挿話〜竜に乗るということ〜
夜の国イグラスでは、水の都への出兵に際し、竜騎士達が準備を始めていた。
プラチナブロンドの長髪の男が、友人を探し寄宿舎から出てきた。髪を雑に左胸で束ねる。今は亡き姉の真似事だった。
恐らくあいつは今も、騎竜舎に詰めているのだろう。竜の手入れなどは従騎士に任せろと言っても、あいつは曖昧に笑うだけで辞めようとはしない。竜が好きなのは仕方ないが、従騎士と竜が心を通わす大事な仕事を取り上げてしまうのは、後続が育たずあまり宜しくないのだが。
騎竜は滅多な事では死なない。死ぬのはいつも、我々竜騎士だ。
彼が騎竜舎の屋根をくぐると、黒髪の男が面を上げる。夜中なのにバイザーサングラスをしているのは、彼が極度の弱視だからだ。
「…ディゾールか」
「ああ。ガンホムは相変わらず耳が良いな」
「ふふ、こんな時間にここに来る騎士は俺かお前くらいのものさ」
「俺はガンホムに用がある時にしか来ないぞ?」
「そうか。じゃ、俺だけだな」
そう言うと盲目の男は竜に向き直り、鼻面を撫でた。偉丈夫である彼の背丈程もある頭を押し付けられ、おふ、と声を上げる。竜騎士の翼となり空を舞う騎竜のオスは大きいが、メスは更に一回り大きい。
「…そろそろなのか」
「ああ、産まれそうだ。旦那が居なくなるので心細いらしい」
「心配するな、こいつがおっ死んでもお前の旦那は連れて帰って来てやるから」
ディゾールがそう声を掛けると、憤慨したようにバルル、と竜のメスは鼻を鳴らした。
「笑った。元気が出てきたかな」
「え?今の笑ったの?」
「ちょっとは騎竜の個性も知っておいた方がいいぞ、ディゾール」
窘められたが、そもそも常人には竜の鳴き声の聞き分けなど難解を極めるのだ。これだから耳の良い奴は、とこっそり呆れる。多少溜息が漏れたか、ガンホムはディゾールの方を見てニヤリと笑った。
「ディゾール、お前が何でここに来たか当ててやろう。我らが団長殿は今度の作戦にかなり緊張しているご様子。まあ無理もないが。今までせいぜい二個中隊(※二百人)だったのが、いきなり二個大隊(※千人規模)ときた。お前は基本的に若いのに弱い。いつもの団長ならともかく、今のあの人は見てられない。だから俺んとこに逃げてきた。俺がいればお前もあの人も落ち着くからな」
「…さぁて、夜の散歩もこれくらいにして帰るか」
「それじゃ、俺も帰るか」
「要らねぇよ、余計なお世話だよ」
「ははは、どうやら図星だったようだ」
笑いながらガンホムが竜の手入れの後片付けをし始めたので、ディゾールは仕方なく彼を待った。
「…お前が死んだら、って言ったがよ」
「ん?」
「死ぬんじゃないぞ。〈竜盾〉してでも生き残れよ」
「…お前。俺にそこまでの価値は無いぞ」
竜盾、とは避けられない攻撃に対し、騎竜を反らせて盾にすることで乗り手のダメージを防ぐ戦法だ。しかし、貴重な騎竜をそんな扱い方する竜騎士はいない。師団長クラスでしか許されない暴挙だ。
「俺は目が見えない分、本来なら竜騎士どころか従騎士にすらなれない一兵卒だ。たまたまアズ…現団長殿の配属になったお陰で、腕を磨けて今の地位まで来られたが、常に最前線で危険に突っ込めない俺など不要だ」
「止めろ、俺はお前の価値はその腕っぷしだけじゃないと知っている。お前は前線を退いても後続の指導、騎竜の扱い、兵達を纏める力、どれもこの騎士団に必要なものだ。それに…単純に、お前が死んだら…あいつも、俺も悲しい」
「まるで自分達は死ぬことは無いみたいな言い方だな」
「お前が一番危ないんだから仕方ないだろ。見えないってのはハンデではあるもんよ。次は市街地戦だろ?しかも、相手が魔法を使ってくることは確定している。今までの様にはいかない」
「…分かってるさ。でもな、竜に乗る以上、誰だって明日死ぬかもしれない。だが戦力を減らす訳にはいかない。だから、従騎士を育てて、いつでも自分の竜をくれてやれるようにする。そうだろ?…竜盾だと?自分の竜を粗末にする奴は、今俺が殺してやるよ」
ガンホムがディゾールに苛立っている。滅多にない事だった。
「…悪かった。戦友を喪いたくない俺の弱さだ。忘れてくれ」
ディゾールが努めて真摯な声で謝罪する。目が見えない彼の友は、ディゾールの万人を魅了する秀麗な容姿などには誤魔化されてくれない。もしかするとそれこそが、ディゾールがガンホムに執着する理由なのかもしれなかった。