魔女の茶会
戦場となる水の都跡地に到着した剣の仲間たちは、陣を構えるべく街の構造を調べることに。しかし、偵察に出たサンリアが帰って来ず…。
しかし……しかし。
二晩経っても、サンリアが帰ることはなかった。
「リオンさん、そろそろ寝た方が…。明日にはもうイグラスの軍勢が到着するらしいですし」
「うん、分かってるよ…」
「フィーネ、レオン君はそっとしておいてあげて。僕らがしっかり休んでフォローすればいいことです。皆で結果的に無為な時間を過ごしてしまうのが一番良くない」
「無為なって何だよ…!…いや…俺がサンリアから目を離さなけりゃ…」
「レオン、街の中は全部探したんだ。恐らく次元がズレたか、森に入ってしまっているんだと思う。そうなったら俺らじゃ探せない。コトノ主様が責任持って探してくれてるんだから、少し考えるのをやめろ。昨日も寝てないんだぞ。医療モジュールにも限界はあるんだからな」
「もし例の…あの、大魔導師に捕まっていたら?サンリアがあの病気になってたら、俺はどうすれば良いんだ」
「それは無いでしょう。向こうの目標はコトノ主様なんですから」
「だよな…そうだよ…そうなんだけどな…」
(クリス君、寝かせられますか?)
セルシアに耳打ちされ、クリスが右手を帯電させる。レオンの眉間を指でトンと弾いて電撃を放つと、レオンは意識を失った。セルシアが彼の体をがしっと受け止める。
「とりあえず夢も見ないようにしておいたよー。眠りが浅いと起きちまうだろうからなぁ」
「助かります。気にしないようにする、と口で言うのは簡単ですが、僕でさえ出来そうにないことですからね」
「サンリアさん…無事だと良いんですが…。いえ、主様の庇護下で無事でない筈がありません。そうに決まってます…」
「フィーネ。僕らも寝ましょう。明日は最悪、この三人で戦わないといけないかもしれないんです。僕は貴女をこそ、失いたくない」
彼女は空を飛んでいた。眼下には海に沈んだ街。
海、というものを生まれて初めて見た。
不思議な香り、不思議な生き物達。
世界が森に閉ざされたら、この海はどうなるのだろう。
(本当に森が全部の世界を壊すのかしら)
壊せる世界と壊せない世界があるとしたら?
あるいは、壊せる世界なんて無いとしたら?
何もかも、こちら側の理屈でしかない。あちら側の主張を聞くことは無いのかもしれない。
(レオンのお継母さん…あちら側に寝返ったという…魔女)
魔が、差したか。
次の瞬間、彼女は自身の制御を失って落下していた。
「なっ何!?ウィングレアス!」
「無駄よぉ、〈鳥籠〉」
サンリアの周りを黒い格子が取り囲む。
「うふふ、可愛い小鳥さんを捕まえちゃったわぁ」
辺りの景色が変わる。沢山の花が咲き乱れる庭。サンリアの入った鳥籠が石畳に落ちる。落下の衝撃はウィングレアスで中和出来たようだったが、その力が鳥籠から外に出ることは無かった。
「私の庭にようこそ、小鳥さん。と、老いたフクロウさん」
サンリアの視界に黒いドレスが入る。その先を辿ると、漆黒の髪と彼女のよく知る黒い瞳を持つ、妖しげな女性が微笑んでいた。
『現れたな、サレイ…!』
じーちゃんが自分で背負袋をがばりと開き、サンリアの前に飛び出した。
「まあナギラ、そんな体で彼女を守ろうというの?うふふ、可笑しい…。健気さは認めるけれど、貴方は余計なお喋りしかしないから、今は寝ていて頂戴」
サレイがじーちゃんに指をついと振ると、じーちゃんはポトリと床に落ちた。サンリアがそっと拾って袋に戻し、サレイを睨む。
「…貴女が、大魔導師サレイなのね」
「その呼び方、好きじゃないわ。サレイさんで良いわよ」
「…サレイ。レオンのお母さんを三年やっていたって、本当?」
「本当よ。すごく可愛らしかったんだから!グラードシャインがここにあれば、見せてあげたいくらい」
