セルシアの強敵
犬飼のインカーに案内された地底都市は、想像以上に広く明るい洞窟だった。インカーとその居候ライサに新生祭のことを聞いたクリスは、乾季が明けて新生祭を満喫してからの出立を提案した。
インカーがザザ通りを先導して歩く。まずは玻璃砂宮にレオンの様子を見に行くのだ。ライサがふと止まって、セルシアの方にふらっと近寄る。
「えーと、セルさん?俺がこの地下の地下、案内してあげようか?インカーはああ言ってたけど、俺にとっちゃ庭みたいなもんだぜェ」
「おいライサ」
インカーが突然振り向き、ライサはびくっと体を震わせた。
「やめとけ。お前この前もトドの親父に肉屋に売られそうになったのに」
「何だよー。ヘマしなけりゃ大丈夫だって」
「その十日程前には上着を取られてた」
「たまたまツキが悪くて負けちゃってさ」
「前の乾季の時には肋折ってた」
「おんころの大将が力任せに殴ったもんだから」
「足の骨折られてギムに引き摺られて帰ってきたこともある」
「ガキの頃の話はよせって。もう三年前だろ」
「褐色人の干物は精がつくってんで都で高値で裏取引されてるらしいぞ」
「……これだからカーちゃんはさぁ……」
ライサは露骨に嫌そうな顔をして黙ってしまった。フィーネが首を振る。
「セルシアさんも、やめて下さい。とても危険な場所の様です、万一…」
「フィーネがそう言ってくれるなら。貴女は僕の太陽だからね」
セルシアはフィーネの頭を撫でてそのまま肩を抱いた。はずかしさからかフィーネが赤くなる。
「じゃあ琴の音通りの酒場くらいかな、俺はあんま行ったことないけど」
「ライサも俺達と一緒に琴の音デビューしようぜー」
「酒場なら私も行きたいわね…でも未成年扱いになるかぁ…」
「まあ僕は唄えるんだったら何処でも良いですけどね」
「あ、あの!」
フィーネが立ち止まり、俯いてセルシアのマントを掴む。セルシアが目配せするので、他の一行はそれとなく空気を読んで先行することにした。
「どうしたのかな?フィーネ」
「あの、私未成年ですが…お酒大丈夫ですので!」
意を決したように発言するフィーネ。セルシアは微笑んだ。
「おやおや、何を言い出すかと思えば。可愛い僕の妖精は、僕だけでは不足だとお思いのようだ。どうやら太陽としての自覚が出てきたらしい、君は皆を照らしたいと言う、僕の腕をすり抜けて…。それが君の願いなら僕は喜んでそうしましょう、連れて行ってあげましょう。そして君が空高く遠くに輝いている間、僕は西の果てで早く僕の元に帰ってきてほしいと歌うことにします。負け犬らしくね」
「いえ、違います!私は…私は貴方のことが」
「こらこら、駄目ですよ?その先を言ったら、僕は君に輝かないでくれと頼む権利を手に入れてしまう。僕と君、二人だけが照らされる夜を優先してしまう。それがお望み?この前のやり直しをさせてくれるんですか?」
「えっと…よく分からないのですが…」
「『私を置いてゆかないで』。君のセリフ?僕のセリフ?」
「あっ…」
本来ただ仲間を心配するだけだった筈の心を、セルシアは巧妙に恋心へとすり替えていく。フィーネは自分の心を勘違いして真っ赤になった。
「フィーネが本当に望むなら、僕はきっとフィーネの傍にいます。君だけのための歌を歌い、僕の太陽にこの身を捧げますよ」
何度も名前を呼ぶ。人は名前を呼んでくれた相手に好意を持つのだとセルシアは識っている。フィーネは赤面を隠そうと俯いた。
「…いえ、セルシアさんの歌は…私が独り占めするには勿体無くて…」
「ありがとう、僕に自由をくれるんですね。安心して?自由が孤独の檻でしか無くなった時には、いつでも僕はフィーネの傍にいるから」
「要らないです。」
フィーネは俯いたまま、しかし突然いやにきっぱりと断ったのでセルシアは表情を保つのに苦労した。またこのパターンだ。途中まで純情そうな普通の女の子の様なのに、中々自分の想定通りの展開にならない。
