死の想起
魔導師サレイの手によってイグラス軍の虜囚となった風の剣の主サンリアは、死の剣の主アザレイにハニートラップを仕掛け、生真面目なアザレイは混乱しながらも何とか逃げ出すのだった。
その夜はアザレイは天幕に帰ってこなかったため、サンリアはガンホムの見張りで夜を明かす事になった。見張りといってもガンホムは見えていないし、アザレイの寝台に横になると鼾も立てずに即眠ったのだが。
「間もなく水の都に到着する。他の剣の仲間はそこにいるのか?」
翌朝、ムスッとした顔のアザレイがサンリアに尋問した。
「答える義理あるかしら?」
「情報を聞き出すための拷問は禁止されていない」
「…やっぱり酷いことするのね、私に」
「もうその手には乗らない…」
言いつつサンリアから目を逸らす。ここで更に押してはただの痴女になる。サンリアは膝を立てて座り、顎を腕の中に隠してアザレイを見つめた。こうするとしおらしい上目遣いになるのだ。
「昨日はちょっと私もおかしかったの。極限状態ってやつ?迷惑かけてごめんなさい。一晩帰ってこなかったから寂し…心配しちゃった」
無論、嘘である。完全に計算ずくだったし、誰が側に居たって変わらないし、ましてや団長と呼ばれる人間が軍のどこに居ようと心配などしない。
「…二度としないなら水に流す」
「しません。でも、貴方から求められたら別よ。私は奴隷だものね」
「奴隷じゃないと言ってるだろ…、いや、俺から求めるものがあるな」
おや、とサンリアは少し目を細めた。まるきり堅物というわけでもないのか?
「俺がお前に求めるのは情報だ。吐かないと、死の剣の権能を少しずつ味わわせる。やり過ぎて殺されないようにせいぜい祈るんだな」
「…ふぅん。多少は啖呵も切れるのね。全然怖くないけ…ど!?」
サンリアを突然謎の恐怖感が襲った。叫び声を上げてのたうち回る。鳥肌が立ち、全身が一気に冷や汗まみれになる。怖い、何か来る、逃げなければ。無理だ、立ち向かえっこない、嫌だ、誰か、助けて。ウィングレアスを握るが、全く勝てる気がしない。そもそも、何に勝つのだ?このまま終わるだけではないか。
「大丈夫か?」
アザレイが手を差し伸べる。サンリアは必死にその手にしがみついた。体の震えが止まる。動悸が中々収まらない。何だったのだ、今の恐怖は。
「何が何だか分からないという顔をしているな。これが死の剣の能力の一つ、死の想起だ。お前にとっての死が、すぐ目の前にあると錯覚させる力だ。お前は、死がそんなに怖いか」
「怖いに、決まってる。に、二度とやめて」
サンリアが何とか言葉を吐き出す。
「不思議なもので、この効果は人によってまちまちらしい。この剣を取った時、周囲の人間も、俺も、この効果に当てられた。俺は少し不快だと感じただけだ。平然としている奴もいた。恍惚している奴は、後で俺の軍から外した。大抵はお前のように狼狽え泣き叫んでいたが…。
さて、これがお前には効果的な拷問だと分かったな。情報を渡す気になったか?」
「ならない。私は自分が怖くて泣き叫んでも、おしっこ漏らしても、何も恥ずかしくない。貴方のサドっ気が満たされるだけ。だから、ああ!!止めて!嫌だ!!!怖いぃぃぃ、来る、来るよぉぉぉぉ!!!」
「話せば楽になるぞ」
「嫌、嫌、嫌!!!!死んじゃう!!ああああ!!!ホントに、死んじゃうってば!!ふ、あ、っひあ、」
サンリアは意識を手放した。アザレイは眉を顰めた。やはりこの能力は加減が難しい。自分には分かりづらい感覚なので、どれくらいで止めればいいのかが分からないのだ。
「よっ大将、今日もやってんね」
死の想起で平然としていた奴の一人、ディゾールが天幕に入ってきた。
「若い声だと思ったら女の子かよ…。この拷問にはもう慣れたけど、今回のは酷いと俺は思うぞ」
