夜這い
水の剣の主フィーネは地雷を踏んだサンリアに対して喧嘩腰だ。レオンは仲裁しようとして失敗し、セルシアが歌で二人をなだめた。その反応に「イケる」と判断した彼は夜、フィーネの部屋に向かう。レオンも「サンリアちゃんに謝りなさい」とついでに引っ張り出された。
「フィーネさん、今少し大丈夫ですか?」
セルシアがノックと共に扉越しに声を掛ける。返事がないが、扉の鍵は閉まっていないので、開けて入った。
「僕が賊でも入りますからね。賊じゃない事に感謝してね」
全くもって謎の理屈である。
フィーネは既にベッドの上に横になっていた。布団も被らず、靴も脱がずにそのまま横になっただけで、寝てしまったようだった。
セルシアは少しの間、予想外な事態に固まってしまった。甘く淫らな夜の予定が崩れていく。フィーネは十六歳ということだったが、育ちのせいか幼い子供の様な面を見せることがある。体は魅力的な女性として順調に育っているのにね、と面白がりながら、セルシアはフィーネの足首にそっと触った。
靴を脱がす。背中から布団を引き抜く。まるで親のように寝かせ直そうとして、自分の株貯金を計算し、少しくらいイタズラしてもいいかと衣服を脱がせ始めた。
セルシアの世界の感覚では、青は喪に服す時に遣う色だ。確かに水色の髪と瞳には似合うが、瑞々しい乙女が水色と青を着込んでいるのは酷く違和感がある。ほら、服の下はこんなに温かい果実の色なのに。
胸のボタンとリボンを全て外すと、柔肌が露わになり、フィーネがすうと深く呼吸した。セルシアは特に感慨を抱くこともなくテキパキと服を脱がせ続ける。まもなくフィーネは一糸纏わぬ姿になった。セルシアは暫くその姿を眺めて良しと満足し、布団を被せた。
さて、部屋に戻ってクリスでも誘って出掛けて仕切り直すか、などと考えながらフィーネの頭をそっと撫でる。
フィーネがぱちっと目を覚ました。
「あれ?セルシアさん…?」
「おや、起こしてしまいましたか」
「あれれ??ここ、何処です…?」
「貴女の部屋ですよ、フィーネ」
「どうしてセルシアさんが私の部屋に?」
セルシアはベッドにすとんと座って真剣な面持ちでフィーネを見つめた。
「可憐な貴女が心配になって」
「心配…です?」
「鍵、閉まってませんでしたよ。駄目ですよ?フィーネ。僕みたいな悪い男が襲いに来ますよ」
「ええ?セルシアさんは悪い男なんかじゃないでしょう…」
フィーネが鈴の鳴るような笑い声をたてる。セルシアは実際襲う気で入ってきた悪い男なのだが、微笑み返すだけで何も言わなかった。
「あれ?私、服も靴も脱いじゃってますね」
「おやおや、まるで女神様ですね」
「ああ、確かにコトノ主様も着ていないことが結構…」
「生まれたままの姿の貴女も魅力的ですよ、フィーネ…」
セルシアがフィーネの顔に顔を近付ける。余計な話をさせるつもりは無かった。次に何を言われてもキスして遮ってしまおう。夜の始まりだ。
「脱がせたのセルシアさんですよね?」
真顔で言われ、虚をつかれたセルシアは思わず目を泳がせた。
「えっ?なんでそう思いました?」
「私、自分で脱ぐなら一番最初にこのチョーカーを外しますので」
そう言ってフィーネは首についたままのチョーカーを指差す。
「あ、ああ〜…」
「セルシアさんですよね?」
「そうですね…」
「ありがとうございます。でも次から自分で脱ぐので大丈夫ですよ」
「はい…余計なことしてごめんね」
「どうして謝るんですか?」
「それは、勝手に脱がせたから…」
セルシアは下心のある後ろめたさからたじたじとなる。
「それはセルシアさんの世界でも、悪いことなんですか?」
「そうですね…」
「じゃあ、めっ、ですよ」
恥じらいもなく堂々と上裸を晒すフィーネに鼻をつつかれて、セルシアの方が恥じ入る。恥ずかしくて顔に血が上るなんて何年ぶりのことだろう。
