闇を祓う光
風の剣の主サンリアを救わんと敵地に潜入した光の剣の主レオンは、死の剣の主アザレイと一騎打ちになる。何とかサンリアの檻を破壊したが、レオン自身はアザレイの〈葬送剣〉を食らってしまう。ここが限界だ、と水神コトノ主はレオンとサンリアを自陣に転送した。
突然核となる対象を失って、黒い闇は霧散した。中から水鏡の様なものが現れ、形を失って地を濡らした。アザレイは鳥籠の中身も空になり、水浸しになっていることに気付いた。
「水鏡の転送呪術…!」
アザレイが歯噛みしていると、隣から人影が飛び出した。
「捕まえた!団長、こいつに〈死の首輪〉を!」
アザレイは咄嗟に言われた通りにする。飛び出したのはディゾール、捕まえたのは…トカゲ?
『この姿で、よもや捕まるとは。貴方の部下は真実を見抜く目でもお持ちでいらっしゃる?』
「そのお声。もしや、〈海の卵〉様であらせられますか」
アザレイがトカゲに傅く。抱えているディゾールが、きちんと首輪が発動していることを確認して、そっとアザレイに手渡した。
『左様。ほぼ全ての権能を宿した、私の本体です。…貴方がたの勝利、ですね』
トカゲは無表情に目を閉ざした。アザレイはそれを抱えてすっくと立ち上がる。
「第一の目標を達成した。水の都から凱旋する!被害確認のち帰路の用意をせよ!」
集まっていた兵達がどよめく。
「イーラ・イグラス!」
ガンホムが吠えた。その勢いに圧され、一気に場が喜色に包まれた。勝鬨が何度も巻き起こる。
天災のような戦に勝った。雲もいつの間にか晴れていた。
『転送完了』
コトノ主の影が水面のように揺らぎ、レオンとサンリアがフィーネ達の前に流れ出た。
「やっと戻ったか!」
雷も流石に尽きてきたクリスが喜んで振り向き、青くなる。
「何だこれ…、レオン!おい、大丈夫か!」
レオンは全身に酸を浴びたように焼け爛れて赤黒く変色し、ガッチリとグラードシャインを抱き込んだまま動かなかった。
「大丈夫じゃない…、レオン、最後にディスティニーの魔法をまともに食らって…」
サンリアが震える声で説明する。フィーネがその肩を抱いた。
「サンリアさん、ご無事で良かった…。リオン君はどうしたらいいのでしょう、主様」
『…グラードシャインに、全ての呪いを吸わせます。この世界では拙い。炎の剣の世界へ…西の川を辿って…』
「…主様?ご様子が…」
『…私の核が、イグラス軍に捕まりました。水鏡の呪は任意のものを転移させる強力な魔法、それを二人分発動させるためにあちらに本体を送り込む必要があった。そこを狙われました』
「そんな…では…!」
『いいえ、悲観することはありません。分霊としての私がまだこちらと、水の都にいます。神としての名前と意識、それとささやかな力しか残っていませんが、失われた訳ではない。私の世界の心配は不要です』
「イグラス軍も、コトノ主様の本体を得たことで勝利としたようです。ほら、勝鬨が」
セルシアが険しい顔でイグラスの陣営を見遣る。
「そんじゃ、この戦いはここで終わりか?」
「西の川を辿れば、次の世界に着くのですか?そこでならリオン君が助かるのですか?主様」
『そうです…フィーネ、貴女が運びなさい。まず強い日射しでナギラの解凍を。レオンも同じように寝かせて。夜は灯りを絶やさぬように。グラードシャインに光を当て続けて』
そう言われてフィーネは慌てて日射しを遮る黒雲を散らせた。
フィーネがランザーに似た魔法生命体を造り、一同は慌ただしく海の都を出立した。