「こういうのは相手によって変えるものじゃないだろう。それに見てくれに騙されるな、こいつは風の剣の主、私と対等な力の持ち主だ」
「ふふ、流石俺らの団長殿だな。お前の小姓が血相変えて俺を呼びに来たんだ。俺に頼るのは良い判断だが、近侍にはちゃんと教えとけよ」
「…ああ、そういえば、ヤトを起用してからこの拷問をするのは初めてか。朝の準備中にすまなかった」
アザレイは自分の不始末を詫びると、ディゾールから気を失っているサンリアの方に視線を移した。先程まで死ぬのは嫌だと泣き叫んでいた、その小さな体に不釣り合いに大きな力を背負わされた少女。対して自分はいつから決死の覚悟がついたのだったか。
「……ディゾール。お前にとって、死とは何だ?」
「俺にとっての死は…遥か昔に一度通った、懐かしい道だよ」
独特で興味深い意見だが、これも参考にはならない。アザレイはそう判断して、ディゾールを下がらせた。
死の想起は、サンリアが意識を取り戻す度に行われた。十回にもなる頃には、サンリアは叫び疲れ、ただ震えて涙をはらはらと流すだけになっていた。いっそ本当に死んでしまいたいと、彼女は思った。
死の剣の主は腕組みをして彼女を見下ろしていた。
「どうしてそこまで耐える。そこまで死を怖がりながら、何を守る。ディスティニーはお前の命を本当に刈り取ることもできる。それの予行練習をしているだけだというのに、何故自分以外のものを大切にできるんだ」
「助けて…死にたい。もう嫌なの。いっそ殺してほしい。でも、仲間を売ることはないわ。どんな悲惨な死に方でも、意志だけは殺せない。それは自分の誇りだし、自分が自分である理由だわ。死んでも言うもんですか」
「…なるほど。困ったな。これ以外の、お前の体を損なわないやり方を、俺は持たない」
そう言われて彼女は強がるようにふっと笑った。
「甘いのね。本当に屈服させたいなら、まず尊厳を折るべきなのよ。ヒントはあげていたのにね?私を奴隷のように扱う、ってね。ああ言えば貴方は逆にその手段は取らないと思った。でも、心を折らせて形を変えてしまうには、それが一番有効よ。有効だったわよ」
「お前は一体…。俺が知っているどんな十三歳よりも強いな」
「私は大丈夫なの。私はもう、何度も折れて、それでも今まで生きてきたの。…それに今は、帰る場所がある。だから負けないのよ」
「帰る場所、と言うのか…」
アザレイの敵意が緩んだ。ふいとサンリアから視線を外す。この少女は哀れな境遇だ。たった十三歳で、恐らくあの、自分と同じ年嵩の男に依存させられている。旅の仲間という名目を利用した外道の仕業だ。
サンリアは、ただ死の想起をしてこなさそうだというだけで今のアザレイを好きになりそうだった。
「貴方はイグラスが帰る場所なの?」
「俺は…イグラスが好きだ。あの国が好きだし、あの国の人間も、王も、父も好きだ。…母は何と言っていた?やはり、七神剣を集めるとイグラスが滅ぶ、と?」
「信じるの?貴方の母親を。昔の仲間を裏切って殺す人よ」
「あの人は信仰以外の部分では合理的な人だ。嘘をつく必要のないところで嘘はつかない。あの人が滅ぶと言うなら、滅ぶのだろう。であれば、死の剣を持つ俺にできることは自ずと決まってくる」
「…私達を殺すこと、かしら。七神剣がひとところに集まらないように」
「お前達を殺しても代わりがいるのだろう。そういうシステムだと聞いている。問題を先送りするだけだ、違うか?」
「だったら…?…アザレイ、貴方もしかして」
サンリアは何かを察してアザレイに手を伸ばした。アザレイはかぶりを振ってしゃがみこみ、その手を檻の中に押し戻した。
「…まだ決めかねている。本当にその時が来るかも分からない。しかし、本当に必要だと分かったら、俺は躊躇わない」
