濁流怒涛
転送魔術を辿られ、コトノ主はイグラス軍に捕まった。これをもって勝利としたイグラス軍は海の都を引揚げ、剣の仲間たちは瀕死のレオンを回復させるべく次の世界に急ぐ。レオンが昏睡している間に、光の剣グラードシャインは死の剣ディスティニーの呪いを吸って本来の姿に成長した。
「困りました…」
フィーネが呟く。コトノ主の言い付け通り川を遡ったはいいものの、翌朝ついに水源と思しき岩壁に遮られてしまった。
「うん、向こうは違う世界で間違いないわ。でも、川は繋がってない。この向こうは深い谷になってる。ランザー改で移動するのはこれが限界ね」
サンリアが飛んで確認する。
「下の方は水が流れている音もしますが、橋はありませんでしたか?」
「うーん、見た限りは無かったなー。レオンほど見える訳じゃないけど…。起きてくれたら見てもらえるんだけど…」
「リオン君をまだランザーの背中から動かせない以上、岩壁を壊して谷をランザーで飛ぶしかないですかね」
「フィーネ…?本気で言ってるの?飛ぶって何?」
「えっと…こう、鳥みたいな羽を生やして、ですね…」
「全身水で飛べるわけないでしょ!鳥はほとんど水より軽いもので出来てるし中もほとんど空っぽなの!」
「やってみなくちゃ分かんないでしょう!」
鳥のスペシャリストとして一歩も譲れないサンリアと、水の魔法の力を信じているフィーネが衝突する。
「ストップ、どうどう、二人とも。空を飛ぶ技術なら俺に任せてくれ。サンリアちゃんの言う通り、ランザーに羽を生やしただけじゃ飛べない。でも、水で出来た物体が飛べない訳じゃないよー。飛ぶための形っていうのがあって、完全に一から作り直す必要があるんだ」
「飛べるんだ…」
「そうなんですね…」
二人のボルテージが下がったのを確認して、クリスは続ける。
「ま、飛ぶ前にとりあえずどのくらいの谷なのか俺らも見てみようよー。どうせ邪魔だし、この壁、向こうに向けて壊しちゃわない?」
「クリスのバカー!!!」
「なははは!こんなことになるなんてなぁ!!」
「あわわ、えっと、どうしましょう!?」
「落ち着いて、フィーネ!アクアレイムでどうにかなりませんか!」
四人がランザーに捕まりながらめいめいに叫ぶ。岩壁を谷の方に突き壊した途端、物凄い勢いで地下水が噴き出し、ランザーごと宙高く放り出されたのだ。
「私、私、どうすれば!」
「折角この量の水が噴き出したんだから、このまま谷の向こうに安全に届くように向きを調節してみて下さい!」
「えええ!これで渡るの!?」
「いや、大丈夫だ!こんだけ高ければいけるぞ!」
「わ、分かりました!〈水流操作〉!」
「仕方ないわね…〈種飛ばす風〉!」
水流は追い風に押され、谷の向こうまでアーチを作った。勿論その先頭には、巨大な水獣ランザーと、自分も仲間も飛ばされまいと必死にしがみつく若者達が乗っている。
「よし、余裕で届く!二人とも流石です!」
「あっ待て、このまま着地するのは…あああ!!」
クリスが察した瞬間、ランザーは天高く砂煙を巻き上げて地に墜ちた。更にその上から容赦ない水流の追撃。その衝撃でランザーまで水に戻って崩れ散り、一同は濁流に押し流されてしまった!
初めに気付いたのは、怖がりのミミだった。彼は、この時期にしか流れない小さな川、というより溝の中で兄弟達と一緒に水浴びをしていた。しかし、彼の耳はいつもそばだてられていたので、その危険な音をいち早くキャッチできたのだ。とはいえ初めて聞くその音は、危険なものの立てる音だとは分かったものの、どういうものなのか、どこからどうやって現れるのか、どんな危険を彼等にもたらすのか、彼には分からなかった。彼はただ、音の近付いてくる方を見据えて小さく唸りながら立ち竦んだ。
「どうした、ミミ?」
彼等の養育係である赤髪の女が、彼の様子に気付いて声を掛けた。俯いた時に顔に掛かってきた長いポニーテールを水と泥の付いたままの手で無造作に後ろに掻きやり耳を澄ませる。兄弟達も騒ぐのをやめてミミの方を見る。水浴びの音が止んだので、今やその音は誰の耳にも届いていた。
「何、だ…地震?」
女がポツリと言った、その時。砂丘の向こうから見たこともない量の水が砂嵐を纏って押し寄せてきた!