「…どうして?僕はフィーネの傍にいたいのだけど」
「いてくれたら勿論嬉しいですが、別にいなくてもいいです。私はセルシアさんが私の知らないところで傷付かなければそれでいいんです。傷付く時は傍にいたいけれど、基本的には今の自由なセルシアさんが、良いなぁと思うんです。セルシアさんはお嫌ですか?」
フィーネがすっと面を上げる。フィーネは元がコトノ主に似て美人な分、真顔になられると迫力があるな、とセルシアの思考は現実逃避しかけた。
「…僕がフィーネと思いっ切りイチャイチャして、直後にインカーさんを口説いていても良い訳?」
「セルシアさんってそういう人じゃないですか?」
「あー、いえ…そこまで節操無しでもないつもりなんですが…そうかぁ」
セルシアは、気が付くと悪戯がバレた子供の様にニヤニヤしていた。
「ちなみに、僕はワガママなので、フィーネが僕と同じことをしてたら多分拗ねるんですけど、それも大丈夫?」
「私、セルシアさんとお付き合いしてる訳じゃないので気にしないです」
「気にしてほしいなぁ…」
口許の緩いのは戻せないので、セルシアは目だけで遺憾の意を表明した。フィーネがそれを見て莞爾と笑う。
「そのお顔、可愛らしいと思います。普段の静かで優しいお兄さんなお顔より、そっちの方が本当のセルシアさんなんですね」
「困ったなぁ、見抜かれてるし口説かれてる…。まあ僕は本来弟キャラでしたからね…。でもフィーネの前では素敵な僕で居たいんだけどなぁ」
「残念ですが、本当に素敵で紳士な大人の方は寝ている女性の服を勝手に脱がせたりしないと思いますよ」
「ぷっ、あはははは、そりゃそうだ!…いえ、その、スミマセン」
「はい、承りました。でも、本当のセルシアさんが見られて嬉しいです。この調子で、本当のクリスさんも本当のサンリアさんも見たいです」
フィーネが胸の前で両手にぐっと握り拳を作った。
「あの二人が、何か隠してるように見えるってことかな?」
遅ればせながら二人で手を繋ぎ玻璃砂宮に向かう。
「隠してると言うと嫌な感じなんですが、ちょっと距離を置かれているというか。勿論優しくしてくれますし、仲良くもしてくれていると思うんですが…その…無関係な?他人として、なんですよね」
「サンリアちゃんは、そうだね…何故かは僕も分からないけど、レオン君にしか心を開いてない印象はあるね」
「リオンさんは良い子ですからね。サンリアさんは今のままでも幸せなのかもしれません。私に打ち明けてくれなくても、まあいいかと思えます。クリスさんは…たまに一人で百面相してて、ちょっと心配です」
「フィーネはよく見てるね、本当に…。まだ僕ら出会って六日しか経っていないのに…。クリス君はまだ多分駄目ですね。大事な人を喪ったばかりなんです。しかも相手が望んだこととはいえ、自分の手で刺し殺してしまっている。更に脳内に変なものを埋め込まれて、健全に忘却することも出来ない。彼はもしかすると一生あのままかもしれません」
「…酷い、と思うのは、やはり私が何も知らないからなのでしょうか」
「どうだろう…。少なくとも彼はリノモジュールのことは前向きに捉えて有効に活用しようとしていますからね。あのままだからといって、弱って先に進めなくなることは、今のところないと思います。何かきっかけがあるとまだ分かりませんが…。例えば、リノちゃんにそっくりな人が現れるとか、クリス君に別の大切な人が出来るとか…」
「そうですか…。その時支えられる様に、私もしっかり仲良くなっておかないとですね」
「……。僕がいるから大丈夫。僕に任せて。フィーネはクリス君のことあんまり気にしないで。あの子の闇にあんまり近付かないで」
セルシアが空いている右手でフィーネの目を隠す。
「ええと、守姉から聞いたことあります、それ。嫉妬は自信のなさの裏返し、でしたっけ?」
「もう…とんでもない英才教育受けてますねぇ!」
素直だが、強敵。セルシアはフィーネの存在をはっきりとそう認識した。