焼けて皮膚呼吸が出来ない分、クリスが電気分解で酸素を発生させ、サンリアが呼吸させ、セルシアが脈動を起こし、フィーネが血液を操作して固まらせず流出させず循環させる。そうしなければ医療モジュールが勝手に死亡と判断し生命維持活動を止めてしまうのだと、リノが指導した。それでも死の剣の呪いは治療を受け付けないというのは本当のようで、かろうじて死んでいない、というだけの状況だ。一刻も早く、炎の剣の世界に到達し、日光を浴びさせなければならない。
「恐ろしい剣だったわ、死の剣ディスティニー…。
相手にとっての死を経験させる〈死の想起〉。これは精神攻撃ね。とにかくもうめちゃくちゃ怖かった。でも、人によって影響はまちまちらしいわ。死なんか怖くないって人には効かないのかもね。
暗闇病も使ってきた。それから、レオンが食らった攻撃…〈葬送剣〉っていう魔法。剣から黒い流れが吹き付けて、最初レオンは光の盾みたいなので防いでたんだけど、第一、第二って増やせるみたいで、第二の方で限界になって食らっちゃった。その後すぐ転送してもらえたけど、掠っただけでこれなんだと思う」
「息で吸い込んでなくて良かったよ。これに肺までやられてたら、今の環境じゃ延命もできないとこだった。ランザー改も急いでくれてるし、きっと大丈夫だ」
「ごめんなさい…。私が捕まったばっかりに…」
「過ぎたことを言っても仕方ないですよ。誰に捕まったんですか?」
セルシアに聞かれ、サンリアはサレイのことを話した。
「七神剣が揃うとイグラスが滅ぶ…、それが魔女の目的…かぁ。イグラスの神はイグラスから解放されたがってるのかなー」
「七神剣が揃わないと出来ないことなんでしょうけど、剣でできることってほぼほぼ破壊活動だけですよね?特に…死の剣なんか」
フィーネはレオンを痛ましそうに見遣った。大事な話をしているけれど、今は意識を失っていてほしいと思う。だってきっと目が覚めたら、それこそ〈死ぬほど〉痛いだろうから。
「そうですね、…夜の神は死にたがっているのかもしれないな。神が死ぬとイグラスは滅ぶ。そうであれば、七神剣を集めるのはイグラスを滅ぼすためではなく、結果的にイグラスが滅ぶ、という意味だったかも」
「半人半神はともかく、ガチの神様は死ぬのも難しいんだよねー。ほとんどその世界のシステム、現象と化しているから、再発生しないことが定義に含まれていないと、世界に維持されてしまう」
「主様…そうなんですね…。でもそれなら、死の剣だけで事足りませんか?」
フィーネ達の話を聞きながら、皆ちゃんと考えていて偉いなぁ、とサンリアはぼうっとしていた。自分が油断し、嵌められ、何も出来ず、レオンとアザレイも止められなかった、自分のせいでレオンが死にかけている、ということしか心に入ってこなかった。
アザレイと対峙した時、レオンはこんなもん怖くねぇよ、と大見得を切っていた。死の想起を食らったのだろう。しかも、情報を聞き出すために加減されていた私なんかよりきっと強力なやつだ。それなのにレオンは怯まなかった。この人は強いんだ。色んな経験をしてきたからって、強さに直結する訳じゃない。その反対に、今まで何も経験していなかったからって、弱いとは限らないのだ。弱い私なんかを助けるために、強いレオンが死ぬなんて絶対に駄目だ。私は貴方の死を乗り越えたとしても、きっと貴方ほど強くはなれない。代わりにはなれない。貴方は間違いなく、死の剣と対である最強の剣、グラードシャインの主に相応しいのだ。
グラードシャインが弱く光の拍動を続けている。レオンの鼓動の様に見える。サンリアはその刀身にそっと手を置いた。視界が光で満ちる。いや、影がある。
(これは、死の剣から流し込まれた闇…?)
