血の恩讐
イグラス軍とついに激突。サンリアの居場所が確認できたレオンは敵地に単独潜入することに決め、残る三人が陽動に回る。対してイグラス軍のアザレイは、竜騎士のガンホムを使って七神剣を抑え、ディゾールを使って攻撃を加える。その声に、セルシアは聞き覚えがあるようで…。
レオンは息を潜めて敵陣の近くに上陸した。肩に小さなトカゲが乗っている。コトノ主の魔法生命体だ。
『声は出さなくて構いません。道案内はいたしますので、潜入が不可能そうだと判断したらトカゲを二回叩いて下さい。私の権能でレオンを離脱させます』
あ、こいつ名前無いんだ、とレオンはちょっと残念に思った。
輜重隊の側を抜け、コトノ主の案内で順調に本陣に近付く。上空では竜が舞い、雷光が絶え間なく光っている。雷が落ちた音はしないので、クリス達がうまく死の剣の主の注意を引きつけてくれているらしい。
「…しかしうちの団長は怖いな、聞いたか?やめてーって女の子の悲鳴」
レオンの足が思わず止まった。
「あーあれ、拷問だろ。夜遅くまで聞こえるから夢に出るかと思った」
「何か、情報を聞き出すためらしいけど、詳しくはヤトも教えてくれなかった。あいつ、せっかく団長付になったって喜んでたのに、ゲロとかのエグい匂いのシーツ洗わされたらしくてめちゃめちゃ凹んでたわ」
「そりゃ嫌だろ…団長は何というか、人間の命とか気持ちとか分かってんのかね?エリート様過ぎて下々のこと別の生き物だと思ってるんじゃね」
「大将軍と大魔導師の息子だもんなぁ。昨日の夜から悲鳴聞こえなくなったけど、殺しちゃったかなぁ、可哀想に」
「死体は出されてないぞ。多分屈服したんじゃないか?」
「まあ、団長のお手付きになるなら、案外良い人生かもな」
「はー、女に生まれてみたかったな…」
「は?お前あの団長に虐められる趣味な訳?」
「今のナシ!やめろよぉ怖すぎて無理だよぉ」
兵達の噂話は団長の過去話に移っていったので、レオンは足早に立ち去った。自分に力があるなら、こんな軍隊まるごと爆破してやりたい気分だった。セルシアとコトノ主の話では、サンリアは気丈にしているそうだ。何をされたのだろうか。いや違う、そんなことは後だ、一刻も早く彼女を救い出す。レオンはグラードシャインの柄をぎゅうと握った。
「サンリア!」
荷台の上にサンリアの檻を見つけたレオンは光学迷彩を解除してまっしぐらに駆け寄った。
「レオン…!」
サンリアは続けて待ってたわ、だとかありがとう、だとか言いたかったが、胸が詰まって言葉に出来なかった。レオンは躊躇わず檻に手を突っ込みサンリアを抱き締めた。
「帰ろう、サンリア。今ここから出してやる」
「うん…!」
サンリアから離れ、剣を構え、渾身の力で薙ぎ払う。
ガシャーン!と凄い音がしたが、檻は壊れなかった。
「駄目か!?」
「嘘…光の剣なのに…」
サンリアが絶望の表情を浮かべる。これも魔女の罠だったのだろうか。
人壁ができていく。これ以上隠れて動くのは無理だった。
「鼠が出たか」
背後の轟音にアザレイは振り返った。
『ディゾール、ガンホム、降下しろ。死の剣の権能を一時停止する』
念話を送り、鳥籠の元に走る。
「ダイスモン卿、暫しの間守護を任せる!」
「はッ!!」
駆け抜けざまに副将に指示を出し、荷車に到着した。
「…お前が、死の剣の」