「それで、何しにいらしたんですか?」
トドメの一言。セルシアは片手で顔を覆った。
「…いえ。帰って良いですか?」
レオンは暫く、サンリアの部屋の扉の前で逡巡していた。すると、中からサンリアが呆れた顔で扉を開けた。
「…十分もそんなとこで何やってんのよ。入るなら入って」
「えっあっはい…何でバレてたんだ?」
「最初から独り言も足音も聞こえてたわよ。待つつもりだったけど流石に時間掛け過ぎよ」
「うーん、何かすまん…」
サンリアに招かれ中に入る。
「椅子なんかないからベッドに座って」
「お、おう」
サンリアが水差しを持ってきた。レオンは一口貰って溜息をついた。
「…セルシアがな、俺はサンリアの部屋に行った方がいいって」
「……。何で?」
サンリアもレオンの左隣りに、ベッドに並んで座る。近いな、とレオンは思った。
「さっき、フィーネを立てようとしてお前にキツく当たっただろ。あれを謝りに来たんだ」
「ああ。別にわざわざ部屋まで来て謝らなくても良いのに」
「だよな?」
「…あんたねぇ…まあいいわ。気にしてくれてありがとう。ちょびっとだけ凹んだのはホントだから」
「ごめんよ。フィーネはまだ俺らに慣れてないからと思って、つい。でもセルシアがカバーに入ってくれて良かった。セルシアの歌聞いてから、お前もフィーネも仲良くしようって思ってくれたみたいだし」
「うん、あれは効いたわね…泣いちゃうかと思った。あんなに格好良く歌われると、ただ叱られるだけより何倍も堪えるのよね」
「セルシアはカッコいいよな…。やっぱり、サンリアもセルシアのことが好きなのか?」
「っはぁ?!」
サンリアが叫びながら後ろに倒れて大の字に寝そべった。
「フィーネはもう何ていうか、目がハートだっただろ。セルシアも頂きますとかなんとか言ってさっきフィーネの部屋に向かったくらいで」
「あいつ…!はー、油断も隙も無いわね…まあフィーネが嫌って言ったら手は出さないだろうし、そこは信用してあげてもいいけど。」
サンリアはくるりとレオンに背を向けるように半分寝返った。フィーネの部屋で起こったことを知ったら、その評価も変わったかもしれない。
「私はセルシアのこと別に嫌いじゃないけど、恋愛感情の好きは無いわよ。そりゃ良いところはいっぱいあるけど、私の基準で致命的にだめなところもあるから…セルシアは無いなー」
「なるほどなぁ…俺は?」
「レオン?え?レオンが何?」
サンリアは努めて平静にすっとぼけた。
「俺のことは好きか?」
駄目だった。
「あー、レオンかー、レオンねー…んー…」
サンリアは暫くレオンに背を向けたままベッドの上でどう答えるか思案していたが、意を決して上体を起こした。ずいとレオンに顔を近付ける。
「…いつもは、好きよ。でも今日のレオンは嫌い」
今度はレオンがベッドに倒れ込む番だった。顔を両手で隠しているが、耳まで真っ赤になっている。その反応にサンリアは満足した。
「…嫌い。…なの、何でですか」
「教えてあげない」
「そんなぁ…謝ったのに…」
自分で思い当たることは無いのだろうな、と彼女は思った。そういう無神経なところが、愛しくて仕方ない時もあれば、腹が立って仕方ない時もあるのだ。今は、どちらかというと前者だった。
「ねぇ、レオン、その手どけて?」
レオンはゆっくりと両手を横に拡げた。目は閉じ、顔は真っ赤なままだ。
サンリアはその唇にそっと自分の唇を重ねた。
「いつもの好きは、このくらいね」
レオンが吃驚して目を見開く。サンリアの微笑んだ顔がすぐそこにある。心臓が口から飛び出るかと思った。サンリアが無造作にレオンを転がす。レオンはなされるがままに右肩を下に、サンリアに背を向けさせられた。首の下に手を入れられ、後ろからぴったりと抱き付かれる。
「今日の嫌いは、このくらい嫌い」
(何なんだこの可愛い生き物は。部屋に来て良かったなぁ)