「私達は仲間にはなれないの?」
「それも分からない。ただ、お前達がイグラスを阻むというなら、絶対に手を取り合うことはない」
「貴方は良い人よ。敵でさえなければ、きっと何とかなる。私達の目的も達成できて、イグラスも救えるなら、それが一番じゃないかしら」
「お前こそ甘いな。いや、単に何も知らないだけなのか」
アザレイは少し笑い、サンリアの頭を気安く撫でた。彼の中で無邪気な妹と印象が被ったからだったが、今まで堅物だった彼から突然触れてきたことに驚いたサンリアは固まってしまった。
アザレイは今までになく優しい顔でサンリアに向き合った。
「思い出せ。お前達は何故イグラスを阻む?」
「それは、私達の世界を救うため…」
「そうだろう。それではイグラスを救えない。」
「どうして?森で侵略すれば、イグラスは救えるの?」
「いいか、これは俺と母達…長達しか知らないことだ。そして、お前達にも知る権利はある。だが、頼む。俺の軍や、関係ない人々には黙っていてほしい。…ガンホムに聞こえる。もっと近づけ」
アザレイが声を潜める。サンリアが檻から耳を出すと、アザレイはそこに耳打ちした。
「あの森の呪いは、元々内側に向けられたもの。我々はそれを反転させているだけだ。お前達の世界が侵略されているのは、イグラスが自身を守る結果だ。神に見放された、本来とっくに終わっている世界なんだよ、イグラスは。
だが我々は、俺とイグラスの王は、終わりを良しとしない。王は原因たる神の意向をご存知ないが、それでも垣間見える断片から常に最善を辿り続けておられる。俺達はまだあそこで生きている」
「森の呪いを解く、とか…」
「であれば、夜の神だ。イグラスの民が信仰している、あれを殺すしかない。そしてあれが死ぬと、イグラスはどうせ滅ぶ。あれが死ぬ前に、別の神に管理させる必要がある。分かるか?そこで水の〈卵〉だ」
「水の…、コトノ主のこと?」
「そうだ。あれを持ち帰り、信仰を挿げ替える。王は恐らく神の補強をお考えなのだろう。神殺しは俺の独断だ」
「神様がいないと、世界は潰れるの?明確な神様のいない世界の方が多いのよ」
「この次元では、それが理だ。別の次元と共有している世界ならば、そちらの次元の理が優先されることもある。」
「でも、水の都から神を奪うと…」
「滅びるかも、な」
サンリアは悲痛な顔をした。
「…駄目よ。コトノ主様から護ってほしいと言われているの。でも、貴方の世界が犠牲になれとも思わない。他に手段は無いの?」
「今は思いつかないな…。そうか、もう〈卵〉と接触したのか。ではお前に聞くことはもう無い。拷問は終わりだ。今までよく耐えたな」
「なっ…、今のが情報になったっていうの?」
「ああ、そちらの戦力は光、音、雷、水の剣。〈卵〉の反抗もあるかもしれない。それで十分だ。」
「ええ、そんな…。私は…そんな簡単に推測できそうなことのために拷問を受けてたの?」
サンリアは愕然とする。アザレイは心外そうに彼女を見下した。
「〈卵〉と接触したかどうか、即ち水の剣が何処にあるかは重要だ。お前達は必ず固まって戦う。寡兵故に複数の権能を重ねようとするからだ。勿論、剣の使い方としては正しい。しかし、読みやすい。水の剣が一人別行動するよりも、だ」
「そういうこと…。そうね、そうかもしれないわ。ところで私はいつ返してもらえるの?もう情報は要らないんでしょう」
「は?お前は何を言っている。このままイグラスまで連れて行くぞ。帰る場所がある、と言ったな。だから負けないというのであれば、その帰る場所を破壊する。明日がお前の旅の終わりの日だ」
言われてサンリアは、レオンの顔を思い浮かべた。心臓を冷たい手で握られたかのように、死の恐怖に近い感情が、じわじわと彼女を襲った。