだ炎の神リンリになるべく忠実にしようとインカーがデザインを練った結果、露出は腕のみになった。こちらは黄銅が届いてからの外注になるそうだ。本当に鎧を着るのかとクリスは今から戦々恐々としている。
水の神キャミは官能的な女神らしい。絵や彫像などでは装飾品のみを身に着けた裸婦の姿で表されている。しかしセルシアもインカーもそれを隠して巧妙に準備を進めている。勿論布面積は少なめ、透け感のある薄布も多用する予定で、フィーネが試着の時に悲鳴を上げるのが目に浮かぶようだ。
サンリアのミフネは一番順調に進んでいる。気まぐれな猫のような風の精霊ということで、サンリアのいつものワンピースに猫耳と尻尾が付けられ、黄色のふんわりとしたスカーフを巻いたところで、「…十分可愛くね?」とインカーが満足してしまった。一応、この後装飾品を幾つか見繕い、普段使いのブーツではなく、白いサンダルになる予定だ。
その日、朝からフィーネの衣装が仮組みできたということで、出勤前のセルシアは屋上で、手に入れた木材でティルーンのパーツを組みつつ試着が終わるのを待っていた。屋上人のライサは自分の城とばかりに寝転び、レオンは掃除をしに屋上に上がってきている。
立ち上がろう もう一度
長く暗い夜が明ける
不毛の大地に水流れ
谷間に鳥の声響く
生きよう もう一度
故郷は遠く離れても
この荒れ地こそ理想郷
人々の声谺する…
「ルイネ、俺の仲間内でも何故かもう超有名人だぜ。琴の音通りなんて縁のない連中ばかりなのにさ。屋上で歌うのはオススメしないな、信者が集まって屋根が落ちるぞ」
ライサがカーペットの上でゴロゴロしながらセルシアの歌を遮った。
「…僕がどこで歌おうと僕の自由だ。僕は神じゃないし信者もいない。その名前で呼ぶのはやめてくれないか、まだ祭の時でもないのに」
この上ない不機嫌顔でセルシアがライサを睨む。ライサは老婆心から言ったのだが、セルシアの冷たい目は彼を射竦ませるのに十分だった。それからセルシアは興が削がれたのか、もう歌は口ずさまずに作業を続けた。
「…クソ…こっちにたわんだか…メーおじ〜これどうすりゃいいの…」
セルシアから泣き言が漏れる。結構深刻な状態の様だ。さっき歌っていた再起の歌は、彼自身を鼓舞するためのものだったのかもしれない。レオンは気の毒そうに、ライサとセルシアの顔を交互に見た。
奥の扉が開いて、インカーが顔を出した。
「水の神キャミのお出ましだよ、私の自信作さ」
彼女はそう言って、自分の後ろに隠れている少女を無理矢理前に押し出した。
「え、ちょっと、あの、この格好じゃ、その…」
「その格好を見せに来たんだよ。恥ずかしがってちゃ本番踊れないよ?」
「この格好で!この様な、短いスカートや透ける素材の服で踊れとおっしゃるのですか!?」
「あのナァ嬢ちゃん。俺達は祭のためなら何だってするんだ。恥なんか言ってたら思いっ切り楽しめないもんな。…それに、キャミはかなりエ…官能的な女神だから、それでもまだ布多い方だと思うぞ」
ライサはかなり慎重に言葉を選んだが、フィーネを真っ赤にさせるには十分だった。
「ライサ、お前一言多い」
「んだよ、俺なりに言葉に気を付けて綿菓子みたいにして言ったのに。インカーならもっと上手に言えるってのか?言ってみろよ」
「じゃなくて、最初から言わない方が良いっつってんの」
「おー怖い怖い、鬼ババのお小言なんか聞きたくありませんねェー」
ライサは耳を塞いで大声で遮った後、逃げろ、と叫んで屋根から地面に飛び降りた。
「悪いね、あいつ的には悪気は無いんだが…うちのペットの不始末は私の責任だからね。謝るよ」
「ペットって…ライサ報われないな…」
レオンはこっそり呟いた。インカーの中ではライサが彼女と同い年だということがまるきり抜け落ちているようだ。
「ああそうだ、インカーさん。水の神様の仮装なんですから、僕はもう少し装飾を増やした方が良いと思いますよ」
「そうかい?でもねー、私の食い扶持から費用出してるから、言いたかないけどそろそろちょっとキツいんだ。スッスのも作らないといけないし」
慌ててセルシアが何か言おうとしたその時、
「ほーら、俺の出番だー!いつも迷惑かけてる俺に恩返しのチャンス!」
