人の心を持たぬ神
剣の仲間たちは水の都に到着した。水の都ギレは、その二つ名が想像させる情緒的な街ではなく、黒煙立ちのぼる工業都市だった。一行は早速この街の神コトノ主の招待を受け宮殿に案内される。
昇降板が止まった。どうやら到着したらしい。
眼前には広いプール。そこに水車やピストン、水路に人工滝など、様々な経路で水が流れ込んでいる。何か水を使って大掛かりな実験でもしているかのようだ。
じーちゃんがバサリとサンリアの肩から飛び立ち、プールの方へ先導した。一行もプールサイドまで移動する。と、突然大量の水が立ち上がり、一行を取り巻いたかと思うと不自然に固まって様々な椅子の形を成した。
セルシアが興味津々に椅子を触り座る。それを見て他の皆も座った。じーちゃんは水でできた止り木に降りてきた。すると余った椅子が解けて、水がプールの上に戻り、また盛り上がって長身長髪長衣の美しい女性の像を結んだ。
どう見ても魔法、どう考えても人外、名乗るまでもなくそれが、コトノ主であった。
『お初にお目にかかります、剣の主の御歴々。私、湖守琴乃主と呼び習わされるモノにございます。今回、火急の用ございましてこの様にお呼び立て致しましたこと、お許し願いとう存じます』
『礼はいい。その様な堅苦しい言葉を使うておると、本題がぼやける』
『あら…』
コトノ主は心外そうにじーちゃんを見た。
『まあナギラ、貴方ってフクロウになっても相変わらずせっかちなのね。…良いでしょう、本題に入らせていただきます』
ハッキリ言って、その方が有難い。敬語が苦手なレオンはそう思った。
『この街を出、西に三百キロメートルほど離れた〈森〉の中に、この街のダミーがあります。いえ、本来この街だったものの廃墟です。そこに、五日後、夜の民の軍勢が来ます』
「夜の民ってぇと…」
「イグラス、よね」
「森を拡張しているという敵ですよね」
「まだこっちは四人しかいないけど、決戦ってとこかなー?」
『いえ、まだです。彼らは夜の民の軍の中でも精鋭の様ですが、率いるのは少年であり、王ではありません。遠征、といったところです。狙いはこの世界の要である私です』
『少年が軍を率いて…その少年、もしや』
『残念ながら当たりです、ナギラ。死の剣の主です』
死の剣、ディスティニー。クリスは眉を顰めた。雷様の権能である医療ナノマシンの力を超えて死の概念を上書きすると聞いている。かすり傷でさえ危険かもしれない。
「なんで、死の剣の主は敵になってるんだ?」
『レオン…それは大魔導師サレイが、夜の民についたからです』
「なっ……」
レオンは両の拳に力が入るのを感じた。まただ、また養母が謗られている。剣を取る時に聞こえた、真実を見せよう、という言葉は、彼女の正体を知れ、ということだったのか?
「いや、分かんねぇ。分かんねぇよ、サレイ母さんが大魔導師ってのも分かんねぇし、敵ってのも分かんねぇし、なんでそれじゃあ父さんと結婚したのかも分かんねぇ。分かるのは、少なくとも一緒に暮らしていたあの三年間は、俺の味方だったって事だけだ」
『落ち着いて下さい、レオン。サレイのことは私達も心配しているのです。サレイもある世界の長、かつて私達の仲間だったのです。しかし彼女は夜の神の巫女でもあった。今でも難しい選択をし続けているのでしょう』
「メイラエおじさんは、その犠牲になったと?」
今度はセルシアが眉を顰める番だった。
『勿論存じております、私は水の権能届く限り遍在できますので。メイラエのことは残念でした。カオンのこともです。サレイは長を殺して回っている。かつて共に旅をした仲間のことを、です。夜の神も厳しいことをなさる…あの御方の神意は、私などでは計り知れず…』
「サレイ母さんが…父さんを…?」
レオンはその言葉が咀嚼できずに、舌の上で転がしていた。
『やめよ、コトノ。お主は相変わらず人の心を知らん。今伝えるべきことはサレイのことではないじゃろう。夜の民の軍勢が来る。それで?』
『そうね。ごめんなさい、話が逸れました。夜の民の軍勢はこの世界を滅ぼす気でいます。私は水の剣の主をもってそれを退けたい。ですので、貴方がたには彼女の補佐をお願いしたいのです』
「それって、もう水の剣の主は決まってるっていうこと?」
サンリアの言葉に、他の三人は我に返った。水の剣の主が即仲間になるなら有難いことだ。
『ええ、水の剣の主は生まれた時からの定め。彼女が次代の娘を産み育てぬ限り、水の剣は彼女にしか振るえませぬ。彼女達の血筋は古くから巫女として、私の管理下で保護しております。産む子は必ず娘のみ。おのが娘が十歳を迎える時に水の剣の主の役割を譲り、全てを忘れ宮を出る。そうして代々守ってきた母の血です』
「どういうこと?男の子だったらどうするの?」
『おのこになることはございません。また、産まれないということもございません。私が娘を選び与えますので』
ヒュッとサンリアが息を呑んだ。いたずらに生命の誕生を弄ぶ、神と呼ぶには歪で異質な怪異の様に思えた。気持ち悪い、というのが本音だった。産む子を与えるとはどういうことだろう。娘となる精をコトノ主が母胎に植え付ける、のだろうか。そうして産まれた子は、人間だろうか。
『というわけで、現巫女を呼んで参りました。フィーネ、こちらへ』
呼ばれてプールから直立に浮かび上がってきたのは、レオンと同じくらいの背丈の少女だった。水の中から出てきたというのに一切濡れていない。水色の髪に水色の瞳、水色のワンピースに青いチョーカーと靴。人形の様に表情に乏しく、そして、コトノ主にそっくりであった。
(やっぱり、人間とコトノ主の娘ってこと…?代々って言ったわよね…)
サンリアは新しく仲間になる相手に作り笑いを浮かべながら、コトノ主への嫌悪感を募らせた。フィーネ、〈終わり〉を意味する名前。それは彼女の母が娘に掛けた願いであったかもしれない。
フィーネは、礼儀正しくスカートの裾を摘んだ。
「お初にお目にかかります、水の剣アクアレイムの主、コトノ主様の巫女フィーネでございます。宜しくお願いいたします」
「音の剣オルファリコンの主、セルシアです。僕達は仲間になるんですから、敬語なんか無しで仲良くしてくださいね」
「風の剣ウィングレアスの主、サンリアよ。女の子が増えて嬉しいわ」
「雷の剣プラズマイドの主、クリスだよー。宜しくねー」
「グラードシャイン、あっ光の剣の主、レオンだ…です。よろしくです」
レオンがめちゃくちゃ緊張しているので、サンリアは可笑しくて気が抜けた。別にフィーネの出自など関係ないではないか。大切なのはこれから、彼女と信頼関係を築くことだ。
全然レオンの事は好きなタイプでも何でもないが、彼の善性にはいつも心が軽くなるな、とサンリアからも本物の笑顔が零れた。