水の剣の主
コトノ主はヒトではない。故に、人の気持ちが分からない。レオンは母が裏切り父を殺したと聞いて思考停止してしまう。一方で、水の都の危機を救うべく、コトノ主が『用意』した水の剣の主が仲間になった。
「セルシアさん、サンリアさん、クリスさん、リオンさん」
「レオンです」
「リ、ルレイ、レィーオン…リオンさん」
フィーネは何度かレオンの名前を練習したが、功を奏すことはなかった。
「あ、あの、リオンでも、いいっす」
レオンが照れながらそう言うと、フィーネは少し微笑んだ。
「すみません、ありがとうございます」
その顔が見られて良かった、とサンリアは安堵した。少なくとも、彼女は人形ではなく、自分と同じ人間だ。
『フィーネは宮で生まれ育ちましたが、魔法と水の剣を用いた戦闘技術と、宮勤めの人間達によりひと通りの社会性を身に付けさせてあります。多少箱入り娘な部分は否めませんが、困る程ではないと思いますよ』
サンリアは呆れた。これが所謂神目線、というやつか。
「コトノ主様。フィーネは人間なんでしょ。見たところ私よりちょっと年上なくらい?レオンより上かしら?あのね、普通そのくらいの歳の子は、もっと屈託なく人とぶつかる程度の若さがあって良いと思うのよ。後は彼女に任せて余計な口出ししないで。フィーネは貴女の人形じゃないの」
「主様を侮辱なさるんですか?」
フィーネから笑みが掻き消える。いつの間にかその右手には湖の様に銀色に輝く細剣が握られていた。水の剣、アクアレイムだろう。
『あらあら、大変!喧嘩しないで?うふふ、流石はナギラのお孫さんね。フィーネ、大丈夫ですよ。英である彼女達は長である私と対等。今この場より貴女も私と対等なのです。それに、ええ、確かに今の私の発言は、対等な筈の貴女のことを尊重しないものでしたわ。謝るのは私の方なのよ』
「主様、ですが私、それは…」
『仲良くしなさい。それが私の望み』
「はい…」
フィーネがすっと能面に戻る。しかしその内の熱を感じられたことで、サンリアは挑発してみた甲斐があったな、と思った。レオンは肝を冷やし、クリスは面白そうに女性陣を眺め、セルシアは興味深げにフィーネを観察していた。
「私も二人に失礼なことを言ったわ。コトノ主様、フィーネ、ごめんなさい。改めて言うけど仲良くしてね」
「ええ、こちらこそ、サンリアさん。喧嘩慣れは確かにしていませんが、負けませんよ」
余裕のある笑みを浮かべて右手を差し出すサンリアと、無表情でその手を取るフィーネ。
『育て方を間違えたかのう…』
『私もですわね…』
その日はコトノ主の計らいで出立せず、皆で街の宿を取ることになった。フィーネにとっては初めての外出になる。いきなり初対面の人間達と野宿では気も休まらないため、まず共に食事でもとって親交を深められる様にと意図されたものだろう。部屋はサンリアとフィーネが個室、男性陣が四人部屋一室だった。
「別に同じ部屋でも仲良くやれるのに。ねぇ?」
「ええ。何も問題ありません」
夕食にと選んだ食堂でも、変なところで意地を張り合う二人。
「そういうとこだぞ、サンリア。あんまりフィーネをいじめるな」
「リオンさん、私なら大丈夫ですよ。年上ですので」
サンリアが十三、フィーネが十六ということが知れてから、フィーネは年齢マウントを事ある毎にとるようになった。
「フィーネも、サンリアにあんまり構うなよ。年上ならさ」
「むう…分かりました…リオンさんがそう言うなら」
フィーネは何故か一つ年下のレオンに対しては素直でしおらしい。それを見ているとサンリアはついムキになるのだった。
「何でよ、仲良くできるってば」
「あのなぁ、いきなりお前みたいなアクの強い奴とぶつかったら大丈夫じゃない子だっているんだよ。俺だって最初は大変だった」
「リオンさん、お可哀想に…」
「…フィーネあんた私と仲良くする気、ないでしょ」
「サンリアさんにはあるんですか?」
まさに一触即発。クリスが年少組のいざこざを楽しんでいるのを隠そうともせず笑顔で隣に話し掛ける。
「セル、これどうするー?」
「見てる分には面白いですが…レオン君には荷が勝ちそうですね」
セルシアがティルーンを背中から降ろし、爪弾き始めた。
かくて英雄は剣を振るう
その背に負うは幾千の民
色を好み大酒食らうとも
その剣に一切の迷いなし
激しくはないが力強く美しい歌声と楽の音に、サンリアもフィーネも黙って耳を傾け始める。
見よその栄光なる過去を
