砂漠の地底都市
レオンを救うべく炎の剣の世界に飛び込んだ剣の仲間たち。ちょっとした事故で濁流に押し流されてしまったところを、玉犬という神獣に助けられる。玉犬の犬飼インカーの案内で、彼らは昼の砂漠でも安全な地下の街を訪れることになった。
ノノが飛び立ったので、インカー達も出発する。玉犬の仔犬達は先行し、崖の傍の坂道でワンワンと吠えた。
「おお、こりゃ見事だ」
インカーが声を上げる。一同が追いつくと、崖から水が絶え間なく流れ落ちていた。
「滝になってますね…」
フィーネが流されてきた方を見遣る。谷の地下水の噴出は一時的なものではなく、今でも続いているらしい。ランザーが崩れた分の水量程では無いが、谷のこちら側にサラサラと流れてきている。
「何になってるって?…あんな水のあり方は初めて見た。お前ら、森の向こうの世界から来たんだな」
インカーはそう言いながら坂道を下った先の階段を昇り始めた。なるほど、あそこで砂を堰き止めているんだな、とセルシアは推察する。いや、それよりも。
「今、森の向こうの世界って言いました?」
「違うのか?」
「その…君は森の向こうに何があるのか知ってるってことかなー?」
「違う世界だろ。知ってるよ。どんな世界があるのかまでは知らないけどな。それから私の名前はインカーだ。宜しくな」
「お、おう。俺はクリスッス」
「スッス?」
「クリス、でーす。宜しくねー!」
「あっ、私はフィーネと申します。十六歳です」
「サンリア、十三歳よ。今運んでもらってるのはレオン、十五歳。」
「そんで俺は十九歳です!」
「えっ、スッス歳上!?私十八だから歳近いよ。セルさん、スッス、フィーちゃん、サンちゃんにレオンね。皆敬語はいらないぞ」
「インカーちゃん十八なんだ…。なんかこう、ビシッとキリッとした感じでお姉さん感強いからセルより上だと思ったよー」
「僕は女性の年齢は気にならない質なので…熱く気高き炎の女神かなと思っただけですね」
セルシアが優しくインカーに微笑みかけ、クリスはこいつフィーネの前でそれやるのか?とセルシアに目を剥いた。インカーは混乱した様に顔をしかめる。
「お前ら、うちの炎の神のこと知ってるのか?」
「ああいや、今のはただの比喩ですよ?」
「ふうん、やっぱそうか。炎の神の領域はあの谷まで、この砂漠だけなんだな。森の向こうは違う神様の領域って訳か」
「どうして森の向こうは別の世界だって思うの?」
「そりゃ、誰も向こう側に渡れないからだよ。谷に近付くと炎に焼かれるんだ。神様がこの砂漠から出ることを禁止してるんだよ。神の剣を得た選ばれし勇者だけがそれを超えることが出来る」
「炎の神様がお見張りになっているということですか。私の世界を主様が守護していらっしゃるのと同様に?」
「その、主様ってのが誰かは知らないけどな。炎の神は大いなる神の御子だ。大いなる神の消息途絶えた今、炎の神は神都の地下で勇者の到来を待つのみ。別に国民が守護されてる訳じゃない。
…砂嵐はしょっちゅう、日照り旱魃水場枯れ、昼は熱くて夜寒く、大した作物も育たない。かろうじてあるオアシスの周りに村を建て、巫女のご加護のある神都に憧れて、昔は肥沃だったらしいこの国の末路を嘆きながら私達は暮らしてるんだ。
…森の向こうは理想郷、と思った者も数知れず、森に近付いては火に焼かれ、神都に行っては追い出され、炎の剣には指一本触れられず、皆もうすっかり諦めちまった」
淡々と語るインカーの背中を見て、フィーネは項垂れた。水の剣でも、何もないところに水を生み出すことは出来ないのだ。神の有り様も様々なのだと彼女は思い知った。
「…でも、だ」
インカーが歩みを止めて振り向く。その表情は晴れやかだった。
「あんたらが来て、水が流れた。今まではあの貪欲な砂が乾季に何もかも飲み込んでしまっていたのに、それを超えたんだ。何かが変わる、そんな予感がするぞ!