レオンはテンパり過ぎて逆に冷静になってきた。
「これって、嫌いってことになってるのか?」
「そういうとこ、嫌い。絶対に今日のレオンには抱かれてやんない」
「えぇ…このままかよ…」
「…レオンは私のことどれくらい好きなのよ」
「俺、そもそもサンリアのこと好きって言ったことあったっけ…っぐ!?首!締まる締まる!!」
「嫌い」
「悪かったって!大好き!大好きだから!!」
ふっと締まっていた力が緩まり、首元に擽ったい笑い声が伝わる。幸せがすぐ傍にある確かな感触。レオンはサンリアの腕の中でそっと寝返りをうち、軽く抱き返してサンリアの頭を撫でた。
「俺の好きはこのくらいだよ」
「…そっかぁ…うん、思ったより悪くないわ」
サンリアが予想した展開ではなかったが、それだけ大切にしてくれているというのが分かったのだ。頭をレオンの胸にくっつけると、早鐘より速く心臓が鳴っていた。それでも彼はサンリアに手を出してはこない。相手を求めるだけが好きの形ではないことを、彼女は今学んだのだった。
「…私ね、十一歳の時に…」
レオンの腕の中で、サンリアはふと口にした。口にしてから、この話は今のレオンとの関係をぶち壊してしまうかもしれないことに気付いた。
「何だ?」
「ううん、何でもない」
「そうなのか?…十一歳の時って言ったら、前に言ってた、人を殺したことがあるって話か?」
「よく覚えてたわねそんな話……」
あの時、闘技場で人を殺せることの話になった時、レオンは自分の心の整理で手一杯だった筈だ。
「話をするのが怖いのか?大丈夫だぞ、サンリアがどんな奴なのかはもう知ってるから。昔の話を聞いたってそれが変わる訳じゃないだろ」
「うん…そうね…」
「話したくないなら話さなくてもいいけどな」
レオンにポンポンと不器用に頭を撫で付けられ、サンリアは目を閉じた。
「じゃあ、良いかな…。おやすみなさい」
「うん、おやすみ。…え?俺どうしたらいいの?」
「部屋に帰る?」
「何となくそれは不正解な気がするんだよな」
「ふーん?」
サンリアは動けないでいるレオンを放置して布団に入り直す。そして誘うように布団の端を捲った。
「じゃ、ここで寝る?ここに入ったら、ただじゃ帰さないけど」
「すぐそうやって挑発するの、良くないぞ。来てほしい時は素直に…」
レオンが靴を脱いで布団に入ってくる。優しいのは良いが、流石にそろそろ子供扱いは食傷だ。サンリアはするりと彼のシャツの下に手を潜り込ませた。柔らかいが、筋肉の凹凸がしっかり分かる腹をつうと撫でる。
「サ、サンリア!?」
「ただの挑発だと思ったの?あんたってホント馬鹿ね。私、十一歳の時に処女を捨てたのよ。男の人の経験だって一人じゃない。レオンは私の巣穴に、自分から食べられに来たわけ。」
「待て待て、待ってってば、ちょ…」
サンリアの手は止まらない。レオンの体を細い指で撫で回し、自分を好きだと抱いておきながら安穏と眠っている獅子を起こそうとしていた。
「待ってって言いながら力が入ってない。期待してるんでしょ?」
「だってこんな狭いところで暴れたらサンリアが…まずいってそこは、」
「この際はっきりさせておきたいの。森の中じゃできないから。貴方、私の全部…過去も、体も、こんなことする私も全部見て、それでも好きだと言える自信がある?私はこれでもまだ、レオンの大切な人になれる?」
「やめろっ、こんな、こんな試し方しなくても!あっ駄目、マジで」
レオンはベッドから受け身も取らずに転がり落ちた。そのまま靴を引っ掴み、前のめりになりながら這々の体で部屋から逃げ出す。
「えーっ…しまったなぁ…」
途中まで駄目ではなかった筈だが、失敗した。明日から平気な顔して接してくれるだろうか?これで捨てられるなら、まあ自業自得と諦められる。彼女は溜息をついて独り布団に潜った。