見よその祝福ある未来を
誰か彼の者の難儀を以て
其の仕業を非難しようぞ
英雄が人と為は聖に非ず
行ひし仕業のみに顕れる
誰も英雄の全てを知らぬ
知らねど仕業以て信あり
「…私、叱られてる?」
セルシアの詩を聞きながら悲しそうにサンリアが独りごちる。英雄の資格は聖人であることではなく成した奇跡の数である、と、性格が合わぬからと非難せず英として成すべきことを為せ、と言われている気がした。
レオンは残念ながら歌詞からそこまでの機微は理解できない。ただセルシアは今日も歌が上手いなぁと感心するのだった。
「なるほど…英雄とは…素敵です、セルシアさん…」
フィーネがうわ言の様に呟く。フィーネだけでなく、段々と食堂全体がセルシアの歌声に聞き入る様に鎮まっていく。
「いや歌詞…、相変わらず力技だなぁ…」
この中で一番セルシアの歌の、特に女子に対する破壊力を目の当たりにしてきたクリスは、敵わないなと舌を巻いた。
やがてセルシアの英雄讃歌が終わると、狭くはない食堂がドッと沸き上がった。
「すごい、すごいです、セルシアさん…私、あの、間違ってました」
喧騒の中、フィーネが涙目でセルシアの手を取る。セルシアはフィーネを優しく見つめながら、そっとその手を握り返した。
「良いんですよ、フィーネさん。水は真っ直ぐには流れませんが、それがより多くの大地を潤すのです。ならそれは間違いなんかじゃない。そうでしょう?
僕達は嘘偽りや無理のない、ありのままの君を受け入れたいと思っているんですよ。僕を信じて、一緒に旅をしませんか?」
フィーネは感極まったように顔を紅くして何度も頷いた。サンリアはセルシアの口説き落としを尻目に、そっとレオンの肩にもたれかかった。
「…何よ。レオンはもういいの?」
「?何がだ?」
「何でもなーい!」
宿に戻り、各々部屋で休む時間になった。男部屋はセルシア、クリス、レオンとじーちゃんの三人と一羽だ。
クリスが二段ベッドの上段から下段のセルシアに声を掛ける。
「セルはもう完全にフィーネちゃん係になりそうだけどいいのー?」
「うん?あんな可愛らしい女の子なんて、何人でも歓迎ですよ」
セルシアはティルーンの手入れをしながらいらえた。
「なんかよく分かんないけどあの歌でサンリアの機嫌も直ったし、あの後は二人、普通に仲良さげに話せてたよな。セルシアのお陰で助かったよ」
セルシアの反対側のベッドでレオンがこくこくと頷いた。
「僕が頂いていいんですか?」
「え?」
「いえ、自覚が無いならいいんですが。」
セルシアの言葉に全く心当たりのないレオンは、目をぱちくりさせた。
「やーでも会ったその日に落としにかかるとはねー。セルがそんなに手の早い奴だとは思ってなかったなー」
「焚き付けたのはクリス君でしょ?」
セルシアが不服そうに上段のベッドの底板を仰ぐ。
「えー俺のせいになるの?それは都合良すぎないー?」
「クリス君のせい、とは言いませんが、僕が僕の都合だけで掻っ攫ったと思われるのは心外ですね。あの場での最善だったでしょう?」
「でも今頂くって言ったよねー?」
「それは役得というか何というか。貰えるなら貰っておくというか。据え膳食わない訳にもいかないでしょう」
「はーこれだからセルは。酷い酷い。未来の俺の彼女は寝取るなよー」
「え、そこは約束しませんよ?未来のことなんて分からないし」
「フィーネちゃん大事にしてー?」
「それはしますよ、当然でしょう」
何か矛盾していないか。クリスが頭の上に?マークを並べている間に、セルシアはティルーンの手入れの仕上げに試し弾きをし終え、それを抱えて立ち上がった。
「セル、どこ行くのー?もしかして」
「ええ、フィーネさんの部屋です」
「は!?駄目だろそれは」
「駄目かどうかは本人が決めることですよ、レオン君。君だって行った方が良い部屋があるんじゃないですか?」
「俺!?何それ、サンリアの部屋ってこと?殺されるに決まってるだろ」
『サンリアは間違いなく、レオンがフィーネの肩を持ったことを根に持っておる。謝るなら今のうちじゃぞ』
「じーちゃんまで!?」
「あーはいはい、二人とも出て行きなー。せいぜい青春してこい。俺は寝るよー。負けて帰ってきたら骨は拾ってやるさ」
「えぇ…本当に行った方がいい、のか…?」
レオンは上の段のクリスに声を掛けたが、クリスは背を向けてしまい何も答えなかった。
「さあさあ、男を上げるなら今ですよ」
セルシアはレオンの肩を抱いて部屋の外に連れ出した。