滝とやらが出来たし…下を見てみろ。うちの貯水池がもう盛り越して、次の街に水を届けに川が流れてる。あんなに沢山の水、雨季にだって見たことない。ふふ、きっと下はお祭り騒ぎだぞ!」
上り階段は少しすると長い下り階段になった。百段くらい降りただろうか。これ上るの大変だろうなぁとクリスが振り返ると、他はとっくに前を走り去っているのに何故か一匹だけ後ろを歩いている黄色い犬と目が合った。長い尻尾をめちゃくちゃ振ってくる。ノノさんのサイズからすると、まだ仔犬なのだろうか。可愛いが、どういう習慣がついているか分からないから、撫でたり触ったりの手出しはしない方が良いだろうとクリスは判断し、笑顔で手を振るのだった。
「さあ着いた。驚くなよ、人の住んでる普通の街だぞ」
インカーはそう言って扉を開けた。一行は思わず息を呑んだ。
扉の向こうは巨大な空洞。百メートル以上の幅の太い岩柱が何本も天井まで伸び、天を支えている。その中をくり抜いているらしい住居のようなものもあれば、レンガ造りの家もある。地下だが所々天井に縦穴が開いており明るく、風まで吹いている。砂は絶え間なく落ちてきているが、その下は更に地下まで穴が開いているので砂が溜まることはない様だった。
「でかっ!こんな洞窟地下にあってよく潰れないなー」
「よくこんな所に村を作ったわね、しかも賑わってる。凄いなぁ…」
「僕はこれで空中都市、水上都市、地底都市の三つを訪れたことになるんですね…」
「地上とは別世界ですね。地面も砂じゃなくてしっかりとした土ですし…何故ずっと地下でお過ごしにならないのですか?」
「こんなでも大半が農民だからだよ。雨季は畑を見てなきゃいけないから上に出るのさ」
インカーは照れたように腕をさすって言った。
「大きな通りは五本ある。右側から順にからす通り、ズズ通り、ザザ通り、琴の音通り、つるぎ通りだ。で、そこに見えるザザ通りが一番広い、メインストリートだな。ザザ通りを突き当たりまで行くと玻璃砂宮の地下階に繋がってる…玻璃砂宮は玉犬の住処のことな。ノノさんはそこまでさっきの坊主を運んでいってる筈だ。私の家はその近く、ちょっと遠いぞ。
…あと、更に地下に行く道があるにはあるが、治安悪いから入っちゃ駄目だ。何に巻き込まれても面倒見ないぞ」
一行は街の岩壁の途中に出たらしく、更に同じだけ階段を下りた。
とうとう地面に着くと、向こうから金髪褐色肌の少年が走ってきた。
「インカー、お帰り!…んあ?誰だ?都の人か?」
少年はクリス達に気付くと驚いて足を止めた。少し後退りする。インカーは笑っていいや、と答えた。
「都の人じゃないよ、ライサ。もっと遠くから来た人達だ」
そうか、と少年は安堵したようにまた近寄ってきた。サンリアは首を捻った。
「どうして都の人だと駄目なの?嫌いなのかしら」
「苦手なんだ。都の人達は俺ら褐色肌を軽蔑してるから。下賎だって。まあ貧富の差は確かにあるからね、仕方ないことだと理屈では分かってるんだけど…でも良い気分じゃ、ないから」
「貴方難しい言葉を知ってるのね。小さいのに」
「何ィ!?身長低いからって馬鹿にしてんじゃねー!俺は十八だッ!!」
「「ええっ!?」」
サンリアとフィーネが声を揃えて驚いた。ライサ少年はどう見てもサンリアより小さいのだ。
「なあインカー、こいつらムカつくんだけど。…まあいいや、よく言われるしな…
っじゃないよ!水が流れてるんだ!今は乾季なのに!!」
「ああ、それはこの人達がやったことなんだ」
「へ?」
少年は目を丸くした。四人は顔を見合わせる。そこまで話した覚えは無かった。
「本当に…?どうやったんだ?」
「嘘、嘘。私達は単にあれに流されてきただけなのよ。それを玉犬のノノさん?だっけ?彼女が助けてくれたの」