狐色の髪の少年がアザレイを睨む。聞いていた通り、妹にそっくりな髪色だ。しかし、この男はあの聡明なサンリアが、あの様な禁断症状の痴態を晒し、帰属先だと思い込むよう仕向けた外道である。アザレイは嫌悪感から言葉も発さず〈死の想起〉を加減なしにぶつけてやった。
「…こんなもん、怖くねぇよ!サンリアを返せ!!」
レオンは秒も怯まず床を踏み鳴らした。本能的に危険を察知して怒りで心を塗り潰し、死の恐怖を克服したのだ。アザレイは驚いたが、それよりも「返す」などという物言いの方に激怒した。
「彼女は物ではない!彼女にどんな洗脳をした!」
「はぁ!?それはこっちのセリフだ!!何だよ拷問って、そんなことでサンリアがお前のもんになったと思ったら大間違いだからな!!!」
アザレイとレオンが互いに飛びかかり、打ち合いを始めた。
「あっ…もしかして二人とも何か勘違いしてらっしゃる」
サンリアはしまったという顔をした。
クリスが目ざとく騎竜の動きの変化を確認した。
「おい、退いてくぞ!もしかして大将がレオンに気付いたか」
『その通りです、死の剣の主がレオンに取り掛かりました。暫く大局は防戦一方となるでしょう』
レオンにトカゲを付けているコトノ主が状況を教える。
「そんならとりあえず、大将以外をこっちが引き付ければいいんだな。防戦で手一杯になるように」
彼は頷き、雷雲を捻った。フィーネが嵐を呼んでくれたお陰で、お手軽にサンダーストームを繰り出せるようになっていた。
「セルシアさん、大丈夫ですか…?何かあったんですか?」
「待って。今ちょっと、確認してるので」
セルシアは顔を両手で覆い、小さく呻いた。
(ヨナリア、ですよね?)
「だから、そんな名前、知らんと言っている」
ディゾールは耳元で騒ぐ幻聴に辟易しながら騎竜を駆り陣に戻っていく。
(僕です、兄さん、セルシアです)
「それも知らん」
(嘘だ。鼓動が速くなっている。どうして嘘をつくんですか)
「……。」
これだから、耳のいい奴は嫌いだ。ディゾールは顔を顰めた。
「いいか、俺には、セルシアと名乗る弟なぞ、存在しない」
これは本当のことだ。本当のことだから、セルシアはきっと混乱するだろう。ディゾールは昏い自嘲を浮かべる。まさかこんな再会の仕方をするとは思いもしなかった。
(…そうですか。僕の持つ剣のことは知っていますか?)
「…この能力。音の剣だろう」
(そうです。隠すつもりもない。やはり知っているのですね)
「阿呆、団長から聞いただけだ。何が出来るかなんか把握してなかった」
(今ほら、昔から存在は知っていた、と言ったようなものです)
「……面倒くせぇな、クソ」
(ヨナリア。口が悪くなりましたね…)
「こっちが素だわ阿呆!」
ついいつもの売り言葉に買い言葉の感覚で返事をしてしまい、完全にバレたことに気付いたディゾールは、大きく溜息をついた。騎竜から降り、腰を据えて掛かることにする。
幸い戦況は空挺部隊以外に託された。百竜長も今はただの輜重兵中隊長である。殺されなくなり生き生きと轟き始めた雷は魔法兵の結界が防いでくれるだろうが、細かい雨までは防いでくれない。ディゾールはその辺にあった荷車の幌の下に座って小さく独り言を呟いた。
「…セルシアがそっちに居ることは、予想はついてたよ」
(僕には分からない。どうしてヨナリアがイグラスの軍に?)
