挿話〜犬飼と八匹のもふもふ〜
レオンが自分の世界を旅立った頃、砂漠世界にて兆しを受け取った者がいた。
朝から吹き荒れていた砂嵐も、灼ける陽の容赦ない輝きの下になりを潜めてしまったらしい。今は風も吹かず、やけに青い空と赤い砂が、もう痛みさえ感じなくなったかのように無限に広がっている。
〈それ〉は、空を飛び、眼下白い色の存在を探していた。赤砂と青空の色が目に痛く、〈それ〉は何度も目を閉じる。
不意に白い幕や屋根の群が現れた。何かが動いているように見える。〈それ〉はゆっくり旋回しながら降下し、ひときわ高い天幕の頂に降り立った。
一人の青年が〈それ〉を見つけ、慌てて走り去った。何か叫んでいることは〈それ〉にも分かった。すぐに周囲に人だかりができる。〈それ〉は何日も砂漠の中を飛び続け、疲れがピークに達していた。不死身でも、疲れというものはあるのだ。〈それ〉は回りながら地面に落ちた。
彼女は自分の仕事に誇りを持っていた。神に一番近いとされる生き物、玉犬を育てるのだ。玉犬はその辺の犬とは全く違う。神獣と呼ばれ、その祖は最も貴き炎の神リンリの右腕、ズズ神とザザ神である。ズズとザザは狼や犬の姿を以て表されるが、実際は様々な動物に変身できたらしい。その証拠に、ザザは砂漠の遊牧民〈黄昏〉を統べる大鴉であったという記述もある。
そんな大層な生まれの犬一族だが、彼女が今世話をしているのは何にもまだ変身出来ない、ただの犬と何ら変わりのない幼い玉犬だ。生後四ヶ月だから無理もないだろう。仔犬は七匹いる。大きさだけ見れば普通の犬の成犬サイズ、自分の膝くらいまである七匹の仔犬が七匹とも色も性格も違うとくれば、大変なのも仕方ないな、と彼女は苦笑した。
「ロロ、リリ、ミミ、クク、ココ、テテ、モモ」
彼女が呼ぶと、色とりどりの毛玉達が走って来た。
淡い金色のたてがみを持つロロ。白無垢リリ。水色の臆病なミミ。光に当たると銀色に輝く落ち着いたクク。黄色でやや毛の長いココ。まっ黒で寂しがりやなテテ。そして、彼女に一番懐いている朱と桃色のモモ。
「ノノさんとこ、行こうな」
彼女はそう言って歩き出した。仔犬達ははしゃぎながらついてくる。ノノとは、彼らの母親だ。乳離れしてからも日に一度、こうして顔を見せに行く。
戸を開けると、ノノが顔と長い首をもたげた。
「わぁ…初めて見るな、その体型」
彼女がそう言うと、ノノは自慢気に目を細めた。そして足元に転がったミミをそっと鼻で押し退ける。ミミが軽い足取りで兄弟の側に歩いていくのを見届け、ノノは前足を伸ばし、気持ちよさそうに伸びをした。するとその体が光を放ち、大きな背中に翼が生えた。ノノはそれを確認するかのように大きく一回羽ばたいた。突風が起こり、戸が吹き飛ぶ。仔犬達はしっかりと体を寄せ合い、飛ばされないようにしている。
彼女は驚きと風の勢いで尻餅をついた。その目はノノに向けられたままだ。
「凄いよ、ノノさん…四次成長、だね。史上初?こんなに成長した玉犬」
ノノが彼女より大きい頭を寄せてきたので撫でてやる。ノノの耳が後ろに倒れる。他の人間にならばあり得ないことだ。彼女は今更ながら自分は幸せだと感じた。
その時、人が走ってくる足音が聞こえた。
「…インカー!お兆しだ!っわ!!?ノノさん!?」
「うん、そうなんだ。四次成長。こんなの初めて」
「ひゃあ、格好いい…っじゃなくて!お兆しだよ!!」
「そうだった!」
玉犬達をやって来た同僚に預け、彼女──インカーは走り出す。
前回のお兆しは、仔犬達の誕生の時だった。
〈七つの命を神の御元に、雨が二度乾きまた降る頃に〉
直後に生まれたのが七匹の仔犬だったので、二度の乾季が終わった頃、つまり来年になったら神都に仔犬達を連れて行け、という意味なのだろうと皆で解釈した。
「あ、インカーちゃん来たね」
「お兆し、なんて!?」
「さぁ、いつもお兆しの言葉は分かりにくいねぇ。
〈試練の時来たれり。御遣いの炎に転じる助けをせよ〉
だってさ」
「……!?」
この街にわざわざお兆しが来るのだから、御遣いと言えば玉犬だろう。玉犬が炎に転じるとは、どういうことだ?インカーはつい先程四次成長を遂げたノノのことを考えた。ノノはこれからどう成長するのだろう。それとも、ノノではなく仔犬達だろうか。
「んん〜、分かんないな…とりあえず玉犬達に助けが必要そうならいつでも対応するけど…」
「様子見しかないねぇ…何かあったら宜しくね、犬飼」
インカーは言われて頷く。彼女がこのお兆しの真意を知ることになるのは、ここから更に半年後のことだった…。
■参考資料
〈玉犬の生態 Gyokuken's mode of life〉
玉犬は生後間もなくは犬に似た容姿を持つ神獣の一種。一次成長にて人の背丈程まで成長する(写真1)。二次成長は時期に個体差があるものの全ての玉犬に訪れ、姿を他の動物に転じることができるようになる。多くは鳥の形。水辺にて海豚の形を取った事例も確認されている(写真2)。三次成長は玉犬の中で稀に起こり、体長約十メートル、体高約六メートルに巨大化する。この成長を遂げた玉犬は生殖機能を持ち、何らかの探知能力をもって番を見つけ、繁殖行動を行うと考えられている(文献1)。しかしその観察に成功した例はまだ存在しない。
二次成長した玉犬の寿命はおよそ五十~百年と、人間と差がない。三次成長した個体は現時点で死亡例がなく、伝承通りであるとすれば二千年近く生存している個体も存在する。二周目以降の繁殖行動は現在の子個体と離別しない限り行われないと考えられている(文献2)。
基本的に全国各地で犬飼と呼ばれる人間の庇護下で暮らし、野生には生息しない。主として砂や土、岩、鉱物を食べるが、植物や動物も消化できる。砂を排泄し、主として珪素化合物、貴金属以外の金属、炭酸塩、有機物などが消化され減少している(文献3)。
通常の犬と異なり、換毛期はなく、体毛は成長と共に伸びる。体毛は柔らかく水をよく弾き、水中に入っても濡れることがない。爪及び牙は岩石を食事に与えることで自然に削れるため、手入れは不要である。耳石は定期的に手入れを行うことが推奨され、犬飼の仕事のひとつとなっている。
高度な知性を持ち、人語を解し、顔や声などの外見だけでなく、名前や肩書、制服といった社会的な特徴でも人の識別を行っていることが知られている(文献4)。対して玉犬の意思行動は判別し辛く、犬飼の経験則にその多くを頼っている。
【以下、割愛】