「何だ…残念。方法があるなら教えてもらいたかったのに」
「人がどうにか出来るものではありませんわ。水は神様が届けて下さるもの。ただ祈って待つしかありません」
「分かってらぁ」
見た目決して十八歳には見えない少年は、下唇をツンと出してむくれた。本当に幼い子供の様な仕草だ。
「で、インカー。こいつらどうするつもりなのさ?」
「ああ、ちょっと訳ありでな。旅の途中らしいから乾季が終わるまでうちに泊めるつもりだよ。仲良くしてくれ」
「泊めていただけるの?ありがとう。でも、乾季の間は動けないの?」
「無理も無理、大無理さ!乾季に砂漠を渡れるのは遊牧民か大豪商くらいなもんだ。それだって全員無事にとはいかない。
なに、あと三ヶ月の辛抱だよ。それで冷たい乾季が終わる。そして新生祭のシーズンになる。そうしたら旅に出るといい」
「祭!!祭があるのか!?」
クリスは目を輝かせた。インカーはちょっと引いたように首を仰け反らせ二、三度瞬きして、あるよ、と言った。
「よし、決まりだな!レオンが元気になって祭が終わったら仲間探しに出掛ける…ぞ!良いよな、セル?」
「何で僕に聞くんですか。普通泊めてもらうんだからホスト側に問うべきでしょう」
「良いかな?インカーちゃん」
「良いけど…祭のシーズンは私も忙しいから何もできねぇぞ?」
「ちゃりッス、ありがとうッス!」
クリスが飛び上がって喜ぶと、ライサがうんうんと頷いた。
「祭は良いぞ、何でもあるぞ!踊りもあるし仮装もある、屋台もいっぱい出る!その間だけは未成年が酒飲んでも怒られないし、都から来る見たことない出し物とかも毎年あるぞ!この時ばかりは都からも遊牧民達もこの街にやって来て、上下も殆ど関係なく楽しむんだ。
あーあと、最後の日に、今年の一番を決めるんだ。踊り、歌、仮装、出し物、宝探し、売上、大酒飲み、賭事、その他色々とにかく何か突出した人には銀竜のバッジが与えられる。これを付けてるとすげぇんだぜ、都の神殿に招待されるのさ。そして何を隠そうこのライサ!なんとそのバッジを三年連続で貰ってる強者なり!ま、都なんか縄括られたって行きたくないけどね。へへーん、どうだ参ったか諸君」
「結局自慢したかっただけだろ、ライサは」
「あいた!痛いこと言うなよカーちゃん!でもすげぇんだぜ、ホント。地上も地下も地下の地下も人でごった返すんだ。玻璃砂宮も夜通し火が焚かれ、キラキラ輝く夜の湖の真ん中を、美しい狼神ザザが渡ってくる。女神ザザは祭の主役だ。ザザは夫の狼神ズズと対面し…ズズはノノさんが演じるんだけど…そして祭の始まりを告げる。さて皆様この女神ザザ役誰が演じるのであらしょう?そはこにおわすカーちゃんにございィ!」
「カーちゃん言うな!インカーだっつの!…ま、こいつがべらべら喋ったからとりあえずどんな祭かは分かっただろ。ライサは大袈裟だからちょっと信用しない方が良いとは思うけど、大体そんなもんだよ。どうだスッス、あんたの想像してた祭っぽいか?それともハズレか?」
「思った以上!それ見とかないと俺絶対後悔する!」
「気が合うなァ兄ちゃん!」
ライサとクリスは拳をぶつけ合った。調子の良い点はそっくりである。
「ところでインカーさん。これだけ威勢のいい人達の住む街なんだ、どこか夜でも賑やかな所ってありますかね?」
セルシアが問い掛け、出た出た、とサンリアが首を振る。
「うーん、琴の音通りは結構賑やかだよ。あと、地下の地下もな。でも下じゃあ何されっか分かんないから、特にセルさんみたいな肌の白い人間は…。だから琴の音の、しかもなるべく玻璃砂宮に近い所にいるのが一番だよ」
「どうも有難うございます、気を付けましょう」
下に行きませんとは言わないんだ、とサンリアは溜息をついた。