「拾ってくれた人がいたんだ。俺が音の剣など無理だと逃げかかった時に助けてくれた。あの世界を騙し、一度俺は死んだ。蘇生され、ディゾールという名前を与えられ、イグラスの兵士として訓練することになった。
俺は受け入れた。お前と戦うために。お前を守るために。最悪、お前を殺さないといけないなら、俺以外には渡したくなかった」
(僕も、兄さんを殺したくはないです。でも、兄さんは渡さない)
端的だが力強い返答。ディゾールは困ったように右手で額を揉みながら、しかし思わず笑顔を漏らしていた。
「…ま、お前もそういう奴だよな。だって俺の姉の子だもんな。似てない筈がない」
(……そういう意味でしたか、さっきのは。ヨナリアは兄さんだと思ってたけど、おじさんだったんですね)
「その言い方が気に食わないから兄のフリしてたんだよな。今まで通り兄で頼むよ」
(勿論。兄さんは兄さんですよ)
少し嬉しそうな声。別れた時まだ八つだった可愛いセルシアが、大人の声になっている。八つか。そうか、今のあの子と一緒だな…と、ディゾールは気付いて微笑んだ。
「で、どうするんだ。俺達の任務は水の〈卵〉、つまりここのカミサマの奪取だ。だからまだお前と殺し合う時じゃない。だが見てただろう、うちの団長殿は強いんだ。このまま策もなく逆らえば、今にお前ら全員やられちまうぞ」
(それについてはですね…実はお願いがあって…)
ディゾールは詳細を聞き、ニヤリとした。この腹黒さ、確実に自分の身内だ。彼は逞しく育った〈弟〉と、いつか酒でも飲み交わせないかな、などと思いを馳せた。
レオンは分身を常に生成しながら打ち合っていた。アザレイは都度それを死の剣で打ち消してレオン本体を探さねばならない。雑な物量作戦だが、苛立ちを誘うには十分だった。
更に、遮る者のいなくなった嵐が軍を襲う。音と水への防御を優先した結果なのか、軍へ直撃こそしないが雷が大地を割り建物を破壊し森を燃やし猛威をふるっていた。このまま時間をかけては、損害が大きくなる。
ディスティニーから黒い靄が出る。レオンの服にそれが掠めると、酸となって一部溶けた。
「暗闇病か!」
レオンは慌てて光を纏う。全身纏うと消耗が激しそうだったので、剣霧を食らいそうな両腕に絞る。打ち込みながらアザレイが驚く。
「これが何か知っているのか」
「そっちの術師が!使ったんだよ!」
「ああ…そういうことか…義理の息子にヒントを与えるのもッ、…大概にしていただきたいものだ!…貴女の本当の息子が、ぐッ!、手を減らされるというのに…」
「本当の息子…?」
「俺は大魔導師サレイの実子、アザレイ!お前の妹、カレンの兄だ!」
レオンは驚いて一瞬分身を出し忘れた。アザレイの大剣を正面から受ける。グラードシャインから火花が飛び、パキン、と異質な音がした。
「カレン…?俺の、妹だと?」
レオンは飛び退って問い返す。
「そうだ、お前が九年前に死に別れたと思っていた母親は生きている。父親は死んだが、彼女は生まれたての娘を連れてイグラスに逃げ帰った」
「サレイ母さんの子はシオンだ!お前なんかじゃない!」
「シオン、勿論覚えている!シオンは俺の兄だ。俺は将軍家に預けられ、兄だけが母と共にそちらへ渡ったのだ。そろそろ俺の思い出を返してもらおう。お前はここで死ね、レオン!」
ディスティニーから禍々しい気が発せられる。アザレイはそれを構え、呪文を唱えた。
「死の権能、命を奪う、闇の執行人。黄泉路を示せ、〈第一の葬送剣/クロウヴァ〉」
黒い奔流がディスティニーから噴出し、レオンを襲う。咄嗟に光のバリアを張った。黒い何かは光の中に溶けていく。しかし、その勢いまでは殺せない。グラードシャインで体を支えながら、レオンは奔流に圧されつつあった。
それを確認したアザレイは更に紡ぐ。
「其は美しき黒薔薇の。業受けて咲く徒花の。記憶を辿れ、〈第二の葬送剣/ニーシリィ〉」
黒い奔流が二本に増える。光に溶ける闇が増え、光を飲み込まんとする。レオンはグラードシャインを見た。見てしまった。母の宝石が割れているのを。刀身に黒い線が幾筋も入っているのを。
(マズい、保たない!サンリアだけでも、)
レオンは背後にある檻を破壊しようと剣を後ろ手に振り抜いた。手応えがあった。しかし、背後を確認する間もなく、彼は黒い闇の奔流に飲み込まれてしまった。
「レオン!駄目!!やめて、アザレイ!!!」
サンリアが手を伸ばす。
『檻の破壊を確認。ここが限界です、転送開始』