上方から声がして、四人はそちらを振り仰ぐ。いつの間に移動したのか、インカーの背後の屋根にライサが仁王立ちしていた。
「ガキの手を煩わせるほど困窮しちゃいないよ。私は名誉職だからね」
「でも実は俺の方が稼いでたりするんだけどなー!なんてったって俺は銀竜バッジ三つも持ってる伝説の勝負師だから」
「その金は全部愉しみの方に流れてっちまうんだろ」
「ちょっとムズムズするのさえ我慢すりゃ貯めるのなんて訳ないね」
「じゃあお前の未来のために取っとくんだな。早く安定した職について屋根モンから足洗えるように」
「そんなの一月後から始めても大丈夫だって!」
「あーもう!そんなに金余ってんなら自分の家建てろってんだ!」
「だって屋上人って気楽で良いんだも〜ん」
「お前は良いかもしれないけどなぁ、私は…」
ヒートアップしていたインカーは、ハッとして口を噤んだが遅かった。
「あ、いや…今のは」
ライサの目は瞬時に曇った。
「そう、なのか。俺やっぱ疎まれてたのか。…」
「違う、そういうつもりじゃないって…」
「いやもう良い。もう遅いっての!本音はそれだよ、分かっちまったよ」
全然遅くない、今すぐ引き止めてくれといった悲愴な様子でライサは呟いた。しかし、インカーは背を向けた。
「…もう良いんなら、早く出てけよ。私もな、ずっと今の状態はライサの将来にとって良くないと思ってたんだ。丁度良い機会だ、独り立ちするための、な…お前もそろそろ足を洗うべきだよ。ガキだからって許される歳でもなくなってきてる。今が働き盛りの入り口なんだ。
私はお前に、地下の地下のゴロツキ共と一緒の無意味な奴にはなって欲しくない。だから、自立しろ。自分の家を持って、一人で生きて、家庭を持って、一人前の男になれよ。そしたら恩返しも受けてやる」
ライサは自分の耳が信じられないかのように両耳を鷲掴みにし、目を大きく見開いて聞いていた。そしてインカーの説教が終わると、ぎゅうと二、三度瞬きし、喉の奥から絞り出すような掠れた声を出した。
「…まるでよォ…御立派な親御さんのような言い草じゃねェか、あァ?」
彼は頬を引き攣らせた。あるいは笑おうとしたのかもしれない。インカーはムッとしてライサを睨んだが、それがライサを逆上させた。
「んだァ?その目は。私はお前の為を思って…ってヤツか?
俺ァ十八だ!手前と歳も違わねェ奴にガキ扱いされたかねェ、赤の他人に親代わりになって心配して貰う歳でもねェッつってんだよ!俺だって人間なんだ、ガキとかペットとか言われて腹立たねェ訳があるかッ!!
…あァ?もしかして俺が傷付いてた事さえ知らなかったか!?そうだよな、俺の気持ちなんか解る筈ねェ、貴様はいつだって他人の気持ちなんかこれっぽっちも気にかけた事なんて無かったもんなァ!!?自分の家建てろだと!?そんなモン…、とっくの昔に持ってるってェの!それでもこの屋上を離れなかったのはなァ、…」
そこでライサは言葉を切り、頬に流れたものを拭った。その手で腰の短剣を引き抜き、渾身の怒声諸共インカーに投げ付けた!
インカーは呆然と立ち尽くしたまま、身じろぎもしなかった。短剣は彼女の左腕を切り裂き、床に突き刺さった。一テンポ遅れて流血。傍観者達は慌てて彼女の傍へ駆け寄った。しかし彼女はライサを見つめたままだった。ライサはじろりと睨み返した。
「いいか麗しの偽善者殿よぉく聞け。俺はインカーが好きだが貴様のことは生涯かけて憎み、俺の永遠の仇敵と見做し、毎週今までの借りを金で返すことを、貴様の左腕を切り裂いたそのズズの短剣に賭けて誓う。なんでこんなややこしいことになったのか、自分の過去の言動でも振り返って考えてみるんだな。レオン、その短剣引っこ抜いてこっちに投げてくれ」
レオンは言われた通りに短剣を引き抜き、投げるのを躊躇った。
「やっぱ駄目だ。人を憎むもんじゃない。好きな人なら尚更だ」
「うるせー、新参者が口出し出来るような簡単な話じゃねェんだよ。良いからさっさと寄越せ」
するとインカーが無言でレオンから短剣を奪い、右手でライサに放り投げた。ライサはそれを器用に受け取ると、フンと鼻を鳴らしてインカーの家の屋根から飛び降りた。