グラードシャインにそんな使い方があるのか。サンリアは顔色を変えずにしっかりと記憶した。
「それでも、私達の邪魔をするの?レオンの敵になるの?」
「邪魔?邪魔なんかしていないわ。私は今でもあの子の味方よ」
「現に私をこうやって拘束して、邪魔してるじゃない」
「これは少しお話をしたかっただけ。他の皆から一人だけ離れるなんて中々無いでしょう?」
「もう少しやりようがあったと思うわ。とりあえずこの鳥籠、解いてほしいんだけど」
「うふふ、貴女、可愛いわね。良いわよ?」
サレイはあっさりと鳥籠を解除した。その途端サンリアはウィングレアスを構えたが、何も起こらなかった。
「…何かしたのかしら。ごめんなさいね、ここは私の結界の中。言うなれば私の次元。私が神なの。貴女は私に危害を加えることは出来ないわ」
「まだ何もしてないわよ!」
サンリアがウィングレアスを振りかぶってサレイに斬りかかる。だが、サレイに近づくとどんどん体が重くなり、ついに地に伏した。そのまま石畳が動いて元の位置に戻される。
「もう一度同じ説明が必要かしら」
サレイの言葉に少し冷たい語気が混じる。
「…いいえ、結構よ。お喋りに付き合えば良いんでしょ」
「ええ、そうね!是非お願いしたいわ。お茶は何が良いかしら…」
「長くなるなら、私の仕事が終わってからにしてほしいんだけど」
「駄目よ、二回もこんなことするの面倒じゃない」
完全にサレイのペースだ。サンリアは溜息をつきつつ、油断なく周囲や彼女を観察していた。
見た限り、サレイは隙だらけだ。しかし危害を加えられないというのは本当らしい。ウィングレアスの魔法は、ここでは働かなかった。この結界はどこまである?サレイに近づくことは出来なかったが、遠くに逃げれば外に出られるのだろうか。風を送れれば確かめられるのだが。
「確かめてみる?ここも鳥籠の中みたいなものなのよ。貴女は私が満足するまでここから出られないの」
考えていることも筒抜けなのか、それともサンリアの視線を読んだか。サンリアはサレイを睨んだ。サレイは意に介さず、テーブルとティーセットを魔法の様に呼び出して、自分の対面にサンリアを座らせた。
「うふふ!私の娘ともよくこうやってお茶会するの。初めまして、サンリアちゃん。お茶もお菓子も食べ放題ですからね」
「娘…?」
「そうよ、レオンの妹よ。今年九歳になるわ。あの子は死んだと思っているけれど」
「…そう。どうでもいいわ。レオンのお母さんは死んだ。その方があいつにとっては幸せだろうし」
「苦労をかけちゃったものね…。私が分裂できれば良かったんだけど」
サレイが悲しそうに首を振る。まるでコトノ主の様だな、とサンリアはその姿を冷たく見つめた。人間を相手にしている感覚は無い。
「それで、どうして私と話を?」
「そうねぇ…レオンが一番お世話になってるから、かしら。貴女がいなければ、グラードシャインは動かなかったわ。本当に有難う」
「…サレイは七神剣を動かすのが目的?」
「ええ、そうよ。貴女がたをきちんとあの方の元へ導くのが目的」
「あの方…、夜の神、とコトノ主は言っていたっけ」
「ああ、あの卵、そういう記憶まだあるのね。可笑しい…。ラインハルト様は、確かに人間の基準では神様ではあるけれど、神と呼ばれるのをとても嫌うの。私は彼に仕える身として、彼の意に沿っているだけよ」
「ラインハルト様。それが夜の…いえ、サレイの仕える相手ってことね。で、その人?の元に七神剣を集めると、どうなるの?」
「イグラスは滅ぶわ」
歌うように軽やかに、サレイはそう断言した。
「…貴女が嘘をついていないし、隠し事もしていないとすると。貴女は私達の味方で、七神剣を集めて、イグラスを滅ぼそうとしていることになるんだけど。そうするとおかしな点が幾つも出てくるのよ。
まず、どうして長を殺していく必要があったの?レオンのお父さんや、メイラエさん」