「ヤバい、避けろ!」
女の叫び声を皮切りに、一斉に兄弟達が走り出す。のんびり屋のココが出遅れるが、何とか横に避けることが出来た。
「何だこれ…あ!?」
流れる水の中に人らしき影がいくつかある。動いている。だが、とてもではないが助けられない。皆で遠巻きに眺めているうちに、彼等は地下街のある崖の方へ押し流されていった。
「あちゃあ…ありゃ駄目だろうな」
そう言いながら女は崖に近付く。すると、案外近くでドサドササッ!と音がして、やがて崖から大きな翼を持つ玉犬、ミミ達の親ノノが現れた。
ノノは濡れながらも力強く羽ばたき、安全な砂の上にへばりつくように着地する。その上からさっき流されていった人々が転がり落ちた。
「ノノさん、何でここに?いやそれより、大丈夫だったか?」
女が駆け寄りながら尋ねると、ノノは大丈夫、と言うように目を細め、それから気掛かりそうに砂上に横たわる人々を見遣った。
楽器らしきものを背負った袖無し服の一番年長そうな美形の男──それでも随分若い──が起き上がる。
「う…助かった…?」
「気付いたか?どこから流されてきたんだ?皆変わった服装だな」
「ここは…?ああティルーンがびしょびしょだ、どうしよう!うわぁ、これは弾けるようになるまで時間が掛かりそうだ…あれ、貴女が助けて下さったのですか?」
「助けたのはノノさん…この大きな生き物、神獣たる玉犬だ。お前達は水に流されてあそこから落ちた。そのまま落ちていたら死んでいただろうな。ノノさんに感謝するんだな」
「それではノノさんに千の感謝を。後で歌を捧げることをお約束します」
「お前、名前は?歳は?」
「セルシア、二十歳です…もうすぐ二十一です。貴女は?」
「私はインカー。十八だ。玉犬の犬飼をしている」
なるほどそれで、と言いながらセルシアは他の人間を起こし始めた。
「お、俺…生きてる!生きてる!?水の中に落ちたのに!」
「あら私、気を失ってたの?レオンを守りながらは流石に無理だったか」
「ああ…ありがとうございます。皆様ご無事で…?」
セルシアが灰色の外套に包まった狐色の髪の少年だけは起こさなかったので、インカーは首を傾げた。
「そいつは…どうしたんだ?」
「えーと、光に当てないと眠り続ける病気に掛かっていまして。それで日差しの強いこの国に来たという訳です」
「そりゃ厄介だな…。でも今は長い乾季に入ったとこだ。いくらそんな病気でも、外にいるのはお勧めしないな。肌を覆っていても焼けるし、体の中が渇いてしまうし…」
「確かに…この陽気は厳しいか。いや、ここまでのものとは知らず」
「うーん、ノノさんの部屋なら天井からお日様も差すし地下だから暑くもないけど…。ノノさん、この子連れて行っても構わないか?」
インカーがノノに尋ねると、ノノはインカーを見て、載せろと言うように翼を低くした。
「宜しいんですか?」
「ノノさんが良いって言うなら良いんだよ。玉犬は人間より賢くて偉い」
「待って!レオン一人だけ連れて行かないで。私達も一緒に行くわ」
夕焼け色の少女が少年に縋る。
「いや、全員は乗れないぞ。お前達は私がノノさんの部屋まで案内するから歩いて付いて…歩けるか?」
「それなら、ありがとう。大丈夫よ、歩けるわ」
「私も大丈夫です」
「俺もだよー」
「助かります、宜しくお願いします」