サンリアは夢を見ているように、意識の中で手を伸ばした。闇の塊が、段々と人の形になる。
それは闇に侵されたレオンだった。表情は煤けて分からないが、途方に暮れている様子に見える。
(レオン、ごめんなさい。私のせいで、ごめんなさい。貴方がグラードシャインを扱えていないなんて、とんでもない。貴方が、貴方こそが相応しい。貴方しかいないの。グラードシャインにも、世界にも、…私にも)
抱き締めようと影に触れる。影の内側から光が溢れた。眩しくて、見ていられない。
サンリアは刀身から手を退けた。グラードシャインが強く発光している。
「見て!グラードシャインが…」
「何だ…!?」
一行の見ている前で、グラードシャインの輪郭がぐにゃりと溶けた。
溶けたグラードシャインは、尚も光り輝きながらレオンの全身を覆う。闇が蒸発し、グラードシャインの周囲に漂っている。やがてそれは糸状になると、溶け出したグラードシャインを縛る様に絡みつき、グラードシャインは徐々に剣の輪郭を取り戻した。いや、以前とは全く異なる形。ディスティニーを彷彿とさせるような大剣に変化した。純白ではなく、黒い線が彫り物のように刻まれている。一度砕けた青い宝石は、三つに分かれて埋め込まれた。
「…これは光の剣、グラードシャインですね…サレイさんの絵で見覚えがある」
「これが本来の形ってことですか?」
「恐らく。死の剣の呪いを吸って成長したか、レオン君の危機に成長して対応したか、ですかね。ほら、傷が塞がっていきます」
「医療モジュールが作動し始めたねー。良かった…次の世界まで保たないかと思ってたんだよー」
「レオンが成長したのかもしれないわ。死の想起を克服したもの…」
「いずれにせよ、ディスティニーと交わることが成長の鍵だったことは間違いなさそうですね。…サンリアちゃんの鳥籠は、光の剣と死の剣でしか壊せない…。光の剣か死の剣、ではなく、と、でしたね。もしかしたら、サレイさんは成長したグラードシャインのことを指していたのかも」
「つまりレオンとアザレイを戦わせるために、私を捕らえてあそこに送り込んだってこと?」
結果だけ見れば、彼女の思惑通りグラードシャインは成長した。しかしレオンとアザレイ、二人の息子のどちらか、最悪双方が命を落とすことだって十分にあり得た。
(やっぱ許せないなぁ、あの人のことは)
サンリアは背負袋の中のじーちゃんをそっと触った。じーちゃんはサレイに弾かれてからここ数日、ずっと昏睡している。いや、ヨルルの意識はある。餌は食べるし、ホウとは鳴くのだ。しかし、じーちゃんの意識が戻らない。
コトノ主は、次の世界で解凍できると言っていた。日射しの強い世界なのだろうか。
「サンリアさんがもっと危険な目に遭っていたらどう責任取ってくれるんでしょう。いくらリオンさんのお母様と言えど、許せません…」
サンリアはフィーネを見た。控えめながら本心で怒ってくれているようだった。最初は反発したが、本当に素直な子だ。レオンと少し似ているかもしれない。それなら、私と同じくらい捻くれているセルシアと、ちょうど合うかもしれないなと、フィーネに振り回されるセルシアを思い浮かべて、サンリアはちょっとだけ笑顔になれた。
「…ありがとう、フィーネ。貴女のこと大好きよ」
「え、えっ!?どゆっことですか!!?」
「おやサンリアちゃん、やめてください。僕の方がフィーネのことは大好きなんですよ」
「君らのそれはお気に入りですって言ってるのと大差ないんだよ!」
「心外です、僕はいつでも太陽にこがれているだけの旅人…」
いつものわちゃわちゃが戻ってきた。まだまだ問題は山積みだが、やはりこの仲間達が私の帰るところだ、帰ってこられたのだとサンリアは安堵し、大笑いしながらこっそり涙したのだった。