「それからヨナリアもね!彼らは駄目だった、彼らが生きていると、剣の力が十全に発揮されなかったの。
カオンが生きていると、あの人が剣の主になる。グラードシャインがレオンに受け継がれないところだった。私が聖石を授けたのはレオンだったのに、ね。
ヨナリアは音の民でもないのに音の剣を取ってしまうところだった。メイラエにしろ同じ。セルシアが受け継ぐ必要があった」
「セルシアは…お兄さん、ヨナリアを探して旅に出たのよ。ヨナリアは貴女が殺したってこと?」
「全部を語る必要があるかしら?私だって、彼らの旅路を楽しみたいの」
「あんたねぇ…!」
余りにも無責任な、他人の人生を何とも思っていないその発言に、サンリアは激昂した。
「仕方ないでしょう、血脈なんて欠陥システムに頼って剣を受け継いでいくと、どうしても歪みが出るの。雷の剣と水の剣は長がアレだから放置しても良いんだけど、他は…ねぇ?うつくしくないのは駄目なのよ」
サンリアは今にも茶器をぶち割りそうだったが、まだ引き出せる情報がある筈だと鋼の精神で耐えていた。
「…レオンは貴女のことを信じているのよ。貴女が人を殺すような人だと思ってないの。それなのに…全部イグラスのためだったと言われた方がまだマシだったわ。貴女はイグラスの長なんじゃないの?」
「私は死の剣ディスティニーの主、アザレイの母。それ以外の責任は負わない。イグラスはラインハルト様の下に勝手についてきた国よ。娘と息子以外のあの国の民には、何の拘りも無いわ」
「…可笑しいわね。娘って、貴女が殺した男との間の子でしょ?どうして大事にするの?」
「あらサンリアちゃん、貴女なら分かると思うんだけどな。愛した男との子供は欲しいでしょう?」
サレイが嬉しそうに笑う。サンリアは絶句した。
「愛していたのに…?」
「ええ、私もうつくしくないから。うつくしくないと分かっているのに、愛してしまったの。旅って不思議なものね、いつの間にか隣にいる人が掛け替えのないものになってしまう。
結局あの旅の果てに、私とカオンは別々の道を選び、異なるパートナーを選び…そして、間違えた。あの人は自分の子に剣を継がせることを良しとしなかった。勿論、いずれ歳を重ねれば譲ることもあったでしょう。けれど、幼子のレオンにそれを押し付けることは出来なかった。
そこで私が駆り出されたの。うつくしさのための、処刑人として」
「美しい、美しくないって、さっきから何なの…」
「それは、ラインハルト様がお決めになることよ」
サレイが少し寂しそうな笑顔を見せた。先程から笑顔以外の表情を見ていないが、その顔ならば何となく理解できるな、とサンリアは思った。
「さて、そろそろもう聞きたいことは無いかしら?私からも質問していい?」
サレイがサンリアの方に身を乗り出す。
「な、何も話せることなんて無いかもよ?」
「うふふ、どうかしらね。そうねぇ、グラードシャインは今どの段階なのか、知ってる?私があげた聖石は、もう馴染んだのかしら」
「よく分からないわ。聖石?」
「あら、すっとぼけるの?…ふんふん、そう、ちゃんと定着したのね」
何も言っていないのに情報が漏れた。サンリアは顔を強張らせた。
「良かったわぁ、これで次の段階に進めるわね」
「今私、何も言ってなかったわよ?」
「言わなくても分かるのよねー。貴女の心って、とってもお喋り」
サレイがニコニコとサンリアを見つめる。
「次の質問。シオンには会った?」
「誰?それ」
一瞬本気で分からなかった。しかしその名前、そういえばレオンが出会った時に口にしていた気がする。
「そっかそっか。ちょっと残念かな。そろそろ会いに行こうかしら…。それじゃ、最後の質問。レオンのこと、好き?」
「嫌いよ」
サンリアは即答した。サレイは今までで一番の笑顔を見せた。